連続婦女暴行殺人事件 ♯2
* * *
男は、海の見えるオフィスが気に入っていた。例えその土地が元々あった更地でなく、埋め立て地であってもだ。窓から見下ろす海はあくまでも海だったし、広く、遠くの祖国も見えそうだ。もちろん、実際拝める訳ではない。しかし、そんな思慕へと馳せる時間をくれるこの部屋が気に入っていた。二五階という高さは、高くもなく低くもなく、ちょうどいい。惜しむらくは、場所に拘りすぎて家賃が高くなってしまい、経費削減のためワンフロア全て貸し切れなかったことだけだった。自分達が使えるのは、今彼がいるこの部屋と、会長のためにと用意した直ぐ隣の小さな部屋だけで、喫煙所は他の会社と同席するスタイルだったし、デスクをみっちりとおいてもせいぜい二〇人分が限度だ。構成人数二五人には、少し足りない。けれど全員分のデスクを宛がう必要もなかったから、最低限妥協した場である。どの道オフィスにいたところで、この中に常にいるのは多くても一〇人以下。他は誰かしらせわしなく情報を集めていたりと、外に出してしまっている。つまる所、ほぼ常時いる三人の定位置さえ定まっていれば問題はないのだ。
さて、今日は何をしようか。外資系証券会社代表取締役マルコムは、ふむ。とあごをさすってがらがらのオフィスを眺めた。
部屋には自分を含め三人しかおらず、一人はソファに寝転がり頭に雑誌を置いて静かにしているし、もう一人は反面、両手で別々のパソコンを操作しながら、基本的に一台に視線を、時々立てかけているタブレットへと目配せしながらと、忙しなくしていた。
「おい、暇だな。たまには全員集めてミーティングをしてみないか?」
部屋中に響くように、とは言ってもたった三人しかいないのだが、彼がそういうと、ソファに寝そべっていた男がそろ、と頭に乗せている雑誌をわずかにもたげた。日本人特有の醤油顔、というんだろうか。鼻はそんなに高くはないが長い黒髪をもっときちんと切って目元もはっきり見せれば、それなりに俳優としても通るだろう顔立ちだ。しかし彼は何も言わず、またすぐに元通り雑誌ですぐに顔を覆ってしまった。
まぁ、全部任せるって事か。そいつは基本無口だし、必要な事も喋らない。堅苦しいスーツを着た二人と違い、真っ赤なジャンパーに真っ赤な合皮ズボンと、証券会社社員にしてはユニーク且つ不似合いな格好である。けれど、マルコムはそれに関して何も言わない。彼は肩書きは専務だが、実際の証券会社としての社員としては何の役割も持っていない。それに、人の趣味はとやかく言うつもりはない。雑誌だってきっと彼のことだ、何も考えずに出勤してくる途中で購入してきただけなのだろう。日替わりでちゃんとその時に出たものを適当に選んで、日差しを覆う代わりにする。それだけなのだ。刷りたてのインクの匂いが好きなのかな、と昔は思ったが、今やただの癖だと言うのは解っていた。だから雑誌名が週刊女性でも、流行のアイドルがすました笑顔で表紙を飾っていても、彼にはひさしの代わりなのだから、どうだっていいのだ。以前やらかした一件以来、彼はそうして静かにしていたし、目の届く範囲にいてくれるだけで、充分だった。
さて。自分の席から立ち上がり、返事のないもう一人の側へと、とは言っても自分のデスクの真ん前に置かれている席にいるのだから、そうは移動距離はない。の背後の椅子を引っ張り出して、片手では愛機のキーボードを、もう片手ではあくまで情報収集のためと適当に用意したパソコンのマウスを操作しながら、こちらを向きもしない男の隣へとどっかりと腰を下ろした。
「さて、ナガレはどっちでもいいそうだが、シーク、お前は……何だよ、仕事してると思ってたら、レディース・ランジェリー・メーカーのページかよ。最近出来たガール・フレンドにか? それとも別の女か?」
色とりどりのセクシーなランジェリーのページを眺めていた兄弟に問いかけると、そいつはゆっくりとマルコムへと視線を返してくる。
