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ミステリ作家の異世界日記――小説を書こう、異世界で  作者: 黒井影絵
第10章 勇者バトルロイヤル

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064――勇者と偶像

 “神の使徒”の称号を持つ青年ジローは無口で無欲な地味な男だった。

「もうちょっと、ガッついてもいいんだがなー、モノは良いのに、勿体無いだろ」

 クロード先輩は人生の先達として、彼の有り様をそのように評するが、二十代前半だし、まだまだこれからだろ。

「俺はもう、芽が出ないと思ってました……」

 ジロー青年は達観した表情で枯れた笑みを浮かべる。

 いやいや、人生先は思ったより長いぞ?

 俺もアラサーになったら人生終わりだとか思っていた十代の自分を蹴り飛ばしたい。

 全然そんなことないからな!

 むしろ人生始まってすらないからな!

「先生……先生は今、十代なんですよ……ジロー様より年下なんですよ」

 テルさんはこっそり耳打ちしてくれたが、俺の物言いにジローはキョトンとしている。



「でも、良いのですか?俺は勇者見習いであって、勇者じゃないんですよ」

 ジローはここに来てからずっとそのことを念押ししている。

「ああ。俺たちが求めていたのは勇者見習いだ。今の魔大陸で転生勇者とかいう連中が幅を利かせているのは把握しているが、俺に言わせれば、アレは役に立たねぇ」

 事前打ち合わせで聞いたが、クロード先輩はギルド所属の勇者見習いを勇者にまで育成した経験が数多くあるらしい。

 流石、トップブリーダーだ。

「勇者の育成は手間がかかって、癖が強い。しっかり育成すればコストに見合う価値はあるが……ま、はっきり言って道楽の域だな」

 クロード先輩は乱暴にジロー青年の背中をバシバシ叩く。

「だが、それは平時の話。この先、世界的な動乱が予想される以上、一人でも多く唯一無二の力が必要だ」

 ギルド長デンスは重々しい口調で語る。

「どうか、我々に協力して欲しい、ジロー君。決して楽な道のりでは無いが……君を未来の勇者として育成したい」

 ギルド長は頭を下げた。

「本当に……俺なんかが……勇者になれるんですか……?」

 ジローは戸惑っている。

 彼のこれまでの人生で、ここまで誰かに期待され、助力を願われた事は無かったのだろう。

「俺とデンスがおめーの素質見込んだんだ。もう二度と『俺なんか』とか言うな!それに育成プランなら任せろ!ただし……半端なく過酷だから覚悟しろよ!勇者になれるかどうかは、てめーの根性次第だからな!」

 ジローはクロード先輩の激励に拳を固く握って、顔を引き締めて、しっかりとした決意を込めて頷いた。


 彼の覚悟は最初から固まっていたようだ。



 育成計画において、まず初めに提案されたのは……ジローが俺の眷属になる事だった。

「“神の使徒”は単なる名前だけの称号ではなく、ステータス等に変化をもたらす強い付与だと予想している。神族の眷属になる事で、何らかの能力が備わる……そういう特殊能力の持ち主は別の得体の知れない輩に取られる前にしっかり確保しておきたい。その点、先生の管理下だったら俺たちも安心だ。それに、勇者を育成する上でマギアの証はどのみち必要になる。だったら、早い内に済ませておいた方がいい」

 みんな気軽に言ってくれるが、大丈夫なのか?本人としても、インターンとかトライアル期間が必要じゃ無いのか?

