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盤上の穴


 最初に異変へ気づいたのは、小学六年生の雨宮レンではなかった。

 プロ棋士だった。

 しかも、A級順位戦。

 全国中継。

 誰もが見ている対局だった。

「……五五に、置けません」

 対局室が静まり返った。

 先手の棋士が持った銀を、盤の中央で止めていた。

 五五。

 将棋盤の真ん中。

 最も重要な一点。

 そこへ銀を置こうとした瞬間――

 駒が、落ちなかった。

 まるで見えない壁に弾かれたように。

 カチ、と銀は盤の外へ転がった。

「なにを……」

「演出ですか?」

「いや、違う……」

 控室の棋士達がざわめく。

 審判が確認する。

 だが。

 誰がやっても同じだった。

 五五にだけ、駒を置けない。

 飛車も。

 角も。

 歩も。

 王ですら。

 そしてさらに異常だったのは――

「通れない……?」

 角を七七から三三へ走らせようとしていた棋士が、顔色を変えた。

 角道が途中で止まる。

 五五をまたげない。

 飛車も。

 香車も。

 利きが中央で裂ける。

 まるで盤の真ん中に“穴”が開いたようだった。

 三日後。

 世界中の将棋盤で同じ現象が起きた。

 木製。

 プラスチック。

 スマホアプリ。

 VR将棋。

 全部だ。

 五五だけが存在しない。

「……中央封印将棋、か」

 レンは学校帰り、古びた将棋センターのテレビを見上げた。

 ニュース番組では、  その異常現象に正式名称が付けられていた。

『中央封印将棋』

 誰が名付けたのかは不明。

 だが、その呼び名は一瞬で世界に広まった。

「レン坊、やってみるか?」

 将棋センターの奥から声がした。

 店主の九条源三だ。

 元奨励会三段。

 今はこの薄暗い将棋センターを経営している。

「いいの?」

「むしろ今は子供の方が強ぇよ。大人は昔の感覚を引きずる」

 レンは盤の前に座った。

 パチ、と歩を突く。

 いつもの将棋。

 のはずだった。

 違う。

 全然違う。

「うわ……」

 五筋が死んでいる。

 中央が分断されているせいで、  盤面が左右に裂けたみたいだった。

 飛車が回れない。

 角が届かない。

 攻めが繋がらない。

「気持ち悪いだろ」

 源三が笑う。

「将棋ってのはな、“中央を取るゲーム”だったんだよ」

 そう言って、  源三は五五を指差した。

 いや。

 正確には。

 “存在しない一点”を指差した。

「だが今は違う」

 盤の中心には、  小さな黒い印が描かれていた。

 誰かがマジックで塗り潰したみたいな円。

 将棋センターでは、  皆そこをこう呼んでいた。

『奈落』

「奈落をどう避けるか」

「奈落をどう使うか」

「それが今の将棋だ」

 レンは盤を見つめた。

 たった一マス。

 たった一マス消えただけなのに。

 世界そのものが変わっていた。

 その夜。

 レンは夢を見た。

 真っ黒な将棋盤。

 中央に空いた巨大な穴。

 そして。

 穴の向こう側から、  誰かがこちらを見ていた。

『――来い』

 低い声。

『中央へ来い』

「……っ!」

 レンは飛び起きた。

 全身が汗だくだった。

 時計を見る。

 午前三時五十五分。

「……五五?」

 嫌な数字だった。

 すると。

 机の上に置いていた将棋盤から、  カチ、と音が鳴る。

 誰も触っていないのに。

 五五の場所だけが。

 ゆっくりと。

 黒く沈み始めていた。

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