「馬鹿言うなよ。流石に他に女を作る余裕なんてないんだ。何しろちょっと手間のかかる人でね。他の女に目をくれてたらそっぽ向かれるだろ。流石に次は何をプレゼントしたらいいかと思ったんだけど、もうこのくらいしか思いつかなかったんだ」
「例の日本人女性って奴だろ? この前アクセサリー選んでただろ。他に化粧品や花はどうだ? ブランドのバッグや財布は?」
プレゼントなんていっそ何でもいいだろう。どの道財はあるのだから、車だろうがマンションだろうが買ってやれるだろう。しかし流石に付き合ってそんなにも経っていない、と聞いている相手だ。しかしそこまでいかなくても、日本人はブランドがとても好きだ、と情報を聞いていたし、貴金属で喜ばないなら、そっちで攻めたらどうだろうか。しかしそれに、幅広の流行遅れの眼鏡を正しながら、シークは首を傾げてみせた。
「残念だけど、化粧は僕が好まない。ブランドを持ってた所も見た事がない。まぁ、脱いでも簡単に素直にならない人だから、たまにはこう言う色気のあるものも反応を考えてみるだけでも面白いものさ。ただ、どの色がいいのか、考えるだけで手間はかかるけれどね」
「まぁ、楽しいは何より、だ。で、ミーティング、お前はどうする?」
いくら兄弟であろうと、上司であろうと、流石に私的な付き合いまでは首は突っ込まない。例え仕事中にランジェリーのページを眺めていたとしても、こいつは自分の仕事をしている。何しろもう片方のパソコンには何かしらソフトを組み立てている様子が見て取れたし、タブレットの方では“証券会社らしく”株式市場のページが開かれていた。にしても、表示するのは逆ではないか、と一瞬考えたが、それでも仕事をしているのだから、何一つ問題はない。
こうしてぼんやりと室内でのんびりしているのも悪くはないが、張りがない。証券会社としての表向きの仕事はほとんどシークが行っているし、自分がやること言えば部下達の統率と報告を聞く程度だ。たまには取り纏める役割として、何かしら動いた方が楽しいだろう。どの道ミーティングと言ってもどこかのレストランを貸し切って楽しく騒ぎながら食事をするだけにしても、だ。
「僕は異論はないな。ああ、ただ一つ、君に報告しておかなきゃならない件がある。なるべく早めに対処した方がよさそうな情報が入った」
「おい、どんな報告かは知らないがそれはランジェリー・メーカーを眺める前にしてくれよ。ウィンドウいくつ開いてるんだ」
「こっちは片手間で、その情報の信憑性も探っていた。調べ終わったから、こっちの試作が組み終わるまで作業しながら眺めてたんだ。もう直こっちも終わる頃に、君が話しかけてきただけだよ」
こちらを向きつつも、相変わらず休む間もなく愛機のキーボードを叩き続けている。まぁ、彼の言う通り、そちらがメインな事は間違いなさそうだ。
「で、報告ってのはなんだよ。そんなに重要なことが何かあるか? 俺の耳には国での抗争と内紛、後はとびきり可愛いバーテンダー・ガールがいる店の噂しか届いてない」
「まぁ急ぐなよ。マルコ、君は最近起きているっていう連続レイプ事件を知っているか?」
「ある程度はな。だが、それがどうしたって言うんだ」
痛ましく情けない事件とは言え、自分達に関係があるとは思えない。しかしそれに、彼は小さく頷いた。
「マスコミには公表されていない情報らしい。なら、他の連中の耳に入らないのも無理はないさ。それで、警察にアクセスして、確認した。僕らの事件でもある。さて、マルコ、我らの日本の名は?」
「さて、そりゃ二つある。一つはこの我らが証券会社カンターレ。そしてもう一つは……おいシーク、今何故そんな話をする?」
流石に、質問の意図が計りかねる。するとシークは、静かにこう返してくる。
「関係があるから言っている。カンターレならまだしも、その名を騙ってやらかしている馬鹿がいるって事さ」
「成る程。で、元の情報はどっから仕入れてきた?」
「色々あるんだよ。僕のやり方を知られて真似されても困るから、それに関しては黙らせてくれ。ただ、ちゃんと確認はした。間違いであって欲しかったが、間違いはなさそうだ」
