それぞれの街
朝は忙しいというが、圭太にとってはそれほどでもない。街での生活を思えば、朝ご飯を作ってくれる人もいるし、出る時間だってゆっくりだと思う。それで朝のニュースを見るのも毎日の日課なのだが、圭太は母とは違い、娯楽に近い番組を見るのが好きだった。占いやエンタメニュースばかりの番組は、朝にちょうどいい。朝から重苦しく殺人や事故を取り扱う番組を見るのは、圭太はあまり好きでなかった。母が朝ご飯を作りながら食卓の父に声をかけた。
「ごめんね、今日寝坊しちゃって。お昼はどこかで買ってくれる?――圭太!」
「なに?」
圭太はソファから振り返った。テレビの中では最近話題の芸人たちの特集が組まれている。
「お昼学食でいい?」
うん、と返事を返してテレビに戻ろうとすると、母は気にせず話を続ける。
「お前、もうちょっと勉強したら。キリちゃんは今年大学受験でしょ。翻訳の仕事やりたいなら、お前もそれなりの大学目指さないと」
「分かってるってば」
圭太はげんなりと息を吐く。キリは真面目だし頭もいい。高校での順位もいいらしいが、圭太は中の上と言ったところだろうか。悪くはないが良くもない。六年前の経験から、圭太にも将来の夢は決まっているものの、目指すには学力が足りない。語学系ばかりが得意でも意味がない。母はフライパンを叩きながらため息を吐いた。
「キリちゃん、いい子だからねえ……圭太のお嫁さんに来てくれたらいいのに」
「俺に言わないでよ……」
圭太は頬を掻いた。ずっと仲は良いが、どちらかというと仲良しこよしと言った雰囲気だ。母の望むようなことにはならない気がする。話を逸らそうとテレビの方に向き直り、圭太は瞬いた。テレビに見覚えのあるピエロ面がある。圭太は画面に見入った。画面下に、マリクルオート二世というテロップが入った。さらに圭太は瞬く。
「ねえ、母さん。この、マリクルオート二世って?」
母はエプロンで手を拭きながら、画面に目を寄越して声を上げた。
「最近急に人気出てきた芸人さん。圭太は朝しかテレビ見ないから知らないのかな。ひとり漫才みたいな感じ」
へえ、と相槌を打ちながら画面を眺める。
「あのお面、どの番組でも絶対にはずさないんだよね。マリクルオート二世って」
舞台の光を浴びて、懐かしい身振りで話をしている映像が出てきた。
「多分、夢を壊したくないんだと思うよ」
「何それ」
母は笑う。舞台の上の彼は変わらない。何も変わらなかった。それでも、彼の街は、きっと居心地が良くなったことだろう。もう、水に沈んでもいないはずだ。圭太はほのかに笑いながら記憶をたどる。すっかり途切れなくなった圭太の記憶に、その小さな紙のありかはたやすく見つかった。
「芸人さんにファンレターって、本名で出しても届くかな」
さあ、とフライパンの音に混じって母の声が聞こえた。圭太はそっと笑う。今日、キリはうちに来ると言っていたから、このことを話してみよう。キリの街にもその知らせはきっと届く。夢の中で圭太は、確かに笑っていたのだから。その記憶は一生消えないのだと思う。何も忘れない。今も圭太の中にはあの街がある。思えば人の街に行くことほど楽しいことはない。彼の街にも遊びに行こう。
人は死ぬまでの間を夢見ているに過ぎない。目覚めるまでのほんの束の間のなかでくらい、転んで笑ったっていいじゃないか。
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