「早い方がいいなら、かまいません……俺は……勇者に成れるなら……勇者見習いとして生まれた事に意味が得られるなら……何だってやります!」

 大人しい青年という第一印象だったが、思い切りは良い男のようだ。

 まぁ、俺のスキルだと後で簡単に除去出来るしな。

 俺はジローに【サインスタンプ】を施した。


「流石だね。クロードの予想通り、ステータスの各種パラメータが軒並みアップしているよ」

 ゲンマは瞳の光彩を赤く光らせてジローを凝視している。

 クロード先輩もその隣でジローの能力を吟味している。

「剣術スキルは基本的な物は大体持っているな……後、座学の素質もそこそこあるようだ。特に【数学】のスキルは抜きん出て高い……ま、その辺りは先生方に任せるわ」

 ほう。ということはEDKの習得も早そうだな。

 幸い、この自治区、教師役には事欠かない。

「座学の講習も受けられるんですか?ありがとうございます……!」

 ジロー青年は顔を輝かせて礼を言う。

「礼を言うのは早いぞ。これから、暇な時間なんて無いくらい忙しくなる。特に体術は基礎からしっかりやる、剣がいつでも使えるとは限らないからな。それと、レベル上げは相当キツい、今から覚悟しておけ」

 クロード先輩の言葉に、ジロー青年は笑みを浮かべたまま頷いた。

「レベリングは、やっぱり中立地帯に行くのかい?」

 ゲンマの質問に、ギルド長は首を横に振った。

「いや、勇者見習いの間は、ここのダンジョンで育成するが、勇者にクラス替え以降のレベリングに関してはチームアルスター……クーフリンの管理下で野良ダンジョンで鍛えてもらう」

 それは危険じゃ無いのか?

 魔大陸では傭兵として魔獣退治を仕事にしていたとはいえ、リスク高く無いか?

「危険に慣れて貰わないと困る」

 ギルド長は相変わらずの無表情で淡々と語る。

「俺たちが求めている勇者という人材は、名誉職……名前だけのお飾りではない本物の戦士だ。いざという時に危険やリスクを恐れるようでは務まらない」

「勇者に本物とか偽物とかあるのか?」

「俺たちが求めているのは、勇者を極めし者……それも“究極奥義”を習得した戦士だ。勇者という肩書きじゃない」


 そのようにして、勇者の卵ジローの育成は開始された。



 龍王ガーラの肝いりで続いていたモモちゃんのアイドルレッスンだったが……ここに来て一つの成果を得た。


 そう、ついにテイマーのクラスを獲得したのだ!……………………キマリスが。


「何でこうなるんですかぁ〜〜〜!!!」


 跪いて慟哭するイノの周囲を魔族キマリスが腰に手を当ててスキップしながらくるくる回っている。


 どうしてこうなった?


 魔族キマリスは自治区の子供に襲い掛かった結果、ヴェールの謎の能力によって、その記憶と人格は白紙となり、罰として多くの制約を付与した上で自治区に奉仕している身分だ。

 普段は自治区と農業地区の清掃業務を主にしているが、最近休憩時にモモちゃんのレッスンを物陰からジッと眺め、時には視界の隅っこで見よう見まねでダンスをするようになり、不憫に思ったモモちゃんは彼を手招きして、レッスンに迎え入れた。

 彼は元々新興魔族の斥候であるからか、その身体性能は非常に高く、難易度の高いダンスを次々に習得していく。

 その過程で、ヴェールとアン姫も一緒に踊るようになり、レッスンの場は日に日に増える大勢の子供達で大変賑やかになっていった。

 ライバルが増えていく中、後から来たキマリスが先にテイマーのクラスを獲得して、さらに追い打ちをかけるように、幼いアン姫までもが謎のクラス“ぷちテイマー”を獲得する。

 後続達が先に成果を上げた事は、如何にいい加減な性格とはいえ、イノのちっぽけなプライドを打ち砕くには十分な事件だった。


「私の方が先に始めたのにぃ〜!!がんばってたのにぃ〜〜!!!」

 イノは普段の取り澄ました雰囲気をかなぐり捨てて、顔を真っ赤にして悔しがっている。

 そんな彼女にキマリスは容赦無く口撃を加える。


「ふはははははは!偶像(あいどる)とは、生者の願いが結実したモノ。その歌と踊り、それ自体が上位者への供物なのデス!世界を支える大地、万物を見守る天、背後を支える民と祖霊……それら全てからの期待を伴った責任!そして何より、我が神あるじ様への最大級の感謝!つまり、心デス!心と魂が籠ってなければならない!惰性で体を動かしているだけの貴様に負ける訳がないのデス!この自治区の“一番かわいい”はこのキマリスが頂いたのデス!!はっはっはっはっはー!!!」