「……まぁ、お前がそう言うんなら仕方がないな。さて、それは困ったな。泥を塗られていると言う訳か」
やれ、と額に手を押し当てた、その時。今までソファに寝そべっていた男がゆっくりと身体をもたげてくる。しかしマルコムはそれに待て、と空いた片手を上げ、制した。
「取り敢えずナガレ、お前は落ち着け。まだ動くな。さて、素人か、それとも身内か、悩む所だな」
「流石に兄弟を疑う事は、僕はしたくないな。本国から連れてきた精鋭達だ。そう言う間抜けがいるとなると、僕らの教育不行き届きって事だよ。しかし、Dの名を誰かが名乗っているのは、放ってはおけないだろ」
「まぁ、昨日のアルのジョークより笑えないな。そんなしみったれた事するなら、店一つ買い取って乱交パーティに持ち込んだ方がまだマシだな」
やれ、と頭をかいた代表取締役は、昨日の部下が覚え立ての日本のだじゃれでを思い出していた。
技術班の一人であるアルフレッドは、日本語がまだそんなに達者ではない。覚えたての単語が嬉しかったのか、満面の笑みで「ねこがねころんだそうですよ!」と口にした。意味が解れば理解出来なくもないが、日本人はジョークがへたくそだ。ちっとも面白みもい言葉遊びに、いっそほほえましい気にすらなった。そういえば親父が昔そんな事を言っていたな、とも。
だがそれは笑ってやるだけで済む話だった。しかし、舞い込んできた案件は、それで済ませる程安くはない。
カンターレ社は、外資系証券会社として、この日本、東京に支店を構えているだけの、一介の会社でしかない。しかし実態は一応シークを中心とした数人のみが機能し、組織の資金調達をしているだけのダミー・カンパニーでしかない。
本来の姿は、世間を騒がせるテロ組織、否、いっそ愉快犯でもいいだろう。むしろ正義の味方がいるならば、悪の組織、と名乗ったっていい。D―クラウン。未だ売れているとは程遠い、組織の本拠地である。そしてマルコムはそのリーダーを務めていた。
因みに日本にくる以前は彼らはイタリアにおり、ちょっとした組織をやっていた。だから婦女暴行、殺人、その程度ではなんとも思わないし、またちゃちな事件だ、としか思っていない。何しろ本国では顔の判別が付きやすく、身ぎれいに飾っている日本人は恰好のカモだし、襲いやすい。しかし、D―クラウンとしての名を、そんなちゃちな事件で汚されるのは許される事ではない。
彼らDークラウンは日本で言うなら、格好いい悪の組織として名を馳せるべきである。それには一般市民を無差別に汚してはならないし、あくまで崇高且つ愉快にことを運ばなければならない。それがDを語る彼らのルールだ。もちろん、厳選してきたメンバーとは言え血気盛んな青年達ばかりだし、絶対とは言い切れない。だからこそ、連れてくるメンバーを選ぶ際、決めたことがいくつかある。その三条と四条目に、こうある。
『日本の警察はのろまだが優秀だ。ちっぽけな盗みならともかく、人殺しは足がつく。それでも決闘して殺したい奴がいるなら覚悟し、Dの名を決して個人に扱うな』、『モテない奴は女は買え。モテる奴は適度に、組織を乱さない程度にモテろ』。それが、全ての部下に教え言い聞かせたことである。
イタリアに組織があった時はリーダーたるマルコムはそんなことは気にしなかったし、どいつにも強要はしたことがない。若い連中は今月何人をやったか、なんて話をしていたこともある。それぞれで尻ぬぐいをしてくれるなら何ら構わなかった。
しかしここは日本、そして掲げている名が異なる。やるべき事は命や名誉を賭して行うべきだが、自分達は一市民数人程度の殺人や、レイプ目的のためにこの国にきた訳ではない。というより、モテない甲斐性なしの様な奴らを連れてきた覚えはない。なんて言ったって日本の女性は優しい人が多く、声をかければ数人は優しく招いてくれるし、そうする度胸がなくたっていくらかの金を出せば、男性を受け入れてくれる店もいくらでもある。優しさを欲しがるなら最初から金を払った方が懐のでかさも相手に伝わるし、こんな陰湿な手口を使う連中だと、小さな事件を行うせせこましい連中だと思われてはならない。
