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とこよの花嫁  作者: 甘露寺ちどり
少女と思いがけない災難
2/9

二、選択

 足からか。

 腸からか。


 提示された選択はどちらも選びたくはないもの。

 足からじわじわと食べられて死んでしまうか、腸を食いちぎられて死んでしまうか。

「いや、そんな冗談……」

 乾いた笑い声が口の端から漏れる。

「我が戯れを言うと思うのか」

 返事は真面目そのものだった。

 金色の瞳は楽しそうに弧を描いてはいたけれど、冗談を口にしているようには見えなかった。むしろ、追い詰めた獲物を前にして楽しんでいる。

 獲物を──獲物とは、環か。

 へらへらと笑ってみたけれど、篝が止める気配はない。

「いや、待って、そんな大昔の取り決めとか、私に言われても困ります、し──!」

 痺れた足で立ち上がる。そこまでは良かったが、感覚のない足で身体は支えきれなかった。ぐり、と足首が曲がり畳の上に倒れてしまう。

「おや、おや。逃げるのか」

 余裕たっぷりの篝の声が降ってくる。弱いものを追い詰める楽しみを味わっているのだ。

 倒れたまま、匍匐前進ででも逃げようとしたが、その前に足首を掴まれた。

 強い力。

 蹴って振り解こうにも叶わない。

 制服のスカートの裾が捲れているだろうが、そんなことに構ってはいられなかった。

 中を見られようと、下手をすると死んでしまうのだ。

 いや、下手をしなくともこれは九分九厘、死んでしまう。


「そもそも、なんで食べるの! そこちゃんと説明して!」


 掴まれた足から、するすると靴下が脱がされる。

「取り決めと言ったろう」

「そんなの、昔の話でしょうに」

「そなたにとってはな。我にとっては、年月など関わりはない」

「でも、納得できない」

「そなたの先祖は納得しておったぞ」

 それは先祖であって環ではない。

「我はな、永く小川の家の繁栄に手を貸していた。それが、どういうことか分かるか」

 黙って首を振る。


「小川の家はな、憑き物筋の家なのだ」


 つきものすじ。

 暴れるのを止めた。

 環も読書は好きで、あれこれと読んでいたから浅い知識だが頭に入っていた。

 犬や狐といったものが憑いている家のことだ。周りの家から財を奪い、栄える。憑き物筋の人間は忌み嫌われ、婚姻もままならない。

 小川家は親戚の縁が薄い。

 それだけでなく、昔から欲しいと思ったものは手に入った。

 同級生が持っていた可愛い筆箱。引っ越しをする時に、使い古しだけど、と貰った。

 席替えで皆が狙っていた窓際の一番うしろの席。

 給食で残っていたプリン。

「プリンも!?」

「そなたが望んだろう」

 まさか、そんなものまで憑き物の手柄だったというのか。

 篝は狐に似た顔立ちのままにんまりと笑った。

「我はそなたに尽くしただろう?」

 確かにプリンを二つ食べられて嬉しかったが、その程度で命を取られるのは割に合わない。先祖の分までは環が責任を取ることでもない。

 掴まれたままの脚を引き寄せ、篝が大きく開いた口を寄せる。大きく口を開け、脹脛(ふくらはぎ)に歯を立てる。

 ここまでされては、本気だ。

「生で食べるの!?」

「鮮度が良いからな」

 刺し身か。

 歯が皮膚に触れている程度だが、あと少し、もう少し顎に力を加えれば牙はそのまま深く突き刺さり赤い血肉を食い破るのだ。

 そして、はたと気付く。

 この初めて味わう恐怖を今ここで書き留めておかなければ。

 取り出したメモ帳に、環しか読めそうにない文字を綴る。


《脚に触れる歯は、薄い皮膚を今にも破ろうかとしていた。あともう一息力を込めさえすれば、そこから血が溢れ、かの者の口の中を満たすのだ。命のぬくもりを。

 恐ろしい、という感情を知っているはずだった。

 だが、実際は知っていると思い込んでいただけだった。これまでに味わった恐ろしさなど、今の感情に比べれば何ということはない。

 命の危機に貧するとは、明日どころか、この刹那(せつな)──》


「──果ててしまうかもしれぬということ」

 殴り書きの汚い文字を、低い声が読み上げる。

「な、なに読んでるんですか!」

「遺書でも書いているのかと思ったのだ」

 遺書。

「……あ」

 そういえば、死にかけている時に書くものは家族や友人へ向けた遺書が定番だ。今のこの状況を、これまでにない命の危機の状況を忘れないようにと書き留めておくことに必死ですっかり忘れていた。

