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セイギノミカタ ~赤城夏希~  作者: 桜
四話 ハイ・アンド・シーク
12/17

ハイ・アンドー・シーク ♯2

  * * *


 彼は、いたく機嫌が良かった。普段は歌も歌わないのに、珍しく思い出した音を鼻ずさんでいた。本日はお日柄も良く、とは日本人とは上手い事を言う。昼はすっきりとした晴れ空だったし、梅雨というものさえなければじめじめとせず過ごしやすい日差しだった。けれど、今の彼は些細な事など気にしない。何しろ、事が思い描いていた通り綺麗に線を描き、見事な絵の完成に近づいたからだ。

 穂積銀行のシステム侵入も時間通りぴったりに発動し、その五分後には渋谷での大パネルジャックも乗っ取れた。惜しむらくは自らキーボードを操作して、エンターキーを押したかったもとは思っていたが。何しろ今日、彼はデートだったのだ。一週間の内に尤も大切な金曜日に、愛しの恋人と一緒にいる時までパソコンを弄っている様な男ではいたくない。まぁ、それも上手くいきすぎてしまって、折角のデートも途中で分かれなくてはならなかったのだけれど。しかし、その位は想定範囲内、全て予定通りだ。だから彼は、とにかく機嫌が良かった。

 銀行のATMを直接目で確認しに近場の視点へと向かったが、操作する必要もなく人だかりに埋もれた機械や窓口を眺めるだけで済んだ。株価の下落幅も昨日までは時折平坦のある、しかし比較的なだらかな線だったものが関連子会社も含め一気に崖を描く様に下がったし、元々経営難の少ない、この程度なら直ぐに取り戻せるだろう会社を数件選んで、上機嫌でいくつか購入した。組織としての資金を賄うのは彼の役割の一つだったし、その点で言えば上々過ぎる結果だった。

 銀行とは余程の事がなければ潰れやしない。穂積銀行程顧客を抱えているともなると尚更だ。リスクとしては、一般的上場企業より、安泰である。過去に数件潰れた例はあるにしても、今はまた、以前とは経済が異なる。一度経営自体が危うくなっても、政府が介入し、何とか立て直すか、潰れたところで他の銀行が拾い上げて、合併を繰り返して何とか持ち越すものである。あくまでこの騒ぎで一時下落しようとも、数ヶ月もすればシステムの強化どうのと言い出して、元の通りに、もしかしたらその時に一時的に値上がりするだろう予測も立つ。勿論税率に関しての対策も問題ない。会社名義の、勿論ダミーではあるものの銀行はロンドンにあるし、かの地は世界でもトップレベルの租税回避地であり、日本の様に、売買時の資産利益に対して二〇パーセント以上もの離課税を支払わなくても済む。現時点では、であるから、例えリスクは伴うにしても、そこそこロスだけはする利率の少なめな、比較的安全な投資を行えた、未来的に組織が潤う、そして名も売れる素晴らしい手筈な訳である。そのまま置いておいて、いわゆる配当を得てもいいし、頃合いを見て売り払っても良い。どちらにしても比較的少額で利益を得る手立てを手に入れられたのだ。

 その上で、いくつか誰かの預金を弄ってやろうかな、とも少し考えてみたものの、流石にそれは止めた。いくらネット犯罪が捕まりづらいとは言え、風呂敷を広げすぎて介入をしすぎて足が付くような事は避けたかった。益はあっても害になる痕跡を残すのは、美学と反する。だから、将来的に見て少しだけ得をする程度で、今は留めた。

 目下の問題は、今彼が鼻歌に乗せているそのタイトルが思い浮かばない、という事だけだった。もしかしたらどこかのバーで聞いたのかもしれないし、街の中で通りがかりに耳にしただけかもしれない。とにかく単調なリズムで覚えやすく、しかし四季とはまるきり関係のない、ただの何かの歌だった。

 日本の七月には暑すぎるくらいの、もう時期もとっくに過ぎてしまった黒のロングコートを脇に抱えながら、Sは悠々と池袋の人混みの中を歩いていた。これだけ人が大勢いると、足音もその分多く、更に声が上積みされてる。だから誰も彼が鼻歌を小さく鼻ずさんでいたところで気にする奴はいない。

 因みに、彼が日本のヒーロー達にデートの場所を指定したのは池袋内ではない。どうせ短時間ではパズルを突破出来ない、と践んでいたから、こうして悠々とウィンドウ・ショッピングを一人きりで楽しんでいる訳だ。

 少なくとも、まともにヒーロー達が彼の手紙を真剣に解読してくれていれば、を前提にして、だが。彼が仕掛けた時計は一週間手間暇かけて作った、簡単なパズルだった。一つ一つを順に解いて行けばその内当たる。性能の良いパソコンで英数字、いくつかの記号をランダムで叩き出せば、さして難しくはない。その入力が途方もない数だというだけの話である。

 日本の警察は初動は遅いが、分析力は優れている。その後の統率に難さえなければ、比較的解くのはたやすい手紙だ。けれど同時に、民間人を盾に取られると途端に動きは鈍くなる。だから、第二の手紙も、爆弾というプレゼントを添えて用意した。こちらは“ヒーロー”とデートしたい訳であって、“警察”とそうしたい訳じゃない。

