スラムの少女
――名前なんて、もうどうでもよかった。
かつては「レオンハルト・フォン・アルヴァレス」と呼ばれていた。
だがその名は、血と炎の中で消えた。
今の俺はただの冒険者、レオンだ。
「……ちっ、また外れか」
手の中の剣を見つめ、舌打ちする。
見た目は悪くない。だが――中身はただの鉄くずだ。
スキル《鑑定》が告げている。
(粗悪品。価値なし)
「ふざけやがって……」
これで何度目だ。
安く買い叩かれ、価値のない装備を掴まされる。
俺は人を見る目がない。いや――
最初から、信じる気がないのかもしれない。
「だから言ったじゃないの、あんた」
後ろから、聞き慣れた声が飛んできた。
振り返ると、腰に剣を差した長身の男――いや、女か?
いや、どっちでもいい。ベルナデットだ。
「その手の商人はね、顔見りゃ分かるのよ。カモを見る目してんの」
「うるせぇよ、おかま」
「はいはい、クソガキ」
いつものやり取りだ。
だがベルは、軽くため息をついた。
「……あんた、また一人で無茶したんでしょ」
「別に」
「別にじゃないわよ。あんた、今いくら持ってんの?」
答えない俺に、ベルは顔をしかめる。
「……ゼロね」
図星だった。
「はぁ……ほんっと、世話の焼けるガキ」
文句を言いながらも、ベルは袋からパンを一つ投げてよこす。
「食べな。倒れても知らないわよ」
俺はそれを受け取り、無言でかじった。
固い。味もない。
だが――腹には入る。
「……ありがとよ」
小さく呟くと、ベルは少しだけ目を細めた。
「素直じゃないわねぇ」
「うるせぇ」
それ以上、何も言わなかった。
――こいつは信用している。
だからこそ、余計なことは言わない。
その日の夜。
俺はスラムの路地に倒れていた。
腹は満たしたはずなのに、体が重い。
視界が霞む。
(……くそ)
最近、限界が近い。
金も、食い物も、運もない。
ベルも、いつまでも面倒を見てくれるわけじゃない。
(どうでもいいか……)
意識が沈みかけた、その時。
「……だいじょうぶ?」
かすかな声が聞こえた。
ゆっくりと目を開ける。
そこには、一人の少女がいた。
ボロボロの服。
痩せ細った体。
今にも倒れそうな顔。
それでも――
なぜか、目だけが澄んでいた。
「これ……どうぞ」
差し出されたのは、小さなパンだった。
俺は思わず笑いそうになる。
「……お前が食えよ」
どう見ても、こいつの方が限界だ。
だが少女は首を振る。
「だいじょうぶ。わたし、へいき」
嘘だ。
そんなの、見れば分かる。
それでも少女は、パンを差し出し続けた。
――理由なんて、ない。
ただ目の前に倒れているから。
それだけだ。
(……なんだ、こいつ)
理解できない。
こんな世界で、そんなことをするやつがいるのか。
俺はパンを受け取った。
そして、一口かじる。
――その瞬間。
頭の奥で、何かが弾けた。
「……っ!?」
視界が変わる。
少女の姿に、重なるように――
“何か”が見えた。
光だ。
淡く、だが確かに存在する光。
スキル《鑑定》が、勝手に動く。
今まで見えなかった情報が、流れ込んでくる。
(これは……人、の……?)
理解が追いつかない。
だが一つだけ、はっきりと分かった。
この少女は――
ただの人間じゃない。
「……お前、名前は」
掠れた声で聞く。
少女は少し考えてから、答えた。
「リリア」
その名を聞いた瞬間、確信した。
(間違いない)
こいつは――
「……聖女、か」
思わず口に出ていた。
リリアは首をかしげる。
「せいじょ……?」
知らないのか。
自分が何者かも。
だが、そんなことはどうでもいい。
俺は、ゆっくりと立ち上がった。
体はまだ重い。
それでも、さっきまでの絶望は消えていた。
代わりに――
奇妙な確信があった。
(この子を導け)
誰かに言われたわけじゃない。
だが、そう思った。
いや、そう思ってしまった。
「……リリア」
少女の前に立ち、手を差し出す。
「ついてこい」
リリアは少し驚いた顔をして、それから――
小さく、うなずいた。
この時、俺はまだ知らなかった。
この選択が、
世界を変えることになるなんて。