 ……お前、めっちゃ煽るなぁー……人格リセットしても性格は変わらないって事か。


「むっきぃぃぃぃぃ――!!!悔しいーーっっっ!!」

 イノは美少女の体裁を完全に捨て、歯をむき出しで食いしばり、地面に拳を叩きつける。

 彼女は、やおら立ち上がると、モモちゃんに詰め寄った。


「もっと厳しい特訓して欲しいです!!!」


「えっ?!」

 モモちゃんは、イノの“らしくない”発言に対して明らかに困惑する。


「私だって!私だって、大好きなゲンマ様に、いっぱいいーっぱい感謝しておりますぅ〜!!なのに、こんな訳のわからない変テコなのに負けたくないですぅ!!!私、可愛さでは絶対、誰にも、負けたくないっ!私が……私が!世界で、一番、可愛いんですっっっ!!!」


 目を見開いて呆気に取られていたモモちゃんは微笑みを浮かべて頷いた。

「やっと、本気になってくれたね……うん。分かった。ここからはお遊び抜きだよ?」

「はい!!頑張りますぅ〜!!!」


 なんか知らんが、やる気になったようだ。良かった良かった。



 しかし、結局、テイマークラス獲得の条件って、なんなんだ?

「俺が思うに……隠しパラメータが関係しているのは確実だな」

 クロード先輩は腕を組みつつ唸っている。

「隠しパラメータ?」

「ああ……恐らく。学者達の推測では隠しパラメータは複数存在していて、“カルマ”、“カリスマ”、“正気度”、“幸運”……この辺は確実にあると考えられている」

 やっぱり、正気度……通称SAN値ってあるのかよ……正直知りたい情報ではなかった。

 可視化されてたら、うちのメンバーが確実に狂ってるのが明らかになってしまう。


「あの、“あいどるれっすん”とかいうので、テイマー獲得者が出たということは、カリスマ値が関係している可能性は高いな。あと、ステータスのパラメータが全体的に高い事も条件だろう。“ぷちテイマー”に関してはさっぱりだな。ただ、人間種でも獲得出来たというのは大きい」


 現在、龍大陸で唯一のマスターテイマーであるモモちゃんの有用性は支配者階級も一目を置いている。

 戦えば一個師団に相当する戦力を有していて、ゴブリン忍者や天使を使役すれば諜報活動もできる。さらにグノム、ドルチェアルボラ、アピスといった戦闘には不向きだが高い付加価値を生み出す魔獣をも手懐けている。

 そんなクラスを持った者が国に一人いるだけで、国策を大きく左右するといっても過言ではないだろう。

 先見の明には定評のある龍王ガーラが欲しがるのも無理はない……ただ単にイチゴが食べたいだけかも知れんが。


「ただ、育成の大変さでは勇者に匹敵する。レベリングで要求される経験値は莫大で、その上運用するための知識も膨大だから座学でも手を抜けん。並の人間なら途中で根を上げてもおかしくないぞ。あの娘は特別……いや、はっきり言って異常だ。誰でも出来るこっちゃねーよ」

 だよなぁ……謙虚で可愛いから普段スルーしてるけど……モモちゃん普通に天才というか超人なんだよな。


「えー……そんなことないですよー……やだなー」

 モモちゃんは赤くなって照れているが、実際スゴイ。それにスゴイ可愛い。


 しかし、当人はテイマークラスである事に疑問を感じないんだろうか?

 元アイドルの卵でデザイナー志望……関連性が高いとは思えないが、本人の意見はどうなんだろう?


