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庭先

 ベッドの中で目を覚ます。カーテンから差し込む光は青くて、部屋の中にも青い影が落ちている。圭太は枕をこすって枕元の時計を見た。もうすぐ六時だ。まだ起きるのには早い気がしたが、なんだか目覚めがすっきりしていて、もう一度眠るのももったいない気がした。身を起こすと掛け布団から暖かい空気が逃げていく。圭太は弾みをつけてベッドから飛び降りると、窓際に行ってカーテンを開けた。まだどこの店もライトをつけていない。住宅の窓に灯ったランプの光に、カーテンの色が透けていた。圭太はそれを覗いて窓を開ける。湿った空気が流れ込んできた。身を乗り出して息を吸うとすっきりする。何度か繰り返していると、大家さんの家の向こうにある花壇に小さな背中が見えた。しゃがみ込んで何かをしている。身動きして、大人っぽくお団子にまとめた白っぽい頭が見えた。

 身支度を整えて外に出る。朝の散歩だと思えば、この時間でも早すぎることはない。この時間に散歩しているのは、大体がおじいさんおばあさんか、犬を連れた人が多かったが。外階段を下りてアパートの前を突っ切っていく。大家さんの家を超えると、足音に気付いて人影が振り返る。

「あれっ、おはよう」

チコだった。おはよう、と返しながら、圭太はチコの手元を覗き込んだ。チコは紫のスコップを手に花壇を掘っている。

「何やってるの?」

圭太が聞くと、チコは得意げに脇に置いてあった花を持ち上げた。

「ふっふっふー。これを植えようと思って」

何の花だかは分からないが、綺麗に色づいた小さな花だった。葉が薄くてツンとしている。

「大家さん、ああ見えて花が好きだから、喜ぶと思って」

「偉いね」

圭太がチコの隣にしゃがむ。チコは大げさに胸を張ってみせた。鼻を高くして、そうしてすぐにスコップを持ち直す。

「これもお仕事だからね」

ふうん、とよく分からないなりに圭太が頷く。チコはそんな圭太に笑いかけて、根から花を花壇に移した。こういう花は、きっとキリにも似合う。キリは花が好きだろうか。

「魔女が夢を奪う役目なら、あたしたち庭師は夢を与える仕事なの。この街の仕事に夢を与えない職業なんて、まずないけど」

チコが言って、圭太は思わずチコの顔をじっと見る。視線に気づいたチコがこちらを振り返り、ちょっときょとんとした。圭太は浅く息を吸う。キリは魔女だと言った。魔女の子で、だから街にはあまり行けない、と。今の言葉が本当なら、キリは夢を奪ってしまうからここには来れないのだろうか。

「ね、チコちゃん。時々聞くんだけど、魔女って何?」

へ、とチコは作業の手を止めて顔を上げた。訝しむようにじっと圭太の顔を見返し、それから首を傾げた。

「ケイタって、なんだか時々おかしなこと言うね。本当に知らないの?」

「う、ん」

ぐきっと頷く。この街では魔女は当たり前のものらしい。チコは疑問に曇った顔でスコップを軽く振ってみせた。

「この街以外のことを知ってる人のことだよ。この街を作った人」

「街を、作る?」

うっかり聞き返してしまって、またチコが妙な顔をする。圭太はちょっと顔を引きながら、それでも目を逸らさなかった。

「それって、女の子?魔女って言うくらいだから」

うん、と頷きながらチコはかすかに強張った顔をした。

「男でも、魔女は魔女だよ。よく分かんないけど、そういう話。――ね、なんでそんなこと聞くの?」

警戒の色が浮かんだチコの目を見返す。何かに怯えた目だった。圭太は首を振って、それから頬を引いて笑ってみせた。

「自分でも目を引く記事が書いてみたくて。でも、チコちゃんがそういう顔するくらいならあんまりいい題材じゃないのかな」

圭太が言うと、チコは肩の力を抜いた。

「なるほどぉ」

ホッとした顔で頷くチコを見ながら、圭太は目を伏せる。綺麗に嘘を吐けてしまって、それでなんだか丸く収まってしまったのが嫌だった。どうせなら、嘘を吐いてぎこちない方がよかった。一人で抱える罪悪感は、たとえ些細でも重たくて息苦しい。それでも、キリが一人ぼっちでいるなら何か助けになりたいと思う気持ちに嘘はなかった。

 圭太は曖昧に話を終わりにして部屋に戻った。朝ご飯をもらったら、すぐに仕事に行かなくてはならない。それまでは部屋で一人になりたかった。他の人がいるところではキリのことはあまり口にしない方がよさそうだった。それに、どうやったら魔女のことが分かるか、それもよく分からなかった。分からないならそれでもいいと思っていたのは、この街がキリとは無関係だと思っていたからだ。ただ迷い込んで拾われた街だった。もし本当にキリがこの街を作ったのだとして、それでもなお街にはあまり立ち入れず、一人で寂しさを踏んで生きているのだとすれば、それはなぜなのだろう。この問いばかりは、誰に頼ることもできなかった。

 いつも通り、ジーンと一緒に朝ご飯を済ませてアパートを出る。女の人が花を投げた。ハトが帽子をかぶって往来を飛び交う。見慣れた風景だった。壁に寄り添った植木鉢をまたいで小路に入る。人通りの少ない裏道を抜けて職場のビルに辿り着いた。蔦の絡まった入り口からエレベーターに乗って職場へ。

「何するんですか、今日」

圭太が白旗をかたどったピンバッチを襟に付ける。この間めでたく研修期間を終えて、正社員に上がった。格が上がったと言えどもジーンの使い走りには変わらないから、給料も仕事内容も変わらない。それでも、一人前に認められたことが嬉しかった。ジーンは傾いた圭太のピンバッチを直してやりながら顎をつまんだ。

「あー……今日はヨイチが記事書く日だからなぁ……。俺たちは明後日か……どっかで取材してくるかぁ」

予定の杜撰さには今さら目くじらを立てない。これでこの新聞社は回っているのだ。圭太は自分の取材手帳を開きながらいくつか項目を選び出した。

「新しくミラーハウスができたって話は聞きましたけど」

「まさしく今日ヨイチが書く予定の記事だな」

「リリックって喫茶店でパンケーキが半額だそうですね」

「週一セールだな」

「大家さんが今日ご機嫌だそうですけど」

「それを内輪ネタっていうんだな。後で調べよう」

「クルミの森の」

「新作アイスならこの間特集しただろ」

「……」

圭太は項目を読み終えた手帳で顎を叩いた。

「……魔女」

ぽつりと言うと、デスクの前でジーンが目線だけをこちらに投げた。

「そりゃタブーだな」

そうですか、と言いながら目線を落とす。聞き出すのはなかなか難しかった。魔女については諦めて、圭太は何かネタになるものを探し始めた。その動きを目で追っていたジーンは、迷い迷い口を開いた。

「……もし、調べたいんなら」

圭太が振り向くと、ジーンはちょっと目を逸らした。

「記事にしないで、自分で調べるのはいいんだぞ」

何かが引っ掛かったような声だった。圭太はちょっと不安を覚えながらも頷く。街を作った魔女が何をするというのだろう。ジーンやチコがこんな顔をするくらいなのだ、きっと噂や風聞ではないのだろうとは思うものの。それでも、もしキリが魔女なのだとして、あの怯えがちな笑顔の裏でこの街の住人を脅かしているのだとは思えなかった。夢を奪うような魔女と、キリの寂しそうな横顔はどうしても結びつかなかった。


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