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セイギノミカタ ~赤城夏希~  作者: 桜
一話 正義の味方、初出動
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一話 初出動編 #2

   * * *


 正義のヒーロー。そう聞くと誰もが空想上だ、子供だましだ、ただの夢物語だと笑うだろう。夏希も大人になるにつれてそう思っていた。しかし、人類は描いていた夢を現実にしてきた。たとえば空を飛ぶ事。現在の飛行技術開発に置いて先駆を発信したのは元々自転車屋のライト兄弟が有名であるが、実際の使用是非は想像するしかないがプレ・インカ時代にも当時の飛行機なるものの制作も行われていたとされる。現在では人力ではなく機械操作で空を飛び、また夢とされていた世界の果て、赤道を基点とするなら北極や南極だろう。そうでなくとも空路がある程度確保出来、山奥の秘境のまた秘境でもない限りは時間や金がかかろうとも行く事が出来るようになった。それだけではなく、宗教支配時代の一部国々では星が惑星や衛星、ガス体である事を唱える事すら不敬とされ断罪された宇宙を目指す事だって出来る様になった。そして次に、通信手段。古来では人の足や馬を使い持ち運んでいた手紙の文化は徐々に薄れ、不便さを電話解消出来る様になった。昨今では電線で繋がって会話が出来るだけでなく、小型通信機も開発され、ついでにカメラまでついた携帯電話が普及し、一般的になっている。ミクロどころかマクロ単位の医療技術も発達した。例え時間はかかっても、人々は夢を叶えてきた。だから、正義のヒーローが実在してもなんらおかしくないのだ。


「けど、大胆不敵ってこの事ですよね。真っ昼間、しかも議員って、ある程度周り固めてるものじゃないんです?」


 背後からごそ、と衣擦れが鳴るのに、藤堂はううん、と一つ唸ってみせた。


「有名な、とか、一家が議員家系であれば可能だとは思いますが、山際議員は今期初当選、しかも一般人からの出ですからそうも行きませんでしょう。議員は我々の給料とは比べものにならない程給料が出ますが、何しろ議員になるにはまず金が必要になります。SPはプロですから支払いも馬鹿になりません。その点もありますでしょう」

「でも、やっぱりある程度警備会社とかあるんじゃないっすか?」


 ズボンの腰部分のマジックテープを止めながら夏希が聞いてみるものの、藤堂はまた小さく被りを振った。


「警備会社、と言ってもあくまで訓練を受けた民間人ですよ。軍事用やプロ用の防弾ジャケットも着用出来ません。ああいう職種で配布されているのはあくまで気休めの、貫通させない程度のものばかりです。二メートル距離の九ミリ弾が防げるかどうか、程度です。そんな大層な合金が入ったジャケットを着てたら重くて仕事になりませんし、ナイフを持った強盗一人程度ならとかく、複数名となると話は別です。ヘルメットだって同様ですよ。一般人が求める機能は落下物防止、実弾防止になりますと材料も異なりますし、民間が仕入れるにはやはり重くて安価ではありません。実際は気休め程度です」


 因みに、警察官が通常配布される防弾ジャケットも、機動隊以外はほぼ同様と見られます。と藤堂は続けた。彼は元々陸軍自衛隊におり、変なところミリタリー関係に強い。そんなもんなんですねぇ。と小さく頷いた。


「私も銃には全然詳しくないですけど、ただこういった交歓パーティって夜ってイメージが強かったんですけど、何で昼間なんでしょうね」

「あ、俺もそれ思った!」


 ぱ、と後ろを振り向きかけて、薄いカーテン越しに長い髪の影が見えて、夏希は慌てて視線を自分のロッカーへと向けた。

 因みにここは、隊唯一の更衣室である。本来この隊は男性のみの起用予定だったところ、柳の一存で『女性でなければ解決出来ない事件もある』と、最初の女性隊員である民間人起用の真麻を入れる事になったのだという。経費削減もあり、薄っぺらいカーテンで仕切られる程度なのだが、新卒二名が入るまではたった三名だったというし、それなりに回っていたらしい。制限時間がある時はこうして同室で着替えをしなくてはならないのだが、現在も工事費等の関係で改善予定はなしとの事だ。

 因みに最初夏希は、「それって、良くないんじゃないっすか!?」と聞いた。それに対して真麻は「まぁ、一般男性の腕なら逆に曲げられるから安心して? 故意でもない限り下着の中までは見られないでしょ?」と言ったし、麗花は「何かあった時は生涯尤も卑劣で下のランクの痴漢行為を働いた人としてインプットしますね」と笑顔で返してきた。

 高校時代の体育の授業ですら、こんなおざなりな着替え方はしなかったし、第一女子が良しとしなかっただろう。しかしどうやらたくましい隊員女性達は何一つとして気にしない。ただ夏希は男性で、悲しいかな女性がまるで意識せずとも、健康的な完成であれば嫌が応にも音だけで想像してしまうものがいくつもある。例え相手が誰であろうとも、だ。藤堂も男子校出身で、その上女性隊員より男の数が多い自衛隊陸軍出身のため、最初は困惑はしたそうだ。流石に慣れたらしく「こういうのは何も考えない事が一番なんです。それか、それにも勝る事を考える。自分はこういう時、頭の真ん中に任務の事か好きな食べ物の事を考えます」と助言してくれた。しかし夏希はこういった事態は初めてで、やっぱり大分落ち着かない。そんな先輩はジッパーを絞めながら、はは、と小さく苦笑した。


「まぁ、悪党の考える事は自分には解りかねますが、一つは警備態勢が薄かった、もう一つ、あの組織は今まで目立った行動をしていませんから、テロを行うにしても誰それ、どこの組織と解らなければ意味がありません。名を売らなくてはならないのでしょう。議員となれば大小はとかく取材やゴシップ記者が付きますから、良くも悪くも、この事件で山際議員含め人質が無傷で助かれば両名とも名は売れますね。それと、件の議員は確か東北の出身で、そうなると支援者も遠方の方が多いでしょう。ホテルを取るならとかく、帰りは新幹線を使わなければいけませんから、支援者への配慮と、人を集めなければならないと言う事もあって昼間に行ったとかじゃないですかね」


 なんだか難しい話だが、議員ともなるとなかなか大変なものである。夏希は一生縁がないだろうなとは思うけれど、給料がいい分、そう言った気配りや別の出資に気を配らなければならない、その上妙な事件に巻き込まれかねない職業と言うのは何となく解った。


「まあいいさ、とにかく悪い事してる奴はぶっ飛ばす! それがレッドアロウズの仕事ですもんね! ようし、待ってろよD―クラウン!」


 初出動、夏希はそれだけで胸の中が踊った。ロッカーに入っていたゴーグルを引っ掴むと、脇にあるポシェットに突っ込んだ。

 夏希は最初刑事に、出来れば二課なりたかった。キャリアなんて柄じゃないし、抑も学歴も頭でもなれっこない事は解っていた。けれどその為に必死に勉強してきたし、筆記も死ぬ思いで合格し、最終面接まで残れた。その時夏希は、志望動機を聞かれて思ったままはきはきと答えたし、面接官の感触もとても良く、実際合格通知を貰った。四月からは俺は講習を受けて、きっと近所のおまわりさんになるんだ。と意気込んでいた。けれど夏希が即時言い渡された配属先は、ここだった。

 正義の味方、と聞いたら、人は誰しも笑うだろう。けれどこのオフィスの名は、別名としてそう呼ばれている。

 合同テロ対策組織、レッドアロウズ。通称RA。管轄は警察庁、防衛省、法務省。政府として初の試みである、複数庁が交わる組織である。

 警察内にもテロ対策組織課は存在するが、それとはまた異なる。警察はあくまで管轄や組織構成において細分化を計っており、それによって初動捜査が遅延する場合もある。その点、レッドアロウズは本部は東京だが、管轄に縛られず動く事が出来る。そして二点目、自衛隊も民間の細部においた事件に関わる事が難しい上、動かすにはまた手続きが必要で、隊構成に置いても初動が遅延する場合がある。三点目、法務省や法務局の役割だが、これは主に人権擁護事務的な部分を担う。こちらは通告や警察への要請は可能でも暴力に対する抑止力がない。そしてこれは秘密事項の一つなのだが、ある医療機器メーカーがスポンサー、技術提供をしていて、これが全ての機関と尤も異なり、レッドアロウズが独自に、いわゆる“正義の味方”として活躍出来る源でもあった。

 レッドアロウズの名前の由来を聞いてみた事がある。某鉄道会社の特急からでもなく、その元となるスイスの観光鉄道からでもない。赤は日本の日の丸の色を、そして悪を射る一本の矢。それが複数本集いて成る組織、と言う色気も格好良さもないが、大層な由来を持っているらしい。そして夏希らは、その矢の一本ずつの名を冠しているらしい、のだ。


