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記憶と取材

 結局、無難にオムライスの店ごとの比較をすることになって、圭太とジーンは地図をもとにオムライスを取り扱っている店を一つずつ当たってみることにした。ビルに近い店から店名を選び出してメモする。外に出ると、甘い匂いがした。どこのお菓子屋だろう。バターと小麦粉の匂いもした。往来の人の隙間をすり抜けてジーンの背中を追う。圭太は基本的に、昼食時にはジーンの行く店に連れて行ってもらうから、知っている店も限られてくる。ジーンはあまり洒落た店には行きたがらない。それなのに、こういう企画になると街の人が喜びそうな店の情報を必ず持っているから、圭太はいつも不思議でならないのだ。やはりこれが仕事ということなのだろうか。生活費を稼ぐのが目的の圭太には、まだその辺のことがよく分からない。大人になればきっと分かるのだろう。

 一軒目に入った店はオムライス専門店だった。メニューには見事なまでにオムライスしかない。それでも中のチキンライスやら卵の味付け、かかるソースまで様々な種類がある。いくつかの王道メニューと、自由に組み合わせを選べるセットがあった。ジーンはいろいろメモしながら店員さんにも話を聞いていく。ジーンは圭太が来るまでは一人で記事を書いていたこともあって、取材時に圭太ができることはほとんどない。せいぜいが荷物持ちか、良くて参考意見を聞かれるだけだ。席を立って厨房の中に入ったジーンを見送って、圭太は近場の店員さんを呼び寄せる。ベルトに差した白旗を肘で後ろに押しやり、手帳を開いた。店員さんはお盆を持ってこちらへやってきた。

「何でございましょう?」

活発そうな女の人だった。客の少ない時間で暇だったのだろう、興味津々と言った感じで、丸い目がぱちぱちしていた。

「あの、取材とは関係ないんですけど」

前置きをすると、店員さんはきょとと口をすぼめた。はあ、と曖昧に返事をする店員さんを圭太は見上げた。

「この街っていつからあるんですか?」

店員さんは大きな目をさらに見開いてぱっと口を開けた。

「いつからって……いつからも何も、あたしが物心ついたときにはもうありましたよ。この街に生まれたんですから」

瞬きを繰り返して首を傾げる。圭太はちょっと笑ってみせた。

「あ、そうですよね。ごめんなさい。俺、この街に来たばっかりなので分からなくて」

照れたふりをして圭太が笑うと、店員さんは肩を伸ばして目を見開いた。

「まあ、珍しいんですね。最近来たばかりなの?」

隣のテーブルから椅子を引いてきて座り、店員さんは圭太のカップをとってお茶を足してくれる。

「ありがとうございます。――珍しいんですか?」

ええ、と店員さんは頬に手を当てて宙をぽよりと見上げる。

「そうねえ、三年くらい前までは時々来ましたけど。もうここ数年はぱったりと」

「三年前……」

圭太は手帳に書きこんで、それからふと顔を上げた。ペンを叩いて首を傾げる。

「来る、ってどこから?この街以外に街はないって」

それはキリから言われたことだ。この街以外に街はないのかと動揺する圭太に、ここ以外に街はない、と。おそらくこの街を作った魔女であろうキリ自身がそう言ったのだ。

(あれ?でもチコちゃん、魔女はこの街以外の街を知ってる人だって言ってなかったっけ……?)

ふと湧いた疑問に圭太がとらわれていると、店員さんはなんとも奇妙な顔をした。口をすぼめて思い切り疑問の表情が浮かぶ。圭太は考え事から覚めて、おっと、と緊張した。チコにもこの表情が浮かんでいた。そのあとすぐに警戒されてしまった。怪しまれただろうか。自然と冷や汗が出るのを、圭太は不思議そうな表情で押し隠した。