「まぁ、つまりそう言う事だ、リーダーとしてどうする? マルコム……否、M」
「そうだな……取り敢えずひっ捕まえなくちゃいけないにしろ……ナガレ、駄目だ。お前は動くな。死人が出でもしたら大変だからな」
雑誌を投げ捨てた兄弟の一人を、改めて制した。
彼もD―クラウンであり、以前二度ほど無茶をした事がある。一つは宮城県沿いのリゾートホテル建築予定現場を、たった一人で破壊し尽くし、次に自己判断で輸送船を襲い、後にさる暴力団組織の麻薬密輸を告発させた。あくまでも前記の事件をうやむやにさせるためであったとは言え、流石に動かしたくない人員なのだ。
前回、強固に“お前は絶対刃を抜くな”と言い含めていたから何とかなったにしろ、小さなマフィアなら一人で殺し尽くしてしまう、D―クラウンの中でも最強の戦闘要員なのだ。前回は警察、ついでに居合わせた正義の味方を相手にしたが、出来たらヤワな日本人を、兄弟でもないなら民間人へと動かしたくない。犯人は殺しても構わないが、それだと世間にD―クラウンが動いた訳ではない事を知らせる事は不可能になってしまうし、場合によっては周囲をも巻き込んで殺してしまう。大量殺人で名を売る事も、今は避けたかった。
「なら決定だ。全く、こんな事で動きたくなかったんだが、仕方ないね。僕は後でまた警察のデータベースにアクセスして、情報を引っ張り出してくる。動きはそれから考えよう。君はその間好きなだけミーティングをするといいさ。たまにはみんなで集まって飲むのも悪くないだろう。どうする? 店を押さえるならしてやるし、ここでやるなら人数分のワインでも日本酒でも、好きなだけ発注してやるぜ?」
今でも悠々とランジェリー・メーカーのページを開きっぱなしの兄弟が言ったのに、マルコムは顎をさすりながらふむ、と一つ唸ってみせた。
「そうだな。じゃあそうするか。レストランの手配、頼んだぜ。酒が美味くてメシも上等な所にしろよ。ああ、肉もサシミも美味いところがいいな」
「君は例のアンキモって奴があるところがいいんだろ。解った、適当に探してみるよ。明日か明後日って所でね」
流石話の早い兄弟だったけれど、未だに動かない、セクシー・ランジェリーのページが気になったし、多分警察へのアクセスは愛機で行うのだろうから、ウィンドウを開きっぱなしのまま、レストランの検索を始めるんだろう事は容易に想像出来た。
* * *
レッドアロウズには、厳密な“昼食の時間”はない。一応十二時から一時まで、と定めはあるのだが、正直事件が起きなければ暇であり、「ゆっくりしても二時までには戻ってこい」と言われるくらいなのだ。尤も呼び出しを食らえば注文時だろうと赴かねばならないし、非常時には食事などろくに摂る事も出来ない。だからこそ、「休める時に休みつつ、気は抜くな」と言う事らしい。ただ、司令の柳は律儀な人で、自分だけはほぼ一時に戻ってくる。最初の内は司令を気にして一時前後には戻る様にしていたが、彼自身一人で悠々とオフィスで仕事をする時間が欲しいらしく、結局夏希達は大体のんびりとしてくる。尤も明日から予告日時までの間は特殊訓練も視野に入れているらしいから、定時には戻ってこなくてはならないのだが。
しかし今日ばかりはそうは言っていられない。「おおよその予測が立ちました」と麗花が言ったものだから、一時ちょっと過ぎにはオフィスに戻ってきた。しかし、珍しい事に、戻れば常にいる筈の柳は自分のデスクにはいなかった。ついでに一緒に食事を摂っているだろう藤堂も戻ってきていない。きっと話が長引いているのだろう。
「ええと……うーん、司令が戻ってくるならアナログの地図の方がいいかなぁ」
