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セイギノミカタ ~赤城夏希~  作者: 桜
四話 ハイ・アンド・シーク
11/17

ハイ・アンドー・シーク ♯1


 金曜日の朝とは、彼にとって一週間で尤も大切な朝である。

 週休一日、各週でプラス一日。表向き外資系証券会社役員である彼に与えられているのが、それである。しかし世に言う証券会社、とは全く素性が異なり、そもそもマーケティングを理解していなくても問題はないし、ノルマも誰にも課していない。いっそ出社しなくても構わない。それが彼の所属する会社である。日本の外資系証券会社ともなると、例え土日が休みであろうと実際の所通常であれば休みなど簡単に取れるものではない。外資ともなると時差が異なる各国の数字も見なくてはならないし、土曜にずれ込む事も、日曜夕方にいきなり市場が動く事だってある。ノルマもたった一日こなしたところで、またすぐ山積みの数字ができあがる。日本人は特に生真面目で、必死でそれをクリアしようとし、だからこそそれが休みの日まで食い込んでくる。けれど彼が常に金曜の休みがキープ出来るのは、優秀だからと言う訳ではなく、あくまで表向きの、滞在する理由付けの肩書きであり、会社自体もダミー・カンパニーだからこそ、こうして悠々と休みをとっている訳なのだ。

 第一、あくまで休みを組み込んでいるのは日本のコンプライアンス対策であり、福利厚生程度でつつかれたくなかったからだけである。どちらかというと就業規約を二本の法律に則って作成する方が手間がかかった。実際の所オフィス代と、彼の所属する連中の給料分を本国にある組織からの援助なく稼げればいい事だったし、それにプラス運用費が乗っかるだけで、実際彼がある程度の日数、数字を眺め、時折キーを入力するだけで全て済んでしまう。 

 勿論、何をする訳でもなく、適当に数字を操作する為に、窮屈な満員電車に乗って、定時に出社をして車内で適当にキーボードとマウスを操作する事に対して不満がある訳ではないし、それはそれで楽しいのだが。

 けれど矢張り、金曜日の朝というものは、特別なのだ。

 最初の内は警戒され続けていたが、最近はすっかり慣れてくれたようで、木曜の夜から金曜の夕方にかけて付き合ってくれる様にまでなってくれた。その人と過ごすに見合ったランクのホテルを選んでいるつもりだが、かけた金額以上に見合う最高の場を提供してくれる。

 と言うより、日本の接客は極めて高レベルで、例え安ホテルだろうがノベルティの一つ一つに気を配り、従業員態度もそこそこ悪くはない。インスタントのコーヒーすら、泥水の様なものではなく、最低限飲めるものを出してくれる。むしろこのサービスに対してチップを支払わなくてもいい、という事がおかしいくらいなのだ。むしろ、日本人はチップの文化がないせいか、余分に払うと過不足が出る、と良い顔をしない。上からもしかられる、と上室な店でしかその謝礼が出来ず不思議だ。まれに新幹線などに乗ると車内販売員は受け取ってくれるが、余りにもストイック過ぎる。彼らは自らの接客にもっと誇りを持ち、金を取るべきである。因みにこうしてなるべく高ランクのホテルを手配し、そのもてなしに敬意を払おうとしたところで、彼らは受け取ってはくれないのだが。

 まぁ、とにかく今日は、彼にとっては特別な一週間の内、尤も貴重な、ゆっくりとくつろげる時間なのである。

 適当に入れたコーヒーに口をつけながら、夜シャワーを浴びる為に外して、サイドテーブルに放っておいた時計を手に取った。

 茶のなめし革は使い込んでいる事もあってか腕に巻き付けた時にしっくりと肌に馴染むし、付属の金属も、時折ちゃんと手入れしている為、錆びも綻びもない。何よりも、少し大きめの盤には、三種類、時刻を示す盤が組み込まれている。アナログの針が二つ、デジタルで一つ。秒針の一つが示すのは、本国イタリアのものである。彼は生まれはイタリアではないが、祖国ではなく本国と呼ぶなら、それが適切だろう。時々入る連絡の為、時間を確認出来る様にと変えずにいる。もう一つの秒針と、デジタル部分は現在滞在中の日本のものだ。勿論部屋にも添え付けのデジタル時計はあるし、携帯電話もあるが自分の時計ほど優秀で、自分が指針として使っていて正しいものはない。

 それを眺めながらベッドサイドへと腰を下ろした、その時。ごそり、と背後からシーツが擦れる音が鳴った。

 カーテンの隙間から覗く朝日が、少し眩しかったのだろう。ブラウンの上品な掛布になだらかな線を描いている存在が、わずかに眉を顰めたのに、デジタル時計が堂々と居を構えている棚にカップを置いて、シーツに零れていた髪を一房すくい上げる。

「悪いね、起こした? まだ八時過ぎだよ。チェックアウトまで大分あるから、もう少し眠りなさい。疲れてるだろうし、昨晩少し飲みすぎてただろ?」

 すると掠れた声で小さく返事が返ってくる。そして、珍しく早起き。とぼんやりと、皮肉でも言いたかったのかもしれないが、可愛らしく零されたのに、一つ笑みを零してみせた。

「たまにはね、君の寝顔を眺めて過ごす朝も悪くないと思ったんだよ。髪が……んー……ああそうだ、乱れてるのも可愛いよ」

 日本語でなんて言ったかな。と思い出しながら言うと、むぐ、と言葉を詰まらせて、頭から布団を被ってしまった。

 会話をするにしても、本国の言葉でも、英語でもなく、日本語で伝えなければ会話が出来ない、非常に手間のかかる、しかし反応の一つ一つが可愛らしい人だ。

「まぁ、もう少し休みなさい。後で付き合って貰いたい場所があるんだ。必要があってね」

 すると布団から僅かに覗いた眼差しが、どこに? と問いかけてくる。それに男は頭を撫でてやりながら「渋谷にね、行きたいんだ」と穏やかに返した。

 彼女が駄目、とは言わない事を解っていた。案の定小さく頷いてくれたのに、休む様に促し、改めて自分の自慢の時計に視線を落とした。厳密に時刻を提示するなら、八時十三分。チェックアウトの十一時にも、行動が開始されるのにも、少し早すぎるのだ。


   * * *


 今日は七月、第三週目金曜日。暑いけれど晴れ晴れしくいい日だ。けれど赤城夏希にとっては、いい日半分、良くない日半分、であった。彼は政府公認の正義の味方、レッドアロウズの新人の一員であり、何故かリーダー選抜じゃんけんで勝った、名ばかりのリーダーである。容姿は中の中、少し固い、真っ直ぐの癖毛で、身長も男子の平均より少し高いくらいの一七三センチ。目立って格好いい訳でもないが、事実、ヒーローなのだ。

