53、恐怖の伯爵
加須は恐怖でブルブル震えていた。
「最初は戦争中の国王となって生まれ変わり、その後は山賊に捕まり、その後はガンダリア国に捕まり、その後はまた別の山賊に攫われ、その後は賞金稼ぎに攫われ、今度は貴族のお屋敷に拘束されるのか?ああ、嫌だ。絶対このパターンで行くと、この貴族、上品で優しそうな感じだけど絶対そういうやつに限って、恐ろしい性癖を持っていて、少年を誘拐して、屋敷の中で性的な虐待をして散々楽しんだら証拠が残らないように自宅の広い庭に埋めるんだ。今俺が歩いている芝生の庭の下には多くの少年たちの白骨死体が埋まっているんだ。俺もその白骨死体のひとつになるんだ。もうおしまいだ。何が死んで転生すればいい人生を生きられるだよ。元の日本のダメ中学生のほうがずっとマシじゃねーか。こんな人生、冒険記にでもして出版すれば読む方は面白いかもしれないけど、実際現場で体験してる人間にとっては恐怖以外の何物でもないよ。ああ、洋館のいかつい玄関が近づいて来た。あの中には大きなホールになっていて、赤い絨毯の階段が中央にあって、それで両側には食堂と執事や使用人たちの部屋があったりして、廊下には大きな鏡や、この屋敷の代々の主人の肖像画なんかがあったりして、それで俺は二階のビップルームみたいなところに、寝かされて、この優しいおじさんが入って来て、さ、服を脱いでごらん、なんて始まるんだ。いやだよー、たすけてよー」
玄関前に着くと、デボイ伯爵は扉を自ら開けて、「どうぞ、お入り」と優しく加須に言った。
加須はもう恐怖のどん底だった。中は暗かった。眼が慣れると、床には赤い絨毯が敷かれ、正面に大きな階段があり、階段は両側にくねって別れていて吹き抜けのホールの二階に昇れるようになっている。壁には大きなこの屋敷の昔の主人らしき人物の憂鬱な肖像画があり、階段の上には大きな鏡がある。ほとんど加須の想像通りだった。
加須は一階の食堂に通された。
「お腹はすいていないかい?」
デボイ伯爵は言った。
「あ、すまない、自己紹介がまだだったね。私はデボイ伯爵、この屋敷の主だ。君はカース国王だね?」
加須は怖かった。加須をカース国王とわかっているのに敬語ではなく、年下に使う言葉で「君」とか「だね」とかを使う所が、もう加須が王座に帰ることを前提にしてない話し方だと思い、加須はデボイ伯爵が自分を殺すつもりだろうと、想像した。
「あれ?カース国王じゃないのかい?もしかしてニセモノのほう?最近の王都からの情報では王のニセモノが出るとか聞いたけど」
加須は思った。本物のカース王かニセモノか確認している。本物だったらヤバいから丁重に扱い、ニセモノならば性の玩具にするつもりだろうか、それとも逆に本物ならば王を玩具に出来ると喜び、ニセモノならばつまらないから解放するかすぐに殺すかするのだろうか、いずれにしても、今の時点で自分の正体を明かさないほうが安全のためだ。
「え?ニセモノなのかい?」
やはりどちらか執拗に確認して来る。加須は声が出なかった。
「今まで怖い思いをして来たから、私が信用できないのかな?」
その通りだよ、加須は思った。
「さあ、お腹がすいていたら何か出すが、飲み物だけでもどうだい?」
そう言って、伯爵は使用人に言った。
「ミーシャ、紅茶を」
奥で声がした「はい、ただいま」
紅茶?加須は思った。眠り薬の入った紅茶、それを飲まされた俺は伯爵にお姫様抱っこされて二階の伯爵の秘密の部屋に運ばれ、ベッドに縛られて、裸にされ、鞭打たれ、蠟燭を垂らされ、ナイフで体を斬り刻まれ、秘密の焼却炉で焼かれて残った灰はやっぱり庭に埋められるんだ。
加須は白いテーブルクロスの大きなテーブル席に腰かけていた。その前に紅茶が出された。
向かいの席に伯爵は座り、自分も紅茶を飲んでいる。まるで、あなたの紅茶には毒など入っていませんよと言うかのように。加須は自分のカップの紅茶に眠り薬が入れられていると思い怖くて飲めなかった。伯爵の背後には広い庭が見える。きっとその芝生の下には犠牲になった少年たちの死体が埋まっているに違いないと加須は思った。
加須は立ち上がった。
「ト、トイレに行かせてください」
「あ、トイレかい?じゃあついておいで」
「あ、自分ひとりで行けます」
「はは、この屋敷のトイレの場所はわかりづらいよ。初めての人は・・・」
加須は走り始めた。
「ちょっと、カース君!」
『カース君』?絶対に国王の座に返さないこと前提だ、と加須は思った。玄関を開けて外に出た。庭の芝生の中に作られた石畳の上を走りさっきの門に向かった。
門は閉じていた。
加須は大きな声で言った。
「門番さん!開けてください!」
門番の白髭のモロスは、「え?どうしたの?」と慌てていた。
「おしっこが、漏れそうです!外へ出してください!」
「そんなら、トイレに行きな!」
「トイレの場所がわかりません!」
「じゃあ、庭でしなよ」
「庭では失礼です!とにかく門を開けてください!」
すると、玄関のほうから伯爵が駆けてきた。
「まてー!モロス、その子を出しちゃいけない!」
その言葉を聞いたときにはモロスはもう門を半分開き始めていた。
加須はモロスの脇をすり抜け、外へ逃げだした。
このキャドラという町は上のほうには段々畑がある町だった。そして、斜面に家があり、道はみんな坂道で、崖の下には激流のボルメス川が流れていた。
加須は坂道を転がるように逃げた。
後ろから、「まちなさーい」と伯爵が追いかけてくる。
どこへ逃げる?どっちへ逃げる?
加須は迷った。だが、足は自然と、あの屋敷からほぼ真っ直ぐに下る坂道を下った。加須は考えた。この町の地理は向こうのほうが知っている。どこかに隠れてもあいつは権力者だから警察を使って探すだろう。そうすれば簡単に見つかってしまう。この町を去らねばならない。しかも、馬より速く遠くへ逃げねばならない。その方法は?
加須の中ではもう覚悟はできていた。
あのロンガ王国から始めて逃げるとき、ボルメス川に飛び込んだように、この谷川に飛び込もう!
加須は真下に川を見下ろす崖っぷちに来た。高さは三十メートルはあるだろうか?飛び込むと死ぬだろうか?
「まちなさーい!はやまっちゃいけない!」
伯爵が迫ってくる。迷っている時間はない。
加須は飛んだ。
加須は谷川に落ちて行った。
デボイ伯爵が崖っぷちに来たときには、もう加須はボルメス川の濁流に飲み込まれて姿は見えなかった。




