表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

悪役令嬢だったお姉ちゃんと私の話

作者: 餡子
掲載日:2026/04/05


 誰かに話したくて堪らないけど、誰にも言えない話。

 だから異母姉と私の話を、秘密の手帳に書き残しておきたいと思う。



   ***


 最初に異母姉に出会ったのは、11歳の時だった。

 初めて会った時の異母姉の印象は、


(なんって、嫌な女なの……!)


 これに尽きる。

 2歳年上の異母姉プリシラは、白銀のストレートロングの髪に紫色の瞳の美しい少女だった。

 一見すると、虫も殺せなさそうな儚げな娘。

 でも子爵の妾だった実母を流行病で亡くし、実父の家に引き取られた私ことミアを、義母と一緒に見下ろして迷惑そうな顔をされると本当に怖かった。


「これからあの女の娘の面倒を見なければならないなんて……忌々しいったら」

「そうよね、お母様」


 子爵の正妻である義母になる人と異母姉は、よく似た顔を揃って歪ませた。

 そして私の首にかけられていた緑の石のネックレスを見て、義母は更に顔を引き攣らせた。


「そのネックレス……! 本当なら、お義母様から私が譲り受けるはずだったものだわ! なのにあの人、無断で持ち出していたのね。初恋の相手だからって、あの女に渡していたなんて!」


 細い指のどこにそんな力が、と思えるほどの強さで義母が私の首からネックレスをむしり取った。


「痛い…っ。返してください! それはお母さんの大事な……!」


 慌てて手を伸ばしたけれど、子供の手が大人に届くわけがない。無造作に引きちぎられた細い鎖が無情にも床に落ちる。


「元々あなたの母の物じゃないのよ! こんなもの捨ててやるわ!」

「そんなっ」

「待って、お母様」


 私が止めるより早く、異母姉が義母に声を掛けた。


「その石、とっても綺麗だわ。私にちょうだい。大きくてキラキラしていて、すごく素敵だもの」

「あなたには新しいものを買ってあげるわ、プリシラ。なにもこんな物をつけなくたって……」

「でもそれはお祖母様が大事にされていた物なんでしょう? お祖母様との思い出はほとんどないから欲しいの。ダメ?」


 異母姉は上目遣いで義母に強請った。

 義母からすれば持っていたくない物かもしれないけれど、ネックレスは代々子爵夫人に引き継がれてきた物だと実母から聞いていた。

 だから私達は本当は実父に愛されていたのだと、母は私によく語っていた。


 母は、それをとてもとても大切にしていたのだ。


 義母も、代々引き継がれていた物だと知っていたのだと思う。異母姉を見て、小さく嘆息を吐き出すと異母姉の手に残ったペンダントトップを渡した。


「そうね……元々は子爵家で引き継いでいく物だもの。あなたが持っているのが正しいわね」

「ありがとう、お母様!」


 異母姉は無邪気に喜んだ。呆然とする私を見下ろして、意地悪く、勝ち誇った笑みを浮かべた。


「あなたなんかより、私が使う方がふさわしいのよ」


 ふふん、と笑う顔を見上げて、なんって憎たらしい女だろう!

 と、心の底から思った。




 実父の子爵家に引き取られてからは、居心地の悪い日々が続いた。

 私の立場は、子爵家で働いていた元侍女との間に生まれた私生児。

 母は実父に愛されていたと言っても、今の父は正妻と異母姉の方が大事らしくて、私のことはないがしろにしていた。

 それでも最初は体面上、同じテーブルで食事をしていた。けれどそれは3日も保たなかった。

 最低限のテーブルマナーしか知らない私を見て、義母が虫けらを見る目をするのだ。


「まあ、あなたの母親はテーブルマナーも教えていなかったの? 仮にも子爵家の侍女だったのに」

「お、お母さんは、ちゃんと教えてくれました!」

「そう、ならあなたの出来が悪いのね。さすが、正妻の妊娠中に人の夫を誘惑する女の娘ね。あの侍女もあたりまえの常識も良識も身につけていなかったものね」

「……っ」


 母のことを悪く言われて、カッと顔が赤くなる。父は場の空気に居た堪れなくなったのか、無言で立ち上がって部屋を出ていった。

 重苦しい空気だけが満ちる中、大きなため息が聞こえた。異母姉だ。


「お母様。私、妾の娘と毎日顔を合わせたくないわ。一緒に食事なんてしなくてもいいでしょ? この子だけ別の部屋で食べさせてよ」


 心底うんざりした様子で異母姉が訴える。

 家族じゃないのだと言われて、ずきりと胸が痛んだ。

 前までは実母から姉がいると聞いて、もしかしたら仲良くなれるかも……と夢見ていたことがあった。でも彼女の疎ましげな態度を見れば、幻想だったのだと気づかされる。


「そうね。あの人もこの子のことなんてどうでもいいようだから、そうしましょう。あなたはこれから自室で食べなさい。私たちを見かけても声を掛けないでちょうだい。自分はいないものとして振る舞いなさい」