 正義の味方にも休息は必要だ。何しろ、身体が疲れていたら誰かを助ける時に動けない。例え、普段事件もなく暇にしてもだ。ちなみにレッドアロウズの勤務体系はシフト制で、今日は夏希の休暇である。刑事や消防の様に、常に警戒を怠らなければならないから、その態勢を取っている。とは言え、土日も基本的にほとんど事件が起こらない為、希望すれば大体簡単に申請が通る。事件がない事は良い事だが、たまには休暇中に「事件です!」と呼ばれたいものだとはちょっとだけ思う。

 そして彼は今、新宿をぶらぶらと散策していた。平日とは言え駅東口には若い男女や、父や母と同じくらいのおじさんおばさん、それと年配者でそこそこ人の波が出来ている。ちなみに、歩くルートは彼自身の意思で、ここに来たのは彼の意思ではない。

 彼は実家暮らしで、朝、日課である犬の散歩を終わらせて、母親の作った朝食をとって、さて、今日は思いっきりだらだらして、午後にまた犬の散歩に行くぞと珍しく計画を立てていた。しかし今日朝、姉が出かけにこう言ったのだ。

「夏希、ちょっとお使い行ってきて。新宿の伊勢丹に化粧品、注文してんの」

 夏希の姉は、二五歳、五反田でアパレル店員をしている。ちなみに夏希はその時「やだよ姉ちゃん自分でいけよ」と二回は言った。しかし姉は今日仕事で、明日飲み会なの、使いたいの。と睨まれて、結局は負けてこうしてだらだらする予定をすっかりとパアにしてしまったのだ。夏希は漫画を読む方だが、世の中の姉の出てくる漫画は大体姉が可愛く、うらやましい限りだ。弟をかわいがったりなんでもしてくれる姉なんてのは、幻想だ。姉というものは、母の次に家の中を取り仕切る、鬼か中ボスみたいなものなのだ。

 友人達は大概平日は仕事だし、シフト制の仕事にしたって、事前に予定を合わせなければ遊ぶ事も出来ない。けれど電車に乗って新宿に来たからには、姉のお使いを済ませるだけでは終わりたくない。という訳で、ついでと言っては何だけれど、前々から新しいのが欲しいと思っていた財布を買った。黒の地に、十字の赤のラインが入った、二つ折りの財布だ。中に入れる為の紙幣はすっかり薄くなってしまったが、良い買い物をしたと思う。ついでに暇でまだ金もあるから、ゲームセンターに行って、十分ほど格闘ゲームを楽しんで、三分ほどレースゲームをして、何となくクレーンゲームをして、犬のぬいぐるみを三つ手に入れた。そのうちの一匹が、自宅にいる芝風の雑種犬に良く似ていたから、マル二号と名付けて、少し満足した。けれどそれで昼間は埋まってしまって、さて、暇だな。と夏希は実感した。それ以上の予定は彼の中にはなかったし、ぶらぶらし続けるには、財布の中身が寂しすぎるのだ。後でATMに寄って、金を下ろすにしても、それはひとまずさておいて、うん、と彼は誰ともなく、一つ頷いた。

「とりあえず、飯だ。腹減ったなぁ」

 財布の中身は千円ちょっと、どこかに入ってそこそこのものは食べられる。けれど夏希は折角新宿まできたんだし、と一人頷いて、歩き出した。目指すは西口。途中、駅の地下へと続く階段を降りて、まずは交番を目指す。そこを横切ったら真っ直ぐ、地下通路は、流石オフィス街へと続く道だけあって、そこは新宿駅近郊にしても、人の姿もまばらで、動く歩道を歩くと足下がふわふわしたし、これも秘密基地への入り口だと思えば、心も年甲斐なく弾む。地下通路には、上へと続く階段への入り口や地下集合飲食店の間口もあった。それらはまだサラリーマンの昼には少し早い時間もあってか、食欲をそそる香りを通路まで漂わせるだけでがらんとしていたが、夏希は全て我慢してスルーした。

 少し長い地下通路を抜けると、高々とそびえ立つビル群が立ち並ぶオフィス街へと辿り着いた。この街はどこをとってもほとんどがオフィス街、なのだが、ここまで一貫して巨大なオフィスビルが建ち並ぶのはやはりここくらいなものだ。買い物で賑わう街中とは少し空気が異なりぱりっとしている気がする。

 直ぐ脇にある黒いビルの下のコンビニはサラリーマン集客をメインとしている事もあり、スーツやオフィスカジュアルのOLが一人二人居るだけで、混んでもいなかった。昼前の準備も万全らしく、商品もきっちりと並べられていて欠品もない。ちょっとした穴場だった。焼きそばパンと、鮭おにぎりと、唐揚げ、それとペットボトルのジンジャエールを購入したら、都心のピクニック気分だし、財布の中の小銭だけで足りた。

 そうして目的地、とは言っても歩いてそう数分もかからない新宿のシンボルの一つでもある、東京都庁を見上げて、うん、とまた一つ頷いた。一つの建物から二本に分かれた高々としたビル。夏希は、何故都庁が二本の柱で分かれているのか知らない。いつだったか理由を聞いた気がするけれど、とにかく高くて偉い場所、という認識しかない。昇ったのは小学校の遠足以来だ。電車できても三〇分程度の距離で、近すぎるからむしろそんなに行こう、という気にはならないのだ。けれど高いビルの中にはきっと今日も、精を出したり、時々面倒くさいと思いながら仕事をしている人々や、観光客がいるのだろう。

 都庁脇には公園があって、都心のちょっとしたオアシスを演出している。木々が生い茂り、今日みたいな晴れ晴れとした日には近隣の人々や、サラリーマンやOLの昼食場になったり、もしかしたらボールを持った子供達が遊ぶ場になるかもしれない。けれどビル群に囲まれているせいか、人一人にしてみたら広々とした場所だけれど、腕を広げる木々はどこか少し窮屈そうにも見える。

 その一角、がらんとした広場に、木陰に隠れる様にぽつんとおかれたベンチに腰を下ろして、夏希はふう、と息を吐いた。そうして、先程手に入れてきた“今日の昼飯”が入った袋を漁り始めた。

「たまにはいいな、こういうの」

 今日は晴天、時間は十一時二十分。雨季からそのまま突入した為湿度は高めで、日が照る道を歩く度と汗が滲んでくる。けれど、今日は騒ぐ程暑くなく、過ごしやすい、丁度いい日差しだった。

