一話 初出動編 ♯3
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人の声とは、個別に話しかければ別だが、複数集うとその認識は薄れ、ただの騒音となる。例え数十人数百単位の部下を持っている人間だろうと、その一個一個をわざと認識するのは難しくなるし、見知らぬ人間ばかりに囲まれていたら尚更だ。
野次馬の喧噪に混ざりながら、男はずっとその様子を眺めていた。人々は口々に思い思いの言葉を吐いていたし、それぞれを敢えて確認する気はなかった。おおよそ何を話しているのかは想像に難くなく、目の前に起こった事に対して情報して何の身もない事ばかりを口にしているだろう。普段兄弟達からもセンスがないと揶揄される眼鏡を正しながら、男は改めて頭上へと目を向ける。
突然ホテル上階から爆発が起きた。これは彼にしてみたら想定の範囲だし、時間としたら六分遅れていた程度だった。お喋り好きの兄弟の事だから、世間話でもして定刻通りにはいかなかったんだろう。飛び散った破片が落下し、複数名降り注いだガラス片で重軽傷を負った。けれどそれに関してもおおよそ計算通りの範囲内で飛び散ったし、爆破の予測を立てずに封鎖する範を決めた警察の落ち度とも言える。この日本では爆破の予告はあるものの現実的に爆破を行うケースはまれで、だからこそ危機管理が薄いとも言えよう。勿論、免許を持たずして尚悪意を持ってして行う爆破の罪が重い、という事もある。
ただ、流石に上階のガラスを爆破させてそこから逃げるケースは、誰もが予測をしていなかっただろう。奇をてらった面白い手ではあったけれど、流石にこのプランは二度と勘弁して欲しかった。
何しろ、コストが非常にかかるのだ。爆弾だけならとかく、必要以上の弾薬を用意するのも、グライダーを制作させるのも、ついでにホテルの監視カメラ映像を回線をまるごとジャックするのも手間もかかるの。一般的、これはあくまでも彼らの認識なのだが、身長体重の男性であればまだしも、兄弟の中でも特別大きな彼のものを制作させるだけでも個別に設計し直し、材料費も必要以上にかさむ。その上非常に非常にかかるため、骨組みの強度が落ち、一度きりの使い捨てになってしまう。その上、ホテルの株は持ち主にも寄るが安定しない上、例え倒産しても大規模のホテル経営でもない限り国の支援は入らない。何一つとして利益が出ないどころか、赤字になる。比較的目立つ広告費の為の事前投資といっても、ロスが回収できないものは出来たら避けたい。
とは言っても派手好きの彼の事だから、いずれまた手間と金を惜しまない手立てを考えるのだろう。それに向けてある程度活動費は稼がねばならないな。D―クラウン幹部たる男は溜息交じりに窓の端に除く銀色の人影を見つめていた。
恐らく先程野次馬に混ざっていた、派手なダサいジャケットの連中だという事は解っていた。その内の一人と目が合った。流石に仲間複数連れだってこちらに来られると不味かったのもあって一時は場を離れた。
何しろ男は眼鏡は流行遅れでも、酷く目立つ外見をしていたからだ。抑も彼は日本人とは顔立ちが異なり、肌も白く目の色も違う。まして他国でも非常に珍しい銀の髪は、嫌でも目印になる。ただ、どこの国でもゴシップは好むし、そう言った輩は、事件があれば取り敢えず何だろうと覗いてみるものだ。先程も一度職務質問を受けたけれど、鞄に入っていた身分証明書、こちらはあくまで偽名のものだけれどを確認して貰ったし、今日は敢えてパソコンと鞄以外“何も”持ってきていなかったから、仕事帰りに何かと思って立ち寄ってみたんです。と世間話をしただけで、何なくすり抜けられた。とは言ってもそのパソコンでホテルの警備システムに侵入したのだから、本来ならもっと詳しく調べるべきだったのだが。
