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新生活

 食堂の中を見回すと、座っていた人たちはざわついてこちらの方を覗いた。視線が集まって居心地が悪い。圭太がもじもじと手を後ろに組んでいると、大家が容赦なく圭太をテーブルの方に押しやった。転びそうになって、慌てて体勢を立て直した時にはジーンも席に着こうと圭太のそばを離れていた。きつい大家の目線と好奇心の目線とに挟まれて、圭太はすでに泣きたいような気分だ。口を引き結んでいると、大家が手を叩いて注意を引きつける。学校の先生みたいだった。ウサギの被り物をかぶった人影が振り返り、慌てたように手を拭いてテーブルのある方に来て、一番手前のピンクの椅子に腰を下ろした。

「新しいのが入るから。部屋はピエロの隣。当番は……リオン?だな。ホレ、自己紹介」

肩をどつかれて圭太は渋々口を開く。

「圭太、です。白旗新聞社で雇ってもらいました。よろしくお願いします」

ぺこんと頭を下げると、ピエロが小馬鹿にしたように口元に手をやって圭太を指さす。舌を出して応じながら周りを見回すと、それぞれが歓迎した風で手を振ったり会釈をしているのが見て取れた。大家は奥の椅子を指さして圭太の方を向いた。

「あの椅子を使いな。席は部屋順、あの馬鹿ピエロの隣だよ」

「は、はい。ありがとうございます」

頭を下げて左手側の方に歩いていく。席に着くと、ピエロがそっと耳に寄ってきた。

「野宿にならなくてよかったね」

圭太は今日一日の不安がすっかり収まったことが嬉しくてつい笑いそうになったが、気を引き締めていっと歯を剥いた。

「何でさっき馬鹿にしたんだよ」

えー?とピエロは肩を揺らして笑い、それ以上は何も言わなかった。大家が部屋の隅から予備の椅子を持ってきて圭太の斜め前に座る。圭太の正面に座る小さな女の子が、ずり落ちそうなほど大きな丸眼鏡を直しながら少し俯いた。ウサギの被り物をかぶった人は、綺麗な声でまた立ち上がった。

「大家さん。今日はご飯、食べます?」

ケイタの分も大丈夫そうだし、とウサギはちょっと首を傾ける。へにょ、と長い耳が折れた。大家は腕を組んで唸る。

「……頂こうか」

ハイ、と愛想よく返事して、ウサギはもう一度キッチンに戻って行った。ジーンもそれを追って、高さが半分の壁の向こうに消える。背後から聞こえる食器の音にそわそわしながら畏まって座っていると、斜め前の小さな女の子が目をキラキラさせながら身を乗り出した。

「ねえねえっ。ケイタって今までどこに住んでた?初めて見る顔だよね。あんまり街に出なかったの?」

綺麗な金髪がランプの光を弾いた。目を細めて圭太は顎を引いた。改めて思い返してみるも、やはり一番初めの記憶は森で目が覚めたときのものだ。それからキリに会って、半ば拾われるようにして助けられ、今に至る。確かにピエロが言った通り、子犬のようだ。

「分からない、です」

圭太が小声で言うと、女の子はきょとんと首を傾げる。その丸い目を、圭太はおずおずと見返した。耳の後ろの方で皿の縁がぶつかり合う音がした。圭太が黙ったままなのを見て、女の子はさらに訝しげにする。

「分かんないって……」

「つむじ発見!」

いきなりピエロが親指で圭太のつむじをぐりぐりと押してきた。

「痛い!」

悲鳴に近い声を上げて頭を守る。両手を引きはがしてなおもつむじを狙おうとするピエロは、とぼけた面の奥でさも楽しげに笑い声をあげた。

「おーっとぉ?出たな、つむじスナイパーめ!」

椅子の上に立ち上がって拳を握り、女の子がきゃらきゃらと笑う。

「チコ、行儀が悪い」

大家に低い声で窘められて、チコと呼ばれた女の子は首を縮めながらすとんと椅子に収まった。それでも熱気は冷めなかったらしく、身を乗り出して笑う。

「所構わず空気読まずにつむじ狙ってくるから、気を付けた方がいいよ。あたしなんか仕事柄しゃがんでることが多くって、だからいっつもやられちゃうんだから」

歯を見せて気さくに笑う。隣のピエロを見ると、ピエロは両手で頬を包んでつつましやかに身を揺らした。

「えーっ、ワタシ空気とか分かんなぁい」

裏声で身をよじり、かわいこぶって圭太の顔を窺う。冷めた圭太の顔を覗き込んで小首を傾げる風だ。白けた空気が流れたその時、ちょうど後ろからウサギの声が響いた。

「ご飯できたよー」

ワゴンに皿を載せてウサギとジーンが戻ってくる。カレーの皿を目の前に並べられて、口の中でお礼を返す。そうしてジーンの号令で、やっと圭太はこのアパートの住人となったのだった。スプーンを手に取ってカレーを口にする。慌てたつもりはなかったが、舌を火傷しそうになって涙が浮いた。

 食事を済ませて、入ってきた階段を上って外に出る。街に目を透かせば星のように光が点在し、その光を孕んだ雲が煙のように色づいて広がっていたが、反対側に頭を巡らせると真っ暗だった。空を見上げてもランプに慣れた夜空には星も見えず、ぬるい風が圭太の手足を絡め取って逃げていく。後ろから階段を上がってきたピエロが立ち尽くす圭太の背に声をかけた。

