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ミステリ作家の異世界日記――小説を書こう、異世界で  作者: 黒井影絵
第7章 クオート、野望の軌跡

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a012――試練と聖剣〜サリシスの回顧録から抜粋

 あの当時、彼に対して抱いていた感情が恋愛という自覚はなかったが、あたしの周囲の人にはそう受け止められていた。

 もっとも、その物語はあなたたちの方がよく知っているのでしょう?


 おそらくあたしたちよりも詳しく。


 傷ついた亡国の王子と英雄の血を引く治療師の少女とのロマンスは、人々の興味を引きやすいのか早い段階から様々な形で物語が綴られ、今も語り継がれている。

 それに触れるたびに、あの人は『事実と違うんだがなぁ』と零しては、複雑な心境を顔に出していた。


 そう、あれは口当たりのいい、甘いロマンスなんかじゃなかった。


 見た目より内面が老成していた彼にしてみれば、あたしは年端の行かない少女であり、守るべき対象であり、寂しがり屋の心の隙間を埋めるのにちょうど良い相手だったと思う。

 そして、あたしにとって彼は……命綱だった。とても細い、とても切実な……。


 あの時のあたしは、自分に蘇生魔法を習得する素質があると告げられた日から、生と死を隔てる境界にある、何もない虚無の暗闇が、自分の身近に存在することに気がつき、そこに引き摺り込まれることをただただ恐れていた。

 あたしがそんな状態の時に、瀕死のあの人は突然目の前に降ってきた。

 息も絶え絶えの弱った身体を横たえて暗闇で震えてるあの人の存在は、この空虚な世界にあたしが一人ではないと信じられる唯一の存在であり、決して奪われてはならない大事な……糸だった。

 あたしと、この世界を辛うじて繋ぐ線は、それほど頼りない、細い糸だった。



「気に入らぬ……」

 予見の部屋で龍王ガーラ様は仰った。


 彼を守りたい、二度と足手まといになるまいと、そんな一心で剣の修行をしてきたのに、彼はあたしを置いてエルス共和国に旅立ち、そのまま彼の地への道は断絶してしまった。

 王都で何もせずに不安を抱えているのに限界だったあたしは、ガーラ様の予見の能力に縋ったの。


 人の子の未来を、イデアの輝きを見透す偉大なるお力に。


 大事な人を守るために自分がするべきは何か、どうしても知りたかった。

「しかし、止められぬのも知っている……恋する女子(おなご)の暴走は今まで無数に見てきた……」

 あたしがガーラ様の予見に臨んだ早々このように述べられたのを聞き、偉大なる龍王である彼女もあたしと彼との関係を、市井の声とそう変わらない印象で見ていたことは少し意外でした。