 始め、クーラーの効いた涼しい店に入ろうかな、と思ってもいた。けれど、普段職場の先輩である藤堂と飯を食うと、大概飲食店で取る。後輩である自分が弁当を、母に作ってもらう、という事は流石にないにしても、買ってきて、というのはちょっと悪いし、しまりがない。だからコンビニで買った昼食、というのは夏希にしてみればまれだし、少し新鮮だ。

 たまにはこうしてできたての温かい定食ではなく、パンとおにぎり、人も少ないうちから木陰で、なんていいじゃないか。小遣い制のサラリーマンにしたらうらやましい事この上ないだろうが、あいにく彼には彼女すらいない、昼食とたまの飲み会と自分の雑費、それと家に入れているちょっとの食費程度で済む、自由人なのだ。

 姉の化粧品と、以前使ってた財布と、それとマル二号を一緒くたに突っ込んであるビニール袋を脇に置いて、コンビニの袋をシート代わりに、パンとおにぎりとからあげを並べた。ついてきたウェットタオルで手を拭いて、夏希はぱん、と手を合わせた。

「よし、はい、いただきます!」

 一人でも、食事の挨拶はきちんとする。そう言った部分では彼は非常にマメでもあった。子供の頃から食事の挨拶はしなさい、口を閉じて食べなさい、と親に口酸っぱく言われていた事を守っているに過ぎないのだが。そして真っ先に、ペットボトルのふたを開けようとした、その時。

 木陰よりも濃い影が夏希に覆い被さる様にゆらり、と現れたのに、思わず顔を上げた。すると、目の前に一人の男が立っていて、こちらをまじまじと見下ろしていた。

「な、なんっすか……」

 身長は、夏希と同じくらい、だろうか。目元を覆う程の真っ黒の髪の青年だ。大きな紙袋を抱えたまま、夏希を見下ろしていた。俺、何かしたっけな、それともここって、飲食禁止だっけ。ゴミはぽい捨てなんてしてないし、する気もない。だったら何だろう。夏希が内心焦ってていると、男の腕がゆらり、と上がり、彼を、と言うか、恐らくベンチを指差した。

「え、っと、ここ、座り……ます?」

 一向に口を利きやしない青年に、眉を顰めながら聞いてみると、彼はこくり、と小さく頷いた。

 いくら広い都庁横広場、とは言え、見渡す場所にあるベンチはどれも燦々とした太陽に照らされていて、そこそこ日射病対策が出来るのは、この場所くらいなものだ。けれど夏希はすっかりピクニック気分で広げてしまったし、居を構えた手前場所を移動する気にもならず、ど真ん中に並べていた食事を脇にどけるだけに留めた。人一人分、座れるだろう。それで駄目なら、きっと彼は他の場所を探すだろう。

 すると彼は、ありがとう、とでも言いたそうにまた一つこくり、と頷いて、隣端に腰を下ろした。

 なんか、変な奴だな。喋りたくない奴っていうのは、勿論世の中には沢山いるし、髪だってぼさぼさで、目元まで覆う、なんて珍しくもなんともない。夏希はその辺りは差別しないし、気にしない。けれど何で七月、しかも八月に近くなったこの時期に、長袖赤ジャンパーに革のパンツなんだろう。と不思議に思ってしまった。一瞬、以前会った悪の組織、D―クラウンの幹部は真っ赤だったな、と思ったけれど、こんな所に偶然そいつがいるとは思えないし、考えるのは止めた。

 男は腕に抱えた大きな紙袋からベーグルを取り出した。きっと同じように、ここで昼食を取ろうと思ったんだな。なら、一緒だ。一人の飯は変わらなかったけれど、なんだが同士が出来たみたいだ。夏希も中断された昼食を再び続けようと、焼きそばパンの袋をぱりっと開けて、噛み付こうとした、その時。

「……焼きそば……」

 直ぐ横からした声に、ありつこうとした昼食が、再び中断された。声の持ち主の方へと視線を向けると、ぼさぼさの髪の青年が、じっとこちらの方を、というより夏希が手にしていたパンを見つめている。それは、彼が何となく「あ、これ食お」と適当にひっつかんできた、何の変哲もないコンビニの総菜パンである。ふんわりとしたコッペパンの真ん中を切り、中には具のほとんどない、ソース味の焼きそばが挟まっただけの、なんの取り柄もない、けれど日本人の少なくとも半分は好きだろう、と思う珍しくもない代物だ。

 夏希はしばらく自分の適当に選んだ昼食のそれを眺めていたけれど、仕方ないな。とずい、と男へと差し出した。

「えっと……食う?」

 すると男は口をぽかんと開けて、今度はパンではなく、夏希の方を見た。と思う。何しろ視線が前髪で覆われていて、定かじゃなかったからだ。けれど、こちらを見て、夏希の行動を不思議に思っている様子だった。

「ずっと見てられんのも、食いにくいし……まぁ、人が食ってるの見てると、そん時気分じゃなくても食いたくなるって気持ちは解る。俺はまだおにぎりも唐揚げもあるし、気にすんな」

 その時なんとなく焼き肉定食を選んでも、誰かがカレーを頼めばカレーを食べたくなる。夏希には良くある事だったから、その気持ちはわかるのだ。

 な、と笑って改めて焼きそばパンをずいと差し出すと、男は今度はパンを見て、こくり、と小さく頷いてから受け取った。

 すると男は今度は、焼きそばパンを膝に置き、ベーグルを取り出した袋へとしまってから、おもむろにばりっと破いた。そうしてずい、と夏希の方へと押し出してくる。

「ん? な、何? く、くれんの? 交換?」

 流れ的に、そんな気がする。ただ、男があれきり何も言わないものだから、何となく感じて問いかけてみると、彼はこくん、とまた一つ頷いた。 

 破かれた袋には、しゃれたパンばかりが四個程並んでいる。さっき男が取り出したベーグルと、クロワッサンと、お一人様用バゲットみたいなもの、それと、表面をぱりぱりに焼いた丸いもの。たまに、パン屋に行く事はあるけれど、値札もなしにこうして並べられていると、何がどれで、何味なのかさっぱり解らない。

「え、えーと、じゃあ、これ、貰っていい?」

 なんだか良く解らない丸いパンを指差すと、男はまた一つ小さく頷いた。

「ありがとな」

 受け取ったパンは、最初はチーズか何かが乗っかってたり練り込んであったりするのかな、とも思っていたのだけれど、実際噛み付いてみるとほんのりアーモンドの味がする、甘いパンだった。