 義母に突きつけられたのは厳しい言葉だった。

 反面、一緒に食べなくていいと言われたことに安堵する自分もいた。

 以前暮らしていた家よりは豪華な食事だったけど、この家族と一緒に食事をするのは苦痛でしかなかったから。

 無理に関わらなくていいと言われてホッとする。

 異母姉はそんな私を見て、せいせいしたと言わんばかりの表情をしていた。




 それからは平穏な生活が訪れた……とは言えなかった。

 侍女たちからの苛めが始まったのだ。


「アンタの母親がバカなことしたせいで、奥様はあたし達も信用しないの。いい迷惑よ」

「誰もあんたなんて望んでないわ。はやく出ていけばいいのに」

「邪魔者のアンタの食事なんてこれで十分でしょ?」


 実父と義母、異母姉に無視されている私を見て、侍女達は憂さ晴らしをすることにしたらしい。

 むしろ、私が虐げられていることで義母が喜ぶとでも思っていたのかもしれない。


 部屋は掃除されることなく汚れていき、服も洗濯してもらえない。

 お風呂だって沸かしてもらえないから自分で井戸水を汲んできて、部屋で体を拭く日々。

 最初はちゃんとしていた食事は日増しに質素になり、今日に至ってはかびたパンに、スープには腐った野菜が浮いていた。異臭がして、前日の残り物だと一目でわかる。

 食べれば必ず体を壊すことがわかる食事。ただでさえ痩せ細ってきてフラフラなのに、これを食べて更に体力を削られるのはごめんだ。

 食べられない私を見て、侍女達はケタケタと笑った。


「ほら、はやく食べなさいよ! 片付かないでしょ!」


 くやしい。

 どうしてこんな目に遭わないといけないの。

 確かにお母さんがしたことは不倫で、悪いことだったのだと思う。

 でもそれなら実父も悪いんじゃないの?

 それに元を正せば、実父と実母は恋人同士だったのに、政略結婚で引き離されたのだ。子爵家が引き継いできたネックレスを渡すほど、父は母を愛していたのに。

 邪魔をしたのは、後から現れて父を奪ったのは義母の方じゃない。

 くやしい。

 くやしい。

 それに、お腹すいた……。

 空腹に耐えきれずに食事に手を伸ばす。鼻を摘んで口に入れれば、なんとか……


「あなた達、なにを騒いでいるの?」


 そんな時だった。場に似つかわしくない、涼やかな少女の声が響いたのは。


「プリシラお嬢様……! なぜ、このようなところに」

「あなた達の笑い声が騒がしかったからよ。それで、なにをしているの」


 冷ややかな声だった。

 顔を上げれば、異母姉が私を見て眉を顰める。

 こんな姿を見て、きっと嗤うんだろう。いい気味だと、そう言うに決まってる。

 暴言に耐えるために身を縮み込ませて、ギュッと拳を握りしめる。


「これはどういうことなの。なぜこの娘はあんなものを食べようとしているの」

「こ、これは……そう、罰なんです! 身の程知らずに子爵家にいるから、わからせようと」

「あなたは我が子爵家を馬鹿にしているの? 妾の子であっても、あれは子爵家の人間なの。侍女ごときにどうにかされる筋合いはないのよ」


 だけどそれは予想した反応ではなかった。

 恐る恐る目を開ければ、異母姉は侍女達を冷ややかな目で見据えて嫌悪感を浮かべていた。


「いますぐまともな食事を。服も着替えさせなさい。あんな貧相な形では、我が家が妾の子を虐げていると噂されるでしょう。余計な真似はしないでちょうだい」


 そこまで命じると、異母姉は私を振り返った。


(もしかして、庇ってくれた……?)


 期待して見つめれば、しかし異母姉の目は冷ややかなままだった。


「誤解しないで。あなたのためではなく、これは我が家を侮った行為だから正しているだけよ。子爵家の人間が平民風情に見くびられるわけにはいかないのよ」


 言い切ると、異母姉は颯爽と立ち去った。

 ぽかんと見送ったものの、徐々に悔しさが湧いてくる。

 やっぱり自分たちの体面しか考えてない、嫌な女!


