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食わず嫌い

 圭太が腐って自分の机でふて寝をしていると、後ろから肩を叩く手がある。ジーンの同僚だろう。今は放っておいてほしかった。圭太が狸寝入りを決め込んでいると、少し間を開けて、突っ伏した腕の隙間から小さなメモが滑り込んできた。それが鼻筋に当たって止まる。後ろの足音が立ち去って、圭太はそっと頭をずらした。メモが組んだ腕の間に落ちてくる。それをめくると、角の丸い柔らかな文字が書かれていた。

『おしごとの依頼 年寄りの話し相手 お礼はお茶とお菓子でどうでしょう  社長より』

圭太はぱっと立ち上がって首を伸ばす。デスク周りの資料の向こうで、社長が新聞を読んでいた。丸眼鏡の向こうの小さな目が圭太に気付いてふっくりと笑う。窺うように小首を傾げられて、圭太は戸惑いながら頷いてみせた。

 社長のもとに走っていく。社長は新聞を畳んで立ち上がった。手招かれるままに、デスクの隣の小さな扉から小部屋へ入る。天井に空の絵が描いてあって、床には草原の模様が入っている。ソファが大きな羊をかたどってあって、頭としっぽが肘掛けになっていた。そのふわふわとしたソファに、なぜかおばけのクッションがいくつか乗っている。社長は窓際の一人掛けソファに座ると、そこにも乗っていたおばけのクッションを膝に置いて小さなストーブに火を入れた。冷えた部屋で、確かに半袖の圭太には寒かった。手を握ったり開いたりしていると、社長はクッションを掲げてみせた。

「これ、かわいいでしょう」

「は、はい」

戸惑いながら頷く。社長は満足そうに笑ってクッションをまた膝にもどした。

「ちょっと温まるまで待っててね。どうも日当たりが悪いから、この部屋は」

いえ、と言いながら圭太はもじもじと身動きした。わざわざ個室に呼ばれて、何を話すというのだろう。もしかして、仮病を使って取材を中断してきたことを怒られるのだろうか。圭太が落ち着きなく動くのをちらりと見やって、社長は穏やかな笑顔を浮かべる。

「構えないでおくれね。前に言ったでしょう、ジーンが嫌になったら私のところにおいでって。頼みたい仕事っていうのは、要するに私の話し相手になってほしいだけだから」

ゆっくりと言われて、圭太はさらに戸惑う。そんな圭太を見やって、社長はちょっと声を上げて笑った。

「よく分からないって顔してるね。年寄りはお喋りが好きなんだよ。かといって、私の頼んだ仕事をやってくれている人に、これ以上付き合わせるのもなんだか申し訳なくてねぇ。付き合ってもらえないかい」

圭太は頷く。どうせ今日の仕事は置いていかれたのだ。家に帰るのも嫌なら、話し相手くらいどうと言うこともない。また一度、胸が痛んだ。

 それから数時間を経て、圭太は今に至っている。思った以上に話が弾んでいる。気づけば夜はだんだんと更けている。そろそろ昼ご飯と言うには無理がある時間にまで差し掛かっている。お腹が空いた。しかし、こんなに楽しそうに話をされると、相槌も自然と楽しそうなものになる。いや、楽しい。社長はゆっくりと話すのに、圭太を話に引き込んで夢中にさせる。楽しい。楽しいが、お腹が空いていた。

「だけどねえ、私はその時、とても寒くて。しょうがないから我慢して座っていたのだけど、もう我慢がならない、帰ろうって立ち上がったら、その時にジーンが当たり前みたいな顔して来たんだよ」

えっ、と声を上げながらこっそりお腹を押さえる。手の下で腹が唸った。その時社長はふと話をやめる。圭太は社長を見た。どうしたのだろう、と思うと同時に、圭太の空腹に気付いてくれたのだろうかという期待が膨らんだ。社長は窓の外に目をやりながらふっくりと笑っていた。

「……ジーンはねぇ、いつも戸惑うと言葉が足りなくなったりぶっきらぼうになるからね。何があったのか私には分からないけど、きっと、思ってる以上にジーンはケイタのことを心配してると思うよ」

圭太はぱたりと動きをとめた。腹に当てた手を下ろして、社長と同じ窓に目をやる。外はこんなにも明るい。色のついた光が、こんなに夜道を照らしている。社長は、このことが言いたくて圭太をこの部屋に呼んだのだと分かった。それでも圭太は、はいと頷いて笑うことができなかった。

