第六話 苦労人
「……この履歴書、なんというか……“堅実”って感じですね」
ミーナがカウンターで小さく唸った。
並んでいるのは、商会の在籍記録、帳簿管理の経験、取引先対応の実績……。
「経歴的には文句なしだな。商会育ちの元営業補佐ってやつか」
「でも、希望職種の欄が……」
「“特になし。どこでも”か。そっちはちょっと気になるな」
カララン、と扉の鈴が鳴く。
現れたのは、清潔感のある黒髪の青年──カイ=ローデス。
姿勢は正しく、表情は柔らかい。でも、どこか“空っぽ”にも見えた。
「初めまして。面談の予約をしていたカイ=ローデスです」
「ミーナ=ルクトリアです。よろしくお願いします!」
ミーナが元気よく迎えると、カイは会釈して席についた。
「では、さっそく。ご経歴、拝見しました。すごいですね、長年商会に勤めておられたんですね」
「ええ……家が商売をしてまして。倒産するまではずっと、そこに」
「あ、では後継ぎ……?」
「いえ。商会自体が負債を抱えて潰れて、私がその整理を……。数年は借金返済のために他所で働いていました」
「あ……」
言葉が詰まりそうになるのを飲み込んで、ミーナは頷いた。
「でも、今はもう、返済も終わったんですよね?」
「はい。それで、やっと少し自由になって……とりあえず、ギルドに来れば何か仕事があるかなと」
「なるほど……なるほど?」
──この人、ずっと“やるべきこと”だけで生きてきたんだ。
ミーナは書類を見直しながら考え込む。
「これだけの実務経験があるなら、条件の良い企業からすぐに声がかかるはずです。
例えば、ここ。経理管理もある程度任せられますし、待遇も……」
「……じゃあ、そこで」
「えっ、早っ」
「条件がいいなら、問題ないですし。向こうが望むなら、こちらも応えますよ」
──おかしい。
これだけの経験とスキルを持っていて、話も真面目。なのに、浮かない。
「……あの、カイさん。今のあなた、“自由”なんですよね?」
「……はい。たしかに、そうなんだと思います」
「じゃあ……今、“やりたいこと”ってありますか?」
問いかけると、彼はほんの少しだけ視線を落とした。
「……考えたこと、なかったです。いつも“やらなきゃいけないこと”しか、なかったから」
その言葉に、ミーナは言葉を失った。
──ギルドの奥、応接スペース。
面談を終えたあと、ミーナはゴルザンに報告を兼ねた相談をしていた。
「すごく真面目で、誠実で……でも、なんか“空っぽ”なんです」
「そりゃまあ、今まで“自分で考える余裕すらなかった”んだろ」
ゴルザンは資料をパタンと閉じ、カップを口元に持っていく。
「……自由ってのは、選択肢があるってことだ。でもな──選び方を知らねぇやつに、それはただのプレッシャーだ」
「……!」
「だからまず、“嫌じゃない”を選ばせてやれ。
いきなり“やりたいこと”を探せって言われたら、そりゃ誰でも戸惑うだろ」
ミーナはその言葉に背中を押されるように、翌日カイを再び呼び出した。
「……これ、いくつか“向いてそうな職場”をピックアップしました。
でも今回は、私が選ぶんじゃなくて──カイさん自身に、選んでほしいんです」
差し出された書類を見つめて、カイはしばらく黙っていた。
「……正直、どれを選んでも、“いいのか悪いのか”もわからないです」
「それでも、“嫌じゃない”ものを選ぶところから始めてみませんか?」
彼は小さく笑って、指で一枚を選んだ。
「……これ。“忙しいけど、みんな穏やか”っていう職場説明、なんか……いいなって思いました」
それは──工房商会の窓口兼管理職。
事務処理と在庫整理に加えて、来客対応もこなす役職。
条件も良好で、社風もやわらかい。
──数週間後。
「カイさん、すっかり職場に馴染んでますね!」
「おかげさまで。周りもいい人ばかりですし。……最初は、ちょっと怖かったんですけど」
「何がですか?」
「“自分で選んだ場所”っていうのが。……でも、いまはよかったって思ってます」
ミーナはそれを聞いて、心の中で小さくガッツポーズをした。
──ギルド・ラストリーフ支部に戻る帰り道。
「自由って、ずっと憧れだったはずなのに、案外重いものなんですね……」
「そうだ。自由ってのは、“好きにしていいぞ”って言われて、
そこで“どうするか”を考える責任だからな」
「でも、最初の一歩が“自分で選んだ”ってだけで、ちょっと嬉しくなったりもして……」
「お、わかってきたじゃねぇか、新人ちゃん」
ゴルザンがくしゃっと笑う。
そして今日もまた、“自分の道を選ぶ”誰かが、ラストリーフの扉を叩くのだ。