「何より気に入らぬのは……私がこれから何を言うか予見を使わずとも予測が出来ることだ」

「……?」

「まぁ、それはよい……しかし、私は恨まれるであろうな……ジョイスとカンナヅキ殿に……」

 あたしはガーラ様から予見を通して、向かうべき場所を、お言葉を賜った。


『慈悲の聖堂へと続く祠の扉は開かれ、試練への道は通じる』

 それがガーラ様の予見だった。



 あたしは予見に基づき、龍王国の中央にあるドローレム湖へと向かう。


 ――悲しみの青い湖。


 白樺の群生地の中にあるその湖は、古来よりポーションの名産地でも知られ、その湖水は錬金術の廃液の影響で幻想的な青い水面だった。

 その湖の中央に浮かぶ小島に祠、慈悲の聖堂があり、その地下に聖剣が祀られているという伝説がありました。

 多くのものがこの聖剣を得ようと試練に臨んだけど、その祠の扉が開くことは稀で、さらに内部に入った者も無事で戻ってくることはなかった、そんな場所です。


 ガーラ様やモリカワさんは危険であることを理由にギリギリまで引き止めようとしたけど、あたしの決意は揺るがなかった。


 遊覧船は冬の青い湖を突き進む。

「以前にも来たことはありましたが、その時は祠の扉は開きませんでした……」

 ガーラ様が護衛に付けてくれたシグレさんはそう呟いた。

「お父さんとここに来たの?」

「ええ……ジョイスとゲンマ様と、他の仲間と……もっとも、観光とポーションの買い付けが主な目的でした。昔の話です」

 お父さんが冒険者だった頃というと、あたしが生まれる前の話。

 彼女は感情の見えない冷めた黒い目を細めて昔を懐かしんでいる。

「ジョイスが二日酔いの上に船酔いまでして、色々大変でした」

「ふふ、今とあんまり変わらないね」

「そうでしょうか……ジョイスは大分変わりましたよ、かなり落ち着いたように見えます」

 支配種族の眷属になることで老化が抑えられているシグレさんは若い頃と変わらない見た目だけど、その瞬間は年相応の人生の積み重ねを感じました。

「父さんにも、若い頃があったんだね」

「それはそうですよ。彼はとても冒険者らしい冒険者でした」

 彼女は微かに微笑む。

「思うに、あれが青春というものだったのでしょう。あの時は祠が開かれることを期待していましたが……今はその逆のことを願うとは……」

「あたしは引き返さないよ」

 シグレさんの目を見据えたまま、そういった。

「ええ……ジョイスの子ですものね、止めても無駄だとは分かっています」


 ドローレム湖は龍王国の名高い観光地として有名ですが、この時期は閑散期にも関わらず、遊覧船にはあたし達の他に三人の男が乗り込んでいました。

 立ち居振る舞いからレベルの高い猛者の雰囲気を漂わせている怪しい者たちです。

「……どうも官僚経由で情報が漏れたようです……お気をつけください」

 シグレさんは声を潜めて囁きました。



 あたし達が聖堂に足を踏み入れようとすると、その三人の男が目の前に立ち塞がりました。

「俺が先だ!お前らは引っ込んでろ!」

「ふざけるな!聖剣は俺のものだ!」

「危ないですから、試練は大人に任せて、お嬢さん方は帰りなさい」

 黙って着いてきておいて、三人とも勝手なことを言ってます。

 彼らの思惑は見るからに明らか。

 隙あらば出し抜こうとする冒険者は昔も今も珍しい存在ではないです。

「あなた達は誰?どうしてこんなことをするの?」

「伝説の白の聖剣を手に入れる機会を見過ごすなんてありえないだろ!この盗賊トルキーの獲物に相応しいぜ!」

「全てを切り裂く白の聖剣を使いこなせるのは、この剣の達人ゲイル様だけだ!女子供はさっさと帰れ!」

「私には崇高な使命……慈悲の管理者の試練を乗り越え、聖剣の力でメシアとなり、苦しむ人々を救わねばならないのです……」

 ……

 ……その当時のあたしの目から見ても、三人は真っ当な人間には見えませんでした。

 マトモな話し合いが成立するかも怪しい人たちです。

 モナ伯母さんでも『つける薬がない』といって匙を投げるだろうなと、その時思いました。

 あたしは横目でシグレさんを見ると、彼女は半ば呆れたように黙って首を振ります。


 彼らは祠の奥の方へと先を争うように駆け込んで行きました。



 一時間が経過しても、三人は戻ってきません。

