a018――帝国素描
ここはベース帝国の帝都城の一室。
首席宮廷画家ディエゴは描いたばかりの肖像画を眺めている。
帝王の愛娘アン姫を描いた最新の作品だ。
龍王国と人間領域の境界線にあるアースガード自治区への供儀として捧げられたアン姫の庶民からの人気は未だ衰えない。
この絵が一般に公開された暁には帝都の民がこぞって鑑賞に駆けつけるだろう。
そんな大衆に人気がある王族の肖像画を優先して描くことが出来るのは、画家のキャリアとしては最高の地位にある首席宮廷画家の役得といえる。
彼の先祖が列強諸国からの亡命者という、お世辞にも毛並みが良いとは言えない血筋の者にしては、宮廷入りして最高権力者である帝王と個人的な親交を持つまでになったのは異例の出世といえよう。
彼はキャンバス上の絵と手に持った写真を交互に見比べている内に、写真の方をじっと眺める。
「しかし、この絵姿は如何なる方法による物なのだろうか。まるで世界をそのまま切り取って紙に封じ込める魔術……それとも古代の遺物か?そのようなものが帝国で普及してしまったら、私の仕事も上がったりだな」
ディエゴは苦笑まじりに溜息を吐く。
召喚者を先祖に持つ彼は様々なスキルの恩恵を生まれながらに持っていた。
彼の画風は正にカメラのように目にした物をあるがままにキャンバスに写し取る稀有な能力を持ち主だ。
上昇志向の強い若き画家はその能力を遺憾なく発揮して、やがて画家として上り詰められる最高の地位を史上最年少で獲得した。
人々は彼の写実を極めたフォトリアリスティックな肖像画を口々に賞賛する。
恵まれた天才画家の人生は順風満帆かに見えた。
しかし、才気溢れる天才は、その内面に“ある恐怖”を抱えている。
彼の能力は画家に特化した物だったが、それを支えて遺憾なく能力を発揮出来るのは、彼自身が産まれながらに持つ優れた観察眼と知性にある。
徹底したリアリストである画家ディエゴはそんな自らの洞察力に疑いの余地のない自負を持ち、そして、それ故に、人生に行き詰まる。
彼はいつからか、死後に自分の存在が世界にどう扱われるかを考えては不安を感じるようになる。
生きている内ならば、行動によって何とでもなる事がそれが出来ない永遠にも等しい死後には何も出来なくなってしまう。
君主である帝王スティーブは申し分のない賢王であるが、その子供達には疑念……言ってしまうと、帝国の行く末に不安を抱き、その不安は考えられる最悪のケースを常に意識させることで、一事が万事、画家を実際以上に悲観的な想定へと導く。
やがて、自分の名前も功績も、帝国の存亡と共に消え去り、無になってしまうことを想像しては恐怖を感じている。
その恐れを抱えた日から、彼は過去存在した画家とは異なる前例のない行動を取る。
彼は職業柄、様々な人間の肖像画を描いていた。
画家を雇って自らの肖像を残したいと思う者は、貴族や富豪の類と決まっているが、彼は依頼も無いのに庶民や奴隷、果ては宮廷に住まう道化や阿呆の肖像まで描くようになる。
そして、その絵を相手に渡す時に決まって「この絵は将来、必ず価値が上がるから、家宝として大事に取っておきなさい」と言う。
自分の描いた絵が誰かの手によって永遠に保管され続ける、という形でしか魂の永遠という概念を信じられない……目に見えない物に価値を見出せない信仰心のない彼には仕方がない事である。
なまじ優れた目を持っているために、目に見えないものを信じきる事ができないのだ。
そんな彼が、今、密かに熱望しているのは列強諸国に赴いて支配種族の肖像を描く事だ。
それも出来れば龍王ガーラの肖像を描き、天下に名高い龍の宝物庫にその絵を収められれば……という願いを内に秘めている。
「ガーラ様は王都の宮殿の外に出る事はないという……どうにか出来ないものか……ともかく、今はアースガードの御方の肖像画に専念しよう」
大地の女神の肖像画が思わぬ騒動を起こした件でアースガードや龍族の不興を買っていないかと、彼は深く憂慮していたが、騎士レイモンドを通じて渡した謝罪文は無事に受け入れられた上に領主名義の書簡にて『大事には至らなかったので、気にしないように』との返答を受け、ホッと安堵した。
「せめて、龍族である友人龍ゲンマ様の肖像を描くお許しがいただければ……」
彼はキャンバス上の絵に仕上げを施しながら、物思いに更けた。
・・――◆◇◆――・・
一方その頃、城の上層部では、帝王スティーブと参謀マイケルが気のおけない会話をしている。
「あのさぁ、マイク……あの子からの手紙読んだけどさぁ……何か、エラいことになってんだけど?魔族に誘拐されたりとか魔物に襲われたとか……」
「……」
「君、ここより安全って言ったよね?言ったよね?ねっ?」
「……ここに比べたら、どこだって安全ですよ。はっきり言って、この伏魔殿に住むくらいなら地獄に住んだ方がマシです」
「そこまで?!それちょっと言い過ぎじゃない?」