ぼやきながら麗花が棚から引っ張り出してきた東京を中心とした首都圏の地図を自分のデスクに広げた。レッドアロウズで柳の他にデスクを持っているのは麗花しかいない。経費削減もあるのだが、実際の所殆ど必要としないからだ。デスクワークでやる事と言えば始末書と、報告書の作成くらいだし、不測の事態での休暇届けも、麗花がパソコンで打って印刷したものにチェックを入れて、時々内容を書き込んで、判を押して提出するくらいだ。パソコンは確かに利用するがそれも配給されたノート・パソコンで情報収集がてらネット・サーフィンしたりするくらいで、場所はどこでも構わない。だから部屋には司令、麗花のデスクと、三人がけのテーブル、それと広々としたソファ。資料棚兼荷物置きの、壁に填め込まれている大きな棚、物置と地震対策グッズ、ついでに窓際に観葉植物が置かれているくらいなのだ。ただ、夏希が自分のデスクなんて与えられた日にはごちゃごちゃにしてしまうだろう光景は容易に想像出来るから、なくて不便がないならない方がいいのだろう。
因みに麗花のデスクは、柳のそれよりも幅を摂っている。通常サイズのものを繋げておいてある。まだまだ機材が不足している、と麗花は言っていたが、夏希にしてみたら、十二分すぎる程だ。そこに三台のパソコンと、二台のモニター、ラジオが二台。そして背後に液晶テレビ。彼女はアナログに近い隊の中で唯一情報収集と精査に特化しているのだが、一日中画面を眺めて街中や世論を眺めたりしていて、ある意味では非常に大変な役割だとも言える。
そして麗花が昼食時に操作していたタブレットと見比べながら、小さく唸った。
「うーんと、まず第一の事件からおさらいね。まずここ、東京南部ですね」
とん、と指を置かれた場所に、夏希は軽く首を傾げてみせる。
「南部っていうか、高尾でいいんじゃねぇか?」
「違うのナッちゃん。確かに場所は高尾駅周辺なんだけど、厳密に言うと、場所が必要だっただけで、土地は重要じゃないの。ええと、目印、これでいいかな」
デスク脇にあるピンクの猫型クリップをいくつか手に取り、今まで指を置いていた場所に一つ置いた。
「因みにここの被害者さんは大学二年生、ショート・ボブの可愛い子でした。サークルの集まりの帰りに襲われたそうです。でね、次の事件。これは丁度北に真っ直ぐ真っ直ぐ。殆ど真っ直ぐ」
高尾の駅を示す場所においたクリップの次に、青梅市の霞台中駅へと置く。第二の犯行場所だった。麗花がついでに零した被害者は賃貸管理の会社勤めで、ロング・ヘアの美人な二十九才だったそうだ。被害者の特徴を聞くだけでも、胸の中に苦いものが落とされるのだが、麗花は気にせず進めた。
「で、昨日の事件。今度は南東。ここでは今年アパレル系の販売員に就職したばかりのゆるふわヘアの、可愛い子でした」
「お、お前……被害者の顔、全部見たのか……」
ただでさえ痛ましい事件で、特徴を聞いているだけで悲しい、と思ってしまうのに、麗花は淡々と大まかな特徴を口に出してのける。
「犯人の心理を知るには、容姿、背格好、性格をある程度把握していなくてはいけませんから。因みに、スリーサイズもほぼバラバラです。どれも全て、これといった共通点は、身長が一六五センチ以下、スカートを着用し、住宅街を歩いていた、という共通点しかありません。……本当は、私もこう言う事件、嫌なんですけどね。犯罪心理学を学ぶ際には、避ける事が出来ませんから」
麗花は元々アメリカで情報処理をメインとし、他にも趣味の一環として様々な過程を勉強していったそうだ。その際将来何かの役に立つかも。と言う理由で犯罪心理学を学んだのだという。その際、様々な写真を見なくてはならなかったのだそうだ。
麗花は容姿も可愛らしく、ぱっと見ほんわかとしている事もあってか、良く街灯で男性に声をかけられるのだそうだ。しかしちょっと前に夕食を共にした際、何故彼氏を作らないのか、と聞いてみた事がある。
「私、男の人ちょっと苦手なんです。暴力にものを言わせる犯罪をするのは、大体男性ですから、そう言うのずっと見てきて、みんなって訳じゃないけど、嫌になっちゃって。あ、レッドアロウズの人達は大丈夫!」
