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1話 目覚めたら異世界

 その日、目覚めた私の世界は何もかもが違っていた。


(なにこれ! ベッドで寝てる! 使い古して綿が潰れた布団はどこへ!?)


 そう、目覚めた私は、ワンルームの部屋ではなく、やたら豪華なベッドで寝ていた。羽布団はふわふわ。ボリュームたっぷりで、雲の上のよう。見上げると、薄く透き通るレースが見えた。これは天蓋(てんがい)ベッドというやつではないか。web写真しかお目にかかったことがないやつだ。


 服装も上下500円の特売で買ったスウェットではなくて、シルクのネグリジェ。肌を傷つけない繊細で滑らかな肌触りがする。高そう。


(これは一体……何が起きたというの?)


 寝る前のことをよくよく思い出してみる。


 私の名前は、田中梅子。ルビはいらない。そのまま読んでくれていい。誰も間違えない単純な名前だ。


 え? ウメコ? ぷぷって何度言われたことだろう。それはいい。過去の黒歴史は葬った後だ。そんな私だが、真面目にコツコツとやってきて、正社員にもなったし、30歳で彼氏もできた。あ、間違った。元彼氏だ。


(そうよ……思いだした。元彼氏が真実の愛とやらに目覚めて、別れを告げてきたんだっけ?)


 真実の愛なんて、小説以外でいう人を初めて見た。その途端、冷めた。冷めきった。彼のために用意していたハンバーグがゴミクズのように見えた。だから、そのままサヨウナラして、ビールを飲み干した。


 ぐでんぐでんに酔いながら、やたら焦げ臭いなと思ったら、火事になっていた。築30年の木造アパートじゃ燃えるのは早かったんだろう。その後の記憶がないから、たぶん、私は死んだのだ。


(死んだのか……へこむわ……)


 痛みも何も覚えてないから幸いというべきか。まぁ、いい。私は死んで、生まれ変わったのだろう。ただの夢かもしれないが、その方が夢がある。


 一息ついて、体を起こした。すると、胸元が重く違和感があった。


(なにこの豊満なお乳! えっ!? うそっ!)


 平たい胸が急成長を遂げている。なんて、夢のある夢だろう。私は急いで、鏡がないか探した。金色の枠で作られた全身鏡の前に立つ。


(なっ、なななに、この美女!?)


 豊かな黒髪は癖があり、ウェーブがかかっている。すっと切れ長な瞳はエメラルドグリーンの色をしており、宝石のようにキラキラしていた。鏡の中にいたのは絵にかいたような美女。ううん、たとえるなら悪役令嬢みたいだった。


 私は鏡の前で震えた。喜びで。


(素敵! 大好きな悪役令嬢みたいじゃない! 最高! 夢万歳!)


 そう。私は悪役令嬢マニアだ。好物はツンデレ。ツンデレ女子最高と思っている。あ、もちろん、悪役令嬢という名のいい子も大好き。頑張っている女の子はいつだって尊い。


 書籍もレンタルできるものは読み漁ったが、某ウェブ小説サイトでは悪役令嬢タグを見つけてはフォルダに入れる日々。隙間時間にはかかさずアクセスして、日々、新着情報やお気に入りの作者の小説をチェックしている。

 タダで好物を補給できるなんて最高だ。ありがとう、作者さま! と生きる糧にさせてもらっている。そんな大好物が目の前にいる。自由自在に動ける。なんて幸運。


 私は興奮を抑えて、背筋を伸ばした。一息ついて、口角をゆるりと上げる。


「――真実の愛ですって? ずいぶん、薄っぺらい真実ですわね?」


 悪役令嬢ぽい台詞を言ってみた。

 言い終わった後、我慢できずに両手で顔を覆いしゃがみこむ。


(――尊い!)


 完璧すぎて身悶えた。鏡の中は文字からイメージした悪役令嬢がいるのだ。これを尊いといわずになんと言おう。血が(たぎ)る。もう一度、やろう。どんなシチュエーションがいいかな? 婚約破棄ものがいいか。悪役令嬢に婚約破棄は定番だしね。


 そこではたと気づく。


(もし、この夢が乙女ゲームの世界だったら、私はまさに悪役令嬢ってこと?)


