乙女の涙とカエルの王子
王様は、髭を蓄えた薄汚いローブの老人に尋ねた。
「魔法使い殿。呪いによってカエルにされた王子を、元の姿に戻すにはどうしたらいいのだろうか?」
老人は重々しく答えた。
「清らかな乙女の涙だけが、その呪いを解くであろう」
当事者であるアルフォンス王子、すなわち僕からしてみれば、それが事件の始まりだった。
正直、カエルになったことなんかそれと比べたら些細な問題だった。
……後から考えたら、そうとしか思えない。
本当に余計なことを言ってくれたものだよ、あのジジイ。
僕の目の前に連れてこられたのは、幼馴染である隣国の三人の姫だった。
「ああ、愛しの王子様! なんと、おいたわしいお姿に!」
長女であるアカネ王女は、桃色のドレスをふんわりと躍らせながらそう言った。
と、動きが一瞬ピタリと止まる。
「……困ったわね、カエルのままで子供作れるのかしら?」
「お姉さま、今はそれどころではないですわ」
次女のアオミ王女が、静かに話す。
彼女は一見いつも冷静で、上品そうな雰囲気をまとっている。聞いた噂によれば、姉妹のなかでも一番社交界でモテているらしい。
「今は一大事なのです、なにせ一国の王子がカエルにされてしまったわけですから」
「そうねえ、このままだと結婚できないわね。将来が心配だわ」
「お姉さま、だからそれどころではないのですわ」
「またまたアオミちゃんったら~。ここで株を上げて、お妃様の地位を狙っているんでしょう?」
「あら、わたしくは決してそんな」
「えっ!? じゃあ、まさか辞退するの?」
「ううっ、それは……」
おい、欲望ダダ漏れだよ。
目に入ってるのかないのか、わからないけれど本人目の前だよ。
言葉がわからないと思ってるかもしれないけど、実はカエルになったままでも話せるんだよ?
「はあ、お姉さま方。 王子を目の前にして失礼じゃない?」
そこにため息をつきながら、ミドリ王女が二人をさとす。
美人と言うより、かわいらしい風貌。しかし、一番理性的なのが彼女だった。
「ミドリちゃんったら冷たいわ、お姉さま悲しい」
「そうじゃなくて本当にお妃になりたいなら、一刻も早く涙を流して王子を元に戻すべきでしょう? それは悲しんだり、打算的な欲望をさらけ出すより先決だわ」
「ああ、つまり王子の呪いを解いた者が妃になれるのね。 ミドリちゃんったら賢い!」
「……誰もそんなことは言ってないわよ?」
ミドリ王女は、呆れるような表情を作った。
だからそれ、本人を目の前にして言ったらダメだろ。
カエルになったから、警戒心が働きづらいのかもしれないけどさ。
「それじゃ、わたしがさっそく泣きましょう!」
アカネ王女が、張り切って手を挙げた。
それを冷ややかに見るアオミ王女。
「お姉さま、いくら泣こうと思ってすぐ泣けるわけではありませんでしょう?」
「ん~、それもそうねえ」
「そこでわたくし、こんなものを持ってきているのですわ」
「それは悲恋の物語の『真珠姫』ね! いいなあ、お姉さまにも貸して!」
「……仕方ありませんわね」
「ありがとう! アオミちゃん、優しいから好き!」
手渡された本をもくもくと読み始める、アカネ王女。
アオミ王女はそれを横目に、どこからか玉ねぎをこっそり取り出す。
「我が姉ながら単純ですわね、将来が心配ですわ」
僕は自分の将来が心配だよ。
将来だけでなく、今この瞬間が心配だよ。
ゆっくりとアオミ王女は、玉ねぎを片手に僕のほうに歩いてくる。
「さあ、可愛そうな愛しの王子様。……今からわたくしが元に戻してあげますわね」
どう見て怪しい人だよ!
そもそもカエルの僕から見たら、巨人が玉ねぎを持って迫ってきているように見えるんだからね?
「アオミちゃん、わたし本読むの飽きちゃった~。せめて読んで聞かせてよ、って、アオミちゃん! 何抜け駆けしようとしてるの!」
アカネ王女がようやくこちらに気づいた。
彼女の発言には、おかしなところが多すぎて毎回ツッコミきれない。
「……さすがにそこまで飽きっぽいとは計算外ですわ」
「当たり前だよ! 本なんか読めるわけないよ!」
なにを威張っているんだ。
「わたしがその玉ねぎで泣くの!」
「これはわたしくが持ってきたものですわ!」
どんどん二人の様子はエスカレートして、けんかを始めた。
一国の王女がたかだか玉ねぎのために、ひっかき合いまで始めるとは。
と、そこでいきなり体が締め付けられた。
そのままゆっくりと持ち上げられる。
「さて」
動かない体でなんとか見上げてみれば、ミドリ王女が僕を握りしめていた。
「お姉さま方ったら間抜けね。涙を流すより、まず王子を捕まえればどうにでもできるのにね」
そういって、ミドリ王女は笑う。
「最初から二人を争わせて、その隙に貴方を捕まえる気だったのよ。手柄を挙げて、妃にしてもらうなんて馬鹿馬鹿しいわ。アタシね、最初から誰かに頭を下げて、妃になるつもりはないのよ。言ってることわかるわよね?」
く、苦しい……。
これは僕の人生、最大のピンチだ。
いや、もう僕は人間じゃないから、人生じゃなくてカエル生かもしれないけど、ってそんなこと言ってる場合じゃない!
「……一応、言っておくけど、アタシ貴方のことは好きよ? でも、愛を乞うことが出来る女じゃないの、ごめんなさいね」
僕はとっさに、ミドリ姫の手を、舌を伸ばして舐めた。
「きゃっ」と驚いた彼女が手を離す。
僕は窓から飛び出し、森の中を走っていた。
すぐに追いかけてくるミドリ姫。
「王子出てきなさい、逃げるのは無理だわ。……この森の動物に食べられるわよ」
そこで草むらから飛び出したのは、一匹のカエル。
「あら? 想定よりも早かったわね」
ミドリ姫は大事そうにカエルを抱えて、城に戻っていく。
僕は隠れていた木の陰でため息をついた。
それはただの野生のカエルだよ、愛しの王子との見分けがつかないのは、僕からすればラッキーだったけどね。
僕はそのまま、あてもなく逃げ出すと、池のほとりに一人の少女がいた。
「私、なにも悪いことしてないのに。お父さん、お母さん、どうして私を置いて行ったの」
寂しい、つらい、と涙を流す少女。
どうやら彼女は両親を亡くし、継母と義理の姉たちに馬車馬のように働かされている様子だった。
他に身寄りを知らない彼女は、誰かに相談することも頼ることも出来ないらしい。
……このままだと本当に動物に食べられちゃうよな。
この時はそんな打算と、すこしの悪戯心と。
言葉にできないような胸のざわめきを抱いていた。
僕はそのざわめきにしたがって、前に飛び出す。
「やあ、僕はカエルのアルフォンス。いじめられている君を守りに来たんだ」