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ミステリ作家の異世界日記――小説を書こう、異世界で  作者: 黒井影絵
第9章 旧支配者の呼び声

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058――タルタロス・非可逆

 エレベータから降りた、そこはどこかの道路沿いだった。

 道の両脇には背の高い草が生えていて、道路以外は何もない。

 青い蝶に着いていくと、草むらの合間を縫うように敷かれた手すり付きの階段を降りていき、その先には『浜松一丁目入口』と書かれたバス停があった。

 蝶は、そこに留まって漂っている。

 俺は仕方なく、その場でぼんやり立ち尽くす。

 黄昏の気だるい空気の中、地方都市のロードサイドと思わしき景色だが、人も車も通りかかることはなく、俺は世界最後の人間になったような切ない気分になった。

 時間の経過が分からず、永遠の時を待たされた後に、道の向こうから路線バスがやってきた。


 バスが目の前に停車して自動ドアが開くと青い蝶は中に入ったので俺も乗車する。

 座席に座ってボンヤリしていると、ドアが閉まり、エンジンが始動する。



 ――ポーン。

『本日は、ご乗車いただき、有難うございます』

 バスが動き出すと、車内に自動アナウンスが流れる。

『このバスは水門(みずかど)大学病院を経由して終点、新阿神(しんあかむ)町へ向かいます。次は浜松二丁目。次は浜松二丁目。お降りの際はお知らせください』


 どこだよ。


 走るバスの窓外の景色を見渡して、目に入った青い道路標識を見た所、ここは札幌周辺の地方都市のようだ。

 なんで、地獄から北海道に来てるんだよ……。

 北海道には観光で来たことはあるが、特に深い縁がある訳じゃない。

 ただ……新阿神町という地名には聞き覚えがある。

 俺は記憶の海を掻き分けて思い出そうとする……。



 岡山県の奥地に阿神村という山に囲まれた歴史の古い村があった。

 年号が明治に移り変わった頃、その村は災厄に見舞われ壊滅的な被害を受ける。

 村の被害が大きすぎたため、村民が復旧を絶望視していた頃、村民の知人で鳴跡という山師のような男が北海道開拓を熱心に勧め、結果二千人ほどの村人が北の大地に移住し、その地を新阿神村と名付ける。

 その後、彼らは慣れない土地で多大な苦労を強いられたが、長い年月の末に新阿神村は新阿神町として発展し、現在では水門大学を中心とした学園都市として知られている……。


 昔、学生の時分に地元の郷土資料館で見た歴史のエピソードを何とか思い出した。

 作家デビュー後に話のネタに使えないか、ネットで調べたんだよな。


 そんな風に思索に耽っていると、アナウンスが終点についた事を知らせ、蝶は運転席付近を漂っている。

 乗車口まで来ると、どうしたものか運転手は見当たらない。

 俺は少し悩んで料金箱に銀貨を一枚投入して、バスを降りた。



 バスを降りた先も途中と大して変わりない人工物の乏しい景色だった。

 青い蝶は林の中をゆらゆら飛んでいる。

 バスに乗る前とは逆に坂道を登る階段を上がって行き、ふと眼下を見下ろすと、遠くに夕日を浴びた港町と海が見える。

 ……澄んだ空気と自然が溢れていて健康にはいい所かもしれないが、もう少し、何かないものか……コンビニとか。

 俺は溜息を吐きつつ坂を登りきると、針葉樹に囲まれた空き地に出た。


 そして――青い蝶の姿がかき消えた。


 俺は緊張で身構えると、道の向こうから、獣の咆哮が聞こえる。

 あの“猟犬”が大型犬サイズでこっちに駆け寄ってきた。

 上下に割れた顎から粘液が垂れている。

 お世辞にも友好的ではない。

 それにしてもシツコクないか、コイツ。

 とっさにカスタムエンチャントで武装を整え、結界を貼り、飛びかかってくる“奴”を迎え撃った。


 敵は大きさを犠牲にした分、スピードと耐久性を高めていて、俺は苦戦を強いられる。

 結界は砕かれ、武装も斬撃と打撃に耐えきれず俺は耐久度をジワジワ削られていった。

 そして、疲労で集中力が途切れた瞬間を“奴”は見逃さず、俺は押し倒され、相手の鋭い牙を魔剣でなんとか耐え凌ぐ体勢に追い込まれた。

 “奴”の口から垂れる粘液は酸を含んでいるのか、滴る雫が俺の鎧に触れてジュッと煙をあげる。


 俺はこの窮地から抜け出そうと必死に頭を回転させていると、不意に“奴”の身体が真横にふっとんでいった。


 ――ギャインギャイン!