 こうして並んで男二人で無言で昼食を取っているのは、傍目からすればなかなか絵面的に面白いんじゃないだろうか。なんだか、不思議な縁だな。ただ単に昼食を取りたくて座ったベンチに男二人。向こうは喋りたくないのか、名前も言わないし、多分夏希も聞いても忘れてしまうだろう。けれどこうして見ず知らずお互いのパンを交換し合っている。そう思うと、たまには休日にぶらぶら外に出るのも悪くないものだ。

 唐揚げと交互にパンを食い切って、次はおにぎりだ、とパッケージをびりっと破いたその瞬間。夏希の尻ポケットが震えた。鞄ってのは仕事意外にあまり持ち歩きたくない。だから携帯も財布も、お気に入りのジーパンに突っ込んであるのだ。何だろう、今度は母ちゃんがついでにお使いを任命してくるかな。と携帯電話を取りだして、液晶に記されている名称に、慌てて画面をタップした。

「へいっす、夏希です!」

 それは、夏希の職場であるレッドアロウズ、通称“RA”からの連絡である。やばい、なんかしたっけ。と慌てて応答すると、耳元で甲高い声が鳴った。

『お休み中すみません麗花ですー! ナッちゃん、今どちらにいます!? 緊急出動要請、事件です!』

「マジで! 今丁度新宿! すぐいく!」

 慌ただしく鳴り響いた声に、夏希はベンチの上でぴんと背を張った。電話を切って慌てておにぎりをパッケージから取り出しながら、唐揚げをまとめて口に突っ込んで、ジンジャエールで流し込む。そうしてぱりぱりののりの巻かれたそれを口に突っ込みながら、ビニール袋にまとめた。あぁ、そうだ忘れる所だった。脇に置いた荷物を持って、準備は完了。初の、正義の味方休日出勤に、心が少し浮かれていた。

「パンありがとな、俺、ちょっと用事出来たんだ」

 行きずりの男に礼を言って立ち上がった。その時ふと思い出して、がさがさといろんな荷物を一緒くたにした袋をあさった。

「あ、そだ。これもやる」

 マル二号と一緒に取った、ポメラニアン風の犬のぬいぐるみだ。そりゃあ、夏希だっていきなりぬいぐるみを差し出されたら、対応に戸惑うだろう。例えそれが、ふわふわで可愛くても、だ。パンに噛み付いたままじっと眺めている男の膝において、「荷物減らしたいんだ」と笑った。

「ちょっと俺、仕事入っちゃったからさ。いらなかったらなんか誰かにやってくれ! じゃ!」

 あくまで行きずりの人だったけれど、パンも交換した。マル二号の舎弟の一匹を預けるのも悪くない。男は頷いたかどうか解らなかったけれど、夏希はそれを確認する事もなく、駆け足で駅へと向かった。


   * * *


 山の手線沿線にオフィスがある、というのは通勤としても比較的利便性がいい。そして丁度新宿でぶらぶらしていた夏希にしてみたら、タイミング的にも丁度良かった。

 エレベーターを使用して四五階に降り立ち、指紋、網膜認証の入り口をくぐり、左右にあるトレーニングルームを抜けて、一番奥の部屋へと駆け足で向かった。

「お疲れ様っす! 夏希、今到着しました!」

 揚々とオフィスのドアを開け放つと、夏希の挨拶とは真逆に部屋の中はずっしりと重たい空気が漂っていた。今までテレビの液晶を眺めていた司令官と先輩がこちらを向いて、あぁ、と小さく頷いた。

「済まないな赤城、休暇中に」

「大丈夫です! ぶらぶらしてたんで。で、事件って何っすか」

 司令官たる柳に揚々と返事をしてから、二人が見ていた大型テレビへと目を向けると、渋谷だろうか。一○九が映し出されている。人混みを背景にしたリポーターが、マイクを掲げながら声を張り上げている。

『こちら、先程Dークラウンの声明が発表された、渋谷です。あちらの大画面にてこの昼間、人々の目の前で堂々と発表された訳ですが。目撃した人々へ、どういったものか、コメントして頂こうと思います』

 そう言って、リポーターが、若者へとマイクを向け、「どんな様子でしたか」と聞いてみると、髪を金茶に染めた女性二人組は、驚きました、なんて月並みな回答をしている。

 やっぱりな。夏希が呼び出されるとなると、彼らが何か起こす、くらいしかないのだ。

 レッドアロウズは、警察とは異なる。政府主導における、テロ対策組織であり、正し、これまたSITともまた異なる。ちなみに今の立ち位置は、変な組織に立ち向かう、正義の味方であり、Dークラウンはテロ組織、というか愉快犯連中、というのが夏希の中の認識である。

「で、つまり何があったんだ?」

 急いで来たから、インターネットでニュースを確認する暇もなかった。普段ならさりげなく説明をしてくれる筈の麗花へと目を向けると、彼女は、司令以外唯一まともにしつらえて貰っているデスクのど真ん中で、片手でマウスを、もう片手でフルスピードでキーボードを鳴らしながら、なにやら忙しなくしていた。これは、話しかけられないな。その時。

「簡単に言うと、穂積銀行のサーバーがダウンさせられた」

「へ? ぎ、銀行ですか」

 柳の一言に、思わず頓狂な声を上げた。穂積銀行と言えば、東京三大銀行とも言われる程の、大銀行である。それに、今まで忙しなくパソコンを操作していた麗花が補足をする。

「厳密には、ジャックされた、ですね。口座を管理するサーバーに、外部ロックがかけられて、機能しない状態になってます」

「えっていうか、銀行って、あれだろ。そういうのってめちゃくちゃセキュリティ固いっていうか、え、機能しない?」

「ええ、下ろすのも、送金も、全部駄目です。さっき、自分がコンビニのATMで確認しました。支店にもちょっと行きましたが、人だかりで出来ませんでしたが、全然駄目っぽいですね」

 それに先輩である藤堂が、ため息交じりに続けた。そんな事、あり得るのだろうか。

 銀行と言えば、金を預ける所である。そういう場所はセキュリティ的にもしっかりしていて、強そうだ。と言うイメージが凄くある。今やネットも普及しているし、セキュリティ面で暗号化、なんて文字も良く見る。しかしそれに、麗花がキーボードを叩きながらため息を吐いた。