「あ、もしかしてなんか俺、変なこと聞きました?」

努めて平静を装った声に、店員さんは手で口元を隠した。

「……来るって、生まれることでしょう。どこからって何ですか?街から街に人が行き来するんですか……?」

囁くほどの小声だった。圭太はペンを胸ポケットにしまいながら首を傾げた。

「そんなことないですよぉ~。あれっ、なんか話が噛みあってないのかもしれないですね。生まれるって言ったら、ママから生まれるんですもんね」

冷や汗を隠しながら笑う。話をそれとなく流れに合わせて頭を掻いてみた。店員さんは手を膝に下ろしたが、まだ少し疑問の残る顔で圭太の目を窺い見た。

「ママって……?」

へっ、と圭太の笑顔が止まる。

(あ、ダメかも。ごまかしきれない)

血の気が引こうとしている。圭太の知るものと、この店員さんが知っているものはことごとく違う。分かっていたはずだった。ここでは常識が違う。圭太は迷い込んだのだ。知らない街に放り込まれたのだ。ここから追い出されたらどうする。せっかく助けてもらったのに。フラッシュをたかれたように呆けた脳内に焦りが走る。圭太はとっさに、よろけたふりをしてテーブルのカップを肘で突いた。カップは転がってテーブル上にお茶が流れ出す。圭太はお茶に濡れたテーブルに片手をついて寄りかかった。

「だっ、大丈夫ですか?」

店員さんが圭太の体に手をかける。圭太を抱え起こした腕にもたれかかった。具合が悪そうに見えるように。

「――すみません、なんだか気分が悪くて……」

ジーンが厨房から慌てたように顔をのぞかせた。どうした、と言いながら厨房から出てくる。テーブルに戻ってきたジーンに圭太はちょっと顔を歪める。

「先輩……なんだか具合が……」

「分かった。いったんビルに戻ろう」

言って、すぐに圭太を背負う。心の中で詫びながら、圭太はジーンの背中にしがみついた。

 ジーンは圭太を背負って往来を歩く。足早に裏道に入った。圭太は小さく声を出す。

「先輩、すみません……」

圭太が詫びると、ジーンはちょっと圭太を揺すり上げた。

「謝らなくていい。すぐに着く」

「いや、違うんです。嘘なんです」

圭太が小さな声で言うと、ジーンはちょっと足をゆるめた。

「……は?嘘って、何がだ?」

顔は真っ青だったぞ、と疑いの欠片もない声だった。圭太はジーンにしがみついた手に力を込めた。

「嘘ついたんです。具合は悪くないんです。ちょっと店員さんと話していたらなんだかすごく話が噛みあわなくて、このままじゃこの街から追い出されちゃうんじゃないかと思って……すみません。街の外から来たって、バレちゃダメだったんですね」

「街の外から」

ジーンは低く呟いてから、ジーンは圭太を下ろして振り返った。

「街の外の記憶はあるのか?」

微かに緊張した面持ちで聞かれて、圭太はうなだれて首を振る。うなじの上を、裏道の向こうから人々のざわめきがうごめいては通り過ぎていく。

「目が覚めたら魔女の森の端っこの方にいたんです。その前の記憶は何にもありません。でも、俺が当たり前だと思ってることがこの街じゃ当たり前じゃないんです」

圭太が言うと、ジーンは壁にもたれかかって腕を組んだ。圭太はジーンの靴を見たまま動かなかった。よほどしばらくしてから、ジーンはふうん、と低い声を出した。

「外の記憶がないんなら何も問題はねえよ。でも、他の人にはバレない方がいい。街の外から来たってことは、ほぼイコール魔女ってことにされちまうからな。このことは他に誰が知ってる?」