さて、そろそろ帰ろうかな。小さな城に戻って、兄弟達の安否も確認しなくてはならない。野次馬の中に視線を戻したその時、見知った顔を見付けて、人混みを縫うようにして近づいた。いくらまだゴールデン・ウィークのただ中で、今日は少し冷えるにしても、流石に赤の革ジャケットを身につける様な人間はそうはいない。
「君も来ていたのか、ナガレ」
声をかけると、長い前髪で視線を覆い隠した日本人は、一度こちらに視線を向けた後、くい、と顎でホテルを示す。彼は元々口を開く事は滅多になく、男としてもそれには慣れていた。どうせ“城”にいても暇だったから見に来ただけだろう。
「ああ、派手にやったね。流石うちのリーダーと言うか、滅茶苦茶だ。僕はヒーローを見に、だよ。前回運命的な出会いをしてしまったから、恐らく僕らの名を出せばくると思っていた、他のメンバーも確認しておきたかったしね、それだけでもまぁ、まずまずの収穫だよ。個人的には今日あった授賞式の方も気になったけどね、まぁ、うちのリーダーがこっちがいいって言ってたんだからしょうがないな」
以前下見にきた時は一つのガラスと白磁で出来た様な綺麗なオブジェさながらのホテルだったものは、一つ割れただけでいびつで破壊された跡をまざまざと現していた。それに男の口の端が僅かに動いたのに、男は口角を上げて返した。
「まぁ、どうせ彼の事だ、楽しんだ事だろう。成功だろうが失敗だろうが、どの道投資した額は返ってこないタイプのものだ。そうなったら楽しい方がいいし、そう言った事にこそ、命は賭けるべきだ」
そうだろ、と問いかけると青年は小さく首を傾げるだけで、しかし何も返す事はなかった。
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赤城夏希、二十二歳、月々の給料は二十二万ちょっと、様々引かれれば手取りとして貰えるのはもっと少ないけれど、普通であれば給料泥棒と言われるタイプの暇な仕事である。しかし彼は正義の味方であり、同時にその金額が彼の命の値段とも言えよう。それでも彼は良かった。普段はどれだけ暇だろうと、自主トレーニングにいそしむ日々であろうと、人々を助ける為の仕事に何の不満もなかった。
この世には、例えどんな国でも、言葉が通じなくても、“人に迷惑をかける”存在がいる。法律を守らない事から、弱い者いじめをする奴らまで。夏希はそう言う存在から、迷惑をかけられている誰かを守り、助けたい。その一心で刑事を志した。結果として配属されたのが幸か不幸かこのレッドアロウズだった訳だ。
しかし初めて事件を目の当たりにし、自分の無力さを知った。何のためらいもなく銃を発砲したり、ナイフを振りかざしたり、爆破をさせた上何のてらいもなく飛び降りたり、いきなり空を飛んだりする奴らの相手をしなくてはならない。そんな奴らに対して、夏希も含めたレッドアロウズは人質は無事だったけれど事実上敗北した、と言わざるを得ない。
ツバサ・システムの不具合は、元々想定していた事だ。けれどそれに奢り動けなくなったのは、自分の責任だ。真っ先に指示があった、病院に行って怪我の治療と検査をしたものの、相手が手加減したのか、あくまでも運が良かったのか、全員が打撲程度で済んでいた。藤堂はオフィスに戻るなり柳に短く報告をして、ツバサ・システムの点検と確認をしていた。太くした筈の回線が再びショート、ぷっつり切れていたのだと言っていた。因みに夏希の役目は、本日提出する前の誤字チェックだ。柳は当初、ある程度片が付いたら帰りなさい。と言っていたけれど、三人とも何となく気分が落ち着かなくて、オフィスに戻るなり作業に取りかかったし、夏希は真麻と一緒にああでもないこうでもないと相談しながら報告書を作成した。そして次の日に当たる本日、提出前の最終チェックをこうして朝行っている訳だ。
珍しく朝から藤堂はツバサ・システムのメンテナンス、整備士の手配を慌ただしくていたし、真麻もこれを提出するまでは演習に当たれない、と判断したのだろう。因みに柳は朝から警察庁に呼び出しをされて、そちらに赴いている。昨日の事件の報告や、これからの段取りを話し合っているのかもしれない。