 無駄に豪華な調度品に囲まれた部屋をぐるりと見渡す。これは……まさに、令嬢の部屋っぽい。


(ってことは、私に待ち構える運命は婚約破棄され、断罪の上に、国外追放とか? ギロチン処刑とか? 火あぶりとか?)


 火事で死んだのに、また火で死ぬとか嫌すぎる。ただ、私は乙女ゲームを最近やっていない。社会人になって1、2年はやりまくっていた時期があるが、最近は携帯アプリをダウンロードしたことはあるだけでさっぱりだ。お金がかかりすぎてやめた。悪役令嬢もいないし。だから、最近のゲームは知らない。この夢世界がどのような乙女ゲームなのか、さっぱり分からない。


(困ったな……読んだことのある小説のキャラクターならいいんだけど……そうだ。名前! 名前を思い出せばわかるかも!……えっと、私の名前は……)


 思い出そうとした時、鍍金(めっき)で作られたレバー式の取っ手がガチャリと動いた。


「ジェシカ様。お目覚めですか?」


 ウメコからジェシカ。大出世じゃなかろうか。


 メイド服を着た初老と思われる女性が声をかけながら部屋に入ってくる。そこでまたも問題に気づく。


(まずいわ……もし令嬢なら、淑女教育とか受けているはずよね……でも、私は義務教育と専門学校しか行ってない……令嬢に化けているただの小娘と知られたら、夢が終わってしまう……どうしよう……)


 顎に手を付けて思案していると、またも声をかけられた。


「お嬢様、どうなさいましたか? 顔色が優れませんね。ふふっ。もしかして、今日のパーティーで緊張しているのですか?」


 ふふっと笑う侍女と思われる女性を見つめた。すると、ふっと頭に名前が浮かんだ。この人は……ポーラだ。幼少期から面倒をみてもらっている。私の専属の侍女。


(――これは、知識チートというやつね!ラッキーだわ!)


 これなら、令嬢に化けている小娘と気づかれない。しめた。私は目を細め、口元に優雅な笑みを作ってみる。


「そうなの……ごめんなさい。パーティーのことを考えて、ボーッとしていたわ」

「ふふっ。お嬢様の社交デビューですものね。緊張されるのは当然のことですわ。誰よりもお美しいお嬢様はさぞかし注目を浴びるでしょうね」


 どうやら、私はデビュタントというものをするらしい。素敵だ。中世風の世界を生で、タダで見られるなど、生きていてよかった。一度、死んでるけど。素敵な夢であることには変わりない。心の中で、ガッツポーズをする。


「さぁ、お召しかえをしてくださいませ」


 そう言うとポーラは、ニコニコとするだけで立ったままだ。あれ? 着替えを手伝ってくれるのではないのだろうか。


「お嬢様、どうしました? お召しかえを」

「え? えっと……」

「着替えの魔法をお忘れですか? ふふっ。本当に緊張されてますのね」


 ポーラはそう言うと、パチンと指を鳴らす。すると、服が一瞬のうちに変わった。ドレスコートに早変わりだ。


「ふふっ。これでよろしいでしょう。ささ、旦那様がお待ちですよ。行きましょう」


 唖然とする私を置いて、ポーラは部屋のドアを開く。



 どうやら私は悪役令嬢 兼 魔法少女になったようだ。



 ダイニングに通されると、うわ高そうと、思わず声が出そうになるほどのシャンデリアが天井に吊るされている。シミ一つない真っ白なテーブルクロスの上にはパンとサラダとスープと果物。焼きたてのパンの匂いが鼻をくすぐり、腹の虫を鳴らそうとする。


 しかし、あれだ。

 このフォークとスプーンの数はなんだ。

 お茶碗とお箸はどこですか?と言いたくなる。


(確か一番、端からとるのよね……? え? 本当に合ってる?)