うん、と力強く頷きながらそう言っていた。恋愛が絡むと完全に暴力に繋がるとは限らないのだが、恋人間のDV、ストーカー、果ては暴行事件、と、性が関係すると、途端に怖くなるのだそうだ。
「それでね、今地図で確認してるのは、さっきも言った通り“あくまで必要だった場所”を明確にして貰いたかったの。関連がない、操作攪乱の為に場所を移動していると思いがちなんだけど、これは犯人の自己顕示欲そのもの、非常に計画性の高い犯行なの。ええとね、こう、辿ってみると、一つの文字になるのよ」
夕べの犯行現場は入間市、西部球場前。時折見る野球中継で聞く名だ。夏希の友人の中には野球好きもいて、試合がある度にチケットを取ったりする、なんて言っていた。今度その友人と一緒に出かける予定だった場所だった。麗花の指が、置かれたクリップを元に地図に線を描いていく。
高尾から北にほぼ垂直に北へ、そして、霞台中から西部球場前まで、放射状を。すると、何となく、形が浮かんでくる。
「うわ、これ、もしかして……でかい、D、にしようとしているのか?」
見えない線で記された文字は、レッドアロウズにしてみたら切っても切れない、忘れられない大文字のDに非常に酷似している。
「そうです、大文字のD。あくまで予測ですが、これも犯人のメッセージだと思います。恐らく完成したら下手をしたら完全に逃げられる、もしくは別の文字にすり替わるかと思うので、特定は直ぐに出来なくなるかもしれません。因みに婦女暴行を起こすタイプは社会的に不満があり、弱者に権力を振るいたい、そう言う人で、また、メッセージを現場に置いていく場合は過信家、自己顕示欲求、事故認知欲求に飢えているでしょう。連続して起きていますから、尤もストレス多可になる、二十代後半から、三十代後半。ナイフで書いた字も、記号も、比較的綺麗な形をしていましたから、几帳面。現場も住宅街ですが、二十三時ともなると人通りも乏しくなる、現場も何度か確認しているんだと思います。それを考えると……次の予測としたら、このあたり、かな。等間隔じゃないと、Dは完成しませんし」
適当にぐるり、と小さめに円を指先が描いた麗花に、夏希は思わずぱっと顔を輝かせた。
「うわ、なんかすっげぇ! 多少範囲の予測が立っただけ、動きやすくなるってもんだ! さっすが麗花!」
「って言っても、私のはあくまで予測でしかないから。恐らく警察の、専門の人達はそこまでは予測している可能性もあるもの。なんたって三件、同じ事件三件。車種も予測付いているんじゃないかな、多分。今そっちは司令に照会お願いしてるんだけど、どうなったかな……」
麗花が考え込む様に頬に指先を当てた、その時。
その時。ドアが数度叩かれたのに、その場の全員が一斉に顔を上げた。入り口はインターホンが付いている他、指紋、網膜認証でしか入れないシステムで、ここまで辿り着ける人間となると残るは二人しかいない。ドアが開くと、二人きりの作戦会議を済ませたのだろう面々がオフィスに足を踏み入れた。
「話し中悪い。今戻った」
「柳司令、藤堂さん、今、みんなで事件のこと話し合ってたんですけど」
「いやはや、君達はもう少しゆっくり食事をしてくると思っていたんですけどね。麗花君の事だから、大凡検討は付けているとは思っていましたが」
藤堂は柔らかな表情を、僅かに苦笑で彩りながらこちらを見たのに、麗花ははい、と頷いた。
「矢っ張り、早い方がいいですから。今回の事件は、起こしたくないですから」
柳は一番大きなデスクをすり抜けると、いつものコーヒー店で再び購入してきたんだろう袋を開け、朝飲んでいたものと同じカップを取り出しながら、昼食を摂るのも疲れた、という風に一つ溜息を吐いた。
「構わん。桂木、続けてくれ」
「それで、続けてくれ、麗花君」
「はい、えっとですね、個人としては、犯行現場、殺害現場は別である、と考えます。というより、場所は同じだとは思うんですが、“ここで生活している人を拉致して”もっと静かな場所で犯行に及ぶ、ではないかと」