 あたし達は祠の奥に進み、目的の扉の前に到達します。

 予見の通り、祠の扉は開かれていました。

 中に入ると暗い通路の先に転移装置が置かれていた。

 その先に試練が待ち受けている――あたしは自分を必死に奮い立たせてそこに歩み寄り、転移装置に触れると、辺りには光が満ちあふれました。



 転移した先は、どこかの宮殿のような建物の中で、あたしは何となく治療院の本山を訪れた時の事を思い出しました。

 旧支配者の時代から続く治療院の総本山は、かのパレス・カテドラル様が自ら建てたとの伝承がある立派な宮殿です。

 この建物はその面影がありました。

 長いカーペットが敷かれた通路を歩くと、天井の高い部屋に行き着き、そこは銀の棘がついた柱が並んでいます。

 柱の間を進むと、床に血だまりがあり、滴る血の出元を見上げると、そこに盗賊のトルキーと名乗った男が銀の棘に貫かれて絶命していました。

 あたしはびっくりして、足がすくみ、しばらく立ちすくむ。

 それでも、勇気を振り絞って前に進むと、誰かが近づいてくるのを感じます。

「――ひやぁぁああぁぁぁ!!!助けてくれぇ!こんなの聞いてない!話が違う!!うあああああぁぁぁ」

 それは自身を剣の達人と言っていたゲイルでした。

 彼は片手を失い、完全に取り乱した様子で、あたしの横を通り過ぎてました。

 その姿に達人の面影はなく、悲鳴は次第にゲラゲラと常軌を逸した笑いへと変わり、彼の元から正気は去ってしまったみたい。

 行先で何が起きているのか不安を感じつつも、あたしは歩みを止めずに先を進みました。



 あたしはついに目的地に到達した。

 そこは広い集会場のような場所で天井は果てしなく高いのに、辺りは光で満ち溢れた不思議な空間でした。

 中央を横切る通路の両側に沢山の椅子が並び、その突き当たりには祭壇とパイプオルガンがあって、そこに人が立っていたのです。

 壮年の金髪の男性で若い頃はすごい美男子だったんだろうなって感じの人。

「ようやく来たか。英雄の娘サリシスよ」

 初対面の筈だけど、あたしの事を知っているみたい。

「今日は君のために祠の扉を開けておいた。招いていない羽虫が三匹紛れ込んできたが、今、処理を終えたところだ」

 彼の声色はとても優しげではあったけど、その眼差しには一切の人間味はありませんでした。

 この人は人を殺める事を何とも思わないのだなと思い、胃の腑がきゅっと引き締まる。

「もう一人はどうしたの?」

「不遜にも自分がメシアだと勘違いした輩か?アレはタルタロスに堕としておいた。善意に基づく悪は悪意に基づく悪より始末に負えないものだ。中途半端に自分が正しいという確信がある故に目の前にあるイデアの輝きから目を背けてしまう。要するに偽善だ」

 そういうと彼はにっこり微笑んだ。

「私が誰か分かるかな?」

「……慈悲の管理者パレス・カテドラル様?」

「その通り。君は賢い娘だ」

 治療院に所属する者は皆、その存在について一度は思いを馳せます。

 太古の時代、人々に治癒魔法を伝授して、治療院を通し苦しむ人々を救う力を与えてくださった尊き御方。

 しかし、治療師には見習いの頃から何度も聞かされる教えがあります。

『慈悲の管理者は人間の罪深さによって、人の心に寄り添う優しさを失ってしまった。だから我々がその分苦しむ人々の苦痛に対して親身に接する必要がある』

 その教えは一見、治療師の基本的な心構えを記したもののようだけど、裏返すと功徳を積んだ治療師がどれほど理不尽な苦難にあっても、慈悲の管理者への祈りは通じないという戒め……絶望の言葉でもあるのです。

 人の子に見切りをつけた上位存在が、平凡な村娘である自分の前に立っている。

「試練を受けに来たのだろう?」

 周囲の光は力を増して空間に満ち溢れあたしの視界は真っ白になった。



 光が徐々に消え去ると、場所は変わって地底の溶岩溜まりの中にある岩場のような所に立っていました。

「試練とは何かを得ることではなく、掛け替えのない物を永遠に失うこと……あの三人の愚か者達はそこを履き違えていた」

 パレス・カテドラル様の穏やかな声が洞窟に反響する。

「盗掘目的で慈悲の聖堂に潜り込む者には慈悲を与える価値はない。力の為に全てを犠牲にする者が進むべき道を見失うのも当然だ。自分がメシアだと信じ込めばそうなれると本気で考えている輩は論外だ。傲慢にも程がある」

