〜悪意と呼べる正義〜
北国の冬は、とても厳しい。
冬椿が【狐】として生まれ育った遠い昔の故郷は、そんな北国の、とても小さな港町だった。
幼き頃は、自由奔放に野山を駆け回り、母から狩りを教わり、兄姉達と戯れ、少しずつ妖術を身につけていった…
言わば、勝手知ったるなんとやらという所だろう。
彼女が妖術を身に付け始めてから、人間に対する興味がふわふわと顔を出し始め、人間を観察する為によく母の目を盗んでは、覚えたての変化の術で人間に化けては、町へおもむいていた。
冬椿「山の中とは景色が違いすぎて、迷子になりそう。
ん〜…どの家も店も、私には見分けがつかないな…
母様が言っていた危険な人間の家、狩人の家の特徴も、火薬とか言う薬物と鉄と麻縄の匂いがするってしか聴いてないし、イマイチ分からないけど…」
不慣れな町の香りと景色に、多少の戸惑いはあったものの、冬椿は己と姿も言語も歴史も違う人間に惹かれていった。
何度も町に降りていたからか、町の1部の子供たちや老人達と仲良くなり、人間の遊びや歴史を教わった。
それらは彼女に十分すぎるほどの好奇心と絆を生んだ。
しかし、人間と関わりすぎたせいか、野生の勘という物が少し鈍ってしまっていた。
母の忠告も好奇心には勝てず、人間に深く係わりすぎてしまった彼女は、危機察知能力の低下を招き、冬の雪山でイノシシ用の鉄の罠に誤って引っかかってしまった。
バチン!と大きな音を立てて、勢いよく冬椿は前足を挟み込まれ、もがけばもがく程にぐいぐいと足に食い込む鋭い棘のような鉄のせいで、激痛と流れる鮮血にただただ泣くしかできなかった。
冬椿「うぅ…痛いよ…お腹空いたよ…死にたくないよ…まだ沢山人間のことを知りたいのに…沢山妖術を覚えたいのに…痛いよ…」
切なくコンコンと泣きつずける冬椿の元に、やっと覚えた火薬の匂いのするおじじが近ずいてきた。
おじじ「おやおや、イノシシが掛かったかと見に来たのじゃが、可愛らしい狐さんがかかっておるのう?
油断して罠にかかってしまったのかい?」
火薬の匂いと麻縄の焦げた匂い…冬椿は自分はこのまま殺されて、食べられて、皮は高値で売られるのかと諦めて鮮血に染った雪の上に寝そべった。
おじじ「美しい金色の眼をした狐さんや、あんたはどうやら賢いこのようじゃね?
でも安心せい、あんたを食べたりせんよ。
知っとるかい?
狐の肉には食った者を不治の病にする呪いがあると人々の間では言われておるんじゃ、だから安心せい。
私の家で手当をしてあげよう、もちろん元気になるまで囲炉裏のある私の家でゆっくりと休んでいい。
大丈夫、毛皮にもせんよ?」
おじじの言葉に、拍子抜けしてポカーンとしていると、手際よく罠を外してとりあえずと足に布切れを巻いてくれた。
おじじ「さ、傷口を洗って薬を塗らにゃいかんから、私の家へ行こう、狐さんや」
火薬の匂いを漂わせたおじじはそう言うと、特に暴れるわけでもなくほおけている狐をそっと抱き抱えるて家路へと急いだ。
冬椿(火薬の匂いがするじじぃなのに、殺されない?
なんでだろう、兄姉達も母様も危ないからって言ってたけど…このじじぃは狐は食べないし、皮も剥がないって…それに狐の肉は人を呪う?
そんな事教わってないし、今まで関わった人間からも聞いた事ないけど…)
優しく丁寧に抱えられながら、おじじの言葉の意味を黙々と考えてみるが、温もりの心地良さにウトウトする冬椿であった。
おじじの家に着くと、イノシシの肉を分けてもらおうと子供達が集まっていた。
しかし、獲物が狐だと知ると、興味深々におじじの腕の中を覗き込み煌びやかでふわふわの小さなソレに夢中になってしまった。
おじじ「子供達や、見るだけなら良いが、狐は病を呼ぶと言われておるから、見るだけじゃぞ?
決してこのじじ以外は触れちゃいかん、いいな?」
元気な声ではーいと返事をして、眠る狐に可愛いねぇおじじ!と子供達ははしゃいでいる。
ちゃんとおじじの言いつけを守るいい子達ばかりで、決して冬椿には触れようとせず、でもお世話がしたいようで、おじじの周りで水を運んだり薬を持ってきたりと、色々な意味で人間に対する考え方が変わり始めていた冬椿。
しかし、おじじが言った「狐は病を呼ぶ」その言葉が頭をぐるぐるしてしまうのであった。
おじじや子供たちと、おじじの家で数週間過ごし、足の怪我も良くなり始めた頃、冬椿はすっかり人間を愛おしく思うようになっていた。
元々人間に対する興味が行き場を求めていたため、おじじが子供たちに話す昔話や和歌には、様々な人間の思いや神の話、悪さをする子供をおどかす作り話。
どれもこれも家族は教えてくれなかったものでした。
冬椿(人間って凄く色んな歴史を短い時間で繰り返しているんだなぁ、子供達もやがて大人になって、おじじは死んじゃうけど、その伝統はこうやって人から人へと紡がれていくのだな!