「けど、みんな通勤路でしょう? 一人は、大学生だったから……通学路だったらしいじゃない。そこまで把握しての犯行ということ?」
「いえ、ですから場所が重要であって、誰がどう、じゃないんです。誰でもいいんです、この場合」
「誰でもいいって……」
「車で待ち伏せして、拉致しちゃえばいいんですよ。全て車の中で行う。そうすれば周囲に痕跡が残らなくても不自然じゃないですし」
「け、けど、凶器は。紐状のものって」
「ガムテープですよ。あれをこう、接着面からくるくるーって巻きながら、長ーくするんです。側面にビニール加工のしてあるタイプなら、それで強度は上がりますし。因みに、狙われた女性は最大で身長一六五センチ以下で、大柄の男性が犯人かと思われます。警戒心も非常に強いです。犯人に繋がる痕跡も一切なし。今の日本の鑑定技術なら、ちょっとした体液でまず血液型、DNA配列なんて簡単に解りますし、あ、たばこを吸っているとかも白血球の数値である程度予測できますね。でも、女性の身体に体液一つ残ってないんですよ」
「た、体内……ねぇ……」
淡々と麗花が言ってのけたのに、夏希は何とも言えない気持ちになってしまった。血液ではなく、そう言った言い方をするという事は、飛沫や、別の何かも指しているのだろう。
ちらり、と相棒を盗み見ると、二人しかいない女性隊員の片割れは、口の端を結んだまま、僅かに曲げていた。何が言いたいのかどうやら彼女も解っている様だ。何となくいたたまれなくなって地図へと視線を戻すと、今度は藤堂が小さく唸った。
「まぁ、ええ、自分達もそのことを含めて、少し話をしていたんですが……えぇと、体内から検出された合成化合物によると、まぁ、なんと言いますか……」
「藤堂さん、はっきり言った方がいいです。ええと、簡潔に言うと、避妊具着用にて行為に及んでいる、との事です。被害者体内から潤滑剤の成分は検出されたそうですが、こちらは量販店で取り扱っている、ごく一般的なコンドームだろう、との事。遺棄現場は全て人の出入りがある公園で、特定に至る痕跡はなかったそうです。移動、及び犯行は車。拉致、暴行で良くある手の一つです。自宅へと連れ込むのは逃げられる、もしくは声を出される危険があると思いますから、矢張り車の中で、もしくは人のいない別の所で、と考えるのが妥当ではないかと。場所を決めて、大体の周辺確認と、その時間帯、どこにどう女性が通るのか確認して、帰宅時をがし! っと捕まえるんだと思います」
これまた飄々と続けたのに、夏希は「がし……ねぇ」と小さく唸った。
夏希自身、二十歳を過ぎてから二年が経っているし、女性経験も一人だけある。高校から大学時代にかけて付き合った女の子だ。結局夏希が苦手な勉強や友人達との遊びを優先したせいで振られたのだが、その人とは多少なりともそう言った関係を結んだ事もある。けれど話題としては馴れておらず、奥手である事は否めない。
ちらり、と視線を泳がせると、昼になって少し日が差してきた窓は、ブラインドが上がったままのせいか明るく、柳の顔に陰を作っていて、こちらからは表情が窺えない。あれを下げたら司令官の顔が見えるかもしれないが、もしかしたら苦々しく曇っているのかもしれない。
「け、けど、そのくらいの情報だったら、警察も掴んでるでしょう?」
自分より奥手だと思っている真麻が慌てて話題を変えようと、だろう。問いかけると、麗花はプロですからねぇ。と頷いた。
「というより、もっと細分化して捜査していると思います。ただ、流石に未然に防げというのは、起きていない地域に対して警鐘は鳴らせられません。学生さんならともかく、OLさんに休みを取れ、早く帰れ、と言うのは難しいですから。次は……ええと、二十日は木曜日……となると、難しいですね、矢っ張り。おそらく犯人は沿線十五分以内、女性でも徒歩圏内、の範囲を狙っています。で、先程の私の推測でDを描くのであれば、時点はこのあたり、とこのあたり。司令、照会お願いした件、ありますか?」