 “奴”は負け犬の遠吠えみたいな声をあげて小さく丸くなって怯えている。


 俺が反対側を見ると、そこに、一人の男が立っていた。

 カーディガンの下にシャツとジーンズをラフに着こなした、ロイド眼鏡を掛けた長身の人物だった。

 彼はこちらにゆっくり歩み寄ってくる。

「あんまり遅いから迎えに来てみたら……こんな所で遊んでいたのか」

 その抑揚のない物言いで、相手が誰か理解した。

「……お館様」

 そこに立っているお館様はいつもより所帯染みていて、赤灰色の髪には白髪が混じっている。

 御方は“猟犬”に近づき、首輪を付けると、“奴”は秋田犬の姿になって、お館様にすり寄って尻尾を振った。

「最近煉獄(タルタロス)の迷宮都市には寄ってなかったから、気が立っていたようだ」

 ……結局、八つ当たりかよ。徹頭徹尾、交通事故みたいな振って湧いた不幸要素しかないな、エンダー君。

 俺はエリクサーを頭から被り、若干腐った。



 秋田犬を紐付けて歩くお館様の後を着いていくと、丘の上にある一軒家に到着した。

 家の表札には“鞠野”と書かれている。

 どう見積もっても築三十年は経過している古い大きめの屋敷で、縁側に面した庭には子供向けの遊具がいくつか置かれ、ちょっとした公園のようだった。

 玄関横には家庭菜園があり、キュウリやトウモロコシなどが植えられている。

「今は家族全員出かけていて私一人だ」

 秋田犬は紐を解かれると、“タロウ”と書かれた犬小屋に入っていく。

「もっとも、この世界は先ほど作成した揮発性の高い仮想宇宙(シミュラクラ)なので、我々以外の人間は存在しない」

 やっぱり、この世界に人間は存在しないのか……。

「まぁ、立ち話も何だ。入りたまえ」


 中に入ると、そこは“昭和”の空気が充満した、懐かしさの塊みたいな空間だった。

 時を刻む音が大きい柱時計に居間と台所を分ける珠のれん。

 壁には小学生の習字が貼られていて、テレビの前には古いゲーム機が無造作に置かれている。

 “実家のような安心感”とは正にこの事だろう。

 ひとんち独特の匂いに包まれて黄昏時の縁側で寛いでいたが、犬小屋の“猟犬”改めタロウにお館様がエサと思われる謎の骨つき肉をエサ皿に注いでいるのを見てちょっと我に帰る。

 タロウは血の滴る骨に齧り付き、ボリボリと音を立てて咀嚼している。

 そういえば、俺は危うく“猟犬”のエサになる所だったんだな……。


「ここは別れた妻の実家でね」

 今俺は、居間のテーブルを前に一息付いている。

「落ち着いて話をしながら休息するには丁度いい場所だろう」

 お館様の複雑な家庭事情が気になりつつも、もう少し穏便に助けてくれることは出来なかったのか、それとなく遠回りに聞いてみる。

 お館様は大きく息を吐いた。

「本来、有限の寿命を持つモノが『猟犬の牙』に掛かった場合、そこから逃れる術はない、それが世界の理だ。それを覆して煉獄(タルタロス)から脱出するにはゲンマの願いだけでは足りず、それなりのシナリオ……申し訳程度の理由づけが必要だ」

