赤い悪魔編 #2
* * *
「……赤い悪魔、っすか……?」
振って湧いた名称に、青年は思わず唸ってみせた。漫画の様にコミカルな響きの名前だ。それを言ってしまえば自分達の所属している組織も非常に漫画的で面白いと言えばそうなのだろうけれど。
赤城夏希、二十二歳。背丈も顔立ちもごく平凡な、政府主導のテロ合同組織レッドアロウズに所属する一人である。今日もいつも通り八時四十五分ほぼきっかりにオフィスに入り、午前中は暇な時間を過ごしていた。とは言っても今日は先輩が定例の休暇で、珍しく相棒が空いていたから演習を行って、ついでに木刀を折られた所だった。司令官に知られたらまた大目玉だな、と思いながらいたけれど、通常オフィスに常駐している筈のその人は、珍しく“警察本部”から呼び出しを受けて、午前中は留守にしていた。
午後戻るなり、自分の席に着いた妙齢の司令官は、まず一つ目に深い溜息を吐いた。普段なら、昼食後は少し離れたコーヒー・ショップでコーヒーを購入してくる筈が、珍しく持っていなかった。そして二つ目に吐いた溜息と共に出た言葉がそれだ。
柳敏晴は酷く憔悴した顔で、暫くデスクの上をまさぐる様にしていたものの、カップがない事にようやっと気付いて、また溜息を吐いた。「あの、俺買ってきます」夏希はそう言ったのだが、柳はそれに頭を振り、スレンダーな型の眼鏡を正した。
「赤城、気にするな。後で自分の好みのものを買ってくる。それよりこちらの話だ。それで、先程述べた名称だが、諸君らも知っているだろう。昨今起きている海難事故……海難、と呼べるかは定かではないが、定期的に貨物船の運搬が滞っている、と」
「……はい。ええと、何らかのトラブルが起きていて、今アメリカの会社に訴訟されているとかどうとかはテレビでは……」
それに横にいた長い髪の女が訝しげに、戸惑いながら返した。彼女は夏希の相棒であり、先輩の一条真麻だ。ぱっと見は背の高い美人系、そう言うのが早いだろう。普段なら事件と聞けばもう少し揚々とするだろうに、珍しく戸惑いを隠せていないようだった。
最近、一定の間を置いて、テレビやネット記事で取り沙汰される事件に冠しては夏希も良く目にして、「またか、何だろうなぁ、不具合って」と常々思っていた。それ程頻度が高いのだ。現在不具合が起きた貨物運搬船は三艘。その殆どが家具、家財を主に運ぶ船である。積み荷は全て無事、だが他の細かい情報は知らないし、テレビでは原因を究明しております。としか伝えられていないし、まして第三者が関与しているだなんて報道もない。
政府主導におけるいわゆる正義の味方・レッドアロウズの管轄から外れてしまっているのだ。合同テロ対策組織、とは言っても、警察庁、防衛省、法務省が指揮権を持っており、他の情報というものは流石縦割り情報社会と言うべきか下りてくる事はない。海上は海上保安庁の管轄の為、情報が下りないのだから要請が来る事もない。
「け、けど……ええと、また海って……」
話の筋が、いまいち見えない。ワイドショーでは船の整備不順とか同型の部品を使っているからとか言われているけれど、それなら明らかに管轄ではないし、行ってまともに役に立つのは、今日休暇を取っている先輩くらいしかいない。けれど今司令が口にしたのは、船の油を点してこい、とかそう言う事ではなかった。
「赤い悪魔退治」辟易を溜息に乗せ、吐き出したのだ。個人的には海上警備も憧れる。行けと言われるなら是非! と言いたい所なのだが、その“管轄”の件もあって、いまいち要領を得ない訳だ。
「まぁ、厳密に言えば、その赤い悪魔かどうかは解らん。しかし、我々の事件に不本意ながらなった訳だ。……まず、一連の事件だが、全ての船が日本海域に入ってから信号を停止している。そしてそれは整備不良等ではなく第三の勢力によって制圧されている、との事だ。手口はまた詳しく説明するにしても、乗組員二〇人前後を全て“軽傷”で眠らせているそうだ。凶器に関しては現在も精査中らしく、こちらには情報が下りてこない。そして暗がりで襲撃された為、犯人の様相が解っていないとの事だ。さて桂木、まず表立って公表出来ない理由は解るか?」