「けど、クラウンホテル、ねぇ……」


 山手線のある一両。殆ど開く事のないドアに背を持たれかけさせながら、真麻が小さく呟いた。

 例え正義の味方と大それた名を持っていても、悲しいかな現代の東京都心。ジェット機が地下から発進する訳もなく、そんな余剰土地もなく、下手をすれば建築法に引っ掛かり申請が降りない。秘密通路すら存在しない。自動車の所持者は三人いるけれど、この都心の、しかも山手線近郊で運転をする程馬鹿らしい事はない。つまり、レッドアロウズの主たる交通手段は都心部においては電車に頼るところとなる。ダイヤの乱れさえなければ定刻にはきっちり到着する立派な乗り物で、幸いな事に通勤、帰宅ラッシュに巻き込まれなければ、天下の山手線も比較的空いてている。因みにその時間帯は丁度隙間時間もあって、人もまばらでゆったりと乗れた訳だ。


「何か気になる事でもありますか?」


 藤堂が幅広のアタッシュケースを手にぶら下げたまま、窓の外に流れる景色を眺めたまま問いかけると、真麻はあ、いえ、と一つ呼吸を置いた。


「なんて言うか……偶然かなって。ほら、名前とかいかにもって感じじゃないですか。そういえば麗花が美味しいお店があるとか何とかも言ってたっていうか」


 考えながら言葉を吐く真麻に、夏希もそういえばそうだな。と考え込む。偶然だとは思うけれど、組織名とも被る名称のホテルに面白いくらいの違和感を感じる。

 その組織が名を掲げたのは今年二月の事で、記憶にも新しい。池袋の巨大パネルを突如ジャックし、大胆不敵とも言える犯行声明を掲げた。


『我々はD―クラウン。この日本に宣戦布告をする、ただ一つの組織である。この一年の間に君達民衆の間にその名を植え付けるべく、目的の定まらない、いくつかの事件を起こそう。もしかしたら諸君らはテロ行為、と呼ぶかもしれない。いかに捉えられようと、我々は君達の心に名を刻む為の全ての努力を惜しまない。金も、栄光も、人命も我々は望まない。目的はただ一つ、君達にD―クラウンの名を刻ませる為に、出来うる限りの事をしよう』


 大体、こんな声明文である。因みに昨今こんな手間のかかる文句を掲げるテロ組織は非常に少ない。今やインターネットが普及しており、SNSも酷使し、予告を打ち出す程度なら民間動画サイトに上げれば立ち所に広まる事となろう。場合によっては犯罪行為を犯した後に発表するだけでもいい。次の瞬間からニュースに取り上げられ、お茶の間を戦々恐々とさせられる。まるでテレビアニメの怪盗の様に、『今から悪い事をするから待っていて下さい』と事前予告をする、その上公共の場をジャックする手間のかかる事をしなくても済む訳だ。だからこそ気味の悪い組織として警戒の為もあって、設立当初三人であったレッドアロウズの人員も増やした。

 しかし二月に声明文を発表して以来、暫くの間かの組織に動きはなかった。そして四月、奇をてらったように突如動き出したのだ。

 一つは宮城県沿岸におけるリゾートホテル開発予定地の破壊事件。これには藤堂、麗花が当たった。そしてもう一件同時に起きたのが、誰もが予期していなかった、先程テレビにも映っていた箱守和也、及び妹の美羽護送時の誘拐未遂だった。真麻はその際D―クラウンと名乗る人物と接触、見事払いその上相手が所持していた拳銃を一丁押収している。一時は和久氏殺害関与の線も浮上したが、凶器、傷口、及び指紋等数々の証拠から、それは薄いと判断されたらしい。そして五月に入った現在、今夏希達が向かっている事件が、三度目に当たる。


「あー、ところでよ真麻、全然関係ない話していいか?」

「何?」


 武器の入ったホルダーを改めて肩にかけながら夏希はわざと視線を逸らしながら言うと、視界の端で猫の様な眼差しがこちらを向くのが見えた。


「あの、すげー言いづらいんだけど、悪いんだけど、取り敢えず前閉めてくんねぇか?」

「はい?」


 聞き返されるのは百も承知だった。けれどどうしても気になって仕方がなかった。


「す、すげー気になんだよ。ていうか防弾ジャケットなんだから、閉めとかなきゃならねぇだろ」


 因みに夏希と藤堂も勿論ながら、レッドアロウズには“戦闘服”が存在していて、本日はそれを着用している。一見するとビニール、もしくはポリウレタン製かと思う作業ジャケット風で、その上全体は何をどうしてこんな色にしたのかと思うホワイト・シルバー。それぞれ誰のものか解る様に脇から腕にかけてと、ズボンの横にラインが引かれていて、因みに夏希は赤色である。しかしいくらダサかろうと先端技術を駆使したジャケット、ズボンで、あくまで説明を受けただけだが、織りが特殊で、二メートル距離から撃たれた九ミリ弾なら貫通をさせない、チョッキと併用すると更に防御力が上がる優れもので、尚且つ濃度六〇パーセント程度の酸なら数分は持ちこたえるという優れものらしい。

 そして真麻はそのジャケットの前を堂々と開けて、羽織っているだけなのだ。


「だってこれダサいんだもの。嫌」

「や、嫌とかじゃなくってだな……俺絶対閉めた方がいいと思う……だってほら、今満員電車じゃなくたって、困るだろ痴漢とかっ!」


 余談であるが真麻はたった二人の女性隊員でも秀でて胸が大きく、減らなくて邪魔なのよね。と言っているのは聞いた事がある。機動力重視の真麻は防弾チョッキを着用しないのだが、それもあって開きっぱなしのジャケットの下に着ているキャミソールのみなのだけれど、更に言うと襟がざっくりと空いたタイプなのだ。そして腕を組んでいる所為もあって寄せられて、くっきり谷間が見えるし、中に押し込んである通信機のコードも少し覗いているのが解る。いくら八センチ程度高いとは言え目線が上になる夏希としてみたら、とにかく目のやり場に困ってしまう訳だ。

 しかしそれに真麻はは、と小さく肩をすくませてみせた。


「残念ね、私生まれてこのかた、痴漢に遭った事ないの。ああいうのって、自分より小さくて大人しいタイプの子狙うでしょ? どうやら私は論外みたいね」


 背も高めで、可愛げがないでしょ。そう言いたげだ。こうした事を口にして「セクハラです!」と言われないのはまだマシだけれど、そう言う問題ではない。

 因みに本人に聞いた話だが、真麻は人生でたった一度しか男性と付き合った事がないそうだ。その上ふとした弾みで民家の石垣を拳で破壊して、逃げられてそれきりらしい。それ以来声をかけられる事もなかったらしいから、異性を意識する事もなく、何もしていなければ自分が綺麗な外見をしていると言う認識もないらしい。それにしても女なんだから、多少隠して貰わないとこっちが身が保たない。

 藤堂さん、良くこいつと付き合ってたなぁ、と思いたくなる。夏希達が配属になる前の四ヶ月の間は、司令の柳を除いてたった二人だけだったのだ。恐らく彼の事だから少し窘めてそれきりだったのだろうと予測は出来るものの。

 先輩に助けて下さいよ、と視線を向けると、彼ははは、と今更と言う風に乾いた笑いを漏らしてから、わざとらしく、そうだ。と話題を変えた。


「ええと、ところで夏希君、真麻君、先程の件、覚えてますか。念のため、ちゃんと警戒はしておいて下さい。何があるか解りませんから」

「へ、あ、ああ、ツバサ・システムの事ですか。大丈夫じゃないっすかね。強化したんですよね?」


 先程藤堂が任務に向かう前に柳に報告していた件だろう。真麻もそれに頷いてみせた。


「けど、ツバサ・システムがそんな頻繁に不具合起こすって、何ですかね」

「原因は流石に自分では解らないですね。ただ、こうも連続して回線がショートするなんて事は、今までありませんでしたから。現在技術者が二名とも亡くなっていますし、中のシステム自体が解る人間がいないとなると、何とも言えません。予測ではキャパオーバーで回線がショートした、と考えられますけど……二人は切れたとき、何か違和感を感じた事はありませんか?」

「んー、俺はありません……ねー。っていうか今まで使ったのって、最初の四月の訓練以来ですし……」


 流石に使う機会もなかったせいか、そう言った不具合を感じた事は今までない。

 ツバサ・システム。それが警察とも自衛隊とも違う、レッドアロウズの矢羽根、そして刃の部分でもある。並びに故箱守和久氏、及び彼を殺害したとされる川澄氏が共同開発したシステム名である。元々が内密且つ綿密なもので、メンテナンスはある一定の人間でも可能なのだが、ブラック・ボックスたる核の部分を把握しているのがその両名だけだった。だから再度システムの復旧をしようにも手が出せない状態且つ、ホスト・サーバーの場所も、柳以外隊員は誰も知らない。あくまでもレッドアロウズ本丸にあるのは、遠隔装置と呼ばれるサーバーのみなのだ。そしてそのメンテナンスは全て藤堂が行っている。