 日本の食事しか縁のなかった私にとってこの朝食はハードルが高すぎる。……あぁ、スマホで検索したい。動画とかに西洋の食事レッスンとかありそうだ。でも、スマホなんてない。


(弱った……魔法とかでスマホ出せないかな? 出せないよね……はぁ……)


 朝食をガン見していると、誰かが入ってきた。


「おはよう、ジェシー」


 声をかけられ固まった。


(な、なんですか!? この美形中年!)


 黒曜の髪は短く刈り上げられ、切れ長な瞳は意思の強さを感じる。若い頃は、さぞかし令嬢たちの黄色い声を受けていただろう。いや、今もいける。黄色い声を私が上げたい。


 そして、知識チートで思い出す。この人は私の父親だ。


「お父様、おはようございます」


 興奮を抑えながら、なるべくしとやかに挨拶をする。


「ポーラに聞いたが、今日のデビューで緊張しているんだって?」


 うっとりするような艶のあるボイスを聞きながら、目を細めて口元に笑みを浮かべる。


「えぇ……初めての社交界ですもの。緊張してしまいますわ」

「ふむ。気負うことはない。ジェシーを見れば男は目の色を変えるだろう。私の黒曜は、美しいからね」


 そんな色気のある眼差しをされたら、お嫁になんて行きたくなくなる。お父様だけを見つめてお屋敷に籠る。いいプランかもしれない。火あぶりで燃え尽きるぐらいなら天国だ。


「ふふっ。お父様のご期待に添えるように頑張りますわ」


 そう言って朝食に手をつけた。知識チートのおかげで、すんなり食べられる。ラッキーだ。夢、最高。



 それから転移魔法で王宮へと向かった。馬車じゃないのが無念。揺られながらこの世界をじっくり嘗め回すように見たかったのに。


 でも、パーティー会場に入るなり、そんな落ち込みは吹き飛んだ。正装した麗しき令嬢や男性諸君が見放題。ヨダレが出そう。


(やばいー! やばすぎる! 触れられる映画みたい!)


 興奮せざるをえない。ガン見だ。ガン見。至福だ……死んでもいいかも。死なないけど。


 ボーッとしていると、デビュタントホールで初舞台に上がった。この日のために用意されたのは純白のふわっとしたイブニングドレス。ひじまである真っ白な手袋。頭には花冠が付いている。


 日本人だった私が踊れるわけはないが、そこは知識チート様様だ。どうしてこうなったのか分からないが、神様の思し召しというやつだろう。細かいことを考えていたら楽しめるものも楽しめない。


(せっかくの乙女ゲー世界! 心ゆくまで楽しまなくちゃもったいないわ!)


 そう決意して、私は目の肥やしを見続けていた。



 だが、慣れない世界とは予想以上に精神的にも、肉体的にも負荷がかかるらしい。声をかけられ、躍り狂っているうちに疲れた。


(美女って意外と大変ね……次から次へと声をかけられるんだもの……)


 選り取りみどり。イケメン大集合。イケメンに見えるのは正装しているからだ。恐ろしや、西洋衣装。キラキラしすぎて目が潰れる。


 イケメンなんて文字の中でしか出会いがなかったから、目の前にこられてウハウハかと思ったが、群れると恐ろしさしか感じなかった。


 例えるならイケメンのスライムに囲まれているような……イメージが伝えづらいな。ともかく目の前の光景が現実味を帯びてなくて、酔ってきてしまったのだ。


「すみません、風に当たって参りますわ……」


 と、言って逃げてきた。バルコニーまでやってくると、おもいっきりため息が出た。


(夢見た乙女ゲー世界だけど、自分がこなすとなると結構大変ね)


 知識はあれど世界観が全く違う所で生活するのは心身ともに疲弊する。あぁ、スマホを持ってゴロゴロ寝ながら、小説を読みたい。めくるめく世界は文字で充分だと身に染みた。夢なら早く醒めてほしいかも……でも、そうなると私はたぶん、死んでるわけで。今度はドクロの世界にこんにちはとなる。三途の川で石でも積めばいいのか? それもまた微妙だ。