それに、今まで自分のデスクに腰を下ろしていた、幼さを残した顔立ちの女性が「はい」と頷いた。
「ええと、赤い悪魔、と……誰が呼び始めたのかは解らないですが、固有ではない名称が付けられている、と言う事は、勢力の特定が出来ていない。場合によっては外交問題にも発展しかねませんし、情報開示も容易ではない、と言う事でしょうか……」
「まぁ、大凡そんな所だ。先日の一件が起きるまではどこの誰かも検討がつかなかったらしい。しかしある乗組員が犯人の姿を目撃し、尚且つ名乗るのを聞いたそうだ。さて、諸君らは覚えているか。D―クラウンの名前を」
溜息交じりに柳が吐いた名に、夏希だけでなく、横の女、真麻までもでも、えっと声を上げた。
「い、いや待って下さい……ええと、その赤い悪魔ってのが、D―クラウンだって言いたいんですか?」
同僚であり相棒である彼女が眉を顰めて問いかけたのに、夏希もうん、と続いて頷いた。
D―クラウン。それは今年四月から本格的に始動した組織の名前である。夏希は一度目の時は欠席すると言うやむを得ない事情があったのだが、五月に起きた、“新宿・議員交歓パーティ人質立てこもり事件”の折り、それらとは戦った事がある。その時はあえなく敗北し、逃げられた。
「えっと、まぁ、D―クラウンが関わるってんなら、テロ対策組織として放ってはおけない。っては思いますけど……うーん、で、でも、海っすよねぇ……。ていうか、管轄が違うってのに、良く海上保安局がこっちまで要請回してきたモンっすね……」
夏希はあまりものを知らないが、それでも管轄が違う、情報共有が難しい、そう言う事だけはテレビでは聞いていた。市役所でも似たような手続きがあっても別の課まで回されるなんて当たり前で、それがいわゆる“お役所”さらに言うと“管轄ごとの違い”なのだろう。
柳は改めて眼鏡を正すと、まぁ。と続けた。
「海上なら、我々が手出しする事は不可能だ。少なからず、海上保安局から要請がこない限りは、だ。ただ、今回は海上保安局からこちらに敢えて応援要請が下った。というか、“我々の管轄になった”。それでこのレッドアロウズにも指令が下ったわけだ。……桂木」
それに麗花が「はい」と頷いて、薄いタブレットを操作しながら立ち上がった。
「ええと、本日明朝、七時四十五分に警察庁本部、総合案内所宛てに、メールが届いたそうです。こちらです」
掲げられた薄い液晶には、恐らく転送されたのだろうメール画面が映し出されていた。そして、無機質の文字がこう記していた。
『お騒がせして大変申し訳ない。本来であれば海上保安局宛に謝罪文書をお送りするべきなのだが、敢えてこちらに連絡を入れさせて頂いた。先日から起こっている輸送貨物船襲撃は全て我ら“D―クラウン”が行った事である。我々は積み荷を探している。どうやら大井食品埠頭にて、六月十三日夜運び込まれると情報が入った。今まで手間をかけた分、今回は堂々と荷を確認しようと、こうして招待状をお送りした次第だ。これは日本警察への挑戦である。我らを捕まえたいと思うのならば、是非大手を振って挑んでくれ。ただ、今回挑むのは、我らが組織の中でも尤も手練れである。装備と警備は充分に行ってくれよ。 D―クラウン』
まじまじと飲み込む様に読んで見る。改めて眺めて見ても、何とも言えない感想しか抱けなかった。
「……招待状って……怪盗かよ……」
それが、夏希の率直な感想であった。何ともふざけた犯行予告文書。その一言に尽きる。指定された日にちは三日後。時間に関しては触れられていないが、その“荷物”とやらに検討を付けるなり、張り込みを行っていれば済む事の様にも思える。
「け、けどさ、うーん、なんて言うんだろう。こんな風に挑戦上送る意味がわからねぇな……下手したらほら、テレビとかでも良くある愉快犯……とかは?」