 きっと、彼らはくるだろう。半径たった二メートルの爆弾を爆破させないように、警察もある程度気を利かせてくれる筈だ。恐らくデート先周辺の道が塞がれる可能性も勿論考えてはいるが、そんな事、Sにはさしたる問題ではない。準備は全て整えてあるし、後は彼らが自分をちゃんと見付けてくれるのか、待ち人がきてくれるかどうか、ただそれだけの話だった。

「楽しみだな、レッドアロウズ」

 それまでに、今鼻ずさんでいる曲が思い出せればいいのだが。どうせ、まだ時間もあるだろうし、ゆっくり考えればいい事だった。


   * * *


 ヒーローには休息が必要だ。けれどやはり休息、まして睡眠ともなると、自宅の慣れたベッドと枕で取るのが一番、である。彼女もいない、安らげる他の場所もない、提供する側でもない夏希としては、つくづくそう思ってしまうのである。固いソファの上でうん、と背伸びをして、時間を確認すると、事件発生から約七時間、七時を回っていた。

 夏希はあれからまず、母に仕事で帰れなくなった、と電話で言い、「あら珍しい。いいじゃない、残業代ついて」と言われ、次に“文句を言われない為”に定期を使って五反田にある姉の職場へ行き、買ってきた化粧品を渡し、最低夕飯は食える様に二千円を借り、オフィスに戻ってきて仮眠を取った。最悪携帯の充電が切れてもいいように、通信用のコードレス・イヤホンも耳に突っ込んでいたけれど、どちらもなんの音沙汰なし、鳴らないから、携帯の電力も十パーセント落ちただけである。

 解読班は、まだ随分とかかっているんだなぁ。麗花の奴、飯食えているだろうか。携帯電話よりもずっと手間と消耗の激しい同僚の腹事情を考えて、止めた。最終的に柳という司令官が責任持って今日は養うだろうし、自分が解析班の心配をしたところで何にも出来ない事は解っていた。

 夏希は馬鹿だが勉強に関しては高校の頃、何とか数学は中の中をキープしていた。英語はまれに赤点を取ったけれど、とりあえず落第はしなかったし、大学の必須科目も何とかクリアしていた。けれど彼らが戦っているのは、ただの数字や言葉の羅列ではなく、夏希が到底思いつかない途方もない数字理論を組んだ科学領域である。

 覚えちゃえば簡単ですよ。簡単なスクリプトくらい勉強してみます? と言われたけれど、一週間、一時間程度やって向いていないと解ったのだ。かっこで閉じればいいのだろうし、英語と一定の記号の羅列とは言え覚えても多分、夏希の頭では、例え趣味の範囲にしたって有効活用できっこないと解ったからだ。だったら得意なのは得意な奴に任せておいて替わりに、自分は出来る事をやる。そういうことにしていた。

 しかし今できる最大の休息も、固すぎず柔らかすぎず落ち着かないソファの上で目が覚めてしまい、もう眠れそうにもなかった。だからこうして諦めてだらん、と目を開けて横になっている訳だ。

 それでも、ある程度は自分なりの情報集めはしていたつもりだ。とは言っても主の不在の、麗花のパソコンだらけのデスクを借りて、最初の二〇分くらいはネットをさまよって記事を眺めていたり、ニュースサイトの投稿掲示板での民間の声を読み流す程度だった。そのどれもがDークラウンの悪態を吐くものや嘲る程度のもの、銀行の批判、肯定、予測するウィルスの類似品の名称、Dークラウンの幹部の名前を知っている、等様々なものがあったけれど、何一つとして信憑性がある訳でもない、たいした情報ではなかったけれど。

 しかし、四月まではほぼ無名だった彼らが、ある程度暇つぶしや、迷惑を被った人々の口の捌け口となる程度には民間に知れ渡っている事だけは、十分に解った。今回の事件で更にその名を濃くした様だ。

 さて。七時間、詳しく言うと五時間ちょっと前だが、経った今では、どうだろう。どうせ週末を前にして銀行が稼働していない、解決していない、非難だけがニュースや記事や掲示板に書き込まれている事だろう。まだ世間一般的に給料日が尤も集中する二十五日から月末にかけてじゃなかった事だけがマシだった。しかし、給料日まで休日を挟んで残り数日。散在しないように銀行に預けているままの人々は苦労しているだろう。今の夏希の様に。

 少なからず連絡が来ていないと言う事は、解決の糸口に辿り着いていない事を推察出来るし、未だ財布の中身のやりくりに苦労している人々は存在するのだ。

 夏希が携帯を手に取った、その瞬間。ぴかっと液晶が輝いて、にっかりと笑った実家の犬、マルの顔が映った。今日は本当は非番だし夕食前の散歩にまた連れて行ってやろう、と誓っていたのだが、休日出勤となってしまった今その顔を見ると少し責められている様な気分になる。明日はちゃんと散歩連れていってやるからな、と再び誓いながら素早く画面をタップした。

