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D.今日はそんな日

D.今日はそんな日


〝And worse I may be yet : the worst is not, so long as we can say, 〝This is the worst.〟〟King Lear


「もっと最悪になるね、これは。『最悪だ』なんて言えてるうちは最悪じゃあない」リア王




 あれで一日がおわれば良かったんだが、確かに世の中そんなに甘くない。


 事務所に戻ると鍵が空いていた。ビルヂングの四階のロールカーテンがゆれている。空調はそのままだから、あのゆれはない。……どうやって入ったんだ?


 呆然と見上げていると、救世軍(The Salvation Army)の小隊がゆきすぎた。クリスマスにはまだ早い。


 状況はCatch-22なみに問題だった。不用意にロックが解除されればスマートフォンに通知されるようになっているが、ならなかった。高速通信のルーターも持っている。持っていなくても強制的に通常回線に通知するように設定していた。


 とても厄介な話だった。つまり同時に電子錠も解除されているということだ。五番街でプレイメイトがティファニーで朝食を?


 前に〝穴〟をあけた美少年(マスマイヤー#改)の件はクリアしていた。侵入コードは、長藻のを並列コピーしただけだった。管理者コードは二つある。その一つだ。それは書き換えている。あの日、疲れてでも帰ってやった最初の仕事がそれだ。


 私は正面横のネコ扉から入ると、用心しながら階段を上がった。


 幸いなにも聞こえない。


 音もなく四階前まであがって止まった。


 スマートフォンで中を検索した。〝敵〟はキッチンにいるらしい。事務所のノーマルモードでは、死角になっている。


 階段を降りる音がした。〝Cool Struttin'〟な女性と目があう。きれいな女性だった。ほほえんだ。えくぼがキュートなブルネットだ。デザイナースーツが似合っている。美しい。


 私はにこやかに返した。いまはそれどころじゃあないんだが……。ピンヒールで階段となると今日は点検日か?


 やりすごし、私は〝見えない〟穴から中を覗いた。さっきのパンクの美しい少女だった。長藻秘蔵の烏龍茶を飲んでいた。ザ・グレンリヴェット(The Glenlivet)の三十年物より高いんだが……。


 敵意はない――らしい。依頼者クライアントか? 不作法だな。パンクにしていても、きれいはきれいだが。法廷でもフリュネは認めよう。


 金髪碧眼の美少年を思い出す私だった。……どうやったら自分のコピーがあぁ美しくなるんだ? マスマイヤー? というかモトがアレで経年劣化がはげしかったのか? ……だからあの趣味に走ったのか? だとしたら納得はするが……。いやそういう話ではなく……。


 現実。住居侵入されている。


 溜息。深呼吸に変える。


 とりあえず話をしよう。斤さんとも仲良く話していた。変なことにはならないだろう。


 録画しているのを確認して中に入った。こちらがダブルしたと言われたらかなわない。冤罪。


「お帰りなさい」


 少女は長藻のデスクに腰かけながら迎えた。ふつうに。私のほうに書類を見せながら。昨日までそうしていたかのように。


 さくっと言われると、言葉をつづけるのを考えさせられる。


「ただいま……です」


「マイク。さっそくだけど仕事よ」


 はい? きれいな澄んだ声だ。


「……というかどちらのかたですか?」


 疑問符が三つ以上あった。数えたくもない。


 身長は一四九センチ。体重は四二キロ。靴のサイズは二一・五センチ。……スリーサイズは上から八二・五九・八一……。均整のとれたプロポーションだ。


 化粧はしていない。目があいらしい。右下唇にピアス。……食べにくくないか? えくぼ。全身真っ黒なナイロン地の上下……ってケブラーだ。男物の麻の白シャツの裾をだして、銀細工がジャラジャラ……一部はプラチナだ。二倍は重いぞ……。


「長藻の娘よ」


 少女は長い黒髪をながしながら答えた。ブルガリのバングルの金のが響く。


「えっ!?」


 確かに似ていると言えば似ている……?


「ジョークジョーク。蒲沼優子かばぬまひろこ。今日からここの経営者」


 性格は特に。


 優子が書類に目をやった。業務契約書だ。


「はい?」


 長藻秋詠とマイケル・コンチネンタルの間には、業務契約があった。優子はそれを行使しようとしているのだ。長藻の遺産として。


 たしかに書類は正しかった。つくったのは見なくてもわかる。翌檜さんだろう。


 末のサインを見た。ちがった。墨月さんだ。


「墨月弁護士がどうして?」


 優子は最後まですべての書類を読めというばかり。バングルを十三回まわした。一部が変形していた。


 翌檜弁護士から墨月弁護士へ、管理データが譲渡されたらしい。ついでに事務所の所有権も。


 ……「週間 ザ・リアル」の表紙。特集は「茶泉財閥コンツェルンの黒い霧」だった。ライターは、八犬穣訓やいぬまさくに丹棟澪にむねみお


 ゲラ刷りの内容は多少、齟齬そごはあるが、克明に描かれていた。


 どうして? これを出すのか? あれは六里さんが処理したはずでは?


「だからわたしたちが雇われたのよ」


 私の無言の疑問に、優子が明快に答えた。


「私たちって……」


「わたしが事務所の所長。よろちくび」


 白麻のシャツの下はノーブラだった。ピンクの乳首にラピスラズリのピアスをしているのがうつっている。


 というか、まだ続くのか? こんな日が。


 心が沈んでいた。美しい少女が経営者? どうするんだ墨月さん? これで良いのか翌檜さん?