「うーん、私はそれはないと思います。輸送船襲撃事件は公にD―クラウンの仕業って伝えてませんし。現在IPアドレスとホストにて追跡をしているそうですが、私もちょっと確認してみたところ、恐らく“捨てる為”の回線で、その上何局も、他国まで経由していて、送信者特定は難しいとは思います。ただここまで用意周到にしているなら、十中八九、D―クラウン本体からの挑戦状だとは思います。というか、前回の事件も大分おふざけにも感じましたし、まぁ、こう言うのがユーモアセンス溢れてるって言うなら、相当悪趣味だとは思いますけど」
それに麗花が肩までのふわふわの髪を引っ張りながら軽く首を傾げてくる。可愛らしい顔立ちだというのに、彼女は時として辛辣な一言を付け加えてくる。
「けど、何を探してるのかしら……ええと、襲われた輸送船とかに、特徴は?」
「ええと、輸送船自体は全てアメリカやカナダの建築関係会社の家具とか、資材、装飾品。ですね」
「家でも建てたいのかな、D―クラウン」
「馬鹿言わないでよナツ。どのみち、積み荷にはなんの被害もないって言う話じゃない」
「それにねナッちゃん、今回指定されている所は、まぁ、名前の通り食品倉庫がある所なの。うーん……大井食品埠頭なら、輸入の粉物とかが有名かな……」
何の関係があるのかな。麗花がううん、と一つ唸ったのに、夏希も同じように考え込んでみた。しかし、夏希はそもそも外国からの輸入産業に明るくはない。スーパーに行って贖罪がアメリカ産、オーストラリア産、メキシコ産、他にも様々な表記は見るけれど、馴染みがあると言えばその程度だし、更に言えば埠頭にも詳しくない、と言うか馴染む機会は一度もなかった。
取り敢えず、粉なら小麦粉とかかなぁ。料理もしない夏希にしてみたら、粉と言えばそのくらいしかぱっと思いつかないのだ。だから何が狙いかっていうのもさっぱり検討がつかないだ。
「けどさぁ、変だよな」
「どこからどう見ても変じゃない。馬鹿みたい、D―クラウン」
「いや、そうじゃなくって」
なんだか、違和感を感じるのだ。自然ではない、何かと言うべきだろうか。それに再び真麻が「だから、何」とじっとりとこちらを睨みつけてくる。けれど夏希はそれに臆する事なく、うん、と頷いて返した。
「いやさ。もし普通に自分達の荷物だったら、届くまで待てばいい話じゃねぇか? 何でわざわざ荷物届いたところ指定してくんだろう……。しかも粉モンで、輸送されてきたってんなら、でっかい……ほら、テレビとかで良く見る袋にーとか、箱に詰められてーとか、みたいな奴だろ? D―クラウン、何で粉とかなんか狙うんだろ……」
「知らないわよ。それは向こうと遭った時に聞いてよ。もしかしたら改心してお菓子屋さん始めるのかもしれないじゃない?」
「……まぁ、確かにメインは粉ものって言いましたけど、いわゆる大型の製粉機が併設されてるんですね。実際は粉以外も受け入れしてますけど……どの道、何を狙ってるのかさっぱりですから、どうしようもないですねぇ」
まぁ、流石に良く解らない目的は、本人達に聞いてみるのが一番である。そもそも、一度対峙した夏希自身も、あの組織が何を行動原理として抱いているのかさっぱり解らないのだ。“議員交歓パーティ人質立てこもり事件”では、主犯の男が「俺たちの目的は、ない!」と声高らかに言っていたし、そもそもテロ組織と名乗っていても、目的をはっきりとさせていない。その上五月に捕まった構成員の一人は未だがんとして口を割らず、海外の人間で、男、血液型と身長体重以外何の情報も不明のまま拘留されたままで、本当に“謎の”組織なのだ。
ただ、彼らの目的が何であれ、理解をしたからと言って夏希は手加減をする気はなかったし、精一杯戦って捕まえたい、と思っている。もし情状酌量の理由があったとしても、人に迷惑をかけていて、これからもかけ続けていく奴らなら、ちゃんと止めなくてはいけない。その為に夏希はここ、レッドアロウズに在籍しているのだ。
「ともかく、時間がない。藤堂は明日出勤時に伝えるが、本日、明日は現場の下見。警察本部からも配置の要請はくるとは思うが、それまでは各々何が起きても行動しやすい様に、見取りの確認をする様に。……流石に埠頭ともなると、広いからな」