 当初は技術職員がいたものの、内部回線がやられたりしない限りは彼のみで事足りる、との事で、経費削減も兼ねて現在では藤堂が一任している。因みに彼はとにかく機械弄りが大好きで、電動ドライバーより手動ドライバーの方がねじを締めている感じが好きです、と良く解らない事を言っていたし、実際麗花の内部アプリケーション以外のパソコンや周辺機器設置も彼が行ったらしい。技術系の職を選ぼうとは思わなかったんですか? と聞いてみたけれど、彼には彼の事情があって自衛隊を選んだらしい。つまり、現レッドアロウズは彼にとってはある意味天職で、趣味も兼用出来る格好の場だった訳だ。ただその藤堂でも対処しようがない、回線の太さを変えても改善されないとなると、少し面倒な事は確かだ。


「……そういえば……一度。うまく起動しようとしても起動出来ない時がありました。ぷつん、と切れたみたいな。もしかしてその時回線切れてたかも……」

「は? いつだよ。お前そんな事一度も言わなかったじゃねぇか」


 ぽっつりと真麻が吐いたのに、報告第一って言ってたの誰だよ。と揶揄してみせると、真麻はえっ、と声を上げて、言葉をくぐもらせた。


「あ、あれよ。別に何があったとかじゃなくって! カボチャ叩き割ってみようかなって、え、ええと、に、二週間前の……木曜日に、ちょっと」

「何慌ててんだよ。ていうかカボチャ程度、システム使わなくてもお前素手で割れんだろ。木刀折るんだから。二週間前って言うと、あ、金曜俺が出勤した日だっけ」

「ああ、そうですね。一度切れてました、その時。朝メンテナンスを行った時には問題なかったんですけど、次の日にはショートしてましたからね。あれ一度きりなら良かったんですが、流石に立て続けともなりますと、少し困りますね」

「まぁでも大丈夫ですよ藤堂さん。万が一ツバサが起動しなくても、全力でやっつける、って奴でしょ?」


 夏希がへらり、と笑ってみせるとね真麻は「のんきねぇ、リーダーさんは」と、さっきの仕返しとも言わんばかりに揶揄してくる。


「けれど気をつけて下さいね。実際起動しようとしてうんともすんとも言わない、なんて言うと焦りますから。場合によっては命に関わる件ですから」


 藤堂が静かに言ったのに、それに夏希はへいっす! と力強く頷いてみせた。

 ホテルクラウン、確かにとってつけた様な名前だ。それだけで悪が犯罪を行う場所を決めるとは思えないものの、奇妙な一致をしている。周辺はオフィスビルが建ち並び、黒々とした高い建物の中で目立つホワイトカラーの、清潔感を押し出した背の高いホテルだ。情報を確認した時には上階にレストラン・フロアがあって、それぞれの名前はぱっと見ただけでも読めない、洒落た他国名称が並んでいた。どれが何屋なんだろうな、と思ったけれど、一生に一、二度くらいしか縁がなさそうな飲食店である事だけは予想がついた。普段なら宿泊客やそのお洒落なレストラン利用客が行き来するだろう入口は簡易テープで周囲を仕切られており、その前には警察官が立ち、更に周辺にはホテル従業員か、野次馬か、はたまたマスコミかで囲まれていた。


「少し待っていて下さい。警察に話をつけてきます」


 恐らく司令官が話をつけてくれているだろうけれど、念のため現状も伺ってきます。と、捜査本部の場所確認をしながら藤堂が言ったのに、真麻が頷いた。


「じゃあ、私麗花に到着報告と確認取ります」


 と、胸元に押し込んだ通信機のボタンを押して、レッドアロウズ本部へと連絡を取り始めた。


「え、ええと、じゃあ俺は! 何してたらいいですかね!」


 流石に初任務、一体何をどうしたらいいのか解らないのだ。慌てて夏希が問いかけると、藤堂はふむ。と一つ唸ってみせた。


「ああそうでしたね、夏希君はリーダーとしても初任務でしたね。ではまず場の空気に慣れる事と、周辺警戒を。何か不信な事があれば真麻君と対処お願い致します」

「へいっす! 了解です!」


 夏希が力強く頷くと、藤堂はお願いしますね。と人混みの中へと、恐らく警察の本部が設置されているだろう場所へと向かっていった。耳に嵌めたワイヤレス・イヤホンからは麗花と真麻のやりとりが聞こえてきて、任務の時はこんな風にやりとりするんだな、と関心しながら、請け負った警戒の為に周辺を見回した。

 実を言うと夏希は、レッドアロウズにおいてリーダーという名を頂いている。とはいっても、あくまで名ばかりなのだが。着任直後、人数も増えた事だしまとめ役が必要だろう。と、選抜する事となったのだが、満場一致で可決しかけた、事実上次席である藤堂が「自分はろくに愛嬌もありませんし、柔軟性にかけます。愛嬌もありません。人をまとめられるとは到底思えません。自衛隊時代もまとめ役なんて出来ませんでしたから」と突然辞退したし、次に真麻、と言われた際に、「私も適任ではないと思います。名ばかりと言っても、うまくまとめる自身なんてありません」とか言い出して話が平行線になってしまったものだから、リーダー選抜じゃんけん大会、とか妙な決め方で、夏希が勝ってしまったのだ。因みに夏希は最初、新人なのにどうなんですか!? と意義を唱えた。しかし先輩二人は、「いいんじゃない? 名ばかりだし」と返された。そんな名ばかりでも二人ともとにかく、背負うのは嫌だったらしい。という事で、新人な上右も左も解らないまま、それでも夏希はリーダーな訳である。

 とは言っても、周辺警戒と立派な名前を貰ったところで、実際何もする事がない。野次馬達は携帯電話を掲げて写真を撮っていたり、慌ただしくメールでも打っているのか、弄ったりしている。もしかしたら人質の身内もいるかもしれないけれど、判別はつかない。

 大学時代、夏希も通りがかりに事件があれば、なんだろう。とひょっこり覗き見る事はあった。けれどこうして関係者の一人になると、いつ何が起きてもおかしくない事件の周辺に人がいる事は余り好ましい事ではないと思うし、学生時代の自分を反省する。場合によっては逃げ出してきた犯人に捕らわれる危険性もあるし、人が群がっているだけで誰かを助けられない、最悪の状況にも陥る事だってある。けれど老若男女ゴシップ好きは幅広く、周囲を取り囲んでいる人々も、背丈や性別、年齢もバラエティに富んでいる。場合によっては国籍が違う場合だってあるだろう。その時。


「ん?」


 一人の男と、目が合った。五月第一週目ゴールデン・ウィーク真っ只中の今日は、それでも少し寒い方で、薄手のコート程度なら着込んでいてもなんらおかしくはない。男は真っ黒のロング・コートを纏っていて、幅広の眼鏡をかけていた。人垣から少し離れた場所で今まではもしかしたらホテルの方を向いていたのかもしれない。肌の色は白く、顔立ちは日本人とはかけ離れたすらりとした面差しをしていた。

 ここは現代、先進国と呼ばれる日本で、その上新宿。外国人と称される人々は珍しくもなんともないし、今更その程度で驚きはしない。以前アルバイトをしていた時に、話しかけたらアジア系の異国人だった事だってあるし、都心部では仕事として滞在、場合によっては帰化している人だって多い。金髪も肌の色が違う事も不思議ではなくなったし、電車で居合わせる事なんて日常にもなっている。だから男が陽の光に透けて薄い色の髪色をしていたところで驚きはしない。他国人だからと言って事件が珍しくない訳でもないし、ただの野次馬だろう。しかし眼鏡をかけたその男は、夏希と目線を合わせたまま、にこりと笑みを作った。

 何だ? 夏希が一歩踏み出そうとした、その時。突如道に横付けされたワゴン車から人が飛び出してきて、カメラを構えた人々が道を塞ぎ、人垣の真ん前にマイクを構えたリポーターらしき人物が更に道を塞いだ。次の瞬間。


「ちょっと、どこ行くの!」


 ぐい、と腕を引っ張られてそちらを向くと、真麻が眉をひそめてこちらを睨み付けていた。


「人多いんだから、藤堂さんが見失ったら困るでしょ!」

「あ、い、いやなんかちょっとあそこの奴が気になって……あれ?」


 ちゃんと周辺警戒してたんだよ、と意思表示に視線を戻したものの、先程までそこにいた黒コートの男の姿はなく、代わりに道を塞いでいるリポーターがカメラに向かって、「ただいま現場に到着しました。こちらが現在人質事件が発生しているホテルクラウン前です。凄い人だかりです」と発信している姿と、その様子をカメラに収めようとしているただの野次馬の姿だけしかなかった。

 続いてワイヤレス・イヤホンから『藤堂です。たった今話がつきました』連絡が入ったのに、夏希はその姿を探す事も出来ず、気のせいかな、ただの野次馬だったんだろう。と思う事にした。