「浮かない顔ね? せっかく助けたのに」


「なに?」


 優子が銃を撃つマネをした。


 ……H&K USP .45ACP――爆殺セーラー服少女だ……。


「……どうして助けてくれたんだ?」


 ほかに言葉を見つけられない私はしずかに聞いた。


「助けられたらから、助けたのよ。長藻さんがそうしろって言ってたわ」


「長藻が?」


 優子がボタンフライを開け、黒のケブラーをおろした。


「見たんでしょ? わたしの」


 ……縞パン少女か……。しかし……。目をそらした。


「ん? 恥ずかしいの?」


 見せた優子が私に聞いた。


 優子がゆっくりと下を見た。


 ――はいて、いなかった。


「なに見てんのよ! 変態!!」


 優子がレインコートを投げた。私の顔に覆い被さる。芦屋の〈ミーミスブルナ〉に忘れたものだった。


 いちおう探偵術は使えるのか……。銃だけじゃあなくて。


「ありがとう」


 受け取った私に、優子がデスクに「リスボン特急(Un Flic)」のDVDを投げた。椅子を背にショーツをはいている。


「これは?」


「知らない。みたいってクラウドにあったから買ってきただけ……あぁお茶、勝手にいただきました。ご報告」


「あれ高いんだぜ」


「知ってるわ。オリジナル・セブンティーンでしょ? ほんとうは五本しかないけど」


 ……知っているのか……。どんな生活をしているんだ。


「蒲沼ってレイさんの?」


「姪よ。よろしくミスター・マイケル・コンチネンタル」


 ブルーの紐パンをはきおわった優子が言った。どんな教育を受けたんだ?


「すぐに『週間 ザ・リアル』の記事を確認してちょうだい」


「まだ引き受けると決めたわけでは……」


「わたしが引き受けたわ」


 いや……そういうわけではなく……。


「今回の依頼者クライアントは、わ、た、し」


「えっ!?」


「エル・ヴェ・マテリエルの株を空売りしたのよ。蒲沼の名前がでるのはとぉ~ってもマズイの」


 ……そういうことか。インサイダー取引じゃあないか……。


「違法だろう」


「そうはならないわ。あなたがするもの」


 満面の笑みで、容赦なく断言する優子だった。売りの名義はマイケル・コンチネンタル……。今月の支払はそちらかららしい。


「……で、いくら売ったんだ?」


 ほかにもあるだろう優子は答えず、業務契約書をデスクになおすと、キッチンでコーヒーを沸かした。


 賢くない質問だった。翌檜さんは売り抜け、墨月さんは安く買った――未来時間だが過去形――わけだ。


 もう一度書類を画像記憶するとふっとつぶやいた。


「身内の処理ばかりか……」


「そうよ。それで儲かればダレもモンクないでしょう?」


 優子が私にもマグカップをくれた。


 いつもの私とはちがう入れ方だった。香りが……。


「! なにこのドブ水!」


 アメリカンを微細に挽いたらしい。確かに汚水だ。先山さんが泣くな。


 優子は私のカップをひったくると、そのまま流しに捨てて宣言した。


「新しいカップとコーヒーを買いに行きましょう! ロイヤルドルトンとウェッジウッド、どっちが好き? マイセン?」


「ナルミかノリタケ」


「あぁ~い。……あっそういうことか! さっき斤さんがオールド・ノリタケの出物があるって……」


 因果共時性か……。


 出かけることになった。東春出版関西支社は通りの上だ。


 優子がスマートフォンで鍵をかけた。


「どうやって破ったんだ?」


「改変は得意なのよわたし」


 オリジナルはヘタレだけどと、あさってを見ながら小声で言った。


「見せてくれ」


「大切なとこは見たんでしょ?」


 溜息。そして深呼吸。


 管鮑商行のまえに来ると、優子が中国茶を飲む斤さんにサインをするジェスチャーをした。それで意味が通じたようだ。奥に消えた。


「……いくらするんだ?」


「『払わない人は聞かない』のがルールじゃないの?」かなえ


 ……やられてばかりだ。


 東春出版の看板が見えるころに、やっと答えが出た。


 私はスラックスのウエストの皺を調整した。四文字言葉は腹の中だ。


 あのOSINTオシント不思議な感覚は、優子のものだったのだろう。


 それがどうして自殺なんか? 闇をみすぎたか。なにかあったんだろう。それがなにかは優子は知っている。長藻が知っていたかどうかは分からないが、伝わるものがあったんだろう。それを私自身が知る必要はない。


 理解。


 なんてこった! そういうことか。私自身が、長藻さんに対する〈自覚のないスパイ〉だったのか……。


 疲れた……。陽はまだ浅い。


「質問はいいかな?」


「どうぞ」


「どうしてフランボワーズ少佐がこの件の責任者なんだ? 他にも人はいるだろう。マスマイヤーの件もある。敵対する同士をどうして一つにした? 個別に処理したほうが速いだろう」


「マイク、ここは日本なのよ。あなたのような外国人がいるほうがおかしいの。だから外国人が処理した。それに少佐だって部外者じゃないわ。ミドルネームを知らないの?」


 優子がのぞきこんで聞いた。


 ハリー・S・トルーマン(Harry S. Truman)第三十三代アメリカ合衆国大統領のミドルネームのように単なるイニシャルじゃあないことは確かだな。


 そうすると東春出版の社主は……。


「開店祝いよ。ランチおごってあげるわ。なにがいい? ――ビーフストロガノフはなしね」


「裸のランチ以外なら」


「なにそれ? ハノイのおいしい店があるのよ。それでいい?」


 いいって決めてるし……。バロウズは……やめよう。まだつづく。


 今日はそんな日だった。ハラショー!





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