楽しい、おじじと子供達とずっとこうして色んな話を聞きたい!
でも…そろそろ戻らないと、私は人間じゃない。
妖狐に生まれ、この先も妖狐して生きる「狐」だ。
それに、狐は病を呼ぶ…あれはきっと本当なんだろう。
この数週間、私の血に触れていたおじじは老化と言うには無理がある程に衰えている…あぁ、また咳き込んで血を吐いている…離れ難いのに、離れないと行けない。
そう、子供達のためにも…)
子供達が帰った後、激しく咳き込み吐血しているおじじの後ろ姿を見つめて全てが核心へと変わった瞬間だった。
泣きそうになるのをぐっとこらえて、冬椿は人間の少女に化けた。
冬椿「おじじ、わた…妾を助けてくれてありがとうなのじゃ!
ほれ、妾はお主のおかげで飛び跳ねたり走ったり出来るようになったのじゃ!
だから、もう心配入らぬ、明日の早朝にここを出る。
…おじじ、すまぬな、妾の血に触れたせいじゃろ?
その咳と吐血は。」
ぴょんぴょんしたり走ったりして、おじじに分かりやすく元気になった事を見せた。
そしてそっとおじじの背中を擦りながら、問いかける。
おじじ「おお、そりゃぁ良かった…おじじのこれはな?
元々病気を持っていたのもあるんじゃ、それがちょっと狐さんの障りにあっちまったんじゃろう。
なに、狐さんがそんな悲しい顔をせんでもいいんじゃ…あんたは病気になるからと言われながらも怒らず、それどころか触りを理解し、子供達とはしっかりと距離を取って接してくれいたじゃろ?
私はそれが何よりも嬉しいんじゃ。
子供は宝じゃ、老い先短いじじぃよりも大切な命なんじゃ。」
おじじは冬椿の頭を撫でながら、弱々しく笑いかけてくれた。
そんなやり取りを交わして、朝までの短い時間を沢山話して過ごそうと、おじじの膝に変化を解きながら飛び込んだその時だった。
まだ夜中だと言うのに、視界が黄金色に染る…そして紙や木の焦げる匂い…
おじじが血を吐いているのを見てしまった子供の一人が大人に話してしまったらしい。
おじじが「病を呼ぶ狐」を保護している事を…
そして放たれたのだ…おじじが居る家に、燃え盛る炎が。
村人「じいさん!!
あんた障りにあっちまっただろ!
いくら子供だからって、そんなもんかくまうからだ!
俺らの子供に移ったらどうするつもりだったんだ!
あんたには世話になってるしこんな事したかねぇが、子供達の為だ!
血吐いてるって事はもう手遅れだ、すまんがその狐ごと神様の供物になってもらう!」
外から聞こえるのは無責任な言動を繰り返す大人達と、おじじと狐を泣き叫びながら呼ぶ子供達の声だけ。
必死になって火を消そうと水瓶から桶で水をかける冬椿の手を、おじじが握ると床下の土穴に冬椿を押し込む。
おじじ「狐さんや、そこにおれば火はしのげる。
外の声も、火の勢いも、しっかり収まってから逃げるんじゃ。
わしはもうそれ程の体力は残っとらんから、このまま神様にささげられることにするかのぅ…
子供は宝じゃからのぅ…」
消え入りそうなおじじの声と共に、無情にも土穴の扉は閉められ、咳き込みながらどさりと土穴の上に倒れ込むおじじ。
冬椿は必死に扉を開けようとするが、おじじが重りになってあかない。
冬椿「おじじ!
おじじ!
嫌じゃ!
ここを開けてたもれ!
死んではならぬ!
おじじ!
そんなのは間違っておる!
他人の命を奪っても神は喜ばぬ!
おじじ!」
声が枯れるほどに叫び、扉を叩くが、帰ってくる言葉はない。
聞こえていた咳も、もう聞こえない。
酸素が薄くなる土穴。
冬椿「おじ…じ……妾を…助けて…くれ…ただけでこんな…酷すぎるのじゃ…おじじ…………」
酸欠により冬椿の記憶は1度ここで途切れる。
次に意識を取り戻した時には、すっかり灰になってしまったおじじの家から、村の子供達によってこっそり助け出さた夜だった。
泣きじゃくる子供達を横目に、ふらつく足で数歩おじじがいたであろう土穴の付近に近づき、何もかも悟った空虚な瞳は、おじじが美しいと褒めてくれた金色では無く、燃え盛る炎のように真っ赤に染まっていた。
その後、赤き瞳の「狐」は、子供達をなだめて村へ返すと、山へ戻り滝壺の縁で、優しかったおじじを悼みひたすらに泣いたと言う…。
「人間はいつの時代も常に残酷だね。
お前は現代において、非道で残酷で無垢な正義をどう捉える?
冬椿が人間との関わりにこだわる要因かもしれないこの記憶の中で「憎しみ」を抱いていなかったと言えるのだろうか…
けれど、彼女の口からは一言だってそんな薄汚い言霊は発せられなかった。
ただただ、己を守って、子供達を守って、その命を捧げたおじじを思い哀れみ泣くばかり…
赤く染まった瞳はいったい何を表しているのだろうね?
救いの無い記憶だ…」
第3章
〜悪意と呼べる正義〜
END
第4部・予告
「人形と共に川を流れ行くは…
まだ幼き赤子達…」