「へいっす、夏希です!」

 応答すると、尊敬する、優しい男の先輩が、「あぁ、夏希君」と少し困った様に笑った。

 都内の金曜日ファミレスは、繁忙時間を過ぎようと、例え一部一般庶民の財布の札が増えなかろうと、銀行から金を下ろせなくなっていようと平等に席は埋まっている。ただ、余程深夜でもない限り、ある一定時間待てば客は外に流れて案内してもらえるものなのだ。

 夏希も含め男二人が並んで、女が一人目の前にいる。彼女は仕方ないという顔をしてこちらを睨んでいたけれど、夏希は今は胸を張れる。何しろ鬼の姉に頭を下げて、二千円財布の中が温かくなったのだ。さっき入っていた分と合わせて三千円。これなら一番高く、肉の多いステーキとのセットを頼んだって財布は寂しくなるが空にはならない。

 問題は藤堂である。どうやら彼は明言通り漫画喫茶の部屋を数時間チャージして、意外と財布の中身が寂しい。となったのだ。とりあえず二人して安いファーストフードでも行こうか、と話をした後、真麻から連絡が入って、「馬鹿、藤堂さんが夜ファーストフードで足りる訳ないじゃない。お金貸すから普通にファミレス行くって言って」と怒られて、つまり並んで食事を摂ろう、となった訳である。

 真麻は一旦家に、というか『車を取りに』一旦家に帰ってきて、家の中には入らず車内に荷物を放り込んで、そのまま戻ってきて、オフィス下の駐車場に駐めてきたらしい。その上でボストン・バッグの中身の着替えをコインランドリーに突っ込んで、岩盤浴で寝てきたらしい。念の入り様は凄いなと、話を聞いて関心はするけれど、それだけ意気込んでいるのだ。

「とりあえず藤堂さん、男のメンツは解りますけど、動けなくなるのは困ります。とりあえずここは出すんで、ちゃんと食べてください。銀行が動く様になったらお昼ご飯か夜出してくれたらそれでいいんで」

「夜の方が高く付くだろ……。けど、お前良く金保つなぁ。銀行、穂積じゃねぇの?」

 レッドアロウズの給料日は、二十五日である。いくら夏希よりも若干、と言っても、空手免許の手当分数万円給料がいいとは言え、真麻は一人暮らしだし、月も半ばの時期、そろそろ財布が悲鳴を上げてもいい頃合いだろう。しかしそれに、真麻は長い栗色の髪を掻き上げて溜息を吐いてみせた。

「あのね、大人なんだからある程度預金はあるでしょ。それと私、口座三つあるの。穂積も使うけど、メインバンクじゃないからそこまで痛くないし、家にも最低なんかの時の為に一万円は置いといてるの。こういうとき役立つじゃない」

「彼氏もいないのに、将来の為貯蓄、ねぇ……」

「うるさい引っこ抜くわよ。……とにかく、藤堂さん、あなたの体だと私の倍くらいカロリー使うんですから、頼みますからちゃんと食べてください。任務に関わるんですから、はい、このステーキと漬けマグロ丼のセット、これでどうです?」

「あ、いや、真麻君、確かに自分は君よりは大体二五センチ違います。勿論筋肉の保有量も僕の方が圧倒的上ですし、消費カロリーも変わります。けれど半日おなかいっぱい食べなくて動けないって事はないですし、むしろおなかいっぱい食べ過ぎると……」

「藤堂さん。いいから気にせず食べてください。深夜までずれ込んだら対処に困ります。電車動かなくなった時間帯になると、車出せるの、今私と藤堂さんしかいないんです。ああもう、そんなに気にするなら、今度の飲み代出してください。それでいいですから」

 メニューを指でつついている真麻に対して、しどろもどろに、それでも最低限『せめて、後輩と女性には奢られたくない』スタンスを柔らかく崩したくなかった先輩は何とか対処しようとしたものの、ぴしゃりと言い切られて、渋々背を縮める。

 あぁ、これはきっと高い方を出すだろうな。気が回りすぎる先輩の財布が、金が下ろせない今だからこそ心配になる。藤堂は何しろ律儀で、気が利きすぎる。その上体育会系な部分がある。出来るだけ目下には気を配ってやりたい性質で、真麻と麗花に連れられて良く三人で食事に行くけれど大概が割り勘か、彼が少し多く出す。真麻としたら普段の借りを返したい所だろうし、ここは奢ります、と言いたいんだろうけれど、やっぱり彼が譲らないので先輩を立てた、彼女なりの言い方なんだろう。けれど真麻が「普通に食べた分だけでいいです」と言っても、彼は財布の中身がまた薄くなろうとも、少し余分に出すに違いないのだ。

 流石に今事件は普段財布の中身をめいっぱいにしない、メインバンクも一筋、な自分達にも、傷跡を残す事件になりそうだ。もし明日正午ギリギリまで状況が続くようなら、真剣に考えなくてはならない、色々と。

 大人になって、と言われるかもしれないが、夏希も藤堂もクレジットカード一枚持っていない。二人の意見としては今はそんなに大きな買い物をしない。それと、あったら使ってしまいそう、と明確な理由がある。藤堂はしっかりしていると思っているのだが、少なくとも夏希はあったらがんがん使ってしまうだろうし、そうなると後で泣きを見るだろう、と将来の自分の予想が簡単に付いてしまう。だから結局金を下ろせないとこうなってしまう訳なのだが。