 正義の味方は堂々正面から、なんて文句は流石に野次馬やマスコミがいる現時点では使用できない。地下駐車場から従業員入口を利用して侵入せよ、と警察から指示が降りた事もある。


「まぁ、自分達はこの格好もあって悪目立ちしますからね。それに侵入時をテレビカメラに撮られて、中継を見ていた犯人に侵入がばれる、が一番馬鹿馬鹿しいですし」


 まぁ、最善でしょう。藤堂が苦笑しながらアタッシュケースを開くと中にはシルバー・ブルーに光る筒状のものが四つ入っていて、まずは両足にくくりつける。彼は慣れてしまいましたよ、と笑っていたけれど、その作業を両手足合計四度しなくてはならないのは少し手間だろうなとは思う。


「まあ、バレる時はバレますし、ただ出来たらテレビには映りたくないですね。この格好とにかく格好悪いし、出来るだけ勘弁したいですね」


 真麻も手に提げていたバッグからサポーターを取り出して両膝に嵌めてぴったりと留めると、仕上げ、と言わんばかりにようやっと胸元のファスナーを引き上げて、首のボタンを留めた。

 夏希も腰のホルダーにしまい込んでいたままの、スキー用さながらの薄暗く七色に輝くゴーグラスを取り上げて、揚々と目元を覆った。


「うっし、じゃあ行きますか! 救助開始、制限時間残り一時間一〇分!」


 ぐっと力拳を作って気合いを入れたその時、どちらともなく「静かに」と窘められてしまった。

 正義の味方とは実を言うと難しい職業で、誰にも正体を知られてはいけない、というのがテレビアニメでも定石である。勿論これにはちゃんとした理由がある。正義の味方と言ってもテロ対策合同組織、と銘打っているだけあって、自己へのテロ行為を避ける為もある。たとえば特殊急襲部隊、一般的にはSATも同様で、任務に当たる際目差しを多い正体を知られない様にしなくてはいけない。万が一正体を知られると自分だけでなく、家族や周囲を巻き込む危険性が非常に高いからだ。まして自分達は、そんな理由があるならこんな悪目立ちするジャケットにしなくてもいいのに! と言いたくなる銀光りする派手な戦闘服着ているし、ダサい作業ジャケット風と言ってもとにかく目立つ。人目を避けるには越した事はないのだ。

 因みに侵入するとなると監視カメラの存在が問題で、管理室に人がいれば直ぐに察知されてしまうのだけれど、これに関しては麗花が本部で対応してくれている。麗花は可愛らしく小さな外見をしているけれど、元々情報処理を実戦も含めてアメリカで学んでいる。今回は管理会社へ要請して回線を繋げる事が出来たのだけれど、例えそう出来なかったとしても、乗っ取る事は難しくない、と彼女は言っていた。


「簡単に説明するとね、ナッちゃん。インターネットが普及していたら、ある程度侵入は可能なの。ビル独自の管理態勢でもない限り、どこかに穴があるもので、ハッカーはその隙間を付いて侵入するの。ネットを通して本部で画像を確認したり、ついでに記録も一定時間残したりとかね。ただ、私の場合はあくまでもハッキングメインだからね? 悪い事はしないからね?」


 との事らしい。けれど、夏希にはそんなに簡単に侵入出来るものか、ついでに言うと言ってる事は解る様な解らないようなで、まぁ、空き巣が家の鍵を開けるみたいなもんだよな、と何となく検討をつけた。つまり現在監視カメラの映像は、全て麗花が見たいように見られて、尚且つ弄る事も可能なのだそうだ。他にも彼女の特技は心理学から雑学、語学まで、その上父の趣味のクレー射撃程度なら可能だそうで、何をどうしたら射撃が趣味になるのかは解らないけれど、とにかくバラエティに富んでいる。そんな彼女が言うには管理室はもぬけの空らしく、麗花はそれに対し『変ですねぇ…』とぽっつりと呟いていた。

 地下階段から上がってまずはロビーへ。これは一度上の様子も確認したい、と藤堂が提案したからなのだが、見張りの姿は特になく、スムーズに上階へ出る事が出来た。

 シャンデリア風の電灯で明るく照らされたロビーは、普段なら宿泊客やレストラン利用客でめいっぱいとは言わずとも、人の行き来はあっただろう。しかし今ではしんとしていて、人の気配は、ガラス張りの出入り口の向こう側に小さく見えるだけだ。


「……変ですね」

「そうですね、余りにも静かすぎます。事がすんなり行き過ぎている」


 真麻と藤堂がロビーに気配を配りながら呟いたのに、夏希は何が? と首を傾げた。確かに静かだけれど、それはあくまで人々が避難したからではないだろうか。それに真麻は溜息交じりに、夏希と同じゴーグラス越しにこちらを、恐らく睨み付けた。


「もう、良く考えてよ、リーダーさん。人質取るにしても、犯人だって捨て身じゃなきゃ捕まりたくないでしょ? 最低限、どころか逃走経路用に見張りを置くとか、そう言う手が全然見えないって事。しかも現場は上階の二五階よ? 手口も限られてくる筈なのに、出入り口にはなんの気配もナシ。おかしすぎじゃない?」

『私もそれは感じました。いつ警察が突入してもおかしくないのに、管理室ももぬけの空。他のフロアにも、現在二五階以外に人の姿は今の所確認出来てません。隠れてるにしても何らかの動きがあってもいいのに……それに……』

「それに?」


 ワイヤレス・イヤホンから麗花の声が響いてくるのに、藤堂が問いかける。すると麗花は少し考え込んでから、はい、と頷いた。


『気のせいかもしれないんですけど、監視カメラの回線が、私が管理下に置く以前に、他の回線に取られてたっぽいんですよね……おかしなアクセス履歴もあったんですけど、直ぐに消されちゃったっぽいし……』

「へ? ええとつまり、敵に監視カメラ映像を取られてたって事か?」

『多分……。確認しようにも、直ぐになくなっちゃってたんで、追跡出来なかったんですけど、もし私の見間違いじゃなかったら、相手側にもハッカー、もしくはクラッカーが存在している可能性が高いです』

「けど、カメラはこっちが奪取したんだろ? じゃあ、大丈夫じゃないのか?」

『回線が割り込まれたなら、向こうももう勘づいてると思いますよ。パソコンがお得意な人であれば、ですけど。それにしたって避難経路に誰もナシってのは不思議です。本当にどこ見ても二五階の入口付近に二人、それと宴会場に複数名の人質と、黒服っぽい男の人達がいるくらいしかないんです』

「陽動にしては、不思議過ぎますね。何を考えているんだか……動きもまるでないんですよね?」

『はい、人質事件が取られている間の映像も確認しましたが、トイレに立った人が五人いるくらい……全部見張り付きですね。そのくらいしかないです』

 それを聞いていた藤堂がやれ、と一つ溜息吐いたのに、夏希は腕を組んで考えてみる。

「あの、二五階で全部ぶっ飛ばす! って考えてるとか?」

「馬鹿ね、拳銃、ナイフ所持って聞いたら突入予定の警察だって人員確保もするし、出来る限り対処法を考えるわよ。それを予測してない馬鹿ならともかく、人質取って犯行声明出す様なタイプでしょ? その上、D―クラウンだもの。舐めた事してもそこら辺は考えてるでしょ、多分」


 唯一この中でD―クラウンと対峙している真麻は、苦々しく返してくる。同じ相手なのか違う相手なのかは辿り着いてみない事には解らないものの、警戒すべき不気味な相手である事は理解出来た。


『とにかく、流石にお客さん用エレベーターはガラス張りで丸見えですから、従業員用の方を確保してあります。ええと、フロント裏手にある入口から入って直ぐです。あ、それと先程柳司令が車でそちらに向かいましたので、暫くの後到着するかと思います』


 現場に足を踏み入れてもいないのに、てきぱきと麗花が指示してくる。見取り図を見てそう言っているのかもしれない。

 探し当てて乗り込んだエレベーターは、外装がやロビーがきらびやかに清潔感溢れていた反面、小綺麗に掃除はしてあったものの、どこか埃やかび臭さが漂っていた。配膳物や清掃用具等を乗り込ませる為もあってか三人で使用するにはいささか広すぎる箱が、鈍い音を立てて昇っていく中、藤堂が夏希と真麻を交互に見た。


「いいですか二人とも。特に夏希君、君は初めてですから、特に気を付けて。拳銃を所持していると報告があった以上、ドアが開いた途端勝敗が決まるなんて事もざらです。こっちは逃げ場の限られたエレベーター内、出入り口は限られてますから。麗花君が昇降ランプを消す手はずは整えてくれていますが、流石に音で気付かれます。まず自分が盾になりますから、そのおつもりでいて下さい」

「うっす! とにかく流れ弾当たんないように気をつけます!」


 力強く頷きながら、夏希は背中のホルダーから木刀を一本引き抜いた。とにかくここからが本番だ。二五階、内側のランプがそこで止まると、エレベーターが一際大きく揺れて止まり、今までぴったりと合わさっていたドアが開いた、次の瞬間。

