いつもと同じ日のはずだったのに(1)
息を殺し、気配を絶ったまま物陰から静かに滑り出る。
しかしターゲットはそれに気付かないで、見当違いの方向へ銃口を向け、へっぴり腰とも見える歩き方でそろりそろりと足を進める。
そのがら空きの背中に、銃弾を浴びせた。
「うわあっ!? くそ、ヒット!」
「残念だったわね」
私たちは、趣味のサバイバルゲームを楽しんでいるところだ。もちろん、銃弾とうってもプラスチックのもので、持っている銃もおもちゃだ。
私は敵メンバーを撃ち、満足げに笑った。
狩野織葉。
ほぼ同時に、背後の小屋の中からも、「ヒット」の声がした。
「ごめんなさいねえ」
そう言うのは、鴻屋寧音。
その後すぐに、別の方向から声がする。
「ヒット! 何でこんな婆さんが強いんだよ。サギじゃねえの?」
「うはははは! 年寄りと侮ると痛い目をみるといういい経験になっただろう」
その声は、竹本依子だ。
私たちは共に七十三歳の幼なじみで、過疎の村で育った幼なじみだ。互いに、おりは、ねね、よりこと呼び合って姉妹のように育ってきた。
ただ、他の人には、名前の頭をとって、まとめて「およね」と呼ばれるのが常だった。
皆、家族と死に別れたり子供は他県へ転出したりしており、一人暮らしだ。それでも、この仲間がいるので寂しくはない。ボケ防止と寝たきり予防には運動がいいというので、サバイバルゲームを始めてみたのだが、これが性に合っていたのか、今日も大会で優勝したところだ。毎回ほぼ間違いなく最高齢チームとなるが、まだまだ年寄り扱いしてもらっては困る。
「いやあ、敵わないよ。参ったなあ」
表彰式の後で参加者がそう苦笑する。
そして、互いに健闘をたたえ合い、冗談を言って別れた。
今日の大会は近所の山で、私たちは意気揚々と帰途についた──が、渋い顔の顔見知りに会って足を止めた。
「あら、駐在さんじゃないの」
「交通整理に駆り出されたのかい?」
「こんにちはあ」
我が過疎の村、深山村の駐在所に派遣されてきている警察官だ。
駐在さんは、ちゃんと水原保清という名前があるが、誰もが駐在さんと呼ぶ。前の駐在さんも駐在さんだったが、そういうものだ。
「元気ですねえ、驚くほど」
「おほほ。おかげさまで」
「クマが出ても勝てそうですけど、気をつけて帰ってくださいよ」
「あらやだ、駐在さん。こんなよぼよぼのか弱い年寄りを捕まえて」
「いたわってくれないかねえ」
「そうだよ。だから車で送ってくれないかね」
「どこがよぼよぼのか弱いとしよりだ、このおよねトリオ!」
互いに冗談をいい、私たちはけたけたと笑って家へ向かった。
私たちの生まれ育った深山村は、元々は深山衆という集団の里だった。深山衆とは、忍びの技を持つ傭兵集団といったもので、信長の頃から表には出ずに歴史で暗躍し、明治維新を契機にその活動をやめた。
山の中には川が流れ、その川の山側には神社と元は神職を務めていた家が六軒あった。そのうちの三軒は私たちの家で、残りの三件は絶えてしまったし、神社は普段誰も常駐していない。
この深山衆のまとめ役が表向きは神社の神主をしていたし、神職の六件は実は幹部だった。
中央の神社の前にある橋を渡ると川沿いに国道があり、橋の正面に、国道に突き当たるように県道が通っている。この国道と県道沿いに村はある。
昔はそれなりに交通の要所となっていたが、近道となるバイパスができ、国道も県道もすっかりと利用者が少なくなってしまった、間違いなく過疎の村である。
ほとんどの家は深山衆としての仕事がおしまいになった後に絶えるか転出していったが、今でも数件は残っている。そのうちの三軒は私たちの家だが、ほかにも、元鋳物屋の加藤家は修理工場、昭和感漂う喫茶店「エデン」を営む江田家は、元宿屋だった。万屋をしていた田中家は今はコンビニだが、コンビニといっても、やっぱり万屋のような品揃えだ。そして床屋だった市田家はカットハウスをしている。
それが今でも村に残り、忍びの里だったことを知る家だが、老人世代は忍びの技を伝授されているが、私たちが辛うじてそれらのいくつかを伝授されている最後の世代で、子供世代はそんな歴史など知らないでいる。
まあ、今の世の中に忍びの技術など必要ないことが多い。なぜなら、その多くは今の科学技術で簡単になし得るからだ。
「今日の敵も、隠れたりするのがヘタだったわね」
「しょうがないかもな。やっぱり、隠形の術は使わなくとも基礎が出るからな」
「そうよねえ。仕方ないわあ。だから、優勝賞品の高級牛は気にせず美味しくいただきましょうねえ」
私たちはすき焼きすき焼きとるんるん気分で、家へと帰った。
お読みいただきありがとうございました。御感想、評価などいただければ幸いです。