「とにかく、Dークラウンの奴ら、いや、S! ホントに許せないぜ。このままずっと金を下ろせないってのはマジで困る。これは、俺たちへの宣戦布告だけじゃなくて、民間への見事なテロ行為だ。あ、やっぱり俺これにしよ、決めた」

 庶民の心理操作を行うなら経済成長が一定数以上であれば、金か、食料難の時の食事か、後は石油ショックという訳で、夏希は三番目の世代はそこまで良く知らないが、何となくこんな感じかな、と身を持って知った。とりあえず夕飯はステーキとクリームコロッケの和風御膳セットにしよう、と決めると、横で藤堂がメニューを眺めながら、はは、と苦笑する。

「まぁ、石油ショックはまた別ですけどね。恐ろしいとは思います。テロとはそもそも誰かが迷惑を被らなくては、テロにはならず独りよがりですから、ある意味彼らの名を色濃く民間に植え付ける良い例、と言えるでしょう。銀行を信用していない方や、お財布にお金が入っていないと安心しない、または庶民の生活費等々で金庫に分けている以外、現在はお金という紙幣を数字というデータ化して預けている人が殆どです。特に穂積はこの東京で数本に入る大きさの数字を管理する金庫です。少なからず穂積銀行をメインとしている層、そして経由して金を稼いでいる人々は今、まさしくひどく憎らしく思っているでしょうから」

 それを、身をもって知る事がいい事なのかさっぱり解らない。藤堂も決まりました。と頷くと、真麻は一つため息を漏らしながら、呼び鈴を押した。

「……そうね。私もめちゃくちゃ貴重な休みを裂いてるんだから、見付けたら五発は入れる。絶対によ」

 実際やってのけるんだろうなぁ。とにかく、今日の真麻は機嫌が悪い。今グラスを持っていたら握りしめて割って壊してしまいそうなくらいだ。

 アルバイトだろうウェイトレスがけだるそうに注文を受けようと席に近づいてきた、その時。リズミカルなジャズ音が藤堂のポロシャツのポケットから鳴り響いたのに、彼は慌ててメニューを指でとんとん、と差しながら、空いた手でポケットの中を探り、席を立った。

「失礼、麗花君です。……はい、藤堂です。はい、すみません、丁度食事を摂ろうと……あぁすみません、麗花君もお仕事中ですもんね……それで」

 慌てて店外へと早足で向かう背中を見送りながら、夏希は藤堂の差した、豚しゃぶ御膳、恐らく冷やしかけうどん付きの方と自分のものを注文して、真麻へとバトンタッチする。彼女はしばらくメニューのピザを眺めていたけれど、「あ、やっぱ私も肉にしましょ。このステーキ和膳、おろし醤油で。それと食後に桃のガレット」と慌ててページをめくって注文した。

 あくまで最初から機嫌が悪かったというのもあるけれど、今日は特に気合いが入っている。何となく、その気分は解るけれど。

「でもさ、Sってあれだよな。前の事件で会った奴。変な奴だと思ったけど、ホントに変な奴だよな、回りくどいっつーか、手間がかかるってかさ」

 今事件を起こしたS、と言う男は、前回の様に騙っていない限りは、夏希と真麻が対峙した奴の事を差している筈だ。本人がそう名乗ったし、流石に忘れものを良くするタイプの夏希でもローマ字一文字は忘れない。五月から六月にかけて起きた凄惨な殺人事件で被った組織の汚名を拭い取る為に、犯人確保に協力、というかたまたま居合わせた。というべきだろうか。その時夏希は完全装備ではなかったから、遅れを取った。同時に真麻も腕が使えない状況だったし、何よりも犯人を前にしておりSごと確保、という訳にもいかなかった。台詞ごと回りくどい、銀髪の長身のキザ男。夏希の印象はそれだったし、今回の事件を自分なりに頭にしても、やっぱり回りくどい男、後なんだか細かそう。は変わらなかった。

 それに真麻が眉を顰めながら、そうね。と舌打ちした。

「プレゼントって言うから、どんなもんかと思ってたらろくなもんじゃないわ。陰湿で、目立ちたがり。それこそ自己顕示欲の塊じゃない。こっちの迷惑も考えないのよ。ホント腹立つ。あぁ、もう、仕事前じゃなかったら酒も飲んでるわよ」

「まあ落ち着けって。とりあえずさっきのやった奴、持ってるだろ。後で見て癒やされとけよ。つか、名前決めたか? 決めてやろうか?」

 マル二号の弟分はオフィスを出てきざま、真麻がボストンバッグに入れておいたのを見ていた。夏希は夜も更けてしまうとかわいそうだから、と兄貴分の方は化粧品ついでに姉に押しつけてきた。きっとあいつの事だから、居間においておいてくれるか、部屋のベッドの上に投げといてくれるだろう。少なからずオフィスよりは幾分かましな扱いはしておいてくれる筈だ。

 真麻はしばらく目を丸くしてこちらを見つめてきてから、小さく吹き出してみせた。何だよ、こっちは結構真面目に言ったのにな。少し頬を膨らせると、彼女はひらひらと掌を振って見せた。

