睡眠導入剤
この頃、不眠に悩まされている。いくら横になっても、一日歩き回ってクタクタになった日だったとしても、眠り方を忘れたように頭はスッキリしていた。
寝られないと言っても、朝方になってくると徐々に睡魔が襲ってくる。昼夜はすっかり逆転してしまった。それでも学校は始まるし、一限のある日は早く起きなければいけない。
困り果てた僕は、友達に何か良い案を出してもらうことにした。
電話をかけたのは夜中の12時だったが、彼は3コール目で出てくれた。世間はベッドに入っている時間帯にさぞ迷惑だろうと思ったが、彼はけろりとしている。本棚を整理していたのだそうで、明日は古本屋に本を売りに行くのだそうだ。
僕の睡眠事情を詳しく話すと、彼は「なるほど」と電話越しに頷いてくれたようだ。
「それなら、読書がオススメだな」
「僕に本を読めと?」
文字は苦手なのだ。頭を使わず勝手に話が進んでいくテレビに慣れすぎて、本を手に取って開き、そこに書かれた文を理解するという行為は、僕にとってはあまりにもハードルが高かった。
「そりゃ、お前のことだし、本を読んでる姿なんて想像もできないけど」
「正しいけど嬉しくはないな」
「でも、理解できないからこそ眠気が誘われるかもしれない」
なるほど、と納得が行く。授業中に読む教科書なんて、その最たる例ではないか。どうして気が付かなかったのだろう。
僕は礼を言って電話を切り、書物を求めて家中の棚やら箱やらを引っ掻き回した。結局見つかったのは水道代、ガス代などの請求書類と、ポストに雑に突っ込まれて捨てられる運命にあるチラシだけだった。
必要なのは「本」なのだ。文字でも紙でもなく、文字が書かれて、装丁された本なのである。
明日買いに行こう。できれば、うんと難しくてつまらないものが良い。
その日は、ネットで評判の悪い本を探しているうちに眠りに落ちていた。
次の日、本を買いに出かけた。昨晩の検索履歴通りのものを買って家に帰った。寝る前になって、いそいそと本を手に取り、横になってページを捲る。前書き、目次まで読み、一章を読み始めた。
そして三行ほど読んだところで、パタンと閉じた。胃のあたりがムカムカした。読めないというのは、こんなにも気分が悪いのか。内容も面白くない。
驚くべきことに期待していた眠気は一切来なかった。期待をしていた分、ショックである。
僕はスマホを開いた。もっと難しい本の方が良いのだろうか。いや、もういっそのこと、辞典でも買うべきかもしれない。枕にちょうど良さそうだし、言葉も載っていて一石二鳥だ。
次の日起きると、ネットショッピングの画面で止まっていた。寝ぼけた指で、「つまらない」「駄作」と評判の小説を一冊と、国語辞典を一冊買ってしまったようだった。
後日、僕は友達に会った。彼もあの実験の結果は気になっていたようで、会って早々その話になった。僕が全く効果がなく、寧ろ腹が立って寝るのも難しかったと伝えると、彼は涙が出るほど笑っていた。
まさか、滑稽は罠に嵌められたのかと僕が呆然としていると、彼は「バカか」と目尻の涙を拭いている。
「その本はご丁寧にネットで評判を調べてから買ったんだな?」
頷くと、彼は吹き出した。
「最初から面白くないと分かってたらダメだろう」
意味を掴めずに居ると、彼は丁寧に説明をしてくれた。
最初から面白くない話と分かった上で読んだんじゃダメだ。何も知らない状態で本を開き、期待を込めてそれを読む。気づけば寝てて、次の日は今度こそと気合を入れる。でも寝る。それを繰り返してようやく素晴らしい睡眠道具になるんだ。
つまり、僕が最初から評判の悪い本に手を出したのが間違いだったのだという、そういう話だった。
中身を知らないままで読み進めて、その本のつまらなさに自分の力で気づくことが鍵なのである。
ここ数日、真面目につまらない本を探し続けた僕がバカのようだ。もう、本に対する興味も失ってしまった。
「まあ、俺が丁度よさそうな本をピックアップしてやるよ」
結局、友達の家にある本を一冊譲ってもらい、無駄に買ってしまったつまらない本と国語辞典は、彼にあげることにした。
こんなにときめかない物々交換も珍しい。
本を譲ってもらったその日、僕はそれを開いてみた。読んで読んで、読みまくった。
そして朝が来て、最後のページの句点までしっかり読んだ。
そう、嵌められたのだ。
彼はニコニコしながら本と辞典を受け取って行ったが、あの時の笑顔は悪魔の笑顔だったのである。
つまるところ、譲られた本はあまりにも面白すぎたのであった。寝る間も惜しむという言葉を、皮肉にも味わうことになってしまった。罵倒したくても語彙がない。辞典があれば良いものを、それは既に友達の傘下にある。全て仕組まれた罠だった。
ということで、僕の昼夜逆転生活は、未だに改善されていない。