 だけどそれから、私を虐めていた侍女の姿を屋敷の中で見なくなった。

 新しく侍女として付けられた6歳年上のボニーが、彼女達は辞めさせられたのだとこっそり教えてくれた。

 食事は義母の指示で侍女達と同じまかない程度らしいけど、ちゃんと食べさせてもらえるようになった。

 部屋は自分で掃除するけど、服は洗濯してもらえて清潔だ。お風呂も前より入れるようになった。

 貴族から見れば虐げているのだと思うけど、母と二人で暮らしていた時より豊かな生活だったりする。

 異母姉は相変わらずで、あれからは私とはほとんど関わらない。

 だけど時折、服のお下がりがもらえる。


「もう飽きたからいらないわ。流行りの過ぎた服なんて恥ずかしくて着られないもの。あなたはそれで十分でしょ」


 意地悪く笑って、私に服を押し付ける。

 だけど中には一度しか手を通していないようなものもあって、私にはありがたさしかない。新しい服なんて当然買って貰えないので、異母姉のお下がりだけが頼りだったから。

 はっきり言えば、ありがとう、お姉ちゃん! って感じだ。

 まあ、そんなことを口にすれば心底嫌そうな顔をするんだろうけど。




 13歳になって、子爵家に身を置く私も異母姉と同じ学園に通うことになった。

 学園は貴族と裕福な平民だけが通える場所だ。

 まともに人と触れ合うことができて、数年ぶりにちゃんと呼吸できるようになった気がする。

 娑婆の空気がうまいって、本当なんだね。

 それに学園では、実母と暮らしていたときに近所に住んでいた幼馴染のエイベルと再会できたことが大きかった。


「ミア? ケチャップみたいな赤毛、ミアだろ! おまえも学園に通うんだな」

「その癖毛の金髪はもしかして……エイベル? どうして学園に! あとそばかすが消えてる!? 本当にエイベルなの!?」

「人をそばかすで判断するな。失礼なやつだな」

「エイベルも人をケチャップ呼ばわりは失礼だよ」


 懐かしい顔を見つけて駆け寄った。

 昔はそばかすが散っていたエイベルだけど、今はまったく目立たない。背もかなり伸びていて、吊り目ぎみだったきつい顔が今はかっこよく見えた。

 しかし、私が知っているエイベルの家はそんなに大きな商家ではなかったはずだ。

 話を聞いてみたら、たまたま輸入したお茶が貴婦人達の美容に効くと評判になって、売上が跳ね上がったらしい。

 エイベルの父は商才があるらしく、そこから堅実に手を広げていって売上を伸ばしているという。今では息子のエイベルが学園に通えるくらいになるほどに。


「俺、こういう場所は苦手なんだよな」

「私もだよ。どうしたらいいかわかんない」


 平民も通う学園とはいえ、幼少時からちゃんとした教育を受けてきた人たちばかりだ。私たち二人は完全に浮いていた。

 だから自然と一緒にいる形になった。気心の知れた相手のそばにいるのは心地よかった。

 しかしそんな私たちなので、やはり二人とも授業についていけなかった。エイベルはまだちょっとはマシみたいだったけど、私が壊滅的だったのである。


「どうしてこの世には歴史と数学と文法なんてあるの、エイベル」

「全滅じゃないか。言っとくけど、俺は数学と経済物流と語学は上位だから」

「エイベルの裏切りもの!」

「俺が下位になったからって、ミアの成績が良くなるわけじゃないからな?」

「正論はやめて。心が折れちゃう」

「どうしろって言うんだよ」


 入学1ヶ月目にしてそんなやりとりを教室でしている時に、ある人物が私を訪れた。


「ミア、一緒にお昼にしましょう」


 慈愛の笑みを浮かべて立っていたのは、なんと異母姉プリシラである。

 思わず言い知れない恐怖で全身が総毛だった。

 だってあの異母姉が!? 私に微笑みかけている! 鼻で笑うならわかるけど、優しく笑いかけてきている!

 本当にこれは本物の異母姉だろうか? 