 溶岩の熱の揺らめきの向こうにタルタロスの業火に焼かれる男の幻視が見えた。

「白の聖剣を得たいならば、君の大事なものを犠牲にせよ」

 あたしの前に吊るされた鳥かごが上から降りてきました。

 お父さん、モナ伯母さん、オルト兄さん、ゲンマ様、そしてカンナヅキ……

 今までの人生で、あたしが関わった人たち……。

「君の一番大事な存在を犠牲にすることで全てを守る力を得ることができる……さぁ、君は誰を犠牲にする?」

 あたしの目は自然にカンナヅキに……弱り切って苦しむ彼の姿を見つめる。

「そんな……」

 あたしは息を飲んだ。

「そんな力なら、いらない。あの人を死なせるくらいなら、自分が犠牲になった方がマシ」

 あたしは岩場から身を投げて溶岩溜まりへと落ちていった。



 あたしは絶命するつもりだった。

 でも、地面に着地した瞬間、意識はあの豪華な集会場に戻っていた。

「――合格だ」

 パレス・カテドラル様は祭壇に一振りの剣を置く。

「白の聖剣――ディバイドスターだ。この剣は自己犠牲の精神を持つ者にしか所持することは出来ない。君ならば使いこなせるだろう。持っていくがいい」

 あたしはおずおずと祭壇の剣を手に取り、鞘から剣身を引き抜いた。

 切れないモノはないと称えられる伝説の聖剣。

 その美しい細身の剣は自ら光を放っているように輝いてました。

「君はその剣で何を斬る?その力で何を成し遂げるつもりだ?」

 パレス・カテドラル様は冷笑気味に問われました。

「あたしは……この剣は大切な人を守る為に、大事な人を攻撃する敵を討つ為だけに使う。自分のためには決して使わない!」

 あたしが剣を掲げてそう誓うと、聖剣は、まるで祝福するように一層強く輝きを放ちました。


 こうして、あたしは試練によって白の聖剣の正式な持ち主として認められたのです。



 後日、カンナヅキたちがエルス共和国から帰ってきて、この一連の試練の事は当然彼も知ることになったのです。

 きっと怒られるんだろうなーと予想していたのですが……彼は長いことあたしの顔を見つめた末に、

「ごめん、俺が悪かった、サリシス……」

 逆に彼に謝られてしまいました。

「もう、絶対に置いて行ったりはしない」

 そういってあたしを抱きしめたのですが、内心、少し困惑しました。

「うん……その為の試練だもの。あたしも絶対離れないよ」

 若干の気持ちのすれ違いを感じたのですが、結果として一緒にいられるなら別にいいかと思ったのです。


 その後、その言葉通り、しばらくの間、彼はあたしを手元から離さないようになり、あたしも足手まといにならないよう奮闘しました。


 そうして戦うことによって、彼の敵を打ち破り、あたしたちは生まれ故郷のプリムム村を、後の祝福された地、龍王国アースガード自治区を守り抜いたのです。



 プリムム村がアースガード自治区として生まれ変わって間も無く、あたしは胸騒ぎがして、彼の部屋に訪れました。


 彼はもう眠ったのか、部屋は真っ暗闇に包まれていました。

 闇の中、長い黒髪に縁取られた白い顔は苦悶の表情を浮かべて脂汗をにじませてます。

 暗闇の中で悪夢にうなされる彼を見て、あたしは天啓が閃き、気がついてしまったのです。


 ――彼は闇から来たんじゃない、闇そのものなんだ、と。


 あたしが何より恐れている闇は、あたしを捕まえるために彼を差し向けてきたのだと。


 闇の、執念のおぞましさに身を引いて逃げ出そうとした、その時、


「寂しい……」


 彼は確かにそう言ったのです。


 その一言は思いもよらないものでした。


 あたしは闇を恐れるばかりで、闇が何を思っているのか、闇の気持ちなんて全く考えたことがなかったのです。


 そうか。


 あたしはそっと独り言ちました。

 そうか、闇も寂しいんだ。


 あたしは寝ている彼に寄り添い、そっと抱きしめました。


「かあさん……」


 彼が腕の中でそう呟くのを聞いた時、あたしの中から闇を恐れる気持ちは消えて、それ以降、二度と闇を恐れることはありませんでした。


 彼が悪夢から解放されて、安らかな寝息を立てているのを見守りながら、あたしは闇に包まれている自分の中に小さな灯火が宿るのを感じたのです。


 暗闇の中、ほのかに灯る小さな、でも、力強い灯火を。


 それがあたしの、初めて自覚した『愛情』だったのです。


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