 なめらかな異国語がエレベーター内に投げ込まれたのと同時に、上下とも黒の衣服に身を包んだ二組の姿が見えた。背格好からして、どちらも男。その手には黒く鈍く輝く拳銃が握り占められており、夏希達の姿を認めると、突如ばん、と発砲して来た。真麻は直ぐさま“開く”の延長ボタンを押して壁際にぴたりと身体をくっつけたし、藤堂は先程打ち合わせた通り壁の様に入口へと立ち塞がり、腕で腹と頭を守る様に掲げると鈍い音がして、着弾した事を知った。

 事前に聞いてたけど、冷や冷やするなぁ。例え特殊防弾ジャケット、チョッキを着用していようと、あくまで貫通させない程度の働きしかない。直撃すれば無傷ではいられないし、下手をすると撃ち込まれた銃弾が身体にめり込む可能性だってある。けれど、藤堂は違う。やれ、と小さく肩で息を吐いた背中が、ゆるりと動いた。


「困りますよ、エレベーターを傷つけると従業員さんが使用するのに困るでしょうに」


 溜息交じり呟いた男に向かって、黒ずくめの一人が再び異国語で声を張り上げ、再び発砲する。しかし再び藤堂の腕が鈍い音を立てるだけで、倒れる事もない相手に若干怯んだのか一歩後ずさった。


「成る程、マカロフですか。お二人とも、敵側拳銃、両方とも同型。弾数八。貫通力が高いですから、お気をつけて」


 冷静に判断した藤堂の足元には恐らく両手足に弾かれたのだろう弾丸が落ちていて、彼は一歩足踏み出して靴裏でその一つを踏みしめた。

 それが、藤堂の武器の一つでもあった。テロ対策にはほぼ銃撃戦が予想される中、彼が尤も最初に求めたのは、盾の存在だった。そしてそれが、ホテルに入る直前にくくりつけていたものだ。見た目としたら少しダサいし、本人も思っていたのと少し違うなとは感じていたらしいけれど、実際は高機能で、万が一割れても取り外しが可能な防弾ガラスコーティング、その下には厚さ一センチもある特殊合金及びクッション材が三重層と、貫通だけでなく着弾時の衝撃にもある程度耐えられる代物である。尤もそんな頑丈な作りであるから重く、筋力もあり尤も背の高い藤堂くらいしかまともに扱えない代物なのだが、下手な防弾チョッキより頑丈なのである。流石にライフルや大型拳銃ともなると破壊力が違うから難しいものの、一般的に出回っている回転式銃やオートマチック・タイプであれば難なく防げます。と言っていた。夏希は銃のタイプなんて全く解らなかったけれど、とにかく凄い、という事だけは解っていた。

 藤堂が歩み出た隙間から、するりと女の長い髪が抜け出た。次の瞬間、真麻が「ツバサ・リミッター解除!」口の中で漏らし、エレベーター・ホールの床を蹴った。一人の銃口が向けられたものの、真麻の方が早い。二度目に地面を蹴った足は銃口を避ける様に右へと避けると、長い髪すれすれに銃弾がかすめる。次の瞬間前方にいた男の脇へと滑り込むと同時に、引き締めた拳を思い切り叩き込んだ。すると黒ずくめの男は身体をひしゃげたものの、真麻の目の前に拳銃を突きつけた。しかし。


「銃には散々お世話になって腹立ってんの、よっ!」


 すかさず振りかざされた拳に思い切り顔面を殴りつけられ、衝撃で壁に叩き付けられると、そのまま動かなくなってしまった。


「な、何者だお前達っ!」


 男の口元が歪み、今までと異なるなめらかな日本語で発音される。僅かに焦燥の色を浮かべた男の隙を縫った藤堂がその身体に体当たりをすると、今まで真麻に向けられていた銃口が天井へと火を噴いた。

 それが、男の最後の攻撃だった。次の瞬間に真麻の手刀が男の側頭部を打ち抜いたからだ。床に倒れ込んだ男の顔を覗き込みながら、女が長い髪を掻き上げてみせた。


「カッコ悪く言えば正義の味方って奴よ、D―クラウンさん。……あら、聞こえなくなっちゃったかしら」


 ふ、と一つ溜息を吐いた姿に、夏希は何とも言えない気分になってしまった。何だよ、俺出る幕なかったって奴じゃねぇか。

 しかし本当に実弾を用いて躊躇なく発砲してくれるとは、事前に言い含められていたとは言え、驚いた。ただそれよりもこの二人には相手にならなかったようだったけれど。

 テロ組織、D―クラウン。その一味と思われる二人組は、形こそバラバラだが示し合わせた黒の格好をしていた上、片方は真麻の拳でひびが入ってしまったようだが、目元をカラスの嘴を模した様な鋭い仮面で覆っていて、目の色も判別が付かない様にだろうか、表面から見ると黒いレンズが填め込まれていた。

 こうして見ると、格好からしても滅茶苦茶“悪の組織”っぽいな。口に出すと子供じゃないんだから、冗談はよしてよ。と真麻に言われそうだが、実際こうして見て、そう感じた。


「さて、片付いちゃいましたけど、この騒ぎで中の方達には気付かれたとは思います。ただ、出てくる気配がないという事は、恐らく入口で待ち構えている可能性は大いにあります。どうしましょうかね」


 相手の身体を探りながら、藤堂が宴会場に続くだろう観音扉をちらりと一瞥した。


「そうですねぇ、何人いるかも不明ってのが困りますけど、入った途端蜂の巣って可能性はありますね。取り敢えず一応人質もいますし、そっちの救助も考えなくちゃですよね」

「あ、あの! 俺、最初に入ります! 今日俺何も出来てないし!」


 それに慌てて夏希が挙手すると、真麻が溜息交じりにこちらを睨み付けてくる。


「あのね、あんた自分の能力考えてよ。……確かに、そりゃ私が背後から抜け出て人質側に回った方が早いとは思いますけど、どうします、藤堂さん。ナツはこう言ってますけど」

「まぁ、それでしたら自分が盾に回ってサポートしますよ。それより人質を盾に取られれて、の方が厄介です。直ぐには人質に向かって発砲はしないでしょうが、素早い真麻君が一気に叩いた方が早そうです。恐らく真っ先に、銃口を向けられるのはこちらでしょうし」


 そうして発見した銃、及び銃弾、大小のナイフを、藤堂はその全てを抱えて開きっぱなしの業務用エレベーターの中に置いた。そしてボタンを操作すると、暫くしてからドアが閉まる。それを見計らってか、彼は通信機のボタンを押した。


「司令、エレベーター・ホールに二名見張り有り。現在意識不明状態にさせています。先程業務用エレベーターに武器のみ入れておきましたので、突入準備及び回収の手はずをお願い致します。これから宴会場、突入します」


 一度叩いた相手が再び意識を取り戻し、武器を手にして背後に立つ事が一番恐ろしいんです。藤堂はそう言っていた。そして共に犯人を先に送らないのは、同時に目を覚ました時が恐ろしい、のと下に降りたら退路が複数存在してしまうからに他ならない。警察の突入まで上階に置いておいた方が安全なのだ。


『解った、気を付けてかかれよ』


 ワイヤレス・イヤホンから響く重厚な司令の声に、応答をしていない夏希も、はい。と頷いた。

 観音扉に手をかけた手が、少しだけ震えた。赤城夏希、二十二歳。これが彼にとって初の“正義の味方”としての任務である。ようし、と気合いを入れて、思い切り扉を開け放った。


「正義の味方、レッドアロウズ参上! 悪い奴らは全部お縄に……っわっと!」


 夏希が口上を述べる前に複数響いた銃声に、思わず一歩後ずさる。直ぐさま藤堂の身体が滑り込んで、盾になった藤堂が銃弾を防ぐ。背後で真麻が「カッコ悪……」と呟いたのに放っておいてくれ……と内心呻いた。

 異国語が飛び交う宴会場には、複数、入口と同じくやはり格好がバラバラの黒の装いの、カラスの様な仮面で目元を覆った男達が一斉にこちらに銃を向けていた。数は九名ほどだろうか。部屋の中に等間隔設置されている五つほどの丸テーブルの奥、今や役に立っていない議員、パーティ名が高々と掲げられていた壇上付近には、着飾った数十名の男女がぎゅう、と団子の様に押し込まれていた。彼らが人質である事は予想するまでもないだろう。

 なんて酷い奴らだ。彼らは銃口を向けられ、一時間余りそうしているせいか目は怯え、焦燥の色を浮かべていた。


「夏希君!」


 銃弾を防ぎながら藤堂が突入指示だろう名前を呼んでくるのに、夏希は慌てて「はい!」と頷いて、改めて木刀を握り占めた。


「ツバサ・リミッター解除!」


 叫ぶと同時に地を蹴り、藤堂の脇をすり抜けた。身体が羽根の様に軽くなり一歩床を踏み蹴るだけで風が耳の奥をすり抜けていく。目の前に向けられた銃口を切っ先で弾き、直ぐさま柄で男の側頭部を打った。