「あ、うちのおばあちゃんが獣医さんで動物クリニックを開業してるんですよ。小さい時から動物の世話とかしてたから、それが理由かなっと……だから特に疑問はなかったです」

 なるほど。テイム対象に対する知識の深さは関係してそうだな。


「それと、後一つ……」

 クロード先輩は言い淀む。

「これは確かではないが……COM、社会貢献度も関係しているかもな。パッと見、キマリスとイノはパラメータではそれ程大きな差は無いにも関わらず、結果が異なった。見えているところで大きく差があるのはCOMだけだ」

 確かにアイツは暇さえあれば、そこら中を清掃しまくってるもんな。

 テイマークラスの獲得には数多くのパラメータが複雑に関連しているのは確かなようだ。



 ジローの育成は本人が積極的なのもあって、順調に進行した。


 午前中はテルさんによる体術の訓練にクロード先輩やクーフリンによる剣術の稽古、午後からはダンジョンでのレベリング、日が暮れかかってから寝るまでの間、座学の講習……とほぼ一日のスケジュールは予定でみっちり埋まっている。

 しかし、彼は好奇心の強いタフな男らしく、文句も言わずに黙々と熱心にこなしている……これが若さか。

 クロード先輩の言う通り、彼は数学に並々ならぬ興味を示し、EDKの基礎もあっという間に習得して、寝る間も惜しんでコードを書いている。

 今では森川やデンとも議論を交わし、特にシモネムとは歳も近いからか、非常に仲が良い。

 共にダンジョンに潜る姿も頻繁に見かける程だ。


 そんな忙しい日々の中、彼はついに勇者見習いを極めて、目的の剣術スキル、『アルタキエラ』を習得した。

 クロード先輩曰く、このスキルが非常に重要らしい。

「勇者の究極奥義を得る条件はまだ確定していないが、この勇者見習いがレベル限界間際に覚える剣術スキルが必須の可能性はかなり高い……もう、見習い期間を終えて勇者としての訓練を始める時期だろう……本当の地獄はここからだぞ」

「はいっ!よろしくお願いします!」

 ジローは引き締めた表情で頭を下げた。



 その日の夜はジローが勇者に転職した記念日を祝してちょっとした飲み会を主催した。

 メンバーとギルド幹部は主役のジローそっちのけで酒を飲んで大騒ぎしている。

 俺は、ジローに酌をしながら彼の苦労を労った。

「勇者にクラス替えおめでとう。これからも無理しすぎるなよ」

 まだ若いって言っても、限度があるからな。

 ここの連中、黙ってたら倒れるまで没頭するからな。

 ジローは頭を掻きながら首を振る。

「この自治区での教習はどれも興味深くて、俺にとっては全てが驚きの連続です。無理だなんて感じたことは無いです」

 彼は充実感に溢れた表情で盃に口をつけた

 そうは言っても、野良ダンジョンでのレベリングは歴戦の猛者でも泣きが入る程の厳しさだ。

「それでも、限界だったら無理ってはっきり言うんだぞ?クーフリンは口で言わないと絶対理解出来ないからな」

 アイツ、マジモンの超人兵器だからな。しかも、自分が出来ることは他人も気合いがあれば出来ると思ってる節がある。

 ジロー青年は自己主張が控えめだから、本当に心配だ。

 黙って過労死でもされたらと、考えたら気が気じゃない。

 俺がそのようなことを言うと、彼は不意に遠くを見る目つきになった。

「子供の頃から、似たようなことは言われてきました。俺は口下手過ぎて……理不尽な事態に巻き込まれた時は、いつも一緒にいた幼馴染のフーケが俺の代わりに怒って抗議してくれていました……それは、以前組んでいたパーティを追放された時もそうでした……でも、あの時は自分が怒らなければならなかったと、ずっと後悔してるんです」

 彼は盃の酒を一気に飲み干した。

「俺は……やっぱり悔しいんです。勇者見習いとしての自分の存在意義を考えて足掻き続けてきた事を全否定されたことが……だから……無理ぐらいの事は、なんてこと無いです」