ジーンに聞かれて、圭太は顔を上げた。小路の向こうから差してくる光がジーンを逆光にしている。陰になった横顔で、ジーンは圭太を見ていた。

「えと、ピエロと、キリと……あとキリと一緒にいたときにアパートを教えてくれたお兄さんです」

「三人か」

ジーンはちょっと考え込む風を見せて、それからもう一度圭太を見た。

「そのキリっていうのと、アパートを教えてくれたにーちゃんは誰なんだ?」

聞かれて圭太は言葉を探す。

「アパートを教えてくれた人は分かりません。名前を教えてくれなくて。キリは……」

圭太は口ごもった。理由は分からないが、魔女は街の人たちにとって複雑な存在らしい。この街の外を知っているということが何だというのだろう。

「キリは、魔女って言ってました。でも、この街以外に街はないって言ってました」

圭太が言うと、ジーンの眉がピクリと動いた。圭太は心臓が苦しくなってきた。他の街のことを知らないキリは、受け入れてもらえるだろうか。圭太がそうだったように。

「ない、って言い切るってことは、街の外を見てるんだろう。そのキリって子は、完全な魔女だ」

言われて圭太はとっさにジーンの肘を掴んだ。

「でも、お母さんだけ魔女って言ってました」

「お母さん?そりゃなんだ?」

聞かれて、圭太ははたと言葉をとぎらせる。さっきもそうだった。まんまる目の店員さんは、ママと言っても通じなかったように見えた。今もジーンは、こんな風に。

「……女の方の親です」

我知らず声は細く震える。ジーンはまた少し顔を曇らせた。

「その、『親』っていうのは?」

呆然とジーンを見上げたままの圭太の顔がまた色を失っていく。ここの人は、この街の人は、親を知らない。ジーンも、あの店員さんも。もしかしたらこの街の人全員が。音が遠い。呼吸が遠い。首筋を叩く鼓動だけが頭にがんがんと響いている。ジーンには圭太が倒れそうに見えたのだろう、そっと肩を掴みながら戸惑った顔で圭太の顔を覗き込んだ。

「ケイタにも、その親ってのがいるのか?お母さんも?」

「――は、」

はい、と頷こうとして、圭太はジーンを見上げたまま動くことができなかった。仰向いた首筋に色のついた影が駆け上がって喉を鳴らした。

 圭太、と呼ぶ声。いつかに聞いた、記憶の声。頭を撫でる温かい手。肩に乗った手の重み。どうして忘れちゃうの、と揺らいだ声をしている。その黒い瞳に映る、困ったような顔の自分。それをたしなめるような大きな手。この人はお前の、と低い声。それを遮った白い細い指。やめてよ、と叫ぶ高い声と、握られてしわの付いたスーツの裾。白いカーテンに華やかな色の影を落とす花束と、頭を抱えた髪の長い女の人。痩せた顔に必死な目だけが大きい。圭太、忘れないでと震える声。血を出てもおかしくないくらいずきずきした胸。ごめん、呟いたら何もかも捨てたくなって、でもその場で泣いてはいけないと思ってパジャマの襟を握った。ベッドの色が白くて、泣いたらすぐにシミが灰の影を落としてバレてしまうと思った。流れた影と声とが円を描いて混ざり、形を失くす。その記憶をすこんと闇が落とす。暗転した闇の中に、一瞬眩んだようにキリの寝顔が映る。白いベッドに埋もれた白い顔。すぐに記憶は暗闇に慣れて、圭太はジーンを見上げたまま瞬いた。

「分かり、ません」

喉をこすって言うと、その暗闇は当たり前のように圭太の脳内に隠れた。ジーンはちょっと怪訝そうな顔をしただけで、そうかと頷いてまた歩き出した。記憶の中の胸の痛みだけが残っている。ずきんと痛んで圭太は口を結んだ。

「魔女はどうして、嫌われるんですか」

ぽろりと言葉が落ちた。拾おうとは思わなかった。落ちてしまった後で、これほど安心した言葉はなかった。ジーンは弾かれたように振り返って、それからまた前を向いて歩きだした。

「――この街を作ったのが魔女だからだ」

「……」

圭太もその背中を追って歩き出す。そのあと、あとの仕事は俺が引き継ぐからと言われて職場に置いていかれた。どうにも納得がいかない。胸の痛みが続いていた。それが指先にまで広がっていた。圭太は大人しく帰る気にもなれずに、ジーンのデスクの脇に置いてある自分の椅子に座り込んで突っ伏した。置いていかれた。足手まといだと言われた気がした。確かにその通りだ。結局何も手伝えていないのだから。どうしてこんな気分がするのだろう。いつもだったらこんなに落ち込んだりはしないのに。ジーンに親のことを聞かれて以来、ずっと気分が晴れない。ジーンのことを初めて、嫌いになってしまいそうだった。


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