 正義の味方がこの世に存在しない。一体そんな事、誰が決めただろう。子供の頃はずっと信じていて、自分の知らないところで悪の組織と戦い、人々の平和を守っているものだと思っていた。大人になるにつれてそれらはただのテレビアニメや、覆面スーツの、ただの大人達なのだと夢が薄れていった。けれど夏希はそれでも、正義の味方になりたかった。例え存在しなくても、近い存在になりたかった。だから刑事を目差し、出来れば将来は二課になりたかった。そのために必死に勉強もしてきたし、親に頼み込んで剣道も習った。学校で募集していたボランティアも、偽善者だなと笑われても率先して行った。誰かを守る力が欲しかったからだ。

 何とか最終面接まで持ち込んだ際、志望動機を問いかけられた。その時夏希は胸を張ってこう言った。


『俺、ずっと正義の味方に憧れてたんです。みんなを守れる様な人になりたいって、だから刑事になりたいって、人の役に立てる様な人になりたいんです』


 最初は近所の親しみのあるおまわりさんでも良かった。そして見事受かって、しかし配属されたのがこのレッドアロウズだった。けれど夏希は、それでもいいと思っていた。ここに配属したからこそ出来る事があり、そして人々を守る為の力を手に入れた。

 ツバサ・システム。故箱守和久博士が開発した特殊システムである。本来は医療、介護分野への使用を目差して研究されていたものだが、試験運用も兼ねてレッドアロウズに使用許可を出された。人間の動く動作、抑も考える動作を『行え』と指示を出しているのは脳であり、そこから神経を伝い信号を送る事によって一連の動作が出来る。しかし同時に抑制をかけているのも同部分である。たとえば全力で走れ、と念じたところで、脳がストッパーの役割をして実際の筋力の何割かはその指示通りには動かず、実の所自己能力の数十パーセントしか稼働してはいない。実際人間が持ちうる全ての筋力を酷使したらどうなるだろう。身体が疲労するどころか、下手をすれば壊れる。筋力や持久力を上げたところで個々の能力は上昇してもその値は実際は変わらないのだ。しかしそれを取り払うのが、そのシステムなのである。

 柳を除くメンバーの首の付け根、これは神経が尤も集中する部分なのだが、には特殊チップが埋めこまれており、ある一定の信号を声に出して発信する事により起動する。それにより脳のリミッター部分を取り外し、通常以上の筋力を稼働させる事が可能となる。勿論肉体負担が大きい為、制限時間は人によってだが決まっている。因みに夏希は連続して使用可能時間はおおよそ二〇分。しかしその間は筋力を自由に使えるどころか痛覚までも麻痺させる事が可能という、まさしくレッドアロウズの矢羽根、そして刃の部分でもあった。

 同様に能力を使用したのだろう、真麻の髪がふわりとたなびくのが視界の端に見えた。同時にどん、と一際大きな音が壁に叩き付けられたのに、誰か一人倒したな。と理解する。

 先程叩いた男を含めて、今の所二人。幸先としてはまずまずだ。残りの男はぱっと目に入るだけで六人。三人は人質の警戒に当たっていて、残り三人がこちらに拳銃を向けていた。このメンバーなら、制限時間内になんとか出来そうだな、そう思った時だった。


「折角いい景色を眺めてたっていうのに、少しは静かにしてくれよ」


 溜息交じりに、重々しい、しかし良く響く声が部屋の奥から響いてきたのに、夏希達の周囲を囲んでいた男達が僅かに一歩後ずさった。それは夏希達を恐れたからではない。恐らく、声の持ち主の指示に従ったのだ。


「まぁ、こっちも招待を受けていないのは同じだからな、おい、お前達。パーティに混ざりたいってんなら、挨拶くらいはさせてやれ」


 どこから声がしている? 人の群がっていない丸テーブルは、立食スタイルを取っていたのかすっきりしていて、壁際にいくつかの椅子が並べられているだけだった。

 たった一つを除いて、だったが。窓は一面填め込まれたガラス張り仕様で、鮮やかな五月の日差しが、例え照明をつけていなかろうと部屋中明るく照らしていただろう。壇上に一番近い、丸テーブルに隠れる様に一つだけ椅子が設置されていて、そこにたった一人だけ、ゆったりと腰を下ろしている姿が見えた。


「あちらが、首謀者のようね。一旦話はさせてくれそうな雰囲気だけど」


 真麻が警戒しながらも「リミッター・ロック」と呟いて、一度システムを停止させたのに、夏希も倣った。

“それ”は周辺の男達と同様に黒い装いに、同じような仮面をつけていた。短い金の髪がきらきらと反射して、目に痛い。男がゆったりとこちらに視線を向けた、その瞬間。「っぶは!」こちらを認めるなりいきなり吹き出して、椅子を蹴っ飛ばす様に立ち上がった。


「こいつは傑作だ! ネズミに回線を食われたとは聞いていたが、なんだいこのセンスのない奴らは! ユーモアを取り入れたんなら一流だが、わざとじゃなきゃ最悪だ! コミック・ヒーローのコスプレのつもりかい!? 経費が足りないなら融資してやろうかと思いたくなるな!」


 まさかいきなり格好に関して、しかも恐らくこの場を仕切っている相手に、突っ込みを受けるなんて思いも寄らなかった。こっちだってこんなダッサイ格好してたくないって! と言ってやりたかった。


「何、こいつもD―クラウンなの……?」


 困惑した様に真麻が呻いたのに、夏希も少し疑いたくなる。ひとしきり口元を抑えて笑っていた男は、一つ咳払いをして気を取り直し、頷いた。


「いかにも! 俺たちはD―クラウン! この日本、東京に名を刻む……まぁ、名乗りはテロ組織としておこう。流石キュートなレディは話が早い。今度デートしよう、ゴーグラスで隠していても、口元で美人なのは解る」

「いやいやいやいや待て待て! いきなりナンパ始めんな! こ、ここの人質返して貰うぞ! それと騒ぎを起こしたからには、お縄についてもらう! 覚悟しろよ!」


 変なテンポの奴だ、と思いながら、慌てて夏希が木刀の切っ先を突きつけると、男は遠巻きにも解る、厚い肩口をは、とすくめてみせた。


「どうぞ、持って帰ってくれ。ついでに手錠は人数分揃えているかい? と言えたらこんな事はしてないぜ、ヒーロー。してもしなくてもどっちでもいいんだが、一応言い出した手前、俺たちの声明を発表する時間もあってだな。時間まで飲み物でも適当に飲んでいてくれ。それからなら人質一人ずつ、お前らも含めてどこかしら一分につき一本折ってから返してやってもいい。それまでは丁重に扱う。それならどうだ」

「は!? 何言ってんだ!?」


 なんてふざけた言い分だ。どこかしら一本ずつ、まるでおもちゃを扱うような台詞だ。身を乗り出そうとした夏希を制するかの様に盾で覆われた腕が伸び、藤堂が代わりに一歩進み出た。


「あなた方がここ二五階のみに集結している事は解っています。もうじき警察も突入してくるでしょうし、退路もありません。大人しく投降して下さい。双方怪我をしない為に、平和的解決を望みます」

「ここでやり合えば人質の保証もできないからな。ただ、その話し合いで解決出来たらしてないってさっきも言ったよな? 度胸は認めるが、そいつは飲めそうにないな。一つ言うが、ただ馬鹿みたいにこの二五階のみに俺たちがいる事は、考えた事あるかい?」


 顎をさすった男に、藤堂は苦虫を噛み潰した様に口の端を僅かに歪めて返した。


「……退路が断たれる事は想定済み、ですか」

「じゃなきゃこんな事してないな。ネズミが入り込む事も、回線を割り込まれたって、うちのブレーンが馬鹿な報告してきた時から予定済みだ。さて、時間があるな。ヒーロー達は人質達を取り返したい、俺たちは自分達で時間までは保護したい。そっちの平和的解決って奴は決裂、となる訳だ」

「……成る程、力尽くで、という事ですか。ただ、つまり定刻までは人質に危害を加える様子はない事は解りました」


 藤堂が改めて盾を構え、「お二人とも、準備を」と小さく呻いた。交渉が決裂したのは解るけれど、夏希は何か違和感を覚えていた。相手に余裕がありすぎるのだ。

 夏希は事件を相手にするのは初めてだし、まして人質を取る犯罪心理など解らない。けれど退路を断たれ、その内警察も突入してくると聞かされたら、普通は多少でも焦燥は見えるんじゃないだろうか。しかし男は余裕を背負いながら、ゆっくりとこちらに足を踏み出した。それと同時に、誰ともなく黒ずくめの男達が道を空ける様に、数歩下がった。


