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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

のどかな日

作者: 松本 桂花

死にたい、と思う。

もう諦めようかなあなんて。

死んじゃえば楽かなあなんて、そんな気がした。



地位も名誉も富も美貌も、何もかもいらない。橘しか欲しくない。でも橘はそんな私の事を知らずに、今日も私の知らない女と過ごしている。使用人である橘と私の関係はあくまでも彼の仕事上の事であって、私は彼に思いを告げられない。

私は自宅マンションの屋上で遥か、フェンスに体重をかけて階下のアスファルトを仰ぐ。都内でもなかなかの高さを誇る我がマンション。落ちればぐしゃぐしゃで汚らしい屍になるに違いない。

生活費の足しに伯父のキャバクラで歌姫として活躍できる美貌も、ここから飛び降りれば瞬時にただの肉片になる。きっとそこそこ新しいアスファルトに私の血肉がこびりついて、それを見た人はきっと吐瀉物撒き散らして更にアスファルトを汚すだろう。カラスや蝿や野良犬の餌にもなるだろう。

ふと思う。

ただの肉になっても病院に搬送されるのかしら。

葬式って執り行われるのかしら。

私が見た死体になった皆様は綺麗な体で煙になった。

じゃぁ、例えば今すぐ飛び降りて、私を今まで支えた骨は砕けてさらけ出されて、橘を想う脳みそはぶちまけられてぐちゃぐちゃになって、彼のために鼓動を早くした心臓はひしゃげで潰れて――ただの肉になったら。

橘の私に抱く最後の印象が肉になるのかしら。

元の、今の綺麗な私を忘れて誰とも同じ赤黒い肉になるのかしら。

私が姿を消して、私の知らない誰かが肉片になって、医師が「これが本堂一紗さんです」なんて言って、橘が歎くなんて――許せない。

私以外の他人に、橘が涙するのは許せない。

いいかえれば、私の肉片が私と認識されなかったら、橘は嘆きもしない。

もっと許せない。


…あーあほくさ。

笑いが出てきた。

死んでも彼を思うように操れないなんて、ばかみたい。

人間は簡単に死ぬようで、死なない。ぽっくり逝くのがいかに幸せなことか。

自殺しようにも苦しみながら死ぬしかない。オーソドックスな手首切りは失敗しやすいうえに、痛い。頸動脈を切るのも、胸を刺すのも痛い。薬を飲めば口に吐瀉物貼付けた死体となるし、首吊り自殺は苦しいうえに首が伸びる、顔が腫れる、体の穴という穴から内容物がながれでる。水死なんてもっときつい。ふやけて腐れて顔の大きさが2倍になって判別できないというのだ。死ぬのも容易ではない。痛いか苦しいか、死体が凄まじい姿になるのだから。

初めから飛び降りるつもりなんてなかったがいざ死ぬことを考えると大ばば様のように眠るように逝くなんて、幸せだ。

死にたいけれど、同じような肉片にはなりたくない。

せめて、物語にあるように死体に縋り付いて泣かれるような姿形で死にたいや。

生きるのも死ぬのも、全部橘のためだ。

橘を殺して自分も死のうか、なんてできやしない。愛する人を殺す程、私の愛は生易しくないのかもしれない。

私はフェンスから体を離して、遥か遠く輝く満月を見上げた。


じゃぁ――橘に愛されれば、私は死にたいと思わなくなるのかしら。

彼に愛される為に生きようかしら。

また絶望してここに来て、死にきれないでまた生きて。そんな繰り返しかもしれないけれど――

生きていて、綺麗な体があるうちに、橘に愛されたい。

愛されるまで、何でもして生きていく。


――だいたいあと70年。

制限時間は私か彼のどちらかが朽ち果てるまで。


ふふふふ。

なかなか大変そうね。

でも彼の為なら辛くないかしら。


私の複雑でドロドロな心境に似合わない、都会の澄んだ空。その中天にある満月は何にも穢されずに、ただ白く輝いていた。



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