ある布商人とその娘
ある町にほどほどに儲かっている布商人が居た。
「娘や、羊毛を仕入れに北へ行ってくるのだが、土産に欲しいものはあるか」
娘は少し考えて「羊のコートがいいわ。真っ白いの。だって寒いのですもの」と言った。
「分かった。期待して待っているといい」
彼は旅先でたっぷりと羊毛と、少女用の真っ白な毛皮のコートを買い込んだ。
「ありがとう、お父さま。大事にするわ」
娘は晴れの日も雪の日も春が来るまで毎日毎日そのコートを来て出かけた。
家に帰ればまず真っ先に女中に命じてコートの手入れをさせた。コートはいつまでも新品のように美しく白かったので、いつしかほうぼうの奥方達の話題となった。
布商人は服屋に白いコートを買った土地を教え、見返りに沢山の仕事をもらった。
彼は裕福となった。
裕福となった布商人は、羊毛の他に絹を扱えることになった。
「娘や、絹を仕入れに東へ行ってくるのだが、今度は土産に何がほしいか」
娘は今度はたっぷりと考えて「それなら、黒壇の扇が良いわ。絹が貼ってある東国の扇よ。だってもうすぐ暑くなるんですもの」と言った。
「分かった。夏になる前には帰ってくるよ」
はたして彼は初めての土地にもかかわらず上質の絹をたっぷりと仕入れることが出来た。もちろん娘に似合う細かな細工が入った黒壇の扇を買うことも忘れなかった。
「ありがとう、お父さま。毎日でも使うわ」
娘はパーティへ出かける度に黒壇の扇を手にしていた。少女がコロコロと笑う度に口元を覆う異国の扇子はたちまち貴族の目に止まった。
布商人は装飾屋に黒壇の扇を手に入れた土地を教え、見返りに立派なお店を手に入れた。
彼は誰もが認める大商人になった。
更に裕福となった布商人は、レースを扱えることになった。
「娘や、今度は東の工房へレースと仕入れに行くことになったよ。土産はどうするかね」
娘は十分に考えてから「それでしたら私、レースの靴下が欲しいですわ。大人の女性はみんな膝の上まである素敵なものを履いているんですもの」と言った。
「なるほど。お前もそんな年になったのだな」
商人は意気揚々と出かけ、レース工房で船いっぱいのレースを仕入れた。ところが困ったことに、娘の靴下のサイズがわからなかったのである。迷いに迷った商人は、娘へのお土産を買う前に帰宅の途へついてしまった。
「これは困った、困ってしまったぞ。いっそサイズ違いで買い揃えてしまった方が良かっただろうか」
とは思っても、もう既に船は故郷の港についている。うんうんと唸って悩んだ結果、彼は娘を連れて街を回ることにした。
「娘や。お土産が買えなかった分、なんでも好きなものを買ってやろう」
「お父さま、でしたら私あの店が良いですわ」そう指差した先には古びたガラス細工の店があった。何年も客入りに悩まされていた店長は大いに喜び、二人を迎えいれた。
父娘はその店で一番高い細工のグラスを一揃い買求めた。
数日後、街中でガラス細工が流行り始めた。
父娘が訪れた店もまたさばききれない程の客入りに見舞われた。
彼は客に接する度に「あの父娘が来てからと言うもの、商品が追いつかないほど売れるようになったのです」と言ったのだった。
「アナタは神がついてると評判ですよ」
そういい出したのはギルド仲間の日用品売りであった。
「いえいえ、ただ私は娘のために色々と買い求めただけなんですよ」と、布商人はこれまでの経緯を語った。
「ほほう、なるほどなるほど。では、よければ私からも何かお嬢さんに贈らせてください。その強運の女神に。なあに、親切な老人からの気軽な贈り物ですよ」
「でしたら、娘に何がほしいか聞いてみましょう」
布商人は娘に欲しいものを聞いた。
「ではわたくしランプが良いですわ。蝋燭ではなくガスで灯る明かりが欲しいのです」
日用品売りは娘のためにとびきり明るいランプを用意した。夜でも昼のように明るいその光のおかげで娘は毎夜本を読み、刺繍をし、充実した時間を過ごした。
やがて夜を灯す事が街中に広まり、ランプは飛ぶように売れた。
「彼女が望むものはすべての人が欲しがるようになり、彼女の言葉を知れば必ず儲けがやってくる。あの子は商売の神様なんだ」日用品売りはそう吹聴した。
人々は半信半疑であったが、少女の父の店を見るにつれ「もしかすると」という気持ちが上回った。
「お嬢さま、これはどうでございましょう?」
「我が工場の最新の商品であります」
「なにとぞ、なにとぞ、当店へおいでなさって下され」
娘は困惑しながらも一つ一つの言葉に耳を傾けた。
彼女が手にした商品は飛ぶように売れ、彼女が訪れた店には人が殺到した。
その度に少女の名声は高まった。
「ねえ、お父さま、私怖いの」お城よりも大きくなった屋敷で少女は呟いた。
「わたくしは何をしたのでしょう。ただ贈り物を受け取っただけの事しかしていません。こんなに沢山の人に囲まれるような人物ではありません」
「何を言うんだね。お前は私に富をもたらした。信用をもたらした。我らは今や誰もが羨む国一番の一族となったのだぞ。それは全てお前のおかげだ。お前が欲しがるものは全て売り切れるし、お前が足を向ければどんな店でも繁盛する。誰もがお前を尊がってるよ」
娘はいっそううつむいて答えた。
「だから怖いのです。もしもわたくしが選んだものが売れなかったらどうしましょう。わたくしが訪ねたお店に人が来なかったらどうしましょう。わたくしが努力すれば何とか出来ることならいくらでもいたしましょう。でも本当にわたくしは何もしていないのです」
「娘よ、お前は少し疲れているのだ。じっくり休めば良くなろう。そして良くなったらまた一緒に商品を選んでおくれ」
「……ええ、お父さま。きっとそうなのでしょう。わたくしは疲れているのです」
娘はしばらく休んだ後、再び街へ回るようになった。
彼女が訪れたお店は相変わらず繁盛し、手にした商品は飛ぶように売れた。娘がどんなに不安に思おうとも、それは全て杞憂で終わるのであった。
やがて娘の名声がどうしようもなく高まった。街中の人々は娘を見るたびに崇め祈るのである。少女のための特別な城が建てられた。城はしばらくすると神殿と呼ばれるようになった。娘に仕えたい人間は後を絶たず、仕える人間を統括するための専門の組織が出来上がった。
娘のもたらす恩恵をむやみに悪用されないように、会う人間が制限された。
「……布商人よ、最近はいかがですか」
「はい、御身のお陰でつつがなく暮らしております」
国一番の商人となった父がこれ以上恩恵を受けないように、父娘はなかなか会えないようになった。娘はとても悲しんだが、どうしようもなかった。
何年も何十年もそうした日々が続いた。娘は相変わらず城の中で沢山の商人に囲まれていた。救いを求める手が彼女に伸ばされ、城を出ることがままならなかった。
そしてやがて彼女は病に倒れ、そのまま眠るように呼吸を止めた。
普通の人間のように死んだ。
葬式には国中の人間が参列をし、その遺体は神殿の中心の石棺に収められた。
無限の恩恵を与えた娘に、死してなお商人たちは貢物を捧げるのである。