「よし、俺の初仕事だ、時間もある事だし遊んでやる。光栄に思えよ、俺自ら出てやるんだ。人数もそっちに合わせてやる。制限時間は……そうだな、声明を発表する三〇分にしようか。それまでに俺を負かせばそっちの勝ち、他には手出しさせないでやる。解ったな、1―O、1―V、1ーAで人質を安全に誘導、1ーTは例の奴起動準備、残りは俺と楽しいファイトだ! 人質に弾当てんなよ!」


 腹の底から吐き出しただろう大きく響き渡る声に、コード・ネームだろうか、を呼ばれた周辺の黒ずくめの男達が慌ただしく動き回る。二人のみがこちらに銃口を向けたまま、その傍らに寄り添った。

 そうして並ぶと、男の図体は群を抜いてでかい。他の二人は藤堂より若干低く、夏希より少し高い程度だが、この場のリーダーだろうその男は藤堂の頭一つ分は大きく、二メートル以上あるんじゃないだろうかと予想される。肩も腕もはがっしりとしていて壁だと言われれば勘違いしても無理はない程に厚く、しかし丸いと言うより、四角いイメージに近い。正面を開けたハーフジャケットが、男が地面を踏みしめると、ゆらりと揺れた。


「真麻、前回会ったって言うD―クラウンってこいつか?」

「……全然違う奴。けど、ふざけた性格なのはおんなじみたいね」


 言葉短に真麻が拳を構え、睨み付けると、男はああ、と口元に笑みを浮かべて頷いた。


「もしかしてあれか、うちのが戦利品を持ってこられなかった時の奴か。聞いてるぜ、果敢なヒーローにやられたってな! あいつはSと言ってね、あの性格の悪い奴がやられた奴はどんな奴らか気になってたんだ。因みに俺はMだ。フル・ネームはシャイだから勘弁してくれ。さて、最初は素手でやってやるよ。本気を出したら前言撤回はするが、取り敢えず日本で言うお手並み拝見って奴だな。作戦会議したいなら三分待ってやる」

「……余裕上等」


 夏希もそれは、つくづく感じていた。とにかく遊ばれている、そんな風だ。しかし同時に背中をひしひしと、悪寒が撫でていた。


「……あの、取り敢えず俺があのMって奴相手します」

「何言ってんのナツ! ……あんたじゃ無理でしょ。初めてなんだし、ここは私が……」

「ダメだ。なんか、やな予感するんだよ。相手出来るか出来ないかはとにかく、先に他の連中やっつけなきゃ、全員でかかれない。それに、あいつ本気は直ぐ出さないって言ってたって事は、なんか隠してるって事だ。対処出来る人が見極めて残ってた方がいい気がするんだよ」


 確かに、夏希はこれが最初の任務だし、荷が重いのは何となく感覚で理解していた。今までは怖いなんて思わなかったけれど、リーダーたる男を目の前にして、初めて“何か嫌な予感がする”と感じたし、危険な事は百も承知の上だ。しかし出来れば戦力は温存していた方がいい気がする。そして真麻は格闘術、機動力においては隊の中で群を抜いているけれど、あくまで女の身体。彼女の二回りも三周りも太い腕に殴られたら、いくらシステムを起動させていたとしてもただで済む訳がない。勿論夏希に関しても同じだけれど、武器がある分中距離を保てるし、それが出来るのは、この場で自分しかいないのだ。

 それに藤堂は暫く考え込んでいたけれど、「解りました」と小さく頷いて返してくれた。


「藤堂さん、ナツはこういう戦闘初めてなんですよ!? 無茶です!」

「正直、自分も鉄砲玉的な扱いは好きではありません。しかし夏希君の言うとおり、ある程度時間を稼いで貰って、最後に一気に本体を叩いた方が良いと思います。夏希君、油断は禁物で、深追いはせずお願いをしてもいいですか」


 お任せします。藤堂が改めてそう言ったのに、真麻はぐ、と口の端を噛みしめて、「解りました。直ぐに片付けます」ときりと男達へと視線を向けた。

「どうやら話し合いは終わったみたいだな! ようし、俺の相手は誰だ」

 ぱん、と拳と掌を合わせ、鳴らせたMに、夏希が改めて木刀の切っ先を突きつけてみせた。


「俺が相手だ! 覚悟しろよ、M!」

「へぇ、いい威勢だ! 嫌いじゃないぜ、そのコミックっぽいとこがな! たまには若い奴も相手しないと手加減出来なくて鈍るから、丁度良いな」


 抜かせよ、夏希が吐いたのが、合図となった。男が地面を蹴った次の瞬間、目の前に拳が飛んでくる。「わっ!」とそれを寸でで避け、思い切り叫んだ。


「ツバサ・リミッター解除!」


 それと同時に、避けて見えた脇へと思い切り木刀を薙いだ。しかしそれは切っ先がかする事もなく、軽々と避けられてしまった。目算で二メートル以上ある巨体だと言うのに、見た目と反してフットワークが軽い。油断して読んだのは自分だけれど、予想外だった。


「粋がる割に喧嘩慣れはしてないようだ! こっちの武器くらい出させてくれよ、ヒーロー! ひよこ相手じゃないってところ見せてくれよ!」


 軽快に大声で笑った男に、「ほざけよ!」声を噛み潰して地面を蹴った。

 夏希はあくまで剣道三段、良くもなく悪くもない。高校に上がってから剣道部に入り、家でも頼み込んで道場に通わせて貰った。大学時代も続けていたけれど、その時は動きが雑過ぎる、喧嘩の様だ、と怒られ続け、それ以上の段は貰えなかった。けれど度胸は一人前、前に進もうとする姿勢だけは認められた。

 振り下ろされた拳を右に避け、男の厚い脇腹へと、悪い、もしかしたら骨は折るかもしんねぇ。と思い切り、握り占めた獲物を薙いだ。刀身は脇腹を確実に捕らえ、打ち込んだと同時に鈍い音が響き渡った。しかし。

 固い!? 人の筋肉を打った感覚が、まるでしなかった。じん、と衝撃で手が痺れた次の瞬間、男の手の甲が視界の端をかすめ、夏希の側頭部を打った。衝撃で身体が弾かれて、床に叩き付けられそうになったのを何とか肘をついて持ちこたえたものの、直ぐさま振ってきた靴の裏を、転がる様に避けねばならなかった。

 僅かに距離を取って立ち上がり、男へと視線を向け直すと、何のダメージも受けていない、と言う風にやれ、と首を傾げられる。


「嘘、だろ……」


 何か、仕込んでいる。リミッターを解除して思い切り打った。けれど鈍く、固い感触が今も掌に残っている。


「ハンディのつもりだったんだがな、しかし肩すかしだ。日本の木刀って奴はジャパニーズ・ムービーじゃもっと強そうだったんだが、やっぱりカタナって奴じゃなきゃジャパニーズ・ヒーロー、サムライは力を発揮出来ないって奴か?」


 口元が楽しそうに笑ったのに、夏希の背を撫でていた悪寒が、脳まで一気に撫でてくる。なんか、ヤバイ。それだけは先程から感じていたけれど、こうして二人だけで対峙していると警鐘が耳の奥を叩いてくる。


「さて、と」


 呟いた男がゆっくりと、両手を掲げてみせた。次の瞬間、背中に長い栗色の髪が舞い上がったのが見える。


「どうやらうちの精鋭、1―Kと1―Sじゃ役不足だったようだ。……三人がかり、悪くはないが、少し不安だから武器は出させてくれよ」


 真麻が思い切り腕を振りかぶるのと、藤堂が盾を纏った腕を思い切り引き絞るのが見えた。しかし。


「二人とも、待て! こいつなんか!」


 ヤバイ! 同時に夏希も起き上がり、地面を蹴って、握り占めていた獲物をMに向かって振りかざした。胴体がダメでも、せめて腕だけでも何とか止めなくちゃ。しかし振り下ろした次の瞬間、どん、と鈍い音を立てて夏希の腕から木刀がすり抜けて、受けた衝撃で夏希の身体が右に振り切られ、地面に叩き付けられた。

 それでも、何が起こったのかだけは見ていた。しかし、対処が出来なかった。夏希が木刀を振り下ろす直前、Mは自分のハーフ・ジャケットに両手を突っ込んで、直ぐさま抜き取った。中から取り出したそれを宙で回転させ持ち替え、夏希の獲物を弾いた。それと同時に真麻の拳の直前で切っ先を止め、藤堂の盾を下から弾き飛ばした。

 それは、あくまでテレビで見た格好をした、大型のナイフだ。殺傷能力の大きなジャック・ナイフが両手に一本ずつ握り占められていて、ぎらり、と光の下に鈍く輝きを帯びていた。


「一人相手じゃ楽しみ甲斐がなかったんだ! 悪くない、そっちがヒーローなら、さしずめ俺たちはヒールだ。ヒールはそれより数の多いヒーローズを相手しなくちゃしまりがない!」


 男が笑った、次の瞬間。真麻に向けられた切っ先を動かす事なく、男の身体がぐるりと回転した。同時に振り切った足が真麻の胴を打ち、比較的軽い女の身体が吹き飛ばされたのと同時に藤堂の身体に叩き付けられ、もろとも床に打ち付けられてしまった。