「願い……?」

 ああ、そういえば、アイツに願い事を譲ったんだっけ。

 それで、辛うじて助かったのかー。

 持つべきものは友達だな。

 後で礼を言わないと。

「で、だ。本当にそれで、いいのか?」

 お館様は尚も俺に念押ししてくる。

「何がですか?」

「アレとこれからも関わり続けるのか?こんな無理をしてまで、あの世界に戻らずに叡智の図書館に居続けても良いのだぞ」

 お館様が何を言いたいのかは理解できる。

 戻っても、今回のような事態はこれから何度も起きるのだろうし、その度に俺は理不尽かつ不条理な酷い目に合うのだろう。

 それは容易に予想できる。

 しかし、自治区に残した気がかりな事が多すぎる。


 俺とサリシスの子供はちゃんと育つのか、とか、

 繊細なオルトがショックを受けてないか、とか、

 俺がいなくても、狂ったメンバー達は暴走しないで居られるのか、とか、

 テルさんやモジュローはお腹を空かせてないか、とか、

 ヴェールやアン姫は心細くて泣いてるんじゃないか、とか、

 あと、ついでに、ゲンマが自責の念で潰れてないか、とか、

 それに、小説を書くというレイドとの約束もまだ果たしていない……。


 思い残す事は余りにも多すぎた。


「……その……今のタイミングで退場するのは……早すぎると思う……」

 俺は恐る恐る申し出た。

「出来る事なら、アースガード自治区に戻りたいです……途中のまま、やり残した事が、多すぎるので……」

 俺が何とかそう言うと、お館様は「そうか」と伏せ目がちに言った。

「君がそう言うということは知っていた」

 お館様の言葉には何故か遣る瀬無さが滲んでいた。


 その時、玄関先のチャイムが鳴った。


 ……この宇宙、他の人間は誰も存在しないんだよな?

 一体、誰が来たんだよ……。


 お館様は立ち上がって、玄関の方へ行き、しばらくすると、丼を二つ持って戻ってきた。


「せっかくだから、ごちそうを食べていくといい」

 持ってきたのは、大きめのチャーシューと野菜が載ったラーメンで、俺は頭がくらっとした。


 久しぶりに見たラーメンの勇姿だ。


「日本に来て、初めてラーメンを食べ、こんなに美味いものがこの世にあるのか、と驚いたものだ」

 ニンニクとスパイスが味噌の風味と共に獣臭い脂と溶け合う香りが鼻孔をくすぐり、空腹を抱えた俺の食欲は嫌が応にも高まり、半熟煮卵の蕩ける黄身の鮮やかさは視覚面でも誘惑してる。

「色々な店を食べ歩きをしたが、ここのラーメンが一番美味い」

 ……食べたい……俺の本能は今すぐにでも目の前のラーメンに飛びつきたいと訴えかけている。


 しかし、ここは、まだ冥界。


 どう考えても、これは食べたらダメな奴だ……俺の理性はそう、必死に訴えかける……。

「どうした?早く食べないと麺が伸びてしまうぞ」

 そう言ったお館様は箸を割って豪快に音を立てて麺をすする。

 口の中には唾液が溜まり、理性の抵抗虚しく、自然な流れで箸を手に持って、麺を摘む。

 ほとんど無意識に麺を口に含んだ刹那――頭の中で暴力的な旨味が核爆発を起こし、その衝撃は全身に駆け巡った。

 俺は箍が外れ、狂ったようにラーメンを貪った。

 麺はやや太めの縮れ麺で、もやしのシャキシャキ感とのコントラストが良い。

 チャーシューは分厚いのが二枚も入っていて、しかも、箸で解れるほど柔らかい。

 味噌ラーメンは外食で食べた事はなく、以前はラーメンにコーンをトッピングするのは如何なものかと思っていたが、実際食べてみると、その甘さと爽やかな食感はコッテリしたバター入り濃厚スープの味変にちょうど良かった。


 そうして、気が付いた時には、丼を両手で抱えて、一滴の汁も残さずスープを飲み干していた。

 我に帰った俺は内心穏やかではない。


 ――あ、ああー……やっちまったなぁ……。


 ……しかし、後悔はしない。

 このラーメンの為なら、たとえ破滅したとしても仕方ないだろう。

 そう、思えるくらい罪深い美味しさだった。


 いつも間にか脇に置かれた良く冷えたコップの水を飲みながら、ラーメンの余韻に浸っていると――不意に、睡魔が襲ってきた。

「まったく……君はいつもいつもそうだ」

 地の底から響くようなお館様の声に、危機感を覚え、何とか立ち上がろうとするも、俺は糸の切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちた。