「はぁ……」


 また、ため息をついて、空を仰ぐ。夕焼けが綺麗だ。


「伯爵秘蔵の黒曜がこんな所にいるとはな……宝物でも掘り当てた気分だ」


 低音の艶っぽい声が隣で聞こえた。はっとして、見つめると、イケメンがいた。

 イケメンなんてもんじゃない。超絶イケメンだ。シルバーの刈り上げた髪に端正すぎるお顔立ち。ともすれは武骨な顔は独特の色気でワイルドさを存分に演出している。背の高さ、流し目。乙女ゲーム世界なら攻略対象ナンバーワンだ。


 夕焼けに照らされた顔にうっとりしすぎて、声を出すのを忘れた。


「惚けた顔をしてどうした?」


 声までいい男。うっかり卒倒しそうになる。


 しかし、私は彼氏にフラれ小説に夢を見る三十路、ウメコ! 現実では夢をみなくてよ。


 この手のイケメンは自分がどういう表情をすれば女が落ちるか分かっている。そういう男にホイホイ落ちては悪役令嬢にはなれない。手玉にとる。それが悪役令嬢だ。


「ふふっ。申し訳ありません。あまりに素敵な殿方に声をかけられましたので、見惚れてしまいましたわ。お気に障りましたか?」


 涼やかに微笑めば、目の前の男は口角を上げる。


「いや……黒曜にそう言われるとは光栄だな」


 肩を竦めておどけて見せるが、そのギャップがまた小憎たらしい。イケメンはなにをやってもイケメンだ。


「ふふっ。ご謙遜を」

「いや、そんなことはない。今も夕陽色に染まる黒曜に目を奪われて、胸の高鳴りが抑えきれない」

「まぁ、冗談がお上手ですわ」

「冗談……では、ないな。触れて確かめてみるか?」


 距離を詰められる。あっという間の出来事に瞬きを忘れた。目の前には夕陽に照らされた細められたダークネイビーの瞳。その瞳の奥で獲物を前にした獣が舌嘗めずりしていた。うっかり、牙を剥く獣に捕食されてもいいような気分になる。


(これだから、イケメンは……! )


 心の中で毒を吐き、こちらも目を細めて、わざと距離を詰めた。ともすれば口づけでも交わせそうな距離。


「遠慮いたしますわ。手を出したら、噛まれそうですもの」

「それは残念。こっちは、ぜひとも君の唇に噛みついてみたいのだがね」


 不敵な笑み。蠱惑的な眼差しに目眩がしそうだ。


(まずい、本当に噛みつかれそう……こうなったら!)


 バルコニーに手をつく、そして笑った。


「わたくし、痛いのは好きではないの。さようなら」


 チートスキルを駆使して風魔法を起こす。ふわりと浮いたスカートにワイルドイケメンは目を丸くしている。一瞬の隙をついて、私はバルコニーを飛び降りた。


(私にはチートスキルがある! ある! ある! 蛙のようにぺしゃんこにならないはずぅぅぅぅ!!)


 ぎゃぁぁぁ!と心で叫んでみると、ふわりと浮かんで着地した。どっと疲れた……


 見上げるとイケメンがまだ目を丸くしてこちらを見ている。それに笑い、優雅にお辞儀をして、すたこらさっさと逃げた。


 よかった……あんな色男を前にして正気なんか保てない。社交界デビューが卒倒幕切れなんて、いい恥さらしだ。同じくらい色男のお父様をがっかりさせたくはない。だから、逃げる。



 でも、さっさと逃げた私は気づいてなかった。逃げれば逃げるほど追いかけたくなるのが、本能だということを。


「逃げたか……面白い」


 あのイケメンがただのイケメンではなく、伯爵家の上をいく公爵家の次男だということを。


 そして、逃げたことにより、彼の興味を大いに引いてしまったことを。


 走りにくいスカートを持ち上げて逃げる私は知らなかった。


暴走特急ウメコを宜しくお願いします。

当分、勘違いとポジティブさでこの物語は続いていきます。

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