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312、五味タカシの前世

五味は自宅の二階の自室でテレビゲームをしていた。

家のガレージに車が入る音がした。父が帰ってきたのだ。

母親が階下から呼んだ。

「タカシー、お父さんが帰ってきたからご飯にするわよー」

五味はゲームを途中でセーブして、電源を切り、部屋を出て階段を降りた。

洗面所で手を洗っていると、帰ってきた父親が入ってきた。

父親は(らく)(だい)工業の作業着である青いシャツを着ている。

父親はそれを脱いで家用の服に着替えた。

「あー、疲れた。母さん、ビールあるか?」

「あるわよ」

父親は「フーッ」と言ってダイニングのテーブル席に着いた。

テーブルには刺身と豆腐とサラダと味噌汁が並んでいる。

父は缶ビールの蓋を開けた。いや、ビールではない、安い発泡酒だ。

それをグラスに注ぐときの嬉しそうな父の顔を見て、五味は嫌な気分になった。

「そんな発泡酒でおまえは幸せなのかよ。安い奴だな」

グラスの発泡酒を一口飲むと、父親は向かいに座っている五味に話しかけた。

「おい、タカシ、おまえ中学卒業したらどうする?」

「考えてない」

「うちの社長に頼んでみようか?うちは中卒でも採用するからな」

五味は思った。

「楽大工業なんかを『うち』って言うなよ。死んでもそんなとこに就職しないぞ」

「まさか、何か将来の夢があるんじゃないだろうな?」

「ないよ、そんなもん」

「ないか、それならいい。夢なんてものは挫折の原因になる。夢など追いかけるより現実の目の前の幸せを重視するのが大事だ」

すると母親が席について言った。

「何を言ってるの?自分は三十歳までマンガ家になるって夢を追いかけていたじゃないの?」

「だから、夢は人生を破滅させる原因だと言ってるんだ。俺はそれに三十歳で気づいたからよかった。四十五十になっても夢を追いかけ叶わなかったら最悪だからな」

「タカシ、お父さんはね、こう言ってるけど、本当はタカシに夢を叶えて欲しいのよ」

「おい、母さん、何を言うんだ。俺はそんなこと一言も言ってないぞ。タカシ、高校や大学は意味がない。そんなところで時間を使うなら、働いたほうが絶対にいい。仕事をすればカネが入る。そうしたら、女の子ともたくさん遊べるぞ」

「何を言ってるんです。あなたは私と付き合いながらもマンガばかりでほとんど遊ばなかったじゃないですか?大学も中退してしまうし」

「それは若気の至りだ。大学は中退した方が、芸術家として箔がつくと思ったんだよ。バカだったな。でも母さんが介護士になってくれてよかった。その収入で俺はマンガを描いて行けた。まあデビューには至らなかったがな。生活には困らなかった」

五味は思った。

「ようするにヒモだったんじゃねーか」

「しかし、三十で目が覚めた。タカシ、おまえが出来たからだ。俺たちは結婚し、俺は楽大工業に就職した。中卒や工業高校を出た年下の先輩にペコペコしながら、仕事を覚えたよ。あの頃はボルトの締め方ひとつもわからなかった。ようするに大学の文学部に行ったことも、マンガ家を目指したこともまったく役に立たなかった。こんなんだったら、中卒で働いた方がマシだったと気づいたよ。タカシよ。夢は見るなよ。現実を見ろ」

「父さん、何が言いたいんだ?中学卒業したら楽大工業に就職しろって言いたいのか?」

「そうだ、それが一番だ」

「嫌だよ。そんなの」

「なに?」

「俺は・・・今は将来の夢なんかないけど、いつか、何かを見つけたい。高校に行きたいとかじゃない。ただ、楽大工業に入ったら、ずっと変わらない、そんな気がするんだ」

「変わりたいのか?おまえ、今の自分に満足していないのか?」

「してるわけがないだろ?俺にろくな教育をしてくれなかったおまえのせいで、俺の成績は学年最下位争いなんだよ」

すると母親は言った。

「お母さんが勉強しなさいと言っても、しなかったのはあなたじゃないの?」

五味は言った。

「しなかったのは、父さんが勉強は無駄だ、みたいなことをいつも言うから、幼い俺は学校が無駄な場所に思えたんだよ。もう小学校にあがったときからそうだった。父さんに勉強は無駄だと刷り込まれていたんだ」

「なんだ?勉強が出来ないのを父さんのせいにするのか?父さんは大学を四年で中退してるんだぞ。成績だけなら卒業も出来たんだぞ。その息子が勉強が出来ないわけがないだろう?」

「うるせーな。そんなんじゃない!おまえの人生を諦めろって言う思想が俺を能無しにしたんだ」

「俺は人生を諦めろとは一言も言ってないぞ。夢は見るなと言っただけだ」

「同じだよ。子供にとっては夢を見るなってのは、人生を諦めろって言ってるのと同じなんだよ!」

「タカシ、中卒で楽大工業に入り、彼女を見つけて、二十歳頃結婚しろ。そして子供を作って育てるんだ。そうしたら、四十代で孫が出来るかもしれない。そして、ひ孫や玄孫が見られるかもしれない。マンガ家になりたいとかそんなバカな夢より、そっちのほうがずっと人間にとって嬉しいことなんだぞ」

「うるせーな!俺の人生は俺が決める。自分で価値観を決める。おまえが言うな!」

そのとき父親は五味の顔に発泡酒をかけた。

「なにすんだよ!」

父親は激怒していた。

「おまえを育てたのは誰だ?親が大事なことを言っているのにそれが聞けないようなそんな子に育てた覚えはない!」

五味は立ち上がった。椅子が派手に転んだ。

五味は走ってダイニングを出て玄関で靴を履き外に出た。秋の少し肌寒い夕闇の住宅街を五味は涙を拭きながら走った。どこに行くという当てもなかった。とにかく走った。

「子供の人生は親で決まるのか?あんな親を持った俺には罪はないはずだ!」

五味は立ち止まった。

見上げると丘の上に出来杉の家があった。

明かりが灯っていて、家族の夕食の団欒が聞こえてきた。

出来杉の両親はエリートだと聞いていた五味は思った。

「なんで世の中はこんなに不公平に出来ているんだよ?ちくしょう!」


そこで五味は目を覚ました。


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