「銀行のクラッキングなんて実は良くある事ですよ。大体が黄金を引き出す手口だとか、そういうものです。ただ、あくまでそれは気づかれない程度の小さな範囲でこつこつやってくのに、ここまで大々的に乗っ取りなんてのは、そうはありません。ATMはまた管理が少し異なりますし、一気に乗っ取ってロックされちゃうって、ここまでの規模はちょっと、凄く手間かけてて、面倒くさそうだなぁって思います。外部アクセスもかけて、セキュリティ解除ですしねぇ。私ならいやだなぁ。あ、ナッちゃんの言う通り、銀行自体は外部アクセスに対するセキュリティはまぁ、厳しい方です。お金を扱いますからね、それだけクラッカーに狙われ易いですし。大手銀行は、海外取引もありますから、尚更です。日本ってそこそこ資産ありますからねぇ」

「はぁ……、おう……」

 なんだか良くわかないけれど、とにかく一大事である、という事は解った。テレビでは支店に群がる人々の姿が見えるし、時折リポーターがその一人を捕まえて、コメントを貰っている。とにかく大変なのだな。とぼんやりと眺めていたものの、夏希ははた、と気がついた。

「って! 給料の振り込み先、俺穂積だ! やべぇ! 今日買い物して財布ん中空っぽだよ! え、つまり、下ろせないって事ですか!?」

 そういえば、今日は新しい財布を買って、ゲームセンターで遊んで、昼飯を食って、中身は千円札一人だけになってしまっているのを思い出した。ここまでくるのは定期を使って、だから問題はなかったにしても、金を下ろせないのは困る。

「そうですね、下ろせません。ちなみに自分も穂積銀行です。つまり、何千何万の人々の財布に困る。がまず一つ。それと、企業自体に大打撃です一分一秒、コンマ。銀行の売り上げはいくつもあります。株運用、貸し出し金利、それと、我々が銀行意外で引き出した時の手数料、その他にも数えきれません。サーバーが停止したとなると、それだけで我々が考えるのもばかばかしくなる単位の金が失われるんです」

「まぁ、億単位で済めばまだ可愛い損害、という事だ」

「え、え、ていうかそれってマジでやばいって事じゃないですか!」

 夏希には、億なんて額もそもそも雲の上の額だし、どのくらい札を積んだらそうなるのか想像も付かない。しかし、とかく財布の中身が寂しい人々にしてみたら、今日、明日の飯代、下手をすると電車賃にだって困る一大事だという事は理解した。

 さて、今日明日下手したら千円一枚で過ごさなきゃならない、と考えて、はた、ともう一つ気づいた事がある。

「ていうか、真麻は?」

 普段なら「迷惑」といらだちながら言うだろう同僚の、ある意味で迷惑ながら良く組まされる相棒の姿がないな、と辺りを見回した。

「今日は金曜日です。お休みですよ。ただ、先程招集をかけた時には現場でお買い物してたそうですから、もう直……」

 藤堂が言いかけた、その時。荒々しくばんっと思い切りドアが開いたのに、麗花以外がばっとそちらを向いた。

 女性にしては比較的身長のある、長い髪の女が、眉を顰めながら立っていた。

「遅れました」

 がつがつと、起毛のマットの上を荒々しく歩いて室内に入ってくるのに、彼女の機嫌が死ぬほど悪い事を察した。

 柳が眼鏡を正しながら、小さくため息を吐いて、「済まないな、一条。休暇中に」とねぎらったのに、一条真麻は一度司令の前で背を正した。

「いえ。こういう時の我々ですから。仕方がありません。そもそも事件を起こす方が悪い訳ですから」

「まぁ、それもそうだ。俺も休みなのに呼び出しだ!」

 夏希が横でそういうと、真麻は「アンタ気楽でいいわね」と言いながら、三人掛けのソファに少し大きめの荷物を放り投げて、改めて柳の前に揃う様に並んだ。その時。

 突如柳のデスクの隅っこに置いてある電話がけたたましく鳴ったのに、司令である彼が、手で『待て』と指示してから、受話器を取った。こうなると、多分しばらく彼は電話に手一杯で、こちらへの指示は後回しになってしまうだろう。

「ていうか、何だその荷物。どっか行ってたのか?」

 声を低くしながら、電話の邪魔をしないように真麻に話かける。彼女が持っていたのは、普通の鞄よの少し大きめのボストン・バッグだ。

「実家行ってたの。ついでに渋谷で買い物。あぁもう全く忌々しいわね、人の休日中に狙ってとか、ホントあり得ない!」

 今にも地団駄を踏みそうな機嫌の悪さだな。真麻は「ぶつわよ」と言っても実際の所、夏希は殴られた事はない。軽くこづく程度はあったけれど、今余計な事を言ったら本当にぶん殴られそうだ。元々空手道場の娘で、比較的力も強い。増力装置を使わずとも五回に一回は夏希の木刀を折るくらいだ。骨なんか簡単に砕いてくるだろう。

 まぁ、実際の所、休み中に呼び出し食らったら普通は機嫌悪いよなぁ。夏希はわくわくしていたけれど、恐らく真麻の反応が普通なのだ。

 そういえば。夏希は、今日二度目に思い当たり、今まで置くのをすっかり忘れていた荷物をあさった。さっき飲んでいたペットボトルと、古い財布と、ゴミ袋にしたコンビニの袋と、姉のお使いとを一緒くたにしたビニール袋だ。その中から一つ掴み出して、真麻に突きつけた。

「まぁ、事件だからしょうがねぇ。ほら、これやるから機嫌直せよ」

「何これ……あんた何してたのよ」

「財布買ってゲーセン行ってた。戦利品だ。可愛いだろ」

 ついでに姉のお使い、とは流石に付け足さなかったけれど。取り出したのは、ふわふわの、犬のぬいぐるみだ。先程ゲームセンターにて得たうちの一つで、知らない男性に押しつけた兄弟の一匹である。黒と白の、シベリアンハスキー風の犬の鼻面を突きつけると、真麻は目を丸くして、それと夏希とを見比べた。

「いや、可愛いけど。貰っちゃっていいの?」

「俺にはマル二号がいるからいいよ。てか、沢山あっても困るし。ちなみにこっちがマル二号な。いいから貰っとけ。やるっつってんだから」

 袋の中の兄貴分を紹介してから、改めてずい、と鼻面を押しつけると、もしかしたらつぶらな瞳に癒やされたのかもしれない。真麻は口の端を曲げて、ちょっと照れくさそうに「ありがと」と、受け取った。何となく機嫌も良くなったっぽいな。夏希は満足したけれど、代わりに、一つ問題が出来た。「ナッちゃん、私の分は?」と、もう一人の女子に聞かれるかもしれない、と思ったからだ。しかし流石に残りは使い古しの財布と姉の化粧品しかない。今度な、で済ませよう、と、その言葉を覚悟していたのだけれど、いつまで経っても声が投げつけられない。