 こわい。こわすぎる。こんな友好的な異母姉なんて見たことがない。屋敷では完全無視なのに。


 思わずエイベルを見たけど、エイベルに何かできるわけがない。事情は軽く話してあるとは言え、エイベルは難しい顔をして私を見つめた。

 心配そうな眼差しに、少しだけ勇気をもらう。

 案じてくれる人がいるだけで、こんなにも心が強くなれるとは思わなかった。

 だから、笑える。


「行ってくるね」

「ああ、次の講義の席はとっとく」

「ありがと」


 異母姉を見れば、彼女はまだ笑顔のままだ。

 呼ばれた以上は行くしかない。恐る恐る近寄れば、「行きましょう」と異母姉が先んじて歩き出す。


 連れられて初めて入る食堂は貴族達でいっぱいだった。平民は基本的に空気を読んで、こういう場には踏み込まない。だから弁当持ちが多い。

 私もいつも侍女のボニーが持たせてくれるサンドイッチだ。ちなみに今日も持ってる。

 異母姉はちらりとそれを見て、小さく息を吐き出した。食堂で同じようにサンドイッチを頼む。

 そちらは私と違って具沢山だけど。名前しか聞いたことのないローストビーフがたくさん挟まってる。羨ましい。


「天気がいいから木陰に行きましょう」

「は、はい」


 異母姉に誘導されるまま、まばらに人が散る中庭にたどり着いた。

 異母姉は空いているベンチにハンカチを敷く。側から見れば本当に優雅なお嬢様だ。直に座った私を見て笑顔が凍りついていたけれど、気づかなかったことにした。

 なぜこんなことに、と思いつつ二人で並んでサンドイッチを開ける。


「勉強についていけてないそうね」

「!」


 パンを口にした途端、異母姉は笑顔のままそう言った。笑顔ではあるが、しかし声は冷たい。

 やはり、異母姉は異母姉だった。

 周りとは声が聞こえない距離ではあるが、世間体を気にしてずっと笑顔を貼り付けているのだ。ある意味、貴族の鑑とも言える。


「ご、ごめんなさい」

「教授から最初でつまづいていると聞いて耳を疑ったわ。1年は基礎だけよ。一体なにがわからないの」

「……なにがわからないかが、わかりません」


 厳しく問い詰める口調に誤魔化すことなど出来ず、正直に口にした。

 幸い読み書きは実母が教えてくれたけど、それだけだ。子爵家でも家庭教師がいたわけではないし、勉強は簡単な計算も危ない。

 異母姉は笑顔のまま絶句した。

 そして私の葉っぱと薄っぺらいチーズだけのサンドイッチを見て、やや眉を顰める。

 しばし無言で見つめ合った後、異母姉は無言でサンドイッチを食べ出した。


 きっと出来の悪い娘は子爵家に相応しくないと考えているんだと思う。追い出されてしまうだろうか。

 まだあと成人まで4年ある。

 今追い出されたら……エイベルの家で雇ってもらえないかな。掃除やお使いくらいならできると思うから、頼み込んでみようか。


「明日の朝は一緒に登校するわよ。同じ馬車に乗りなさい」

「えっ」

「子爵家の娘が落ちこぼれだなんて許されないわ。覚悟なさい」


 いつも異母姉は委員会とやらのために早く出ていく。だから別々に登校できていたのに。

 拒否したかったのに、笑っているはずの異母姉の目は怖かった。そもそも私に拒否権なんてないのだ。


「わ、かりました」


 明日から地獄が始まる!

 そう内心では涙ながらに覚悟して、絶望のあまり食べたサンドイッチの味はしなかった。




 翌朝、一緒の馬車で登校する私たちを見て義母が眉を顰めた。


「お母様。妾の子にも親身にしている姿を見せれば、私の人柄が保証されますわ。きっと王太子殿下の目にも止まると思います」

「こんなにも嫌な思いをしてまで懸命な判断ができるなんて、素晴らしいわプリシラ。あなたは自慢の娘よ」

「ありがとう、お母様。いってまいります」


 そんな会話を聞きながら乗り込めば、もう異母姉の顔は人形のように無感情だ。

 というか、異母姉が王太子妃狙いだとは驚いた。

 確かに異母姉は黙っていれば儚げ系美人だ。成績も良いと聞く。だけどやはり子爵家だから、王家に嫁入は無謀だと思うけど。

 ぼんやり考えていたら、異母姉がカバンから薄い本を1冊取り出した。


「これを1冊、すべて書き写しなさい。書き写したら毎日読んで暗記すること」

「えっ」

「来週の水曜にテストするわ。合格しなければ、あなたの侍女を家庭教師に変えるから」


 鋭く冷たい視線に背筋が伸びた。こわい。脱落したら、本当に侍女のボニーを取り上げられてしまいそう。

 年月を重ねるごとに親身になってくれて、今は私の味方になってくれてる人を失うのはつらい。


「がんばりますっ」

「当然ね。それから、今度から毎週水曜は私と一緒に食堂で昼食をとるわよ。その時にみっちり勉強させるから」

「ええ…!」

「なんなの、その品のない返事は。返事は『はい』よ」

「は、はい!」


 恐ろしい提案に涙目になりつつ、何度も頷いた。

 水曜日は、胃が痛くなる日になりそう。

 ……と、考えていたのだけど。


「むずかしくない」


 異母姉に渡された薄い本は、子供向けの大きい文字で、わかりやすい文章が綴られていた。

 全文書き写すのに2日かかったけど、暗記するのはそれほど難しくはない。基礎の基礎だ。

 使い古された感のある本だから、きっと異母姉も使っていたのだと思う。

 ちょっと考えて、暗記するついでにもう1冊分を書き写してみた。これは同じく勉強につまづいていたエイベルにあげよう。

 完成した翌日、さっそく書き写した紙を綴じたものをエイベルに渡してみた。


「エイベル、これあげる。たぶんすごくわかりやすい」

「マジか。……字、きたないな」

「文句言うならあげないけど!?」

「いる! いるって! ありがとな」


 エイベルは私の字の汚さに眉を寄せつつ、「ほんとだ、俺でもわかる。字は汚いけど」と呟いた。

 一言余計である。

 悔しいので、字の練習もしようと胸に誓った。

 二人で昼休みに並んで読みつつ、異母姉からの課題は思ったより簡単なことに拍子抜けするほどだった。


 そしてこれは余談だけど、私の昼食のサンドイッチに薄いハムが1枚増えていた。


 まさかと思うけど、異母姉が厨房に言ってくれたりしたんだろうか。あの人のことだから、貴族が平民に侮られるなんて許さない、と思ってのことだろうけど!