「だって、いきなり犬の話すんだもん。……あんたっていい奴よねぇ。馬鹿だけど」

「馬鹿は余計だ。惚れてもいいぞ、彼女にはしてやんねぇけどな」

 夏希は、彼女にするなら出来ればもうちょっとおとなしい可愛らしい方が好きだ。真麻は黙っていれば美人だが少しうるさいし、怪力だ。けんかなんてしたらきっと文字通り骨が折れる。それだけは絶対に避けたい。

 それに真麻は、惚れないわよ。そういう所馬鹿ね。と口の端を緩めた。少しだけ機嫌がまた上向きに戻ってくれたようだ。彼女が機嫌が悪いと、何しろ良くコンビを組まされる夏希としては少しやりづらい、というのもあったから、馬鹿呼ばわりされる方がまだましだ。

 その時、遠くから店内に戻ってくる藤堂が見えて、夏希はぱっと顔を上げた。彼は慌ててまだ頼んだものが来ていない事を確認しながら、先程と同じように隣にゆっくりと腰を下ろした。

「すみません、失礼しました」

「それで、守備はどうでした?」

 少し気分も晴れたらしい真麻が問いかけるのに、藤堂は力強く頷いて笑ってみせる。

「流石麗花君、と言う所です。現在解っている文字は、四文字。英語一文字と数字二桁が一種、数字二桁が三種類との事です」

「へぇ、七時間ちょい、頑張ってるものね。今度スイーツ奢ってあげようかしらね……けど、数字って、それじゃあ解らないって事です?」

「いえ、麗花君の推察は、難しいものではなく、恐らく緯度、経度だろう、方角を記す頭文字と、数字。まぁ、向こうが解りやすく、こちらが見付けやすいようにするにはそれくらいしかないだろう。と。ただ、そうなると肝心な文字数は全て空かないと、場所の特定は確実性を帯びないとも……」

 藤堂が話を続けようとした、その時。さっきとはうって変わった、黄色い声の、晴れやかな笑顔のウェイトレスが、「お待たせしましたー! 豚しゃぶ御膳と、ステーキの和風御膳セットでございます」と目の前に並べられ始めて、二人の前はすっかり夕食一色に彩られてしまう。直ぐさま後に続いて夏希のステーキとクリームコロッケのセットも届いて、難しい話をしている雰囲気でも何でもなくなってしまった。

 流石に七時半ともなると、軽食を口にしていたとは言え、健康で食欲旺盛の彼らを空腹が襲うのも無理がない。香ばしい揚げ物の香りに、夏希の腹がぐぅ、と小さく音を立てた。

「えーと、……とりあえず、まだ準備段階でいいって事、ですよね?」

「まぁ、そうとも言えます。ただ、準備を出来る余裕が出来ているだけ、とも言えます。つまりは」

「飯食ってる時間はある訳だ。うっし、とりあえず栄養補給、万全な体制! かくれんぼ大捜索前に腹ごしらえ!」

 へへ、と笑って夏希が箸やらフォークやらが一緒くたに入ったケースを掴んで藤堂に差し出すと、彼は苦々しく笑いながら、一膳抜き取った。

「まぁ、麗花君に恨まれるでしょうがね。へたをすると体力勝負の我々がまともに食事を摂る事は、目を瞑って頂きたいものです。何しろ、時間が全くなくて、カロリーバーとゼリードリンク類、栄養剤くらいしか買ってきてもらえないって……あぁ、一番最初にブドウ糖買ってこられたらしいですけどね……」

「いいんじゃない。どうせ麗花の事だから、全部片付けたらフレンチか中華か……そうねぇ、あぁ、エスニックもいいなって言ってたから、どっか連れてってもらうでしょ」

 真麻が飄々と、半ば適当に言ってから、はい、いただきます、ぱん、と手を合わせたのに、夏希も藤堂も習ってぱんっと手を合わせた。

 帰宅ラッシュ時に電車に乗る事にならなくて良かった、と少しだけ思う。そうじゃなかったら多少目立つ、大体平均して多く見積もってももダサい、ホワイト・シルバーのジャケットを着たまま、ぎゅうぎゅうの満員電車に乗ったりしなくて済んだからだ。流石に七月も上旬、長袖で満員電車になんて乗ったら、いくら冷房の効いている電車の中でも暑い。因みに下には警察官も御用達の、軍事用ほどは強度のない防弾チョッキを着用している為、中も蒸れる。それでも天下の山の手線、ラッシュは流石に避けている八時としても帰宅途中のサラリーマンやOLで混雑はしていたし、ある程度余裕を持って立っていられる、程度の事ではあったが。

 防弾チョッキに関しては、真麻から提案があったのだ。彼女は一度、夏希が不在時にSと対峙した事があり、その時に大型の拳銃を持ち帰ってきていた。

 型式には詳しくないが、藤堂がトーラス社のレイジング・ブルでした。と解説してくれた。

「Sは二丁拳銃持ちです。すみません、もう片方は……解りません。ただ、準備をしているなら今回も二丁所持している可能性が高いかと思われます。防弾チョッキ着用の上、戦闘スーツでも守りきれるかは解りませんが、最低限の防備はしておいた方がいいと思います」