 視線を向けてみると、麗花がふわふわとした髪を振り乱しながら、先程まではパソコンを弄っていた筈だったけれど、気がついたらなにやらがたがたと忙しなくしていた。

 大きな鞄に、ノート・パソコン二台、いくつかの配線と、外付けメモリーを数個。他にもなんだか雑多に突っ込んでいる。

「な、何だ、結構大荷物だな?」

「駄目ですよぅ。むしろこれじゃ足りないくらいです。計算負荷に耐えきれなくて、遅くなっちゃう。どうしようかな、うちのも電源入れておいてもらうかな……個人情報系扱うから駄目かなぁ……。あ、でもダメ元でも入れておいてもらおう。そうしよっ」

 慌てて携帯電話を取りだして「あ、山崎さん? 私ですけど、お兄ちゃんか田中さん、今うちにいません?」といきなり電話をし始めた。

 何がなにやらさっぱりだ。今度は入れ替わりにがしゃん、と受話器を置く音に、そちらを向いた。司令である彼が、電話を終えたのだ。彼は日課である、朝買ってきたコーヒーのカップに口をつけて、ため息を吐いた。そして。

「それでは、現状の整理と、手はずを整える。麗花君はそのまま準備を続ける様に。先だって、正午ジャストにて渋谷大スクリーンのジャック、及びDークラウンの犯行声明が発表された。我々への見事な挑戦状となる訳だが、今後の動きに関して」

「えっと、すいません、俺、それの事良く知らないです!」

 慌てて挙手して、夏希が発言する。そもそも招集を受けたのがついさっきで、事件のざっくりとした説明を受けたのも今し方なのだ。ニュースをチェックする時間もなかったし、テレビがアナウンスしている情報だって、一般市民が今どう、とか程度しかない。それに柳がやれ、とため息して、テレビのリモコンを手に取った。そうしていくつか操作をして、けたたましくリポーターが騒ぎ立ている画面から切り替える。

「まぁ、おさらいがてら確認するのもいいだろう。桂木が声明文を録画しておいてくれたらしい」

 切り替わった液晶の下で、麗花が「違いますよ司令! ネットから拾ってきた民間人投稿の奴です!」と突っ込みを入れる。横でこっそりと藤堂が、「実は、麗花君もちょっと機嫌が悪いんです」と夏希に耳打ちした。

 実を言うと、この対策室に関して言えば麗花意外、夏希を含め機械やデータ関連に強い人間はほとんどいない。藤堂は機械いじりやメンテナンスが趣味の様な人間だが、結論から言って配線や組み合わせが好きなのであって麗花ほど詳しい人間はいない。ネットで画像を見るのは今や当たり前になっているけれど、一回りも年齢が違う柳には、少し馴染みが薄いんだろう。司令はうん、と咳払いをして、まぁいい。と続けた。

「とにかく改めて鮮明な画像は届くとは思うが、確認しておきなさい」

 したたか且つ珍しく機嫌の悪い麗花の突っ込みを受けて、少し居心地が悪くなったんだろう司令が地面を指差したのに、夏希は内心、司令って大変だなぁ。と人ごとながら思った。

 とにかく麗花がデータを移してくれた液晶テレビへと視線を向けた。

 民間人の、恐らく携帯電話から取った画像投稿だろう。今の携帯はすっかりスマートフォンになって、画像も綺麗に録画出来るとは言え、高い位置にある画面の拡大、ともなるとどうしたってテレビ中継より荒くなってしまうのは仕方がない。途中から慌てて取ったんだろう、普段ならCMを流している筈の特大広告塔である大スクリーンには、黒の背景にでかでかと『Dークラウン』と書かれていて、そのままぴったりと動かないままだった。そこから、機械で組み立てられた音声が発せられる。

『お騒がせしてすまない、民間人諸君。ご存じの方も多いかと思うが、我々Dークラウンの手で穂積銀行のデータバンクに少しいたずらをさせて貰ったよ。突如銀行の口座が使えなくなって、申し訳ない事をした。さて、これは以前我々の邪魔をしてくれた正義の味方への挑戦状である。銀行関係者、警察各所、手を取り合ってあらゆる手段を用いてウィルスの解除を試みるだろう。何、簡単な仕組みのパズルだ。順々に解いていけば、数百程度しか組み合わせていないそれらは、いずれ解かれるだろう。正し、それでは面白くない。さて正義の味方、私とゲームをしよう。何、簡単だ。私を見付ければ、ゲームクリア、解除用データも流そう。楽しそうだろう』

 何だ、これ。画面を睨み付けながら、夏希はぽっつりと口の中で呟いた。

『パズルの中に、位置が確認出来るキイ・ワードをいくつか入れさせて貰った。一つ解除すれば自ずと答えが導き出せる。簡単過ぎるだろう。ちなみにウィルスのロック画面は五分おきに組み変わるが、入力制限は設けていない。どれだけでも試して貰って構わない。ただ、それじゃあ最高でも数日かければ済んでしまう話だ。それでは、こちらも放置されかねなくてつまらない。ついでに爆弾のおまけもつけよう。何、素人でも簡単に解除できる、安心安全なCー四だ。半径二メートル以内に人が立ち入らねば死傷者は出ない。正し制限時間内に発見しなければ爆破するように設けてある。尚、警察の介入は構わないが、あくまで正義の味方の登場のみこちらは希望する。そのルールを徹底してもらえない際は、同じく爆破を決行する様にする。以上、正義の味方、楽しみに待っているよ』

 そうして最後に“S”と結ばれて、ぱっと画面が鮮やかに切り替わる。CMの途中だったんだろう、今ちょっと可愛い、と噂されているアイドルが、清涼飲料水を一口飲んで、にこり、と笑ったものに切り替わる。

「め、めちゃくちゃ、ふざけてんのか……?」

 つまり、要約すると、パズルを解いて、かくれんぼうしているそいつを見つけ出せばいい、という事らしい。しかしそれにしては規模も、盾に取るものも大きすぎる。

「ふざけてなくちゃこんな大々的に馬鹿っぽい声明残さないわよ……」

 真麻がふかふかのぬいぐるみを指で弄りながら、舌打ちする。握り潰さないでくれよ、折角可愛いんだから、それ。と夏希は別の心配をしていた。

「以上。見て貰った通り、君達が感じた通りだ。桂木には発信源を辿らせたが、基地局も何十に経由しており発信元の特定は難しい、との事だ。恐らくウィルス自体も攻撃元は特定出来ない様になっているだろう。特定出来たところでダミー名義を使われている可能性が非常に高い」