「二人とも! このっ」


 転がっていた木刀を拾い上げて、尚も男に追いすがろうとしたものの。伸びてきた靴の裏が、夏希の腹に思い切りめり込んだ。


「っが!」


 思い切り突き飛ばされて、もう何度目か、地面にしたたかに身体を打ち付けられてしまった。いくら感覚をある程度麻痺させてあるとは言え、攻撃を受けて各機関がダメージを受けていない訳ではない。思い切り打たれた胃は息を吐くだけでもびくん、と戦慄いて、苦しい。は、と荒く息を吐いて、少し鈍くなった視界で、それでも男を睨み付けると、Mはまたやれ、と小さく首を捻った。


「……さて、困ったぞ。どれだけのもんか楽しみにしていたのに、遊び甲斐もなくて弱ったな。おい、時間はどのくらいだ」


 Mが他の男達へと問いかけたその僅かな隙を狙い、態勢を整え直した藤堂が足払いをかけようとしたものの、よ、と軽く避けられ、その上振り下ろされた足に背中をだん、と踏みつけられる。その脇腹に真麻が思い切り蹴りを叩き込んだものの、巨体は揺れる事もなかった。側頭部をナイフの柄で殴られて、長い髪がゆらりと揺れ再び地面に叩き落とされてしまった。


「藤堂さん! 真麻! くそ!」


 勝てない、けれど、このまま黙って見てもいられない。せめて警察が突入するまで持ちこたえなくちゃ。夏希が再び地面を蹴ろうとした、次の瞬間。

 突然、首の後ろからぷつん、と鈍い音が聞こえた気がした、かと思うと、突如腹や背中から激痛が走り、思わずうずくまった。


「な、んだこれ……っ!」


 ツバサ・システムが切れた。解除を命じた訳でもないのにも関わらず、だ。事前に告知されていた事だったけれど、まさか今こんな時に切れなくてもいいだろうに。


「ツバサ・リミッター解除! ツバサ!」


 夏希が叫ぶ様に発信しても、何も起こらない。蓄積したダメージが身体に覆い被さり、足を踏みしめる事もままならない。

他の二名も同じく、起き上がろうとしていたものの、身体が言う事を聞かない様子だった。その時。


「M、お時間です!」


 どこからか飛んできた声に、呼ばれた男は「お、もうそんな時間か」と小さく頷いた。


「まぁ、丁度いいか。ヒーロー達のマジックも切れた様だ、倒れてる奴らを起こせ。始めろ」

「何……を……っ」


 始める気だよ。夏希の声は声にならなかったものの投げつけ言葉に、Mは先程から全く変わらない体で返してくる。


「派手なパーティにはファイヤー・ウォークスは必要だろ? 全員耳塞げ! 鼓膜をおじゃんにしたくなかったらな!」


 男が叫んだ、次の瞬間。ガラスを填め込まれた窓際から、無突然殴りつける様な破裂音が鳴り、側にあったテーブルが弾け飛び、鈍く何かがびし、とひび入る音が空気を割く。爆風と共に粉塵が部屋中にまき散らされたのに、人質達の悲鳴が聞こえる。藤堂が半身を起こしながら叫んだ。


「いけない! 爆弾です!」

「もいっちょ鳴らせ! 景気良くな!」


 その声に覆い被さる様にMが指を鳴らし叫んだのと共に、先程と同じような破裂音が部屋に響き渡った次の瞬間、衝撃で窓に填め込まれていたガラスが一気にビルの外へと弾け飛んだ。嵐の様な風が吹き込み、テーブルを上に乗っていたものごとひっくり返し、グラスが床に叩き付けられて、悲鳴を上げながら割れ飛んだ。飛んできたクロスが部屋中を舞って夏希の視界を覆おうとしてきたのを何とか木刀で弾いて、目をこらしながら窓を睨み付けた。

 すると何故か黒ずくめの男達は今まで倒れ込んでいた奴らも含めてだろう、全員がその窓際に集まっていた。


「お、おい、お前ら何のつもりだよ!」


 ようやく吐き出した声に、Mはばたばたと風に煽られているハーフ・ジャケットの中に、器用にナイフを収めながら、にやりと笑った。


「時間だ。さてヒーロー、問題を出そう。シンデレラは、何時に城を出なくちゃならないかな?」

「へ? よ、夜の……十二時……?」

「な、なぞなぞしてるつもりはないのよ、D―クラウン! 貴方たちの目的は何なのよ!」


 真麻も何とか身体を起こして、風にかき消えないように叫んだ。するとMはやれ、と肩をすくめてから、再びぱちん、と指を鳴らした。

 次の瞬間。男達が一人ずつ窓から飛び降り始めたのだ。


「は、え!? おい嘘だろ! ここ二五階だぞ!?」


 夏希が目を見開いて見つめると、男達は何の恐れもなく、次々に窓から飛び降りていく。Mはそれに視線を向ける事なく、笑みを浮かべたままこちらを眺めていた。


「さて、物知りなヒーロー。正解を答えたからには、褒美をやらなくちゃな。俺たちの今回の目的は、何もない!」

「は!? あ!?」


 上階の風圧にものともしない部屋中に響き渡る声に、恐らくその場にいた全ての人間が同じような唖然とした声を上げた事だろう。男は人差し指を突き立てた手を、夏希達に向かって掲げてみせた。


「厳密にはあるんだがな、今回の人質事件に関してはない。困った事に俺たちはまだ無名で、名を売る為の会場が欲しかった。声明も一応は考えたが、発表するのが面倒になった。お前らが乱入してこなきゃさっき言った事も実行してやって良かったんだが、流石に警察まで突入されてピストル出されちゃ面倒だ。だから今回は、これで止めてやるよ」

「何っ! それふざけすぎでしょ! ちょっと!」


 真麻がぐっと思い切り立ち上がったのに、とうとう最後の一人になったMは、人差し指で台詞の一つ一つをなぞる様に、空を切った。


「実行して欲しかったら今からでも構わないがな! ただ、気が変わった。お前達ダサいヒーロー達が、どう俺たちの名を売ってくれるかも楽しみになった。お前らの名前、覚えておいてやるよ、レッドアロウズ!」

「お、おい待て!」


 窓の縁に足をかけた男に、何とか追いすがろうと、痛む身体を無理やり起こして、地面を蹴った。


「マジックが切れるのは十二時、シンデレラは夜だが、俺たちは昼間! 王子様じゃなく来たのはヒーローだったが、イリュージョンの切れた今が引き時だ、じゃあまたな、ヒーローズ!」


 夏希は、手を伸ばした。けれど寸でのところで、届かなかった。

 ひらりとはためいた黒い、ハーフ。コートが翻り、最後に残っていたMも窓の向こう側へと颯爽と飛び降りてしまった。

 しかし、窓の下を覗き込んだ、次の瞬間、突如広がった翼が風を切り、まるでテレビアニメや漫画の怪盗の如く、ツバメさながら飛んでいくのが見えた。


「う、嘘だろ……どっちがコミック的だよ……ありえねぇだろ……」


 呆然と、ビルの隙間を縫っていく黒い姿を眺めていると、真麻も何とか這いずってきて、同じように「嘘でしょ……何この馬鹿みたいな展開……」呟きながら空を眺めていた。

 下の様子は縁のせいで見えなかったけれど、下にいる野次馬達も、恐らく同じように呆然と空を見上げ、彼らを指差して、もしくは先程と同じように携帯で写真を撮っているかもしれない。確かに人類は様々な夢を叶えたし、実際ここに、ヒーローはいる。勿論それ以前に空を飛ぶ夢も叶えたにしても、こんな逃げ方をするだなんて、一体誰が予想出来ただろうか。

 藤堂が慌てて通信ボタンを押して、レッドアロウズ本部へと応答を願った。


「すみません司令、逃げられました! 人質は無事です、が、ええと……」


 次の瞬間、今まで横で窓の外を眺めていた真麻が、弾け飛ぶ様に出口へと駆け出した。そして同様に応答ボタンを押した。


「見張りの二人も姿ありません! ……え、ええと同様の手口で逃げた模様……ですが、つまり空を、その……」


 混迷を極める、とはまさにこの事だろう。どう説明したらいいのか解らない、と言う真麻の声に、今度はワイヤレス・イヤホンから声が返ってきた。


『柳だが、一名確保した。黒ずくめの、妙な面を被った奴だ』


 それは重厚な、司令の声だった。それに思わず、その場にいた三人で、「へ?」と頓狂な声で返してしまったものの、柳は構わず続けた。


『現場に向かっている最中だったが、上から飛んできた。流石に空を飛ぶ様な一般人は限りなく少ない。不信だったから確保した』


 淡々と、やはりどこか納得がいかない、という風に報告を続けた柳に、夏希は思わず「司令、なんかすげぇ!」と叫んだ。

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