 という訳で、この暑い中、長袖の下に更に防弾性も比較的ある、合皮制のジャケットに、通気性の悪いことこの上ない合金の板を差し込んでいる訳だ。

 夏希は、拳銃は格好良いと思っているけれど、銃の種類には詳しくない。何しろレッドアロウズは増力装置というもので武力を底上げしている部隊であり、殺傷力の高すぎる拳銃の所持は司令官であり、唯一増力装置を組み込まれていない柳以外認められていない。因みに銃弾には数種類のものがあって、それぞれ威力が違っていたり、適応可能な銃自体も異なる。そのくらいは解っている。カスール弾、というものは、たとえて言うなら弾の王様、様々なアニメや漫画で名称を借りられるマグナムよりも場合に寄っては強く、殺傷能力が高いものとの事らしい。

 そもそもマグナム弾とは製法の総称であり、通常の弾より火薬量を増やしたものの事を指すらしい。夏希はマグナムというのはあくまでも銃の名前だと思っていたけれど、威力の高い弾の総称の一つだと言うことをその時初めて知った。因みに他にも弾の経口によってであるとか、メーカーに関して藤堂が言っていたけれど、つまるところ非常に危険な銃を所持している、と言う理解はした。

「けど、電車が乗れる時間でとりあえず良かったですね。さすがに都内を、車移動って大変ですし」

「まぁ、それだけ麗花君が優秀という事です。今、パターン化したデータで、全てのロック解除が出来るかどうかも試してみてるそうですが」

 麗花が割り出した予測は“北緯三十五度、東経13九度、そして二文字の数字が四つ。四十一、四十一、十四、三十三”

 学校の地理で数度勉強しただけだが、世界はおおよそ、北、南、西、東と、更にいくつかの見えない罫線で仕切られていて、地図上にはそうして表示される。勿論私生活にはおおよそ必要のない数字ではあるが、世界の現在地、及び場所管理をする為に数字化されている。今回は東京都内に潜むSを探し出す、彼が残した手がかりとなってしまった訳であるが。世の中は、全て何かしら数字や記号化されて、誰かや何かが管理している。不覚にも、今回の事件でまざまざと思い知らされた。因みに組み合わせは十四パターン。その全てを潰していけば、Sに辿り着ける、という至って簡単且つ体力のいる方式である。

 いくつか麗香が割り出して絞ってみると海だったり、神奈川県だったりとはずれも出てくる。その中の、東京都内だけを絞りだすと、ものの数件しかヒットしなくなる。

 真麻は割り当てが決まった途端、「じゃあ、私車出します。何かあった時の為に、自由に動ける様にします」はっきりと申し出た。八王子のゴルフ場に向かうと今頃高速を飛ばしている。本件は柳も動く、今向かっている。と言っていたので、遠方部隊もそれで整った。そして夏希と藤堂は、徒歩からの部隊だ。彼も自動車の免許は持っているが、今回は何しろ車を持ってきていないし、道の混雑する都内だと時間が遅くとも徒歩電車の方が早い場合もある。

「あ、じゃあ、俺こっちで。藤堂さん、なんかあったら呼んでください」

 掌を向けると、藤堂もにこりと笑って、「夏希君もね」ぱん、とはたいた。

 夏希に割り当てられたのは、三十五度四十一分十四分、百三十九度四十一分三十三。新宿区内の、オフィスビルと飲食店、それとホテルの並ぶ駅のちょっとしたスポットだった。が混在する場所にある。流石天下の東京は、眠るのだって深夜も過ぎた頃、下手すると朝だ。ごみごみとした人混みをかき分けて、そろそろこの辺り。とポケットからダサい、と部隊内でも好評なゴーグラスを出して、目元を覆う。

 ここが日本の、栄えている街の一角である事がまだ良かった。流石にこんな夜奇天烈なものをかけている人も殆どいないが、天下の東京は、例え一般人がメイドのコスプレで現れてもアニメキャラクターの格好をしていても、横目で見る程度でそこまで気にする人はいない。まるでスキー用ゴーグル、と言わんばかりの遮光性マジックミラーも兼ねた、何故その色にした、と言う黒のガラスに七色の光が眩しい、隊専用のゴーグラスである。耳の部分にはイヤーカバーがついていて、コードレス・イヤホンを使用せずとも通信可能な優れもの、と言えばそうのだが、いかんせん、戦闘服と同様にダサい。それでも事件解決と思えば、とポケットから取り出して、目元を覆った。右肩側には半透明のレンズ部分に地図、及び現在地が映し出されていた。

「ここら辺……なんだけどなぁ」

 ぐるり、と辺りを見回してみたものの怪しい人物は見当たらない。一度対峙した事のある夏希としたら、一ヶ月経っていようが流石に特徴は忘れていない。身長はおおよそ一九〇センチ程度で銀色の髪。流石に夏に足をつっこんだ七月にロングコートはないにしろ、待ち合わせにすらぴったりだ、と言う程目立つ特徴がいくつもある。側にある裏路地を覗いてみたけれど、人の気配も何もない、ただの細いほこりっぽい路地しかない。