取り逃がしたのは、システムが切れた途端に体力の尽きた、自分の身体の問題が非常に大きかった。何となく、夏希は感じていた。自分よりもいつも鍛錬を行っている真麻も、藤堂でも対処が出来なかった。向こうが強かっただけ、それで片付けられる問題ならとかく、下手をしたら誰一人守れなかったかもしれない。
「けど、あいつら何でこんな事件起こしたんだろうな」
綺麗にまとめられた報告書を眺めながらぽっつりと零すと、直ぐさま腕を組んで横に座っている女が溜息を漏らした。
「知らないわよ、あいつらに聞いて。D―クラウンの奴ら、どいつもこいつも話が通じなくて、何考えてるかさっぱり解らないわ」
苛立ちながら、何も出来なかった焦燥を向こうも抱えているのだろう。
目的が何か、まるで検討が付かない。最初に声明文を発表する時刻を設定したものの、自分達が突入した事も重なり、彼らはその機会を失った。いいや、あの言い分を聞く限り、下手をしたら発表する気がなかったのかもしれない。
「俺たちの今回の目的は、何もない!」
あの場を仕切っていたMと言う男が、はっきりとそう言い切った。正義がある様に、悪にも悪を働く理由というものが少なからず存在している。今まで夏希はそう思っていた。勿論悪人の事情なんてこれっぽっちも理解出来ないだろうけれど、いかんせん腑に落ちない。因みに昨日さりげなくこちらに向かっていた柳が捕獲した、D―クラウンの一味である男性は警察に引き渡されたものの、一晩たった今でも、名前はおろか国籍すら口を割らずにいるらしい。取り調べも随分かかりそうだった。
D―クラウン。それが、これからどれだけの期間レッドアロウズと対峙する組織となるのかも、未だ想像が付かない。
その時、今までパソコンとにらめっこをしながら、今日の朝の“おやつ”であるハニー・ドーナツに噛み付いていた麗花が、声を上げた。
「あ、そうだナッちゃんこれもつけて」
ひらひらとなびかせた紙を何だよ、と側に寄って受け取って、視線を落として、思わず乾いた笑いを漏らしてしまった。何を押しつけられたかと言うと、概算で出したらしい今回の損害金額予想書である。
「多分またちゃんと計算されて出てきたらすり替わると思うんですけど、そっちも念のため、ね」
「……はは、悪役が何考えてるか解んねぇけど、とにかく滅茶苦茶でっかいガラスが高いっていうか、何かぶっ壊すととにかく金がかかるってのは解った……」
夏希の給料の何ヶ月分だろう。今まで見た事もない、最低金額の概算に、凄いな、とくらいしか感想が抱けない自分も情けないけれど、本当にそうとしか思えないのだ。保険が利くかどか解りませんけどねぇ。テロ行為なら下手すると利かない可能性もありますから、ホテルの損害としては国が動かないといけないかもしれませんね。と麗花は言っていた。ただとにかく、人に迷惑をかける、と言う事は相手の財をも傷つけるのだな、と知った。
「あ、そうだところでナツ、私この後トレーニング入りたいんだけど、藤堂さんまだかかりそうだし、付き合ってよ」
「お前、怪我大丈夫なのかよ。結構やられてただろ」
「ただの打撲程度。このくらい、道場で師範してた時日常的に食らってたわよ。湿布貼ってるし大した事ないわよ。それより、次遅れ取りたくないもの。あんたが怪我がつらいってんなら無理は言わないけど」
真麻にそう言われて、「解った。ただ、木刀は頼むから折らないでくれよ」と頷いて返した。
夏希の初めての事件は、とにかく全員に痛手を残す事件となった訳だった。痛々しいだけの報告書を所持者不在のデスクに放って、夏希は誘われた女の背中に付いていった。
「ああそうだ、ついでに今日の帰り、藤堂さんと麗花ととにかくがっつり食べて力つけようって、焼き肉行く事になってるんだけど、ナツ、あんたくる?」
再び問いかけられて、それに夏希は、「それも行く! 残念会しよう! 次は負けないようにな」と力強く返した。
第一話完となります。