 まあ、理由はなんでもいい。

 こちらとしては、ありがとう、お姉ちゃん! って感じだ。




 水曜日、食堂の端の席でされた口頭テストは無事にクリアした。異母姉がまた笑顔の仮面を貼り付けていて怖かったけど、心底ほっとした。


「次の本はこれ。来週テストするわ」

「わかりました」


 次に渡された本は、少しだけ難しくなっていた。書き写すのに3日かかってしまった。また同じようにエイベルにも書き写して、一緒に暗記する。

 そして水曜の昼は再び異母姉の口頭テスト。

 回を重ねるごとに書き写す本のレベルは上がっていって、そのうち1週間で2冊分を書き写すのは難しくなってきた。

 だから学園の図書室でエイベルと並んで、一緒に本を書き写すようになるのに時間はかからなかった。

 それを3ヶ月は繰り返したと思う。なんとなく近頃は教師の講義がちょっとずつだが、わかるような気になってきた。

 うっかり本当に、ありがとう、お姉ちゃん! ……と思ってしまった。


 尚、異母姉は外ではいつでも笑顔仮面のままだ。徹底している。ある意味すごい。

 その為か、妾の娘にも親身な優しく美しい姉だと評判がいいらしい。

 その噂が王太子の耳にまで入っているかどうかは知らないけど。


「基礎はこれくらいでいいでしょう。来週からはわからない教科を見ることにするわ。教材を持ってきなさい」

「あの……エイベルっていう、私も幼馴染も一緒にいいですか?」

「なんですって?」

「平民なんですけど、商家の子で……平民も一緒に勉強を教えれば、もっと評判が上がると思うんです!」


 異母姉と顔を突き合わせて勉強する水曜日は、緊張の連続だった。

 エイベルだって彼女の勉強の恩恵を受けているのだから、同じ緊張を味わうべきである!

 だから用意していた言い訳を述べると、異母姉はちょっと眉根を寄せた。だけど引き下がらない私の眼差しを見て、小さく嘆息を吐き出す。


「いいわ。その子も連れていらっしゃい」

「ありがとうございます!」


 よし、これで晴れてエイベルも道連れである。




 水曜日の昼。一緒に勉強するようになって半年は過ぎた。


「なあ、ミアの姉さんって、実はすごく優しくないか?」


 異母姉が飲物を取りに行っている隙に、教わった教科で上位を取れたエイベルが首を傾げて私に言った。


「外面がいいだけだよ。きっと」

「でもあれだけ出来の悪かったミアに根気よく付き合ってて、俺にも親切で丁寧に教えてくれてるだろ。ただの義務感と体面だけじゃ無理じゃないか?」


 薄々、本当に薄っ々だが、実は私もそんな気がしないでもなかった。

 家では相変わらず異母姉は私を無視だ。だけど一緒の馬車で登校する時には会話をする。主に勉強の復習をさせられているんだけど。

 でも、学園で顔を合わせるときの異母姉は笑顔なのだ。

 外面用に貼り付けている笑顔だと言われればそれまでだけど、試験で合格点を取れば、なんとデザートまで食べさせてくれる!

 「あなたにしてはよくやったわ」ぐらいの労いもある。

 今までの異母姉からは考えられない言葉だ。

 教える口調は厳しいものの、途中で投げ出すことはない。私が理解するまで、根気強く繰り返し教えてくれる。

 ちなみにそれだけ異母姉が努力していても、王太子との仲が良くなったとは聞かない。

 一度、「王太子との仲はどうですか?」と聞いてみたら、凍りつきそうに冷たい目を向けられたので、それからは聞けていない。


「何を話してるの。問題は解けて?」


 戻ってきた異母姉が私とエイベルの前に果実水を置きながら鋭く指摘する。


「解きました!」


 慌てて二人同時に頷けば、「仲がいいわね」と呆れた声を溢して二人分のノートを手に取った。

 その間に、渡された果実水でありがたく喉を潤した。

 毎回信じがたいことだけど、食堂で食べる昼食代は姉が出してくれている。

 体面を気にする異母姉は拒否できないだろうと、たまに肉料理大盛りを頼んだりもするけど、後で怒られたこともない。

 そういうときは、静かに私を見つめているだけ。責めてるのかなと気にしたりもしたけど、文句や嫌味を口にしたことは一度もなかった。

 ただ私を見て、体型を確認しているかのようだった。

 だから時々、ふと思う。


(もしかしてこの人、私を守ってくれてたり……するわけがないよね)


 でも、と考える。

 異母姉が口を出したから、嫌な人は義母以外は周りからいなくなった。ちゃんと毎日ご飯も食べられてる。生活環境も改善した。

 今だって、授業もついていけるようになった。


(まだ怖いなって気持ちは、あるんだけど)