「言い過ぎじゃありませんよ……この帝都であの子が何回殺されそうになったと思ってんですか」
「そんなに?君が後見なら大丈夫かなーって、思ってたんだけど……」
「いいたかないですけど、貴方の子供達どうにかなりません?いくらアン姫が人気があるからって、ちょっと殺意が強すぎでしょ……毒殺を恐れずに食事が出来るだけアースガードの方がマシですよ」
「……あの子ねぇ……向こうで友達が沢山出来たって……領主殿の手料理が美味しかったって……新しい魔法を覚えたって……龍王国では普通で人並の生活なのに、それはもう嬉しそうで……はぁー……うちの子が天使すぎてツライ……」
「良かったじゃないですか。ここじゃそんな人並で自由な生活は無理ですよ」
「でも、可愛い天使に会えないのマジでツラすぎ……」
「……そのくらいは我慢してくださいよ。どうせ城に居たって妨害やら政務やらで満足に会えないんですから」
「うっ……ううううう……」
「もう少し成長したら、ゲンマ様にお願いして連れてきてもらいましょう。それまでは絵姿でも眺めて辛抱してください」
「うん……くすん」
人生において、子育てに父親が無力さを感じる場面は多々あるが、子を思う父親の心配は周囲には中々伝わりにくい。
この心痛を他所にアン姫はアースガードですくすくと成長している。
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別の部屋では、第一王子リチャードが自室で寛いでいる。
部屋に飾られている大地の女神の肖像画を眺めながらワインを嗜んでいる。
この画家が勢いで描いた絵を気に入ったリチャードはすぐさま画家に褒賞を出し、さらに複製を作ることを命じた。
画家は弟子達に指示して数枚の複製画を作成、うち一枚が宮廷に訪れた貴賓向けに公開され、その肖像画を褒め称える声は帝国の枠を超えて瞬く間に人間領域に広まった。
「いやー、本当に素晴らしいねー。こんな美しい姫がこの世におられるとはね!」
彼は白いドレスに身を包んで微笑む女神ジュンの絵姿を褒め称える。
「……何とかして召し抱えましょうか?」
側近が真顔で囁くと、リチャードは顔を顰めて手を振った。
「分かってないねー。こういうのは憧れのままで取っとくのが“粋”なんだよ!夜空の星と同じで遠くから眺めているから、のんびり鑑賞できるんであってさぁ、何でもかんでも近くに引き寄せようとするから全部台無しになるの!」
「は、はぁ……」
「それに、聞いた話だと、無理でしょ!帝国軍総動員でもアースガードを攻め落とすのは!最悪、彼女一人にすら勝てないよ!」
「それは流石に大袈裟なのでは……」
側近は信じ難いという表情だが、私も同感だ。
「いやいや!帝国の力量を過大評価しちゃダメだよ!列強に比べたら人間世界はカスなんだからさ!ところでさー、僕の弟妹たちは今頃何してるのかなー?――オクルス殿?」
部屋の隅で隠密スキルで潜んでいたオクルスが浮かび上がる。
彼の存在に気付いてなかった側近はギョッとする。
「どの御方のことでしょうか?」
軽く一礼をする間諜は不敵に笑う。
「不肖の方だよ」
リチャードは冷ややかな目で口の端を釣り上げた。
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そのリチャードの腹違いの妹であるメアリーは龍族の逆鱗に触れた件で未だ幽閉されたままだった。
貴族向けの軟禁部屋ではあるが、王族が社交の場から締め出されて隔離されるのは存在理由の否定にも繋がり、死よりも重い罰であった。
ましてや、贅沢に身を飾って夜会で浮名を流すしか楽しみのない軽薄な若い貴婦人には耐え難い環境だ。
「あああ……エンダー様……どうして……どうして……」
美しかった金髪を振り乱し掻き毟る様は鬼女のようだった。
「私ならば貴方様を王にでも王配にでもして差し上げるのに……どうして……」
自らの美貌に自信を持っていた彼女であったが、それ以外の取り柄が特にない以上、彼の傍に侍っていた女性たちと比べて能力の差は歴然である。
結果として彼女は帝王の娘である血筋に縋り、それを過大評価することで精神の均整を辛うじて保っていた。
しかし、それでも狂気の進行は止まらず……
「どうして、あのガキが私の黄金林檎を盗んだのよぉぉぉぉ!!!」
激しく燃え盛る憎しみのベクトルは義妹であるアン姫ただ一人に向かって行く。
愛する者への美の賞賛を象徴する伝説の果実を捧げられた幼い少女へ。
義妹が林檎姫と呼ばれ、エンダー・ル・フィンの寵愛を受けていると耳にした日から、その憎悪の炎は途切れることはなかった。
「あああ――憎い!憎い!!あの林檎は私の物なのに――!絶対許さない――!!」
嫉妬に狂うメアリーの慟哭は虚空に響く。
彼女は今現在、自分を監視する眼差しが複数存在する事に気付くことはない。
その眼差しの思惑が混沌としていることにも……。