 盃をテーブルに置いて、顔を上げた彼は、非常にさっぱりした顔で笑った。

「それに、俺には身体が丈夫なことしか取り柄がないですから!どれほど苦しくても、目指すべきゴールが待ってるなら、やりきってみせます!」

 この自治区での鍛錬によってか、レベリングの成果か、彼は以前より一皮向けた男になったようだ。


「だいじょーぶれすよ!せんせい!あたしがついてまふから!!」

 突然、呂律が回ってないミノリが対話に乱入してきて、彼女はジローにしなだれかかった。

「はぁ?お前が付いていくのか?大丈夫なのか?」

 俺が疑問を投げかける側で彼女はジローの盃に酒を並々と注いでいる。

「ふひひひひ。この聖女ミノリちゃんは、魔大陸の辺境では襲いかかる魔族と魔獣をちぎっては投げちぎっては投げ……まーかせて!お義父さん!ちゃーんとジローくんをりっぱなオトコにしてみしぇますって!うひゃひゃひゃひゃ」

 完全に酔っ払いじゃねーか。しかも微妙にセクハラ風味だし。

 つーか誰がお義父さんじゃい。

 こんな聖女は嫌だ!


 ジロー青年は泥酔状態のミノリに抱きつかれて真っ赤になっている。

 そっちの方面の免疫はなさそうだ。


 彼が自治区に来てから、頬を赤らめたミノリが頻繁にジローに差し入れしたり、励ましているのを見かけていたが、流石、腐っても勇者だ。彼はラノベの主人公並みの鈍感力と難聴力を遺憾無く発揮して、爽やかな笑顔で自然にスルーし続け、二人の関係は一ミリの進展もしてなかった。

 社会人として一応の常識は持ち合わせていたミノリではあるが……一線を越えるには酒の勢いを借りるしかなかったのだろう。


 いやー、若いっていいなぁ……と俺は現実逃避を試みた。



 ジロー達がチームアルスターに合流して野良ダンジョンへと向かった頃、デンはついにダンジョンコアの作成に成功して、無事システムに納品した。

「これで、事実上、キャッシュがあればダンジョン作り放題になりました。いやー、どんなダンジョンにしようかなー」

 デンは満面の笑みでダンジョンコアをバスケットボールのように人差し指の上でクルクル回している。

 普通でいいんだぞ?普通で。

 くれぐれも死にゲーを参考にするなよ?絶対するなよ?前フリじゃ無いからな!マジでやめろよ?

「兄さんは、私を何だと思ってるんですか……まぁ、今構想中ですが、これまでにないタイプのダンジョンにするつもりです!完成まで楽しみにしててください」


 ……。

 そうは言っても、お前、前科があるだろ……周囲のメンバーも目が笑っていない。

 一個も不安が無くならないのは何故だろうか……。


 ・・――◆◇◆――・・


 私の道化は相変わらず、無用な心配ばかりしている……。


 アースガード自治区が概ね平和な時を過ごしている頃、魔大陸の人間領域では大国の一つである、グランダス帝国の宮殿の謁見室で、一つの会見が行われていた。


 ヤロージュダイ王国の王子ナナヒは聖女ミノリの後を追おうとしたが、国内の魔石の在庫は底をついていて転送儀式を再び行うのは不可能であった。

 彼の国はまだ旧体制側に属してメガロクオートとは正式な国交はない。他に龍大陸へと行く方法はなく、万策は尽きたかに見えた。


 しかし、女性陣から影で散々バカ王子と呼ばれまくっていた彼は、ここで思わぬ行動力を発揮する。

 彼は自国の力だけでは無理と悟ってすぐに帝国と交渉を開始、王族として英才教育された能力を駆使して、伝手を頼り皇帝との直接会見を実現させたのだ。


 彼は確かに愚かではあったが、無能ではない。


 そもそも“愚かさ”の本質とは能力や知識の欠如ではなく、自分の思惑と周囲の流れが決定的に噛み合わないにも関わらずに無理を押し通して何かを喪失した“結果”を指すのであって、人の子が多少知恵を付けた所で簡単に逃れられる宿痾ではないのだ。


