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とこよの花嫁  作者: 甘露寺ちどり
少女と思いがけない災難
6/9

幕間、七日間の街(一)

 規則正しい振動に、いつの間にか眠っていたようだった。彼は浅い眠りから目を覚まし、外を眺める。

 薄ぼんやりと(もや)がかかっていた。窓ガラスは鏡の代わりになり、彼の顔を映している。

 見慣れているつもりで、見慣れていない三十代にさしかかる男がいた。それが誰かすぐには分からず驚き、そして自分だと気付いて苦笑した。

 旅のきっかけは思いがけないものだった。いずれ出るとは分かっていても、その時は急に訪れる。

 だから慌てて同伴者のきっぷを送り、一足先に出発したのだった。

 面と向かって渡す勇気がなかったとも言える。断られるのが怖かったのだ。


 この国は、この世界は、七日間の休暇が認められている。皆に等しく。

 一人でも良いし、誰かを誘っても良い。ただし、一人だけ。皆、その休暇の同伴者を誰にするかと悩み、事前に君にするからと約束をする。

 彼のように、なんの前触れもなく送ってしまう者もあるけれど。


 休暇の間は何をしてもいい。思い出話に花を咲かせるのもいいし、好きなものを食べてもいい。

 一生に一度の旅なのだから。


 列車は徐々に速度を落とし、目的の駅に近付いていると車内アナウンスが告げた。

 列車が停まり、駅名を告げる。乗客はそれぞれ持っていた荷物を手に降りる支度を始めた。ここの駅で乗客はほぼ入れ替わる。そのために停車時間は長く、そう急ぐこともなかった。

 彼は網棚のトランクを下ろし、降車する列に加わった。


 古めかしい駅だった。自動改札などというものはなく、改札口に駅員が立って一人ひとりきっぷを確認している。

 彼の番になり、ポケットに入れていたきっぷを渡した。駅員は渡されたきっぷと彼とを交互に見て訊ねる。

「ミチダ、ハルユキさんですね」

「はい」

 彼──ハルユキは頷く。

「お一人ですか?」

「はい」

「同行者の方は……」

「来るかもしれませんし、来ないかもしれません」

 だが、一人しか思い浮かばなかったのだ。七日間、一緒に過ごしたい相手は他にはなかった。

「もし、来なければ……」

「知っています、大丈夫ですよ」

 全て承知の上だった。

 きっぷは二枚で一組。一度渡してしまうと、別の誰かに譲渡することは許されない。また、再発行もできない。

 一枚きりの大切なものなのだ。

「このきっぷは、なくなさないように気をつけてくださいね」

 きっぷには三角のハサミが入れられた。

 駅員は帽子を上げて軽く会釈をする。

「それでは、良い七日間を」


 乗客が降りて空になった車両に、今度はホームで待っていた客が乗り込む。様々な別れの光景が見られた。抱き合って涙する者。手を取り合って列車に乗り込む者。

 それぞれが、ここで──いや、ここだけでなく、元の暮らしで培ったものを手に次の駅に向かう。

 彼らは七日後の自分だ。


 七日後の自分はどうなっているのだろう。皆目見当がつかなかった。

 何しろ、彼女が来るのか分からないのだ。

 彼女が来ないのならば、それでいい。七日間、のんびりと過ごそう。山に登ってみるのもいいだろう、釣りもいい。何しろ時間はたっぷりとあるのだ。

 日向ぼっこをしながら読書をして、そのまま午睡を楽しんでも構わない。


 構わない、けれど──それは本心ではない。

 

 彼女に会いたかった。ひと目で良い、言葉をかわしたかった。謝りたかったのか、感謝を伝えたかったのか、非難したかったのか、それともその全てか。

 空は晴れていた。

 遠くには入道雲が見える。

 蝉の鳴き声が聞こえる。

 夏だ。

 それなのに、不思議と汗は浮いてこなかった。夏の心地良い部分だけを感じている。


 どうか、彼女が来ますように。

 ハルユキはもしかすると初めて神様に祈った。



   *   *   *



 生ぬるい空気が肌を撫でる。彼女は汗を拭い、ため息を付いた。惰性でつけたテレビからは、海外の美しい景色を映すだけの番組が流れていた。

 特に見たかった訳ではない。ただ、うるさい番組が嫌いなだけだ。

 これまで、旅というものに縁がなかった。勤め先と家との往復ばかりで、どこかに行こうという気力はなかった。美しい景色が見たければ、テレビや写真がある。

 いや、一度だけ──一度だけ、旅をしたことがあったか。

 昔の出来事だったけれど。


 不意に画面が切り替わり、雄大な自然の景色から緊張した表情の男性キャスターが映される。

『臨時ニュースをお伝えします』

 強張った声がそう伝える。

 それを遮るように、呼び鈴が鳴った。ドアスコープを覗くと、黒い制服を着た青年の姿だった。

 その制服でぴんとくる。鉄道会社の職員だ。

「はい」

 扉を開けると、青年は手にしていた封筒とを見比べて確認をする。

「アイダ、マリコさまですか?」

「はい、アイダマリコは私ですが……」

 彼女──マリコは頷く。

 誰かからのきっぷが届いたのだ。職員が手にしているのは、真っ白な封筒。それが何かは、誰もが知っている。

 この国は、この世界は、七日間の休暇が認められている。そのきっぷが届いたのだ。

「誰からかしら……」

 だが、マリコには心当たりがなかった。仲の良い友人は一緒に行く相手を決めていると言っていた。一生に一度の大切な旅行に誘ってもらえるほど仲の良い相手は──。

 友人たちの顔を一人ひとり思い出しているマリコに、職員が伝える。


「ミチダハルユキさまからです」


 遠くで、臨時ニュースを伝える緊迫した声が聞こえる。

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