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その眼差しの一つは城の隠し部屋で笑いを噛み殺していた。
「本当に無様!ああはなりたくないわー」
メアリーの妹であるジェーンは魔道具を通じた姉の狂態を見て溜飲を下げる。
同じ母親から産まれた姉より地味な外見であることをコンプレックスに感じていた彼女は、性悪の姉が順調に没落しつつある様に上機嫌だった。
「いくら器量が良くても、あんなにガッついていたらエンダー様どころかマトモな人間なら誰だって逃げ出すわ。向上心がないバカであるのはしょうがないとしても、せめて性格くらい演技でもいいから取り繕えばいいものを……ふふふ」
満面の笑みで手近のソファに向かって背面から跳んで身を沈める。
ジェーンは劣等感をバネに努力して魔術の研究に勤しみ功績を積み重ね、王位継承権第三位を獲得した才女ではあるが、野心の大きさと性格のよこしまさは姉とそう大差ない。
「それにしても、お父上はどうなさるおつもりかしらねぇ?時間経過くらいで素直に反省するタマじゃないでしょう。未だに見た目に騙されてる貴族連中も少なくない現状、放置しておいて良いとは思えませんがねー。ま、いっかー」
彼女はローテーブル上に置かれた資料を手繰り寄せてザッと目を通す。
「備えあれば憂いなし、と。国内が荒れてもいいように準備はしておかないとね……その為にも未踏ダンジョンの確保は進めときましょう!」
彼女より上の王位継承者である兄達は二人とも自らの親衛隊と称した私兵を所有している。
ジェーンは表立った軍隊は所有してないが、帝国の魔術アカデミーのパトロンとして絶大な発言力を確保している。
しかし、軍事力として比較した場合、兄達とはまだ対等には程遠いという現状だ。
「なるべく帝国から離れていて効率の良いダンジョンを密かに占有すれば、魔術師達の強化と自由に使える財源の確保が出来て、兄様達相手に抜きん出る……までは行かなくとも交渉を有利に進められますもんね。まだまだ、“上”は狙いますよっと。ふひひひ」
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その頃、第二王子ヘンリーは私室に一人籠っている。
彼は考え事をする際は、決まって隠し部屋で思索に耽る。
王位継承争いはリチャードが変わらず優勢で、その溝は中々埋まりそうにない。
貴族の支持力では遜色はないが王位を継承するにはそれだけでは足りず、庶民の支持と軍事力、それに何より、本人の資質――力強さや豪胆さがなければ、戦士達に人間領域の王と認められることはない。
産まれてからずっと貴族達に囲まれ宮廷内だけに完結した生活を過ごしてきた王子に、その不足分を埋め合わせるのは困難なミッションだ。
「このままでは不味い……」
焦っているのは義兄であるリチャードは全てを持っている点だ。
血筋も軍事力も十分で、庶民層の人気もアン姫とその兄であるアルバートを庇護下にして点を稼いでいる。
あの迷惑極まりない場の空気を無視する奇矯な性格も、戦士達から見ると大胆で豪快な人物であると好評価だ。
何より、ヘンリーを苛立たせているのは、彼自身は王位に何の執着も持っていないことだ。
一族も含めた宮廷の人間は皆、リチャードは機会さえあれば全てを捨てて列強諸国に飛び込み、二度と人間領域に戻ってこないと信じている。
そしてその事を父である帝王を含めた多勢が心底心配している現状に怒りを感じている。
「私の何が悪いというのだ。政治なんて誰がやっても同じというのなら、私がやってもいいだろう!」
彼自身の人望の無さは、ある意味政治家として致命的なのだが、その都合の悪い点は巧妙に自己防衛で無視している。
ヘンリーは頭痛を堪えつつ溜息を吐く。
彼は顔を上げて、壁に掛けられた一枚の絵を眺める。
それは最近、画家に描かせた一枚の肖像画だ。
アースガードから送られた多数の写真を内密に閲覧した彼はその内の一枚に強く惹きつけられる。
それは着飾ったヴェールのポートレートだ。
彼は苦心してディエゴではない自分の息が掛かった宮廷画家に命じて彼女の肖像画を密かに描かせ、この隠し部屋に持ち込んだ。
そうして、今では、この肖像画を眺める時間が掛け替えのないものになりつつあった。
絵の中の彼女は黒いドレスを身に纏い、幸福な微笑みを浮かべて佇んでいる。
スキルで偽装した彼女は一見普通の美少女に見える。
だが、ヘンリーは、年若い少女の影に古い血脈を確かに感じ取った。
彼女の顔立ちに周囲にはない種類の高貴さを見出し、執着すら抱いている自分に戸惑っていた。
彼女はまだ若い……いや、幼いといってもいい。
だが年月が経てば、彼女は見るものを全て魅了する妖艶な美女へと変貌していくだろう。
「その頃までに私もひとかどの人物に成れていればいいのだがな……」
第二王子ヘンリーの溜息は地の果てに届くほど深かった。