 それはさておき、


 ナナヒの思惑はここでは見事に合致した。


 魔大陸の人間領域では一二を争う大国であるグランダス帝国の現状は混乱期で、その内情はグダグダだ。

 国内の勢力は旧魔族に忠誠を誓う旧体制側と、魔族は滅びる運命と見なして人類解放連盟に加わるべきだと言う急進派が激しく対立していた。

 皇帝は魔族戦争がすぐには終着しないと予想していたが、自らの立ち位置を決めかねていた。

 旧魔族がかつての栄光を取り戻す見込みは薄いとの認識はあったが、大事な政治基盤である王族会と聖堂会を切り捨ててまで乗り換える勇気はなかった。

 それに、人類解放連盟は既に新進気鋭の大国コモンセンシス共和国が事実上指導者的立場で牛耳っている。

 この状況でクオート族に寝返ったとしても、内政は不安定となり、外交でも他国に足元を見られた上で舐められ、大きく譲歩を迫られるのは確実だ。

 どちらに進んでも道は行き詰まり、決断は先延ばしにされ続けるが、現状維持のタイムリミットは刻々と迫っている。


 つまり――皇帝は八方塞がりで身動きが取れない状況にウンザリしていた。


 このタイミングで、夢見がちな青年が多少愚かで無謀な事を言ったとして……老年期に差し掛かった男が、それを“微笑ましい”と感じてしまうのは無理からぬ事だろう。


「――聖女様をお救いする事こそ!人類にとっての希望の光となりましょう!」

 ナナヒは皇帝を前に熱弁を奮っていた。

「聖女ミノリ様は大衆に絶大な人気を誇る素晴らしい御方です!あの方が旗頭となれば、王族会と聖堂会が再びかつての権勢を取り戻すことも不可能ではありません!」

「しかし、彼女は龍族への供儀に捧げられたのではないか?」

 皇帝は聖女はもうこの世にいない可能性の方が高いと内心考えていた。

 ナナヒの隣に控えている聖女エミリが彼の熱弁に対して一瞬嘲笑を浮かべたのを皇帝は見逃さず、この会談の後で私室にて腹心に語った。

『あの小娘、確実に策を弄したな』

 権謀術数渦巻く後宮で腹黒い女達と長年付き合ってきた彼の目には、この少女の魂胆は透けて見える程明らかで稚拙ですらあった。


「あの方は聖堂会の祝福を受けて祖霊に守られた御方!魔族を前にしても勇敢に立ち向かった聖女!如何に龍族とはいえど安易に害することはできないでしょう!」

 ナナヒは愛するものを救うために必死に聖女救出の必要性を語り尽くした。


 皇帝としては、仮にミノリが生きていたとしても、たかだか聖女一人程度で局面を変えられるとは考えてなかったが、魔族が恐れている龍族に使者を送り、ダメ元で交渉してみるというのは悪くない考えだと思い至った。

 今までは王族会の手前、公式で旧魔族に離反する動きは出来なかったが、聖女救出の名目ならば他国の王族の活動に便乗する形で使者を送る大義名分は取れる。


 皇帝は王子の陳情に、前向きに善処すると回答して、その場は下がらせた。



 後日、帝国内において、転送儀式が執り行われた。


 行き先は龍大陸の北部。

 ナナヒとエミリはついに、見知らぬ世界へと転移する。


 もっとも転移するのは二人だけではなく、皇帝の代理人であるカイセットとその護衛である戦士オッズが密命を帯びて追従した。


 カイセットは長年皇帝の懐刀として、外交や諜報に重用された有能な人物だ。

 事情通の彼を持ってしても龍大陸に関しては多くが未知の領域で、重大な任務に気を引き締めようにも、脳内お花畑の王子ナナヒと、見た目とは裏腹に性悪聖女エミリの存在は不安材料でしかなかった。

 おまけに下僕のオッズは戦闘には滅法強いが、それ以外では常にボンヤリしていて、まったく頼り甲斐がない。


 しかも、龍族へ使者を送った国はヤロージュダイ王国だけではなく、既に夥しい数に上っている。

 さらには、邪神討伐に龍大陸に乗り出した勇者や、腕試しで龍族を狩ろうと考える困った連中まで現れたとの情報もある。


「この混沌とした状況で龍族と交渉して来いとか、陛下も難しい注文をするものだ……はぁ、早く引退したい……」

 出発前から憂鬱な表情のカイセットだが、彼の気苦労はこれからが本番だ。

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