 でも毎週水曜日の昼食が楽しみになるくらいには、学園で異母姉と過ごす時間は嫌じゃなくなっていた。

 彼女が卒業したあとの2年間は、水曜日がちょっとものたりなく感じる程には。




 私とエイベルの卒業を間近に控えた日、エイベルが思い出したように口にした。


「卒業してから姉さんと話したりしてるのか?」

「してないよ。あの人は役所の難しい部署に勤めてるみたいで、ほとんど家で会わないし」


 元々、家では顔を合わせることもなかったから余計に。

 ちなみに王太子と仲が良いとは聞いてないが、学園を卒業してしまえば下位貴族が高位貴族と親密になることは稀だ。

 いや、異母姉のことだからわからないけど……でもやっぱり王太子との結婚は無理じゃないかな。


「ミアは卒業したらどうするんだ」

「どうするんだろう……政略結婚かな」


 異母姉のことより、今は自分の身の振り方の方が問題だった。

 だが貴族の娘の使い道なんて、それくらいだろう。

 ただ私は妾の娘だから、まともな家からは声はかけられないと思う。異母姉からあれだけ勉強を教わったけど、私の頭の出来は中の中くらいでしかなかった。

 なにより義母が嫌がらせに張り切ってるから、碌な結婚相手ではないと思う。


「ミアはそれでいいのか」


 エイベルが真剣な目をして問いかけてくる。

 ずきり、と胸が軋んだ。


(いいわけがないでしょ)


 学園に入ってから、ずっと隣にいてくれた人。

 エイベルは私と違って異母姉の勉強を柔軟に吸収し、みるみる内に上位を駆け上がっていった。今はいくつかお父さんの仕事も手伝っているようで、功績も上げているという噂だ。将来有望な跡取り息子だと評判らしい。

 そのため今では学園でも結構モテているのに、いまだにこうして私の隣にいてくれてる。

 くだらないことを言い合って。愚痴もこぼしたりして。貴族の体面とか腹の探り合いとかは考えずに、エイベルの前では素の自分でいることができた。

 そのことが、どれだけ救いになっただろう。


(本当は、エイベルを好きになっちゃったけど)


 だけど口に出して、言えない。


「よくはないけど、選べる立場じゃないよ」


 苦く笑って誤魔化す。エイベルは怖い顔をしたままだ。エイベルが口を開きかけたけど、結局それは言葉にはならなかった。

 お互いに、何も言えない。

 もしかしたら、エイベルも私のこと好きなのかなって思う時もあったけど。

 私は妾の子とはいえ子爵令嬢で、エイベルは平民だから。この壁を二人だけで乗り越えるのは難しい。


(だってもう、あの人は助けてくれないんだから)


 頭の中に異母姉が浮かんだのは、どうしてだろう。




 嫌なことというのは重なるもので、その翌週、家に帰ったら義母が笑顔で私を出迎えた。

 「久しぶりに皆で食事にしましょう」と言われた時から、もう嫌な予感しかしなかった。

 最初にこの家に来た時と同じ配置で、実父がいて、義母がいて、今日は異母姉もいた。


「あなたの嫁ぎ先が決まったわ」


 そう言い出した義母は、ゾッとするほど優しい笑みを浮かべていた。

 本当に、心から嬉しいと言わんばかりの微笑み。

 ああきっと、碌でもない相手を見つけてきたんだろうな。夫を奪った女の子供に復讐できるから、せいせいしてるんだろうな。

 

「デナム伯爵令息が、あなたと結婚したいそうよ。歳は少し離れているけど、持参金もいらないし身一つでいいんですって。そこまで望まれているなんて、素敵なことでしょう?」


 まるで善意のように言葉を取り繕っているけれど、デナム伯爵令息は確か30歳過ぎ。過去に何人かと結婚していて、子供もいたはず。

 女好きの放蕩息子で有名だ。しかし親からちゃんと身を固めろとでも言われて、私に白羽の矢が立ったのだろうか。

 格下の家の妾の娘で、何をしても文句は言えなさそうな立場の私に。

 内心で重いため息を吐く。

 義母はきっと、自分が受けた苦しみを私にも味わわせたいんだと思う。


(ここまでされなきゃいけないのかな)


 別にこの家にも実父にも恩はないし、結婚直前で失踪とかしちゃおうかな。


(……そうすると、エイベルにももう会えなくなるけど)


 だけどそれはデナム伯爵令息と結婚しても同じこと。

 どちらにしてもエイベルと一緒になれないのなら、せめて自分の自由くらい勝ち取るべきじゃない?


(だけどそうなったら、あの人が私の代わりに結婚することになるのかな。貴族同士の体面ってやつがあるだろうから)


 異母姉に視線を走らせた。

 胸に湧いたのは、なぜか罪悪感。


(別に困らせたっていいじゃない! あの人には、ひどいことばかり言われて……)


 そこまで考えて、頭の中が混乱してくる。

 本当に?

 本当に、ひどいことばかりだった?

 異母姉のおかげで助かったことが、たくさんあったんじゃない?

 あの人に全部嫌なことを押し付けて逃げ出すくらい、私は異母姉にひどいことされたかな?


(されたでしょ。お母さんの大事なネックレス、奪われちゃったじゃない!)


 だけど異母姉が手に取らなければ、ネックレスは捨てられていた。私の手元には残らなかったけど、まだこの世には存在している。それで満足すべきじゃないの?

