美しかった夏がトケル
夏休み最後の日を、トケルとカタメはとても穏やかに過ごした。
「あ、カタメくん、見て」
「え。あ」
2人が夏最後の外出をしようと玄関に向かうと出窓の桟の下の辺りにヤモリの赤ちゃんがいた。
「この間のヤモちゃんかな?」
「うーん。多分」
「カタメくん、どうして分かるの?」
「顔が同じ」
山へ向かった。
夏が始まる時、ラジオ体操をしに行った鐘撞堂のある丘が目的地で、その丘まで山の林道を通って辿る道があるのだ。
「トケルさん。この小川なんだけどさ」
カタメはその林道の入り口に流れるゆっくりとしたせせらぎを指さす。
「その小さな板を橋代わりにしてるその場所さ、蛍が見えるんだ」
「うわ。カタメくん。そういう大事なことは夏が始まった瞬間に言ってよ」
「ごめんごめん。まだ見られると思うから、今度の金曜の晩に一緒に来ない?」
「うん!蛍なんてしばらく見てないなあ・・・」
楽し気に話しながら2人は急な道を登って行く。
「トケルさん、その立派な杉の木があるでしょ」
「うん。真っすぐに伸びてるよね」
「ご神木なんだ。ばあちゃんに連れられて来た記憶があるよ・・・子供の頃に枝に白いヘビがいたんだ」
「白?」
「うん。僕には白に見えたよ。神様の使いだ、ってばあちゃんが言ってた」
山腹をほぼ真っすぐに頂上へ向かって上るその林道の木と木の間には大きな蜘蛛の巣が張られている。その真ん中にはやっぱり大きな黒と黄色の蜘蛛が神経を張り巡らしている。糸を出して紡いだそのプロセスを想像すると不用意に破ることはできず、カタメとトケルは腰を低くして頭を下げて蜘蛛の巣への加害を最小限に抑えて歩んだ。大きな木の下の地肌は乾燥したさらりとした砂地でいくつものアリ地獄の巣が形成されていた。こんなに並び合っていたらアリが手前の地獄からどんどんと埋まって行ってしまうのではないかと2人は不思議な感覚だった。
登り切ると一気に光が2人の目に入り込んできて、その眼を射る熱量で汗をかく2人。
「わあ♡」
「うん。いい景色に開けてる」
鐘撞堂の脇を通り過ぎて丘から下に広がる街を見下ろせる場所に出た。
日差しはまだ夏で、風が秋だった。
持ってきた水筒に淹れた清涼な煎じ茶を紙コップに注いで屋根付きのベンチに腰掛けてゆっくりと飲み干す2人。
「うー。効くねー」
「カタメくん、すっかり煎じ茶にはまっちゃって」
「だって。なんか神秘的な味だから」
トケルさんとおんなじにというセリフが浮かんだがカタメはそれを敢えて胸にしまい込んだ。
入道ではない雲を2人で見上げる。
「あ」
トケルがベンチの周りのコンクリートに何かを見つけた。
「戦闘機みたい」
そうトケルが比喩するのは、スズメバチの死骸だった。
いや、もしかしたらまだ少しだけ息があるのかもしれない。
けれどもその3cm少しの大きさの黒とオレンジ色の硬質の美しいフォルムは、その隙間の柔らかな肉の部分を、蟻たちに削り取られているようだった。
トケルもカタメも、なんだか寂しくなった。
「カタメくん」
「なに」
「夏が、終わるね」