麗花が問いかけたのに、柳は「少し待て」と、自分のパソコンを操作し始めた。考え込む様に顎を押さえた。
「被害者二人爪の間にソファの繊維が残っており、同車種のものだと判明したと、今連絡が入った」
「でしたら、レンタカーを限定する、とか、そう言う事でもない限り、持ち車かな。近隣の監視カメラ映像の分析は如何ですか?」
「少し待て。……ああ、車種の特定は出来ているらしい。だが、ナンバーの確認は出来ないとの事、通常どこにでもあるワゴンタイプ、色は黒、もしくは紺。それと、カーテンやウィンドウのフィルムに関してだが、これに関しては現在検証中との事だ」
「……まぁ、カーテンタイプの場合でしたら、犯行前に取り付け、終わったら外す、でも可能ですしね……」
「まぁ、二十日が訪れるより前に、確認出来る事を祈るしかないだろう。流石に捜査自体は、我々の権限から外れてしまう。あくまで当日の警備強化、と言う事らしいからな」
「で、でも、とにかく、麗花が地域も予測してくれてますし、駄目で元々、なんとかやりましょう!」
やれ、と一つ溜息を吐いた柳に、夏希はぐっと意気込んでみせた。被害者女性の事を思うと尚、それだけで早くなんとかしなくちゃ、これ以上女性が酷い目に遭わないように、と思うばかりなのだ。
それに司令はゆっくりと眼鏡を正しながら、小さく頷いた。
「取り敢えず予測は桂木が立ててくれた。また地域変更はあるだろうが、一反は事件予測日時までの十日間、周辺地区の見取り確認。及び赤城は例の訓練。機動力確保の為努める事とする。本日は地図上で捜査範囲確認、明日からその予定を頭に入れておけ。一応二十三時前後にも見回りをしておいた方がいいだろう。どんなルートを女性が行き来するか、だが」
「ああ、でしたら自分が動きましょう。終電も危ういですし、車がないと流石に厳しいでしょうから」
まず挙手したのが藤堂である。夏希も手を上げたかったのだが、運転免許は持っていても、流石に車は持っていない。つまる所、ペーパー・ドライバーなのだ。首都圏に住んでいて車が必要な事がまずないものだから、身分証明書として以外、使用する事がないのだ。けれどこう言う時、車を所持していると、便利だと言う痛感はする。
「あ、なら私も動きます」
続いて、自家用車を所持している真麻も手を上げた、ものの。
「真麻君はいけません。夜中に女性一人だなんて、いくら君が強いとは言え、用心に越した事はありません」
「ですが……」
「構わん、一条。夜分の見回りは、私が出れば済む事だ。第一お前の車は目立ち過ぎる。とにかく、昼間動けるだけの鋭気を養っていて貰いたい」
司令も窘める様にそう言ったのに、真麻はおずおずと、「すみません」と頭を垂れた。
夏希は二度程真麻の車に乗せて貰った事があるのだが、確かに彼女の車は派手で、非常に目立つ。何しろ薔薇色のスポーツカーで、しかも国外車である。いくら赤が好きだからってちょっと目立ちすぎじゃねぇ? と聞いた事があるのだが、「いいでしょ? 隠れない所が正義の味方ぽいじゃない」の一言で済ませてしまっていた。けれどこう言う時は流石に目立ちすぎ、と言うのも良くないのだ。
「明日の予定ですが、みんなで配置を考えつつ、一反現場を見に行きましょう。車の入れる道、及び人通りの少なそうな所を見て回る。昼間でしたらまぁ、車もいくらか通りますし、真麻君の車でもそう目立つ事はないのではないでしょうか」
藤堂が苦笑しながら提案したのに、異論はなかった。どうせ夏希は相棒の真麻の車で移動だろうし、藤堂も同様に麗花と一緒に行くのだろう。そしてある程度確認したら、夏希は個人的な訓練も待っている訳だ。
「とにかく、次は絶対、捕まえてやろうぜ! こんな悲惨な事件、もう起こさせちゃ駄目だ! 例えD―クラウンでも、そうじゃなくっても!」
うん、と力強く、自分に気合いを入れさせる様に頷いた。