 どうしよう。何が正しいのかわからない。

 どうしたらいいのかわからない。


「お母様。私はこの子がデナム伯爵家に嫁ぐなんて、絶対に反対です!」


 言葉を失って固まっていたら、不意に異母姉が強い口調で義母に呼びかけた。


「まあ、どうしてプリシラ。とてもいいお話じゃない! 相手は伯爵家で、破格の待遇だわ」

「だからです、お母様」


 娘を責める眼差しで見つめる義母を見返して、異母姉が顔を顰めた。


「こんな不出来な子を伯爵家に出したら、ボロを出すに決まってるわ。この子を育てたこちらの品位を疑われます。それに、この子が伯爵夫人? これから先も社交界で顔を合わせるなんて、考えるだけで嫌!」


 心底嫌そうな顔をして、久しぶりに冷ややかな眼差しを向けられた。

 だけど内容そのものは、私にとって悪い風向きじゃなかった。

 そしてその言葉で義母も気づかされたのか、「それは……そうかもしれないけれど」と眉根を寄せる。


「それより、もっとこの子に似合う相手がいるわ。クローバー商会ってご存知でしょう? 平民ですけど、ここ数年で力をつけてきた成り上がりの商会です。そこの息子に、この子を嫁がせましょうよ」

「平民の商会に?」

「ええ。学園にいた時、子爵家である我が家との繋がり求めて、そこの息子がよく馴れ馴れしく話しかけてきましたの。貴族と繋がれると知れば、持参金がいらないどころか、大金を払ってでも厄介者を引き取ってくれるわ」


 異母姉は勢いよく語り、切実な眼差しを義母に向けた。私はただただ息を呑んで彼女の言葉を追いかけるばかりだ。

 だって、だってクローバー商会は──!


「それに平民に嫁げば、二度と顔を合わせることもありません。お母様……っ私はもう、この子と関わるなんて嫌なんです!」


 激情と嫌悪を吐き出した異母姉を見て、義母が息を詰まらせて涙ぐんだ。


「プリシラ……! あなたには、そんなにもずっと我慢させてしまっていたのね」

「お母様、私、この子の顔も見たくないの!」

「ええ、ええ。そうね。あなたの望むようにしましょう。この娘の相手は平民で十分。二度とあなたを煩わせない場所に出しましょう。あなたも、それでいいわね」


 義母が立ち上がって異母姉を強く抱きしめた。実父を睨みつけて、同意しろと迫る。


「あ、ああ。そうしなさい」


 実父は気圧されるままに頷き、異母姉は義母に縋りついて涙を浮かべていた。


「ありがとう、お母様……!」

「いいのよ。こんなにもあなたが思い詰めていたなんて、気づけなかったお母様を許して」


 私はその光景をただただ呆然と見つめていた。

 異母姉の言葉も態度を理解できないと思う反面、(ああ、やっぱりこの人は……)とどこかで納得している自分もいた。

 だって。



(クローバー商会って、エイベルの家だ)



 やっぱりこの人は、きっとずっと私を義母から守ってくれていたのだ。

 自分が憎まれ者の悪役のフリをしてまで。





 それから話は私の都合の良い方に、とんとん拍子に進んでいった。

 エイベルと彼の父は翌日すぐに子爵家にやって来て、結婚の話をまとめ上げてしまった。

 異母姉が言った通り、持参金なし、どころかエイベルの家が大金を積んで、私と結婚させて欲しいと頭を下げて来たのだ。


 私はまるで夢を見てるみたいだった。

 おかげで話がまとまった後にエイベルと中庭を散策してる時に、ようやく我に返った。


「エイベルは私と結婚することになって良かったの!?」


 私には嬉しい話だったけど、エイベルは!?

 もしかして私を好きかも……とは感じていたけど、本当に大丈夫だった!?

 食らいつく勢いで胸ぐらを掴めば、エイベルがやんわり私の手を解きながら「ごめん。順番がめちゃくちゃになったけど」と口を開いた。


「ミアが政略結婚するって聞いてから、ミアの姉さんにすぐに相談に行ったんだ」

「あの人に!? 会ってもらえたの?」

「すぐに会ってくれたよ。それで、俺にできることがあるなら何でもするって頼み込んだら、わかったって言われて」

「えっ。そんなに簡単に?」

「あの人、たぶんミアが思ってるよりずっとおまえのこと考えてるぞ。たまにミアがいないところで、しっかりやれてるのか確認されてたしな」

「それは世間体を気にしていたからなんじゃ……」


 エイベルは渋い顔で「それもあったとは思うけど」と素直に教えてくれた。

 でも気にかけてもらっていたんだと思う。

 よく考えたら学園時代も週に一度、異母姉と昼食を共にすることで、他の貴族から軽んじられることもなかったのだから。


「今回の結婚のことも、本当は先にミアに相談してから動くべきだったけど、うまくいく保証はなかったから……事後報告になって悪い」

「私が嫌がるとは考えなかったの?」

「それはないだろ。ミアが俺を好きなのは見てればわかるし」


 さらりと言われて一気に顔が赤く染まるのがわかった。

 そんなにわかりやすかった!? わかりやすかったか! そっかあ!