柳が一度溜息を吐きながらそう言ったのに、その場にいる全員ではい、と頷いた。
* * *
D―クラウンを知っているか。そう聞かれれば日本の、少なくとも八割は“なんだっけ、そいつら”うまく覚えていたとしても、“そういえばそんな奴居たっけ?”程度の認識しかないだろう。彼らの起こした事件は今の所そう多くはなく、日々塗り変わる話題でかき消えて、人々の記憶から薄れていく。
けれど夏希達レッドアロウズは、その名を忘れる事が出来ないし、してはいけないのだ。
今年四月に起きた二つの事件を皮切りに動き出した連中。夏希はこの前初めて対峙し、そして負けた。人質は全員無事だったし、戦ったメンバー全員は皆打ち身程度で済んだ。けれどあくまでリーダーである男たった一人と戦っただけだ。あのまま“遊ばれてなかったら”、全員殺されていた場合だって想定出来た。傷は浅かったにしても、各々の心に癒えない傷を作った。だから次こそは、負けたくない、と思うのだ。
握り絞めたグラスはキンキンに冷えていて、触ると結露が出来ていて、しっとりと掌を濡らす。夏希はぐっとグラスを握り絞めると、揚々と掲げた。
「という事で! お疲れ様っした! 明日は妥当、D―クラウン!」
すると、麗花が同じく持った細身のグラスがかちん、と楽しげに頷いてくれただけで、後は藤堂が焼酎のロック・グラスを軽く会釈するだけだった。
「……ホント、元気ねぇ……」
はす向かいの真麻がやれやれ、と呆れがちにビール・ジョッキを軽く上げただけでそう言うと、うん。と頷いた。
「いやさ、なんか気合い入れた方がいいじゃん! 後こう、久しぶりに会社の飲み会! って感じするし!」
テーブルには思い思い注文した品物が揃っている。生もの、焼き物、揚げ物、刺身、軽く盛られたつまみ系。それぞれの店舗で特出はあるものの、居酒屋の定番という感じのものが並んでいるのだ。それだけで、妙にテンションが上がる。
夏希は酒が飲めないし、グラスの中はいつも好んで飲むジンジャエールなのだが、居酒屋という雰囲気はどことなくお祭りの様に騒がしく、好きなのだ。
レッドアロウズには、基本定期的な飲み会というものが存在しない。室長であり司令でもある柳がそう言った席を好まないから、と聞いた事がある。藤堂、麗花、真麻とも、時々帰社時に食事をして帰る事もあるのだが、実家暮らし、帰れば食事の用意がしてある、急に「今日飯食って帰る」と言うと母にもっと早く言いなさい。とどやされるので一緒に摂れる機会は多くない。だから尚のこと気分が高潮するのだ。それに。
「明日、とにかく頑張ろうって感じすんじゃん。とにかく、何とか捕まえたいっつかさ。気合いって感じ!」
うん、と頷くと、真麻が「まぁ、気合い入れすぎて明日へばらないでよね」とジョッキを仰いだのに、「お前こそ飲み過ぎて二日酔いすんなよ」と笑って返した。
昨日下った指令に応じて、先程までずっと大井食品埠頭の現場確認を行っていた。出勤は午後からと全員に命じられた事から、夜通しの張り込みを懸念しているからなのが感じ取れた。今回に関しては規模が大きい為、警察との合同捜査と言う形になっている。担当警察官とも挨拶を交わしたし、とにかく、何とか捕まえなくちゃと言う気が逸る。
夏希は物流倉庫に入るのは、学生時代の社会科見学で訪れて以来、これで二度目だった。以前入った時は何を管理しているのかさっぱり解らないままだったし、広くて天井が高くて棚がでけぇなぁ。と言う印象しかなかった。けれど今回に関しても、矢張り「広くて天井が高くて棚がでけぇなぁ」と言う感想だった。十階建てのビルよりも大きな建物は開けていて、巨大なプレハブの様な天井は骨組みがはっきり見えていたけれど、余りにも遠いせいか、がっしりとしているだろうにやけに細く見えたし、商品が納まっているだろうコンテナ収納棚も全て高くて、見上げるだけで首が痛くなりそうだった。
要所要所にはコンテナや大きな袋を運ぶ為のフォークリフトが行き来していして、道路の様に人とそれらを隔てる道まで引かれていた。