 彼の中ではその可能性が濃厚である、と思ったのだろう。時間をかけて特定出来るものならしても構わないが、その意味がない、と麗花に切り上げさせたに違いない。

「け、けど、爆弾って、なんかやばいんじゃないですか……?」

 万が一民間人が勝手に触って、ばーんなんて事になったら、一大事だ。狭い東京では、場所によってはたかだか2メートルの中に何十人もの人が入る可能性だってある。それが爆発したら、一大事だ。しかしそれに、藤堂が小さく首を横に振る。

「爆弾、と言ってもCー四……そうですね、解りやすく言うならプラスチック爆弾は、まだ比較的扱いは簡単です。余程乱暴に扱うですとか、そもそも作り自体が雑だとか、信管に刺激を与えるでもない限り急に爆発、なんて事はないと思います。ましてこんな大々的に名乗りを上げるのでしたら、そんな乱雑な作りをしないと思います。まして銀行にウィルスを流して、大パネルもジャックしてしまう様な連中ですから、作りは一定値厳重にしてありますよ。ですから、時間いっぱいまでは、心配する必要はないかと思われます」

「け、けど……」

「焦っていては、物事が見えない、ですよ夏希君。Dークラウンはふざけていますが、恐らく馬鹿ではありません。ここまで大々的にするなら、必ず約束は守るでしょう。我々が“S”が指定してきたルールに乗っ取れば、という前提ではありますが」

 あくまで冷静に藤堂が静かに笑ったのに、そういうものなのか。と夏希は胸の中で唸った。

 宣戦布告者、Sと夏希は、一度会った事がある。五月から六月にかけて起きたある事件で、拳、というか夏希は竹刀を向けた事がある。その時は見事に刃、というか竹をばっきり折られてしまった借りがある。変にキザったらしい、長身の男だった。Dークラウン幹部らは、それぞれ何かしら美学を持っているのは何となく解るし、そのSが犯人ならば、確かにきっちりと約束ごとは守るだろう。とは思う。

 なら、確かに焦ってもしょうがない事だ。夏希がすっと息を吸い込んで、思い切り吐き出した。

「つまり……えっと、場所を特定してっからって事っすね」

「そういうことだ。今後の指針だが、これから私と桂木で穂積銀行のシステム管理部に赴き、セキュリティ会社、及び警察庁サイバー犯罪対策課と協力し暗号を解く事になる。先程、連絡が来た」

「……良く、銀行側が承諾しましたね。いわば個人情報の山ですよ……」

「損害額と、大々的な宣伝のせいもある。早く解決せねば苦情も窓口では収まらなくなる。現在一つ目は突破したらしいと言うことだが、ここまで時間がかかるとなると、どうかな……」

「そうですねぇ、これだけ大々的に、となると時間がかかるんじゃないですかねぇ。私が頂いている情報は、完全にシステムに辿り着くまでのロックが複数かけられていて、それぞれパスワードを入れていく仕組みらしいんです。これだけ大きな銀行ですから、ミラーリングも何十としている筈なのに、そっちに移行切り替えが出来ないんです。完全にブラクラさせてる訳ですよねぇ」

「み、ミラーリング?」

「端的に言えば、ホスト・サーバー以外のデータベースのうーんと、別場所への保管です。そうじゃなきゃ今の時代全部情報はデータ化されていて、災害時に大事な顧客データをパアにしちゃいますから。けど、そっちに移行も出来ないって事は、切り替えシステムにも以上をきたしているか、乗っ取られてるって事」

 なるほど、良く解らないが、そういうものか。と夏希は何となくだけれど、名前の響きで納得する。時々、同い年の彼女は、夏希の知らない事を口にする。そもそもアメリカに留学してまで、システム関係の事を学んで、レッドアロウズに入ったのだ。ちなみに、あくまで入ったのはコネクション的な関係だが、実際ほとんどアナログに近いこの面々の中では、非常に頼もしい事この上ない。何しろ夏希には自分が使っている携帯やパソコンの多少の知識程度しか解らないのだ。

「それで司令、提案ですが、私は皆さんに最低五時間の休息をお約束していいと思います」

「しかし、捜索はどうする」

「闇雲に探すより、一定数文字数が整ってからでも良いかな、と思ってます。体力を無駄に使う可能性もありますし、もっと無駄になるのは時間です。下手に電車連絡すらうまくいかない場所に行かれるより、ここなら山の手線沿線だし、東京駅にも新宿駅にもいけます。どっちかにいければ大概の場所はいけますから。今回は、持久戦覚悟の方がいいかなって私は思います。暗号自体が正規表現のパターンマッチを使用しているならちょいちょいしておけば楽勝ですけど、マルウェアの場合、そうはいきません。独自性のクラッシュウェアですから、ある程度パターン化はされているでしょうが、下手にパスをランダムにされていると、計算と当てはめで入力する文字を出さなくちゃならないですし、いくらパソコンで計算が出来るって言っても、何億通り、文字数に寄ってはもうどのくらいになるか、途方もない作業になるでしょうし。その上、相手は見付けてくださーいって場所のヒントまで組み込んでるんですよねぇ。最低三文字はないと、余程地名が変わってる、とかでもない限り、割り当ても厳しいかなーって思います。ていうか、クラッカーでも、凄く手の込んで、手を抜いた暇人ですよね、S」

 麗花にかかってしまえば、銀行のデータバンク乗っ取り犯も、ただの手の込んだ暇人扱いになってしまう。夏希はその時、あんなに格好つけて打ち出した犯行声明も、つまりただの暇人のやったこと、と彼女には認識されていると思うと、少しSの事が気の毒になる。

「ここまでしてくる暇人です。向こうも下手をすると、まだ解けないと高をくくって、場合によっては現地にいない可能性もあります。ただ、こう明言するとなると、ある程度の時間からはそこから動きません。自信があるから、こんな大々的な手を持ってくるんです。時間的に下手をすれば夜になるかなって気もしますし、連絡出来るのが朝の可能性だってあります。最初の文字の特定がある程度出来たら、の方が皆さんも動けるかなぁ、と思います」

 続けざまに発言された麗花の提案に、柳はしばらく考え込んでいたものの、小さく頷いた。

「解った。なら、私と桂木で穂積銀行システム管理部へ、残りは各自連絡があるまで待機。本案件、待機メンバー全員に例のブーツの使用許可を出す。準備を怠らないよう、休息を取れ」

