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アパート

 眠っているのだと自分でも思う。薄暗い闇が瞼の裏に下りていて、遠く音が反響しているのが心地よい。だんだんと反響した音が大きくなっていって、音が声に変わり、次第に意味を成してくるのが分かった。

「――ょうぶ?ほら、起きないと食べちゃうぞー」

気の抜けた声だった。まだまだ眠くて、圭太は唸る。

「あれ?起きないの?あれれ?食べちゃってもいいのかなぁ?」

「――るさいな……」

唸りながら目を開ける。目の前、ほんの鼻と鼻がぶつかりそうなくらいの距離にピエロの面があった。圭太は一度ゆっくり瞬きして、息を吸い込む。鮮やかなビビットの色彩が真ん中でくっきり反転していて、泣いているような笑っているような、はたまた人を小馬鹿にしたような模様の入った顔が薄く影を落として圭太の眼前を埋めていた。見つめ合うことしばし、圭太は無言で後ろに跳び退ろうとして、塀に思い切り頭をぶつける。無言で頭を押さえた圭太を、ピエロの面を着けた人物は吹き出した。

「あーこらこら、大丈夫?痛そうな音したねぇ、今の」

くすくすと笑う。不思議なことに、面をかぶっている以外は普通の格好をしていた。茶色のパーカーにプリントTシャツ、濃いグレーのジーンズ、スニーカー。どこにでもいる、普通のおにいさん。が、鮮やかなピエロ面をかぶっている。ぎょっとしたまま声を上げようともしない圭太を見て、ピエロの人はこつんと首を傾げる。

「ん?どうかした?」

圭太は口をパクパクさせて、混乱の中にやっと声を絞り出した。

「……な、なんでお面かぶってるんですか?」

ピエロは一瞬身じろぎをして、それから笑い出した。

「第一声がそれ?あーおっかしー。君、変わってるね」

お腹を抱えてひとしきり笑い終わると、ピエロはひらひらと手を振って見せる。

「別に珍しくもないでしょ。ま、僕の場合は職業上ね」

首を傾げて見上げる圭太に、ピエロは肩を竦めて見せる。

「ごらんのとおり、サーカス団の人間だから。ピエロが実はこんな素顔だったーって分かるのも、なんか興ざめじゃない。だからお面してるの。似合うでしょ?」

そんなこと聞かれても答えられない。顔が見えないのだし、面に似合うも似合わないもない気がするが、とにかく形ばかりに頷く。それでピエロも満足げな笑い声を返してくれた。ところで、とピエロがもう一度、ぐらっと首を傾げる。

「君、ここに何か用があるんじゃないの?こんな夜早くに、どうかした?まだ日が沈んだところだよ」

ピエロに言われて、圭太は慌てて立ち上がる。あの、と声を出しかけて、そういえばこのピエロはただの通りすがりだったことを思い出す。

「いえ、ごめんなさい。特にはなにも」

瞬きながら言うと、そう?と首を傾げて門の中へ入っていく。黒く塗られた金属の門。気安い足取りは住人の証。

「あっ、待ってください!」

門を入って飛びつくと、わっと声を上げたピエロが振り返って圭太をくすぐった。

「うわっくすぐったい、ちょっと、あははっ」

無条件に笑いながらその手を逃れる。楽しそうにくすぐっていたピエロが圭太の顔を覗き込んだ。

「まだなにかあったのかい?」

「あの、ここの人ですか?」

僕?とピエロは自分を指さす。圭太が頷いて、ピエロも頷く。

「えっ?だから、あれ?」

何に頷かれたのか分からなくて圭太が首を傾げると、ピエロも同じようにして首を傾げる。圭太が困って顔を引くと、おどけた様子でピエロも顔を引く。少し圭太のものより大げさな身振りだった。圭太は眉をひそめてピエロを見上げる。

「あの……からかってますか?」

言うと、ピエロも顔色を窺うようにする。

「あの……もちろんそれ以外ありません」

しばしの沈黙をぬるい風がさらう。圭太は一度顔を伏せて、それからもう一度顔を上げた。

「大家さんが起きるのは何時くらいですか?」

「今のスルーかぁ」

ピエロは間髪容れずに残念がる。

「さてねえ。不規則な人だからもう起きてることもあるし、逆にまだ寝てない場合もあるかな。寝起きの機嫌は最悪なのに、これじゃどうにも避けようがない」

とピエロはやれやれとでもいうように嘆かわしげなため息をつく。

「大家さんに用事があるの?珍しいことだね」

言われて、圭太は首を縮める。

「あの……部屋を借りられるって聞いたので」

声を低めると、ピエロはふと圭太の顔を覗き込む。

「それはさらに珍しい。こんな街に何か用でもあるのかい」

用も何も、と圭太はちょっとむくれる。

「目が覚めたら森で寝ていたんです」

それで、こんな訳の分からないことになっているのだ。キリがいなければ、今頃森でどうしようもなく泣いていたのかもしれない。そう思うと、改めて自分の寄る辺なさが身に沁みて来た。ピエロはそんな圭太の心中を察しているのかいないのか、小さく笑う。