大井食品埠頭は各食品会社の提携から成り立つ港で、海外輸入品を扱い、特に主要食品の一つは、穀物である。海外から入ってきた穀物の製粉、袋詰め作業も一手に行う、工場も併設された港である。他にも青果や同時に輸入されてきた他輸入食品も取り扱い、ある意味では海外食品を取り扱う、日本の台所の貯蓄庫の一つとも言えよう。しかし、未だ全てが完成している訳ではなく、現在稼働中なのは三バース。残りは現在設営中との事だったが、とにかくどこもかしこも広く、警備するだけでも一苦労、まして下手に隠れられたらそれこそ骨が折れる所ではなさそうだった。
けれど予告現場に赴いたからこそ尚、疑問が膨らんでいった。
「けどさぁ、D―クラウンはあんな所で、ホント何探してんのかな。高級な小麦、とか?」
食品がぎっしりと棚に詰まっている様子はあくまで端から見れば何の問題もなさそうだ。検品だってちゃんとしている風だったし、金属探知に関しても念入りだった。夏希はそれこそ組織犯罪には明るくないけれど、そう言った類いのものが取引するなら武器とか、薬物とかではないだろうか。D―クラウンの連中は武器で拳銃を携帯していたし、夏希が関わっていない事件でも、一丁拳銃が押収されているくらいだ。ただ実際、粉の中に拳銃やら銃弾が入っていたら、それこそ異物混入どころの話ではない。だから狙いがなんなのか、さっぱり解らないのだ。
「……読めないわよね。だって、その前は家具とか、建築資材でしょ? ここにきて食品ってのも系統が違いすぎるっていうか。犯人の姿も、聞いた感じだとSともMとも違う。……どっちにしろ、読めないってのは会った事ある連中も含めて変わらないけど」
真麻が次のジョッキに手を伸ばしながら溜息を吐いたのに、夏希も「だよなぁ」と、フライド・ポテトにケチャップを付けて、じっと眺めた。
赤い悪魔。その正体は、たった一人の男だという。嘴の様な仮面で目元を覆っているのは変わらないが、何よりも色が異なる。夏希はまだ一度しかD―クラウンと遭っていないが、彼らは思い思いの、しかし必ず黒が基調となる様相をしていた。今回は、仮面も姿もそのあだ名の通り、真っ赤だったのだそうだ。
Mと名乗った男は大柄の金髪で、Sと言う男は以前対峙した人間が言うには細身で、背が高いらしい。けれど今回の男は、日本人の目から見ても“大体一般的な、黒髪の男”だったそうだ。長い刃物の様なものを持っている、との情報もある。
Mは長い、と言ってもジャックナイフで、Sは大ぶりの拳銃を主として使用する。どちらの特徴としても当てはまらない、本当に組織に属しているのなら第三のD―クラウンの人間、しかも単独で行動出来るだけの技量があるなら、幹部クラスでしょう。と藤堂が推察している。
本当、D―クラウンって、幹部だけでも何人いるんだよ。その上万が一仮面の色や、例えばチームごとに色が違うとなれば、覚える方も大変だし、仮面以外恰好に特徴がないのであれば逃げられた時に不便な事この上ない。
その時、今まで“前菜”扱いのお茶漬けのどんぶりを掻き込んでいた麗花が、平らげたどんぶりをテーブルにそっと置いた。
「あの、私一つ思ったんですけど、もしかして今回のD―クラウンの主犯、宮城沿岸でのリゾートホテル建築現場襲撃を行った人物じゃないかなって」
続いてポテトのチーズ焼きに手を伸ばした姿に、今更大食漢には驚きもせず、藤堂が頷いた。
「それは自分も思いましたね。あの事件は、目撃者によると犯人は真っ赤だったそうです。同じく単独犯でした」
「あ、ああ、あの、ですか」
それはかの組織が四月上旬に起こした事件の一つである。夏希は運悪くその時インフルエンザB型に感染し、不名誉にも出勤停止命令を食らって不参加となってしまった。
遠い宮城県沿岸沿いに建築され予定の、大型リゾートホテルの建築現場。今はまだ基礎程度の着工に過ぎなかったが、土台はおろか、大型什器や作業員の休憩所のプレハブ小屋まで、全て破壊されてしまった。鉄をも鋭利な刃物で切り落とされ、ものの見事に役に立たなくなってしまっていた。藤堂と麗花が駆けつけた時には既に後片付けのみの作業となってしまったのだが。因みに発見した従業員数名が、犯人である男を取り押さえようと試みたそうだ。その際に何人か軽傷を負ったものの、触れる事すらままならなかったと言う。