「お風呂入っちゃおうか。着替えは貸してあげるよ」

言いながら圭太の肩を押す。たたらを踏んだ圭太をひょいと持ち上げて外の螺旋階段を上がる。ちょっとジタバタしてみても、ピエロは意に介した様子もない。軽く笑い声をあげて二階の玄関前に下ろしてくれた。

手前から三つめの玄関のドアノブの下に、さっき大家から預かった鍵を差し込む。ゆっくりドアを開けて壁を探すと、予想に反してスイッチが指先に触れた。押してみると、オレンジ色の薄暗い光が四角く広がって見えた。ごく短い廊下の向こうに部屋が一つあった。奥に机が据えてあって、無地のカーペットに無地のカーテンが落ち着いた水色で統一されている。机と対角の位置にグレーがかった水色の毛布がかかったベッドが据えてあって、その足元に背の低いタンスが置いてあった。床は木目の色が落ち着いた茶の、柔らかな色合いのフローリングだ。

(本当に家具付きだ……しかも『普通の部屋』だ……)

ちょっと安堵を覚えつつ、また玄関に戻る。では、さっきピエロが説明してくれた通り、この短い廊下の左右の扉のどちらかがトイレで、どちらかが収納になっているのだろう。玄関を出て、もう一度鍵をかける。隣の扉に凭れていたピエロが首だけをこちらに向けた。

「――部屋は気に入った?」

笑みを含んだ声に、圭太ははにかんで頷きながらピエロの横に並んで階段を降りた。地面に足をつけて反転し、先ほどの秘密基地の入り口に似た階段を下りていく。食堂へ続く扉とは反対側のドアを開けると、小さな空間の左右にそれぞれピンクと青のカーテンが下がっている。そのうちの左手側の青いカーテンがかかったドアにピエロが入って行った。圭太は後ろのドアを閉めながら、手を伸ばして閉まりかけた左のドアを押さえてピエロの後ろについていく。中は衝立の向こうに青い籠がいくつか置いてあって、奥に擦りガラスの扉があった。

「……銭湯みたいだ」

ぽつりと圭太がこぼすと、まあお風呂だからね、とピエロが笑いながら籠の一つに持って来た布類を撒ける。その中から大小のタオルと着替えを掴み上げて圭太に手渡した。

「これ使って。――一番乗りみたいだよ。ラッキー」

言いながら服を脱ぎはじめる。圭太はやはりピエロに倣い、服を脱いでは畳んで籠の中に入れて行った。黒いTシャツに黒いハーフパンツ。そういえばこの服だってキリに借りっぱなしだった。あとで返しに行かなくちゃ、と口を結んで腰にタオルを巻く。中は大きな浴場になっていた。洗い場で体を洗って、大人が五人は入れそうな大きな浴槽にピエロと二人して体を沈める。自然に深いため息が出た。ピエロは銭湯でおじさんがよくやるようにタオルを頭に乗せた。その面をかぶったままの顔を、圭太はじっと見る。

「お風呂でもそれ、外さないの?」

「んー……?このお面のこと?」

ピエロはわざとらしく首を傾げて小さく笑い声をあげた。

「言ったでしょ?僕が素顔見せちゃったら、他のピエロだってただの人間に見えちゃうじゃない。ケイタの夢を壊すなんておこがましいこと、僕にはとてもとても……」

歌うように言いながらわざとらしく手を振って見せる。

圭太は呆れて身を引き、それきり黙って熱い湯に顔を半分まで沈めた。ぶくぶくと息を吐いて湯気に霞む天井を見上げる。天井窓の縁に湯気がかき乱されている。それを見ていると、街で見たきらびやかな光の記憶が湯気に包まれて、目の奥の痛みが取れていく気がする。同時に体の芯にぬるい眠気が沸き起こってきた。それは心地よい疲れだった。しばらくそうしていると、ピエロも同じようにして顔を沈めてきた。ピエロ面が湯に歪んでいる。頬のあたりから不均一な気泡を吐いて、圭太が身を起こすとピエロもお湯から出てきた。ピエロは湯から出た肩を震わせてもう一度お湯の中に戻りながら圭太を見た。

「ここで何とかやっていけそうかい?」

優しい声だった。圭太はもう一度、天井窓の縁に目線を泳がせた。

「……分かんない」

言いながら首を垂れて湯の中を見る。時おり電気の色が揺らめく手を見て、我知らずうっすらと笑顔を浮かべた。

「何とかなるっていうより、どうにでもなるんじゃないのかな」

圭太は呟く。擦りガラスの向こうからジーンが鼻歌を歌って入ってくるのが聞こえた。長湯をしたがるピエロを促して湯から出て、ジーンと入れ違いに脱衣場に戻りながら、圭太は明日からの生活を思った。夜に紛れて、何とかやっていけるのだろうか。とりあえず、今日のところはまだ仕事が終わっていない。ジーンの部屋でタイプの続きをしなければならなかった。タオルで頭をかき混ぜたら、頬に冷たい雫が散った。もうすぐ夜明けだった。


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