260、賽(さい)は投げられた
アトリフはマテラにいた。
その宿にいたときのことだ。
食堂でアトリフたちは食事をしていた。
ザザックも合流し、久しぶりにアトリフの一味は顔を揃えた。もちろんアトスはユリトスの所にいたし、エコトスは死んでいる。
ザザックは言った。
「やっぱり、アトスは裏切ったか」
アトリフは言った。
「ザザック、そう言うな。ここにアトスの妻がいるんだぞ」
ザザックはエレキアを見た。
エレキアは黙ってステーキをナイフとフォークで切っている。
ザザックはエレキアに訊いた。
「おまえ、アトスのどこがいいんだよ」
エレキアはナイフとフォークの動きを止めて、ザザックを見た。そして、笑顔で首を傾げ、「なぜかしら?」と言った。
ザザックはエレキアを一瞬「かわいい」と思いドキッとしたが、その思考が読心師のエレキアには読まれていると思い、何も考えられなくなった。
そんなエレキアは先ほどから別のことを考えていた。食堂の離れた席に、一人客の美男子が食事をしていた。そして、彼はエレキアを見ると、意味ありげな笑顔を作った。
食事が終わり、アトリフたちが階段を登って行くのをエレキアは見送り、食堂の出口へ戻った。すると、例の美男子が笑顔で言った。
「やあ、来てくれたんだ」
「ええ、あなたに興味があってね」
「どういう興味だい?」
「わからないの?」
「おおっと、ごめんよ。俺はちょっと無粋だったね。じゃあ、どこか、ふたりきりになれる所に行こうか?」
「バカね。宿でふたりきりになれる所なんて決まってるじゃない」
「え?俺の部屋のことかな?」
「そうよ」
「じゃあ、行こうか?」
「まって、あなた、こんなふうに王妃様を誘ったの?」
「え?」
「数日前に、あなたは女性を部屋に連れ込み犯そうとしたわね?」
「え?いや、なんのことだい?」
「そして、ベッドでいざやろうとしたときに消えたでしょう?その女性は?」
「どうして、そのことを?」
「私はね、人の心を読むことができるの」
「え?」
「読心術の使い手、読心師なの」
「読心師?」
「あなたの思ったことは全部わかるわ」
「何がわかるって言うんだ?」
「さっきから、食堂で私のほうを見てエロい想像をずっとしていたわよね」
「ま、まさか」
「その思考の中に数日前、ベッドで消えた女のことがあったでしょう?その人ね、ハイン国の王妃レヨン様だったのよ」
「え?え?ええっ?」
「あなた、私がこのことを警察に届けたら、あなたは死刑になることは間違いないわね」
「し、死刑・・・」
「でも大丈夫、私はそのことは黙っていてあげる。その代わり、頼みがあるの」
「な、なんですか?」
「あなたがこの町で王妃を見かけたことを、エイルカのドンブラ将軍に伝えて欲しいの。王妃はもたもたしているとどんどん西へ逃げて行くって。だから軍隊で追わないといずれハイン国外に逃走してしまう。そうなったら、王妃は永遠にハイン国王のもとには戻らない。このことを伝えれば、あなたはご褒美を貰えるかもしれないわよ」
「そうすれば、俺が王妃を犯そうとしたことを通報しないでいてくれるのか?」
「もちろん」
「じゃあ、明日、エイルカに・・・」
「今すぐよ、死にたくなかったならばね」
「は、はい!」
美男子はすぐに荷物をまとめて、宿から出て夕闇の中を馬で駆けて行った。
エレキアはニヤリと笑った。
「これで賽は投げられたわね」