それ、はただ一言“D―クラウン”と呟いて、消えてしまったそうだ。
「まぁ、捕まえて何とか聞き出すしかないでしょう。埠頭は大分広いので、もしかしたら先に警察の面々がお縄にするかもしれませんが」
「簡単に捕まってくれればいいですけど。まぁ、陸に上がってきてくれてこっちは助かりましたけど。海の上ってなると、私はちょっと嫌でしたし」
「えー、俺はちょっと船の上ってのもやってみたかったけどなぁ。流石に管轄違うから無理だってのはあるけどさ。そう言うの、こう、なんっつーか、男のロマンだよな!」
今度は枝豆に噛み付いた真麻に返すと、彼女は怪訝そうな眼差しをこちらに向け、飲み込んでから口を開いた。
「私は嫌よ。船って酔うじゃない」
「えー? 格好いいじゃん。何だよお前、船乗った事あんの?」
「まぁ、一回だけ、……友達とクルージング・ディナーって奴に行った時、散々な思いしたの。どんだけ大きかろうと、酔うもんは酔うの。陸の上と全然違うわよ」
溜息交じりに、それこそ辟易した様子に夏希はふぅんと頷いてみせた。クルージング・ディナーと言うお洒落な場はデートの一環なイメージが強い。けれど真麻は以前から「彼氏? いないけど?」と鼻で笑うくらいだったし、そう言う類いの浮かれた場でない事はなんとなく創造出来た。
修学旅行も友人達との大学卒業旅行も、電車で行ける所ばかりだった。一度だけ家族で北海道に行った時飛行機は乗ったが、流石に船はない。子供の頃に乗った、と言われても記憶にないし、イコール乗った事がないに等しい。テレビ番組でも船酔いがどうのこうのとあるけれど、乗り物全般に酔わない身としては、乗り物酔いの感覚自体が薄い。
「けど、なんかびっくりした。お前にも苦手なものあんだな?」
以前屋内害虫、夏希は名前も見たくない黒くてかさかさする存在の話をした時に、「あんなもんハエ叩きかスプレーで倒せばいいじゃない。今あるでしょ? 凍らせる奴。刺したりしてくる虫より全然良いわよ」ときっぱり言い切ったくらいなのだ。相棒として良く手合わせも組むけれど、何が苦手、とも敢えて口にはしないし、嫌いな食べ物も限りなく少ないように見える。それに真麻は「そのくらいあるわよ」と言葉少なめに返した。
それに、藤堂が続けてはは、と笑った。
「まぁ、自分も海上での警備要請を受けなくて良かった、と思ってますよ。酔う酔わないもありますが、流石に上手く戦う自信がありませんからね」
「え、藤堂さんもですか?」
夏希が把握している限り、だが、藤堂はのんびりとした、優しい面差しをしているのだが、陸軍での経験も長く、隊の中で尤も実力のある人間だと思っている。しかしそれに、彼はふむ、と一つ肩をすくめた。
「そうですね、例えて言うなら海に馴れていない人間にしてみたら、スポンジの上に敷かれた板の上で戦うようなものです。例え船の作りが強固だろうと、安定性が高かろうと甲板を踏みしめてもどこか不安定で、ふわふわとします。陸地とは体感が全く異なりますし、船に慣れる訓練自体も実は必要になります。まぁ、馴れていない人間が乗ったら、まず十中八九船酔いするでしょうし、そうなればD―クラウンと対峙した時、文字通り役立たずとなってしまう訳です。まぁ、本当に現れてくれるかはとかくとして、場合によってはあくまでも狙いは海上の荷かもしれませんが、陸地を指定して貰ってまだ助かった、ですよ」
「そう言うもんなんっすねぇ。まぁ、俺は倉庫んなか見れて楽しかったからいっすけど……でも輸入品って、解っちゃいましたけど、あんだけ見ると圧巻ですよねぇ。下手すりゃそれこそかくれんぼになりそうってか」
圧巻。ただ一言に尽きるだろう。等間隔に配置された見上げても天井の縁が随分高く見える倉庫。天井近くまで伸びた頑強な棚には、入荷した日付ごとに収める棚があって、うずたかく出荷を待つ袋や箱が積んであった。夏希が今日見たバースは、聞いていた通り“輸入粉製品”をメインとしていて、小麦からトウモロコシ粉、まさに製粉したてほやほやのものが収まっていたのだが、他のバースでは同時に搬入される青果なども扱っているとの事だった。