「ああ、それで。どうにも捨てられた子犬みたいな様子だったから、そんなところだろうと思ったよ」

言いながら圭太の肩を抱く。

「さあさ、雨に震える小さなワンちゃんはママに許可取ってから飼いましょうかねえ」

「ママ?」

「大家さんのこと。おっかないよ~」

くすくすと圭太を脅しながら、右側の一軒家の方に圭太を連れていく。背後で、だんだんと青を深める空気を街の賑やかな明かりが払っていく。ピエロは一軒家と建物の隙間、二階を渡り廊下でつないだ、その一階部分に圭太を連れていく。昼間に見ればピンクに見えるだろうか、淡い紫のドアには金メッキのはがれかけた丸いドアノブ。ピエロが背の届かない圭太に代わってインターホンを押して待つ間に、圭太は上を見上げた。綺麗な色彩がちりばめてあって、色を失くした宇宙にカラフルな銀河が広がっているようだった。ピエロは圭太の肩に腕を回したまま、じっと人が出るのを待つ。ややあって、その紫の戸が勢いよく開いた。ピエロは身を反らして激突を免れたが、その少し前にいた圭太はそのままどんくさくドアの外側に追いやられる。出てきたのは中年の女だった。大雑把に髪をまとめていたが、降ろしている長い前髪がところどころ跳ねている。隈を作ったきつい目元が、ぎろりとピエロの面を睨みつける。

「……またあんたか」

微かにかすれた声が地を這う。ピエロも心なしか焦っているようだ。胸のあたりで激しく手を振る。

「ちゃんと用事はありますよ?珍しいものを拾ったんです」

「素晴らしい。今度はどんなガラクタだろうね」

と片頬を歪めて笑いながら、眼光は鋭くピエロの面を射抜く。ピエロが顔を逸らして何も言わないのをいいことにいつまでも睨みつけながら、

「さぁて、今は何時だったかね。常識のある時間にちゃんとした用事をもってここに来るならまだしも、こんな黄昏時にゴミを見せびらかすには何か理由があるんだろう?え?」

ピエロは唸るような声を上げて苦笑した。

「ガラクタからゴミに変わってますねえ」

「何も違わないだろう」

は、と鼻で笑う。その皮肉気な笑みを、ピエロはそっと窺い見るようにしてみせた。

「そのゴミさんは、今大家さんが吹っ飛ばしちゃったんですよ」

へえ、と大家は片眉を上げる。

「そうかい、見せびらかすゴミもないのによく来たもんだ。なかなか肝が据わってていいことじゃないか。ねェ?」

下から視線を突き上げるようにしてピエロの面を睨む。ピエロは逸らした顔を圭太に向け小声で言った。

「ちょっと、早くおいでよ!ケイタのせいで僕まで怒られちゃうじゃないか!」

「俺のせいじゃないよー」

顔を顰めて情けない声を上げながらドアとピエロの隙間に体をねじ込む。大家の胡乱な目つきが圭太の頭からつま先を突き刺していった。

「あ、あの、いきなりすみません。その、ここで部屋を借りられるって聞いて、借りたいんですけど、どうしたらいいのかさっぱり分からなくて……」

圭太が指先をいじりながら言うと、大家がちょっと目を開いて瞬いた。それからもう一度圭太の体をじろじろ無遠慮に見る。

「仕事は?」

「え?」

低い声に戸惑うと、大家が思い切り眉をひそめる。

「金の当てがあるのかと聞いている」

圭太は顔を引いた。

「い、いや……さっきこの街に来たばっかりで、その、まだ右も左もわからない状態で、その、だから」

必死に言いつのろうとする圭太を、大家は手を振って遮る。不快な色が露わだった。圭太はあたふたと手を振ったまま口をパクパクする。

「言い訳はいらない」

大家は鬱陶しそうに言ってから長くため息を吐き出し、圭太に指を突きつける。

「甘ったれんなクソガキ。金がないなら部屋は貸せない。当たり前のことだろうが」

ハスキーな声で吐き捨てて爪先で圭太を追い払うようにする。

「先に仕事探してから来な」

そんな言葉を重たい扉が断ち切った。その音の大きさに背後のピエロがギクッとする。圭太は困り切って背後のピエロを見上げた。

「どうしよう……仕事って、どうやって探すの……?」

圭太が途方に暮れた顔でピエロの動かぬ面を見る。しばらくの間見ていると、やがてピエロは首を振って苦笑した。

「やれやれ。捨てられた子犬をほっとけないだなんて、僕も大概おせっかいな性格に生まれついたものだよねえ」

圭太が首を縮めると、ピエロはもう一度小さく苦笑して、俯いた圭太の頭に手を載せた。

「ほら、そんな下向かないの。いろいろ気に病むのは後回しだよ。下にはコインしかないけど、上を見れば電柱に看板に広告、仕事と金が一緒に飾ってあるんだから、俯いてちゃもったいない」

でしょ?と笑って圭太の背を押しこくる。

「夜はまだまだこれから、今日中に仕事を見つければ今晩はぐっすり寝られるよ。そのあたりを探しておいで」

そう言って圭太を夜の街に押し出す。まだ仕事があるというピエロに街の中心辺りまで送ってもらい、その道すがらで聞いた話をもとに圭太は仕事探しを始めた。


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