「そうだったら、いいんですけどね」

「ジーンと私はずぅっと友達だもの。ちゃんと分かるよ」

丸眼鏡の上から圭太を見上げる社長の顔は優しかった。それでも圭太の気分は晴れない。

 家に着くと、ちょうどピエロが帰ってきたところだった。袋を下げた手で鍵を差し込んだまま圭太を振り返る。

「あれ、今日はずいぶん早いね。どうかしたの?」

「そっちこそ、今日は早いじゃん。練習なかったの?」

圭太が返すと、ピエロはちょっと首を揺らした。じっと見られて、圭太は一歩下がる。

「――なに?」

ピエロはきょとんとしたように首を傾げて、それから右手に下げた袋を示して見せた。

「なんか元気ないね。今日は珍しく大家さんがご飯作ってくれるとかで遅くなりそうだから、お茶とかお菓子とかジュースとかいっぱい買って来たけど、一緒にどう?」

聞かれて圭太は言葉に詰まる。気落ちしているのがバレているのなら、自分の部屋にこもっていても仕方なかった。

「お邪魔します」

軽く頭を下げる風を見せると、ピエロはさらに深々と礼をした。

「お邪魔されます」

 ピエロの部屋に入り、買ってきた菓子を広げてその両脇に座る。今日のジーンとのやりとりをすっかり話すと、ピエロは大して驚いた風もなく腕を組んだ。

「でも、ジーンは街の外の記憶がないなら問題はないって言ったんでしょ?だったら大丈夫だよ」

「――……うん……」

あっさりと言ってのけるピエロの顔を見ることもなく、圭太はストローをくわえた。何が気に食わないのかも、自分の中ではっきりしない。置いていかれたからだろうか。魔女が嫌われている理由をはっきり教えてくれなかったからだろうか。親のことを聞かれた時に感じたあの胸の痛みが、ジーンのせいに思えるからだろうか。だとしたら、そんなのは八つ当たりだ。ただ、魔女のことを話すときのジーンはなんだか気に食わなかった。まるで魔女の存在そのものが悪いかのような言い方に聞こえた。街を作ったのが魔女なら、その街に生まれた住人たちが魔女を腫れ物扱いするのはおかしな話ではないだろうか。しかしそれをこの街の人に話しても、きっと分かってはもらえないだろう。それが当たり前なのに、外から迷ってきただけの圭太がどうこう言っても意味はない。それに、キリは圭太がそんな風に動くことを嬉しく思わないだろう。また胸が痛む。痛むたびに、頭の隅にくるりと何かの影が回った。それははっきりと捉える間もなく逃げてしまうのだけど。圭太はぽつりとこぼす。

「先輩の言ってることと俺の思ってることが違ってて、それがなんか……」

ストローを噛んで言うと、ピエロは唸りながら頭を掻いた。その声には笑みが含まれていて、いつもこれを聞くと安心する。他の人の前とは違って、悩みも弱さも隠さなくていいと言われているようで、このへらへらした軽い声がいつも圭太の心をあるべき場所にもどしてくれるような気がした。

「ジーンの考えてることが許せない、嫌いだって言うなら仕方ないんだけどねぇ。考え方が違うっていうのは、実はけっこう単純な話なんじゃないのかな」

そうかな、と圭太は息を吐く。顔も見たことがないキリを、魔女だというだけで遠ざけたジーン。チコは、魔女は夢を奪うと言った。たったそれだけで、という気が圭太にはする。それとも、夢を奪うというのはこの街では大きな意味を持つのだろうか。夢を与える仕事しかないこの街では。圭太が黙ったままでいるのを見て、ピエロは面を少しずらしてスコーンを口に運びながら言った。

「例えばさ、ピーマンだって赤かったり黄色かったりしたらパプリカって言われるじゃない。その程度のことだと思うよ、僕は。ケイタはパプリカ、嫌い?」

もぐもぐと口を動かしながら聞かれて、圭太はストローから口を離して顔を背けた。

「その前に、ピーマンが好きじゃない」

ふてくされて言うと、ピエロが「例え話だよ~」とけらけらと笑った。相変わらず、ピエロが何かを食べているときに笑うのには慣れない。ずらした面の下からちゃんと笑った口元が見えると、なんだか別人を見ているようで居心地が悪かった。圭太はさらに顔を背けた。音を立ててジュースを飲み干す。

「例え話の方のピーマンも」

低い声に、ピエロがくすりと笑う声がする。なんだよ、と言いながら振り返ると、ピエロはもうちゃんと面をかぶっていた。

「おやぁ~?それはずいぶんと奇特なことだね。今日の夕飯、ピーマンの肉詰めだって聞いたけど。ケイタが文句付けたって、大家さんに言っちゃおうかなぁ」

「待ってよ!例え話じゃなかったの?」

コップを置いて身を乗り出すと、ピエロがぐりんと身を反らして顔を背けた。

「えー、何のことかなぁ」

「ねえちょっと!ほんとに?」

必死で何度も止めて、最後には何とか言わないでいてくれる方向に向いてくれたのが奇跡のようだ。大家さんが夕飯のメニューに文句付けた人に容赦しないということは、前もって言い含められている。きっと初めに文句をつけたのはピエロあたりだろう。他に思い当たる人がいない。

 夕飯のあと、ジーンと三人で風呂へ向かった。気まずい気分なのは圭太ひとりのようで、ジーンはいつもと変わらずな態度だった。口には出さないが、今日のお礼のつもりでピエロの長湯に付き合っていると、ジーンがさっさとのぼせて先に風呂場から出て行った。全くいつも通り、明日の仕事の予定を伝えて。ジーンが出たあと、圭太はピエロと顔を見合わせた。ピエロが面の赤い丸鼻を指先で弾く。

「ケイタのピーマン嫌いって、食わず嫌いなだけじゃない?夕食もちゃんと食べてたし」

ピエロに言われて、圭太はのぼせた顔を半分お湯に沈めた。いつの間にか胸の痛みが取れている。同時に頭の隅にあった色のついた暗がりは再び手の届かないところにまで隠れていたのだが、そのことを圭太は知らない。今は、沈んだ痛みが取れたことが嬉しかった。圭太は肘を突いて湯の中から顔を出すと、ほっと息をついた。

「そうかもしれない」

言いながらお湯の中で足を伸ばす。圭太はきっと明日も頑張れる。明日も仕事を言いつかった。ピーマンも、おいしくはなかったが食べられた。少しずつでも進んでいる。実は少しだけ背も伸びた。ピエロとの差はあんまり縮まった気がしないから、意地でもピエロにだけは言わないつもりだが。今度またキリに会ったら、キリにだけは自慢してもいいかもしれない。


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