 視界の端に、あの青い蝶が舞っているのが見える。

「どれだけ囲い込んでも、いつの間にか外の世界に出ては、好んで揉め事に首を突っ込み、泥濘にハマってもがいている……まぁ、それも仕方ない……」

 以前も聞いたような言葉を、お館様は繰り返す。

「たとえどこにいようと、君は私の道化だ。せいぜい自由に踊っていればいい」

 青い蝶は光の糸を纏いながら飛び回り、いつしか俺の全身は白い繭に包まれる。

「ともかく……私は何度も警告したからな」

 朦朧とする意識の中、青い蝶が繭の中に飛び込み、俺に触れた瞬間――身体は……魂は……青い蝶と共に溶解した。

 ドロドロのラーメンスープのように微睡んでいると、世界が暖かい光で満ち溢れるのを感じる。

 ――“原点”から降り注がれる、万有を祝福するイデアの輝き。


 それが、最後に見た景色だった。



 ――長い夢を見ていた。


 光に満たされた世界を蝶になって、ゆらゆらと飛び回る、多幸感溢れる夢。

 世界は色彩で溢れていて、俺はただ、漂っているだけで全てが満たされていた。

 そよ風に乗り花から花へと移ろう俺に白い手が差し出される。

 大きく、清らかな細い指が誘うように優しく招いている。

 俺はその手のひらに乗って羽を休ませると、その手は天の遥か高みへと伸ばされた。


 そこから見えた景色は――。



 夢の余韻だけが残ったまま目を開くと、そこは、領事館の俺の寝室だった。

 身を起こすと、隣にモジュローが寝息を立てて眠っている。

 目の下に微かに隈が出来ていた。

 ……あれから、どれくらいの日数が経っているんだろうか……。

 俺は無意識にステータス画面を開き、あれから一ヶ月近くも経っていた事を知る。

 そして、その他諸々を確認しようとして――固まった。


「……はぁ?」


 思わず間の抜けた声が漏れ出て、横で寝ていたモジュローが目を擦りながら起き上がる。


 寝ぼけ眼をゆっくりと開いた、モジュローは俺が目を開けて起き上がっている姿を認識すると、その場で硬直して、大きな目を更に見開いて、俺の顔を凝視した。

 俺は何となく沈黙に耐えかねて、無言でその頭を撫でる。

 そのまま、十数秒経過後、モジュローはぷるぷる痙攣して、その端正な顔は崩れて、目には大粒の涙が溢れ出す。

「おい……お前……」

 俺が声を掛けようとした途端、モジュローは絶叫のような雄叫びをあげ、俺は思わず仰け反った。

「うわっ……泣くなよ」

「ひままで!@#$%^&*!ふわぁたしがひょんなおぼいで*&^%$!!!」

「いいから、落ち着け」

「ぞんなごと!$%^&Y――!びっっだっでぇ!ひっく……びぇぇぇ――!!」

 俺は泣きじゃくるモジュローを抱きかかえて、背中をさすったが、滝のように流れる涙は容易に止まらなかった。


 必死に彼を宥めて落ち着かせようとしていると、廊下から、ドドドッという地響きが押し寄せてきた。

 寝室のドアが大きく開かれて、大勢の人間が雪崩れ込んでくる。

 いつものメンバーたち――森川とモモちゃんを先頭に、つんのめる勢いで部屋に入ってきた面々は一様に目を見開いて、起き上がっている俺を見つめる。

「お……おう……」

 何をどう言ったものか考えていると、嗚咽していたモジュローはまた、雄叫びをあげて泣きじゃくり出し、それに連鎖するように皆が号泣し始めた。

 森川は顔をグシャグシャにして声をあげて泣き、モモちゃんは駆け寄ってしがみ付いて泣き、その情景を見て更に泣きの連鎖が加速する。

 俺は呆然としながら、モジュローの頭を撫でる事しかできなかった。


 それから、ひっきりなしに人が来ては泣いたり笑ったりと、抑圧された感情が氾濫するように領事館から溢れ出した。

 メンバー達も全員モジュロー同様、心労が募った疲労の痕が見えていたが、中でもオルトの疲弊っぷりは特に酷く、想像以上の負担を掛けた事を心苦しく感じた。


 俺が少し人疲れで疲労の色を見せると、モジュローはハッとして、

「ま、まだ、生死の境を潜り抜けたばかりなのですよ!今日のところは、早めに休ませましょう!!」

 と、言い、人の波は惜しまれつつも引いていった。


 俺はモナ先生の診断を受けた後、静かに横たわった。


 今日、目覚めてから今まで、自治区内の知人は概ね無事を確認しにやってきたが、ゲンマだけは訪れなかった。



 夜、日が沈んで間も無く、俺は早めの睡眠を強いられた。

 隣にはモジュローが腕にしがみ付くように眠っている。

 こいつ、当分の間、離れないだろうな……。


 俺は寝台に仰向けに横たわったまま、ステータス画面を開いた。


――――――――――――――――――――――――――――――

名前:神無月 了 職業:詩神 レベル:1 種族:半神

AGE:――

STR:128+2+1+1

CON:125+2+1+1

DEX:153+2+1+1

INT:422+2+1+1+1

MND:326+2+1+1


NOB:128

COM:80


HP:807(607+200)

MP:1709(1509+200)


――――――――――――――――――――――――――――――


 ………………

 母さん…………

 異世界に来てから色々ありましたが……


 いよいよ、自分が何者か分からなくなりました。


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