「そ、そう、でしたか」

「なんで敬語なんだよ」


 エイベルが笑って、私の頬を指の腹で優しく撫でた。


「でも、ちょっと不安はあった。相談しなくてごめん。だから、改めて」


 エイベルは目の前に膝を突くと、私の手を取った。


「子供の頃から好きだった。学園で一緒になって、そのへこたれない強さにもっと好きになった。俺と結婚してほしい」


 真摯な眼差しで見つめられる。

 ギュッと胸が詰まって息ができない。でも呼吸を止めたら胸が破裂しそう。

 恐る恐る息を吸い込んでから、握られた手を強く握り返した。


「はい! 私もエイベルが好き」


 頷けば、エイベルは子どもみたいに顔をくしゃくしゃにして笑った。





 かくして私は卒業してすぐにエイベルと結婚することになった。

 結婚式はエイベルの家に合わせて、こじんまりとした式をすることが決まった。

 そこに実父と異母姉が参列してくれることになったのは意外だった。やはり世間体が大事なんだろう。

 などと考えていたら、挙式前の控え室に実父と異母姉が来てくれた。


「ミア……すまなかった」


 私を前にして、実父が深々と頭を下げた。さすがに驚いて息を呑む。

 正直、謝って済まされる問題ではないんだけど。


「お父さん。最後に一言だけ、本音を言っていいですか」

「ああ、なんでも聞こう」


 実父は深刻な表情をして頷いた。

 たぶん、父は弱い人だった。母を愛していると言いながらも世間体を気にして貴族と結婚して、だけど諦めきれずに母とも関係を持った。

 義務で私を引き取りはしたけど、正妻と娘の目を気にして私のことは見ないふりをしてきた。

 はっきり言えば、最低である。

 でも今日は晴れ舞台だ。一言だけ恨み言を言って、区切りをつけよう。


「お父さんの優柔不断さが、私のお母さんと、あなたの奥さんを深く傷つけたんです。そのことをよく考えて、ちゃんと反省してください。このクソ親父」

「……く、くそ…………わかった、頭を冷やしてくる」


 実父をショックを受けた顔をして、フラフラしながら部屋を出て行った。

 自分が悪いのだから被害者面しないで、娘にクソ呼ばわりされる所業をしたのだと理解してほしい。

 まあ、ヴァージンロードを歩くまでには復活してほしいけど。


「ふふ…っ、くそおやじ……」


 笑いを堪えながら復唱する声が聞こえたので、同じ部屋にいた異母姉を見た。

 この人が普通に笑ってるところ、初めて見た。思わず目を丸くしてしまう。

 だけどすぐに笑みは引っ込められてしまった。私を見つめて異母姉が頷いた。


「少しすっきりしたわ」

「それならよかったです」


 頷き返すと、異母姉は「座りなさい」と鏡台の前の椅子を示した。言われるままに座ると、異母姉が私の後ろに回る。

 何をする気だろう。反射的に身構えてしまうのは許してほしい。


「子爵令嬢がなんの宝石も持たずに嫁いだと言われたら堪らないから」


 そう言いながら首元に回される細い銀の鎖。

 胸元に輝くのは、記憶の中にあるままのキラキラと輝く大きな緑の石。


「これ、お母さんの……!」

「古臭いデザインだけど、あなたにはこれで十分でしょ」

 

 今までと変わらずに憎まれ口を叩いて、異母姉は鏡を通して静かに私を見つめた。


「今だから言うけど、自分の母親が私より小さな子を虐める姿を見るのは嫌だったわ。でもお母様の気持ちもわかるから、咎めることもできない。あなたのことを忌々しく思う気持ちは私にもあったし」


 異母姉の気持ちを聞けば、自分の中で納得できるものがあった。

 すべてが演技だったわけではない。

 だけど、それでも良いと思った。

 私を守ってくれていたのは、事実なのだから。


「私もあなたにとって良い姉ではなかったと思うけど、反省はしてないわ。好きなだけ恨めばいいと思うの。私はまったく気にしないから」

「そういうところは変わらないんだね」


 思わず小さく笑ってしまった。

 ずっと姉として、妹である私を責任を持って見ていてくれた。

 私を気に食わない気持ちは、今も少なからずあるとは思う。でも確かに姉の中には、妹に対する愛情もあったのだと今は信じられるから。

 だから悪役の態度も含めたこれこそが、私の姉なのだ。


「幸せになりなさい、ミア」

「ありがとう。お姉ちゃん」


 初めてそう口にすれば、お姉ちゃんが引き結んだ口元をもぞもぞとさせた。

 文句を言いたかったのか、もぞ痒かったのかはわからない。


「ところでお姉ちゃんは、王太子との関係はどうなったの?」


 最後にずっと密かに気になっていたことを聞けば、お姉ちゃんは心底嫌そうな顔をした。


「お母様の手前ああ言ったけど、王太子殿下はまったく私の好みじゃないわ。顔のいい男は信用できないのよ」


 吐き捨てる姿を見て、王太子がちょっと可哀想だなって思ってしまった。




   ***


 これが悪役令嬢だったお姉ちゃんと、私の物語だ。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