 それに一同ではい、と背筋を正し、揚々と返事をした。大きな肩掛け鞄を抱えた麗花だけが、小さく呻いてはぁい。と返事を遅れてあげた。

「うぅ……徹夜はやだなぁ……徹夜する前に終わらせたいなぁ……今日一人鉄板焼きしに行こうと思ったのになぁ……」

 柳司令にお夜食買って貰おう。とぽつりと言ったのに、司令官である彼はぐい、と眼鏡を指で正し、ため息を吐いた。


   * * *


 さくさくでぱさぱさ、けれど、噛めば香ばしく口に甘さが広がり、またついつい手が伸びてしまう。夏希はそれを一つ掴み上げて、「そういえばさぁ」と、バターナイフでレーズン・バターをすくい上げて、掴んだそれに塗りたくった。

「聞きそびれたんだけど、クラッカーって何だ」

「そうね、今アンタが持って、食べようとしてるのがクラッカーよ。私のこれもクラッカーね」

 真麻も同じようにバターを、こちらはバジルだが、塗りたくりながら生ハムを乗せたのに、そうじゃねぇよ。とごちた。そんなのは、注文した自分が一番良く解っている。

 おつまみクラッカーセット、名称はもっとお洒落だった気がするけど、長かったし、覚えていない。とにかくこれでいいや。と指差したものだ。

 先程待機を命じられて、特にやることもなく、真麻が昼食を食べていない、と言っていたから、こうして適当に店に落ち着いて、軽食を取っている訳だ。夏希は先程昼飯を取ったばかりで、とりあえず軽いもので、と注文したのだけれど、真麻もとにかく食べておかないとね。とシーフードドリアと共に、夏希とは別のそれを一緒に注文した。ちなみに、財布の中身が千円一枚の夏希は、真麻に金を借りる事になっている。別に奢りではないわけだ。

 とりあえず財布の中身は一応、一人分くらいなら何とかなる藤堂は正面に腰掛けて、どうやら彼も事件で昼食を取り損ねたらしい。タコライスのセットを突っつきながら苦笑した。

「まぁ、一般的にハッカーと呼ばれるものです。色々と俗説はあるらしいですけど、クラッカーは破壊する方、らしいです。我々にはハッカーの方が馴染みがいいんですけど、麗花君がぼやいてましたね。まぁ、なんと言いますか、自分も軍人出ですが、陸軍、海軍、空軍と異なりますから、違うのでしょう」

「ふぅん。まぁ、刑事科が全部違うのと同じもんか。でさぁ」

 さくり、と、ついでにアーモンドでトッピングしたクラッカーにかじりつきながら、夏希がふむ。とうなった。

「これから待機、どうしっか」

 最低五時間、けれど確実に五時間の保証がある訳でもないし、それ以上かかる場合もある。

「……そうねぇ。うちに帰る手間考えたら、私はあまり現地から動きたくないわね。絶対出たくなくなる。どうせ着替えは持ってるし、コインランドリーでも突っ込んどけば明日まで持ち越しでも何とかなるわね」

「自分も、出来れば一度戻って、とは思いますが、真麻君と意見は同感です。万が一招集が早まる事も想定するとなると、やはりオフィス側に待機はしておきたいですね。最悪様々なものは調達するにしても。ただ幹部相手ともなると、睡眠は取りたいものですし、悩ましい所です」

 確かに夏希も、家から出たくなくなる、は何となく解る。下手に自宅で寝ると熟睡して朝まで起きない、なんて事はざらなのだ。姉に化粧品は届けなくちゃいけないにしても戻って飯を食って、ごろごろして、招集がかかって、となると、二度手間、三度手間だし少し面倒くさい。そもそも夏希の家は少し都心とは離れていて、移動だけでも時間がかかる。出来たらダサいゴーグラスと戦闘服の揃っているオフィスから離れたくない。

 しかし、現地待機にしても何しろ資金が乏しい。特に夏希の場合、だ。先程コンビニATMで自分でも確認したが、本当に金が下ろせなくなっていた。そうなると待機するとしたら、オフィスのソファの上かな、とも考えたけれど、出来ればもうちょっと休んでいる感は欲しい。

 夏希がそう言うと、真麻は「面倒ね、アンタも」とため息を吐いた。

「あぁそうだ、安いってんならそこらでホテル借りればいいじゃない。モーテルっての? ラブホテルとかなら、まだ日も明るいし、割り勘で安く済むんじゃないの? お風呂も付いてるし、ベッドもあるから悠々休めるでしょ。貸したげるわよ、お金」

「は」

「え、ま、待て……えっ真麻本気かよ」

 流石にそれには夏希も、人生の先輩である藤堂も、思わず言葉を詰まらせてしまった。

 泊まるって。三人で、ホテルをか? 自分達はまだいい。少なからず男同士だし、まだ二人で部屋を使う、は妥協出来るだろう。しかしいくら女子的可愛さに欠けるとは言え、流石に真麻まで混じって、となるとどうかと思う。

 クラッカーを丸ごと口に突っ込んでいた真麻へと二人して視線を向けると、口の中のものをしばらく租借し、ウーロン茶をあおってから、怪訝そうにこちらを睨み付けた。

「なんでこっち見るのよ……私はいやよ。ていうか、今時男性同士で、とか珍しくないでしょ。友達とか旅行で女子二人でとかあるみたいだし、いいんじゃない? どこにでもあるし」

「いいんじゃないって……」

 確かに男同士だし、普通のホテルならまだ何ら問題がないのだが、流石に男二人でそう言った類いのホテルに泊まるのは若干抵抗がある。というよりも、夏希は実を言うとこの年でそう言ったモーテルの類いは一度も入った事はない。だから、非常にいかがわしく、照れくさいイメージがあるのだ。興味はあるけれど、出来れば初めてはせめて女性連れで入りたい。

 藤堂も学生から直ぐ陸軍に入ったと言っていた。今は多少女性の軍人も増えましたけれどね、なんて言っていたけれど、そう言った浮ついた話は聞いたことがない。良く飯を一緒に食っていても、だ。どちらかというと夕べのスポーツ番組がどうの、とか、そういうことばかりで盛り上がる。柳の次に年長者であるし、もしかしたら昔は多少浮ついた話もあったかもしれないし、自衛隊に所属していた時に大人の付き合い的なものがあったかもしれない。だから意外に慣れているかもしれないと考えても、やっぱり何となく夏希の心境的には今日はせめて遠慮したかった。

「いや、いいや、オフィスで寝てる……」

「あ、ああ。なら、自分は漫画喫茶辺りにでも行きます」

 それに真麻は「そ、じゃあ私は……岩盤浴でも行って寝てようかしら」と、一人ぼんやりと呟いた。

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