 その時、耳元の通信機から藤堂がすみません。と発信してくる。

『藤堂です。見付けました。こちらはコンビニのゴミ箱の裏側に貼り付けてありました。黒字に金の印字で、Dと書いてあります。手紙ですね……えぇと……ミス……成る程、外れ、との事ですね。ご丁寧にお断りのお手紙の様です』

 彼がやれ、と溜息を吐いた後、ジッと回線の音がして、別の声が響いてくる。

『こちら真麻、こちらも同様のものを発見しました。多摩市ゴルフ場入口看板の側面に張り付けてありました。大体その近辺の人目につかない所に貼り付けてあるみたいですね。ちょっとこれなんて読むのかしら……でも、まぁ多分おんなじ意味だと思いますけど、K、i、s、a、s、s、z、o、n、yって書いてあります』

『……えぇと、ハンガリー語……みたいです……意味は、真麻姉さんが言った通りで……』

 外れですね。溜息交じりに麗花が言ったのに、夏希も慌てて辺りを見回した。

 俺こそ当たってくれよ。派手にぴかぴかに輝いている看板の裏側を覗いてみると。真っ黒の封筒にD、と金字で印刷されている封筒を見付けた。引きはがしながら、応答ボタンを押して「夏希です」と声を伝える。

「えぇと、俺も見っけました。……多分、みんなと同じ意味な気がする……ていうか、全然読めない。マジで」

 封を切って中身を開けると、白のカードが一枚出てくる。封筒と同じ金の、唐草模様の枠が施されていて、枠の上部分にはご丁寧に王冠まで配置されている。夏希は英語も中の中程度だし、そこそこは読め、難しい会話でない限りは三分くらいなら喋れる。ただ、本当に読めない。何かの言語なんだと思うが、棒が一本横に引かれていて、ミミズの様な絵の様な文字の様なが書かれている。『ナッちゃん、ちょっと映像ジャックしますね』麗花がそう言うと、ゴーグラスの右半分が瞬き程度、ぱちん、と黒くなり、直ぐに元の通りの視界に戻る。

『はい、ヒンディー語です。見事な立派な外れです!』

 やっぱりな! 内心叫ぶと、今度はまた、ジッと音声が切り替わる。

『柳だ。こちらも同上。さて、なかなか遊ばれている様だな』

『恐らく、こちらが総当たりで場所を確認する事も想定済みなんでしょう。なかなか厄介というか、完全なゲーム感覚ですね……』

『まぁ、実にくだらない、ゲームは無理矢理終わらせるか、ほっぽり出すくらいしかない。他配置も確認急げ。アタリなら、応戦の可能性も心していろ』

 恐らくそんなに休憩を取っていないまま出てきたんだろう。司令が溜息を漏らしたのに、はい。と全員が頷いた。

 鬼ごっこ、かくれんぼ、缶蹴り、夏希も昔、中学生くらいまでは体験していた遊びだ。高校では一回くらいは久しぶりにやろうぜ、と言って始めたけれど、みんなして直ぐに飽きてどこか遊びに行こう。と言う話になってしまったし、恐らくそれきりだ。実際楽しんでいられたのは、まだろくに遊ぶ事も金も持っていなかった、部活に精を出す事もなかった子供時代までだ。実際、社会人になった今体験するとは思わなかった。まして探しているのが、銀行を機能させなくなった、その上爆弾まで仕掛けたという予告を出した犯人だなんて。

 次に夏希が向かったのは、新宿西区。歩いても数十分程度しかかからないけれど、とにかく芽は一つでも潰さないといけない。真麻は一番遠くを申し出ていて、今三鷹あたりにいます。と言っていた。藤堂は近場のものすべて潰してしまったし、こちらに合流する事になっていた。人数が多い方が、万が一Sに当たるった際に有利になれる事は確かである。

 けど、またここに来るとは思わなかったなぁ。麗花が夏希に示したのは、新宿西口、都庁下である。流石に地下通路を歩く事は流石にしなかったけれど夜闇の中、煌々と輝く窓が高々としたビルに点々としていて、帰宅中のサラリーマンやOLともすれ違ったが、八時を過ぎた今でも全て消える気配はしないし、まだその部屋の一つ一つに、通り過ぎていった彼らの倍以上の人間が賢明に仕事をしているのだろう。この一つ一つが街の美しい夜景を作り出しているのだと思うと、少し複雑な気分だ。

 都庁下へと辿り着くと、コードレス・イヤホンからここからは、ナビゲートします。と麗花の声がする。

『場所は、都庁脇、公園内。そういえばですねー、その近くのビルの中に、美味しいフレンチのお店があるんですけど』

「とりあえずフレンチは置いとけ。またみんなで行けばいいって」

『もうねー、おなか空いちゃったんですよー。味気ないのばっかりで……あ、ナッちゃんそこから東、30メートル』

 麗花が強調する様に言ったのに、夏希はおう、と一度返事をしてから、あれ? と首を傾げた。

「どうしました?」麗花が聞いてきたのに、夏希は一瞬考え込んだものの何でもない、と返した。きっと俺の気のせいだ。

 都庁下の広場はそこそこ広いし、ただの俺の勘違いだろう。と思っていた。けれど麗花が指し示す方向へと足を進める度に、勘違いは次第に確信に変わって行った。

 ゴーグラスの内側に記された、赤点滅が記す場所まで辿り着いて、夏希はなんて事だよ。と心の中で小さく呻いた。

 そこは今日、昼間に新宿を何気なくぶらぶら散策して、それから昼飯を買って、見ず知らずの男と食事を共にして、仕事だと呼び出しを受けたベンチだった。いくら辺りが煌々と明るいネオンに囲まれていても、そこは誰一人腰を下ろしてもいなかったし、ぽつんと寂しそうに席を用意していた。