あれらが日本の食卓の一角を担っている、と考えると、圧巻される所か、少し恐ろしい。万が一貿易に滞った場合、あの棚が、全国において何日分担えるのか解らないけれど、空っぽになってしまうという事だ。
「まぁ、日本は輸入大国とも言えますからね。野菜や鮮度が大切なもの、主食である米、そのあたりは自国でもまかなえますが、小麦や大豆、トウモロコシなんかは、全て自国でまかなえるとは言いがたいです。今上げたものは圧倒的にアメリカやカナダあたりがシェアを占めています。ああそうですね例えば夏希君。君が今端で掴み上げたそれ、ですが」
「あ、へぃ、マグロっすか?」
今まさに話を聞きながら摘まもうとしていた赤身の刺身に、目を落とす。本マグロではないだろうが、赤くてかてかとした身には白く筋が通っている。夏希はどちらかというと庶民の舌というもので、トロと付く類いのものより赤身が好きだ。ほんのちょっとだけわさびを落とした醤油を軽くなでつけさせ、口に放り込む。これぞ日本に生まれて良かった! と心から思う好物の一つである。
「まぁそうです、そのマグロですが、それ自体種類が多いですね。本マグロと呼ばれるクロマグロから、キハダ、その他にも色々あります。種類にもよってですが、クロアチアや台湾からの輸入品、旬に獲ったものを冷凍保存している等様々ありますが、日本の港だけでは、好き嫌いはあるにしても、日本人の好むマグロが安価に、尚且つ行き渡る様に提供し続ける事は難しい訳です。しかも昨今と言えば、問屋の値段競争も強まるばかりですから、更に安価なものを求め、他国に頼るのは仕方がないのかもしれませんね。何しろ、船を動かす燃料すら、現在はまだ他国に頼らざるを得ない状況ですから」
それに夏希はふぅん。と頷いて箸の先を眺めた。まだ醤油の化粧をされていない赤身はくたっとしたまま摘ままれている。
夏希はどこ産の区別も付かないし、今持っているのがキハダなのか本マグロなのか良く解らない。けれどもしかしたらこのマグロは、海を渡ってここまできたのかもしれないのだ。そう考えると、この一切れはとても凄い奴なのかもしれない。
昨今流通も便利になり、食に困る事は殆どなくなった。確かに気温が不安定、台風や天災での被害による野菜、米の高騰、牛が夏ばてして乳製品の欠品、果ては海外内紛によるエビ不足。いくつかあるにしたって、それでも食卓から一品欠ける日が続く、なんて事もない。
「つまり俺らがこうして日本の風物詩を一年中楽しめるってのは、他の国あってって事ですよねぇ。それを思うと、今回D―クラウン日本の台所を狙ってるって奴……か」
「まぁ、倉庫が日本の台所、と言うか、ある意味で冷蔵庫や貯蔵庫的な役割である事は確かです。もしかしたら、食に関する流通を狙っている……にしては規模が少し小さい様な気もしますが。因みに青果や食肉をメインとした倉庫はまた別にあります。確かに小麦や粉製品は今や日本に欠かせないものの一つとしても、流石にそこだけでは流通は止まりません。個人ならとかく、企業や卸し業者はある程度の備蓄はしてあるでしょうしね。まぁ、それは明日無事にD―クラウンと対峙してから、と言う事になるでしょうが」
「まぁ、それにはとにっかく、明日に向けて精つけろって事っすよねぇ」
ようやっと箸で摘まんでいたそれを口に含むと、赤身のしっとりとした血の香りと、甘さが広がった。並んでいた刺身はもう殆ど平らげられてしまっていたし、何となくもう一回マグロを食おうかな、と言う気でパネルを持った、次の瞬間。
「あ、丁度良かったナツ。生ジョッキ三本追加お願い」
「お前……明日ホント二日酔いは止めろよな……はいはい、生追加な」
半分ほど空になったジョッキを掲げた真麻に頷きながら、夏希はパネルを操作したし、女は「大丈夫よ。そんくらいじゃ酔わないから」と、笑った。




