青年の哲学的慧眼 人間の悲劇的宿命
この世界は氷上の上で行われる演目に過ぎないと気が付いた拓海は、公園でさらなることに気が付く
拓海は都内の庭園に来ていた。どこまでも厳かな空気だった。薄水色の空は午後の太陽の明るさがあたりを支配していた。
どこからだろうか。複数の経路から流れてきた水は、やがて合流し、庭園の池の方へと流れていく。水は上から下に流れていくのであった。拓海は、そのことを、世の中の不変の定理の一つだと思った。
人間はあまりに自分の能力を過信している。人間に与えられた知能をもってすれば、不可逆に思える流れを変えることができる。
果たしてこの水の流れも変えることができるだろうか。
拓海は水を見続けた。だんだんと水の流れと彼のリズムが同期していくのを感じ取れた。常に変化し続ける水の動き、それでいてそこには確かな調和があって、彼の存在はだんだん水と一体になって水そのものになって・・・
しかし、拓海は自然とは根本的に相いれない存在だった。
それは拓海の特徴というより、人間全般の種族的宿命だった。
人間とは、自然の対義語であり、自然を支配するはずだったものである。人間だけが持つ知性、それは運命を変えようとするおよそ無限とも思える力の源なのだった。
人間だけが運命を受け入れない。
目の前の惨状に黙っていられるほど運命を受け入れるようにはできていない。
それが人間全体に刻まれた悲劇的な宿命なのであった。
拓海は水を見るのをやめていた。そして自分のポケットからスマートフォンを取り出した。 2025年10月28日15時27分。
拓海にはわかっていた。世界を支配するのは、自然であり、物理法則であり、人間ではないことを。そして、人間は、そのことを理解していないか、あるいは、理解したとしても運命を受け入れるようにはできていないことを。
そして、人間は、自分の運命を受け入れられないと思ったとき、普通では考えられない行動に出ることも。
ともすると、変えることのできない運命に向かっていくとき、この世界で何が起きるのか、考えれば想像できるのではないか・・・
拓海にはどうしても気になることがあった。
それは、自分が人間として生まれてきた意味だった。
この時代にこのような存在として生まれてきた意味を
彼はどうしても知りたかった。