 その傍らにはどうやら追いついてきたのか、藤堂がこちらに向かって手を振っていた。

「どうですか、藤堂さん」

「……現時点では、怪しい人影は見えません。さて、お手紙探しですかね。また」

 やれ、と肩をすくめてみせた藤堂に、外れを探すってなんかいやっすね。と何となく呻いてみせた。

 男二人で揃って訪れるにしては雰囲気がありすぎる、未だ煌々と外面を照らされている都庁下の広場をぐるりと見回す。ゴミ箱の裏側やら、もしかしたら植木の中にあるかもしれない、と藤堂がいくつかの樹を眺めていたけれど、夏希は何となく、こいつだ。と直感していたものがある。

 今日、立派な日陰を作っていたベンチだ。見知らぬ人と一緒に食事を摂ったそれの裏側を眺めてみて、嫌に凝った封筒がない事を確認する。だったら、こっちはどうだ。夏希が屈んでベンチの底を眺めてみた、その時。

「藤堂さん!」

 思わず先輩の名を呼ぶと、「何か!」と慌てて男が駆け寄ってくる。

「……どうやらここ、アタリかも……」

 はは、と苦々しく笑いながら夏希がベンチを指差すと、彼も倣って覗き混んでから、「あぁ、これは立派なアタリですね」と肩をすくめた。

 夏希が見付けたのは、ベンチ底にべったりと張り付いていた、機械で出来た“何か”だった。ガラスケースに覆われた小さな箱で、真四角の板に細長い筒状のものが張り付いていて、小さな時計と、いくつかの配線が繋がれて収まっていた。テレビで見た事がある、見るからにして立派な爆弾である。脇には一見すると見えにくいが、先程と同じ黒い封筒が傍らに添えられていた。

「司令、こちら藤堂。手紙と、爆弾発見いたしました」

 藤堂が手紙を引きはがしながらそう言うと、それに直ぐ様、柳が『種類は、確認出来るか』と問いかけてくる。

「恐らく、Sの予告通り、時限式のプラスチック爆弾かと思われます。火薬の量的には、せいぜい爆破規模としても1メートル半程度、と言った所でしょう。あくまでもアタリと教える程度の量です。爆破予定時刻は……今からですと明日正午十二時。ベンチの下にべったり張り付いてます。どうしますか。信管、解除致しますか?」

『いや、念の為私も確認したい。今池袋だ。それまで、どちらか待機して周囲の警戒に当たって欲しい。警察にも連絡を応援要請を出すが……。それで、Sの提示先は』

「……えぇと……どうやら、今回は隠す気がなさそうですね。今回と同じ方式でしたら、“S三十五、三十九、七、W一三九、四五、四五”です。麗花君」

『今回と同様の奴ですね。えと、……緯度、経度から…竹芝……海沿い公園です!』

 手早くやりとりが行われるのに、夏希は一瞬駅の方へと視線を向けた。今はまだ十時半、電車でならいけなくもない距離だ。それに真麻が続けた。

『こちらも外れでした。今からどちらか迎えに行きます。高速ぶっとばして行った方が早いです。都庁前、交差点にて待ち合わせよろしく!』

 俺は、どっちだ。慌てて交差点と藤堂を交互に見ると、彼は真っ直ぐ交差点を指差しながら、通信ボタンを押した。夏希はそれにうん、と力強く頷いて、走り出した。

『司令、本件は自分が爆弾の警戒を。現場にはリーダーの夏希君に向かっていただきます。その方が宜しいでしょう。こういったのは、万が一の対処も自分が向いているかと思われます』

 彼の実際の声は、もう聞こえない。あくまでそれは夏希の通信機から響いてくる声だ。柳もため息交じりに頷いて、『……まぁ、英断だ。どうせ赤城はじっとしておらんだろう』と続けた。どの道走り出してしまったし、今更戻れって言われても困る。

 交差点へと辿り着くと、ひどく目立つ、薔薇色のスポーツカーが留まっていた。見慣れたそれのドアを揚々と開けて乗り込むと、夏希がシートベルトを締める間もなく運転手である真麻が車を発進させた。ようやっとかちん、と止めた時、耳元で重厚な司令の声が響いてきた。

『各自、今聞いた通りだ。一条は現場付近で赤城を待て。私も警察各所に連絡をし、爆弾の警戒、及び周囲に包囲網を張ってもらう手はずを整える。レッドアロウズ、検討を祈る!』

 それに各自、夏希も揚々と、はい! と返事した。

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