 篝の手が離れ、掴まれていた足が畳の上に落ちる。足には噛み跡が残っていたけれど、血は出ていなかった。

「そなた、物語を綴るのか」

 それまで食べようとしていたことなど忘れて、篝はそんなことを訊ねる。

 警戒は解かないまま、頷く。


「どれ。ひとつ語ってみせろ」


「……は?」

「そなたの綴る物語を我に聞かせろ」

「いや、まだ誰にも見せたことがないので……」

 一人でこっそりとノートに書いては満足している。いつかどこかの出版社に投稿したいという気持ちはあるけれど、友人にすら見せたことがないのだ。恥ずかしくて思いきれない。

「聞かせぬというのか」

「恥ずかしいので」

「面白くない」

「それは……すみません」

「ならば食らうしかなかろう」

 そしてまた、足首を掴むのだ。

「ちょっ……待って、なんで──!」

「我は暇なのだ。腹も空いている。どちらかの欲をそなたで満たしたい」

 だらだらと冷や汗が流れる。

 これは、暇潰しができなければ言葉通りここで食べられてしまう、ということ。いい暇潰しになれば、多少は寿命が伸びる、かもしれない。

 伸びればここから逃げ出せる可能性がぐっと高まる。二つに一つ、ならばどちらを選ぶかは決まっている。

「わ──わかった、わかった、語ります、語らせていただきます!」


 そして、脚を離してもらい正座をした。

 頭は真っ白で、何の話も思い浮かばない。ただ情景を書き留めただけのメモ帳をそれらしく捲ってみる。

 これで良いものが出てくれば首の皮が繋がるのだが。

「まだか、環」

「少しお待ちを」

 急かされて、焦って、目についたのはある日の情景を書き留めたページだった。

 環を取り巻く環境が少しずつ変わり始めたきっかけをスケッチした文章だ。物語の起伏どころか、スタート地点もあやふやだ。

 だが、今ここで語るのならこれがいい、これしかない、とも思う。

 腹を決めて話し始めた。話の終わりなど考えていない、行き当たりばったりの物語を。


「それは、ある夏の日のことだった。彼は思いつくままに電車に揺られ、駅に降り立った。駅員は、彼の持つきっぷを受け取り、言った。お連れ様は? 彼は首を振って答える。来るかもしれませんし、来ないかもしれません」

「彼に連れがいると、駅員はどうして分かったのか」

「そ、れは──……」

 書き留めた断片をつなぎ合わせて紡ぎ始めた物語は、おぼろげな設定しか決まっていないのだ。

 何かもっともらしい理由を作ろう。考えて、ひとつ設定を付け足す。

「そういうものなんです。きっぷは、二枚で一組」

「なるほど。だから一人を不審に思ったのか」

「はい」

 篝は頷いて納得した意を伝える。そして、顎をしゃくり先を続けるように促した。

「駅員は言う。お連れ様が来なくとも、この街には七日間の滞在しか許されておりません。宜しいですね? 駅員が念を押す。彼は黙って頷いた。それは承知の上だった」

「待て。なぜ七日間しか留まれぬのだ。好きに過ごして良いだろうに」

 次から次に入る質問に、物語は止まってしまう。

「それは──」

 説明しかけて、いや、と思い直す。

 質問に答えながら物語を紡いでは、そのうち終わってしまう。それはすなわち、環を生かす目的が消えてしまうのだ。

 生きたいか死にたいか。そんなの問われなくても分かりきっている。生きたい。まだまだやりたいことは山ほどあるのだ。

「それは?」


「その続きは、明日!」


 半ば勢いで口にしていた。篝は不審げに眉を寄せる。

「明日?」

 だが、ここで引いてはいけない。環は腹をくくり、頷く。

「明日です。せっかくの物語、一気に終わらせてしまうのはもったいないでしょう?」

 遠い異国の娘を倣おう。

 后の不貞を知り、女性不信になった王。

 王は后の首をはねる。その後も、若い娘を宮殿に招いては首をはねる。

 それを止めるために、王に嫁いだ大臣の娘は毎夜、王に物語を紡ぐのだ。

 話の続きが気になるから、王は娘を殺せない。

 さて、相手はどう出るか。


 篝は目を丸くした後、呵呵と笑った。

 狐のようだった顔が、人に戻っている。三角の耳も尾も消えていた。

「そなたは、今少し生かしておく方が面白そうだな」

「それは、どうも」

 褒められているのだろうか。とりあえず礼を言う。

「明日も続きを聞かせろ」

「よ……喜んで!」

 首の皮一枚で命が繋がった。本当に、皮一枚。篝が飽きたら切れてしまうほどの薄さしかない。

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