ラーゲルレーフ (6)
ウェイディの制止も聞かず即座、瓶の中身を空にしたアモンは、わずかの間、そのままの姿勢で謁見の間の天井を見つめた。
と、次の瞬間、
アモンは目を見開いて床へ視線を落とすと、口から大量の鮮血を吐き出した。
一瞬のうちにアモンの足元へ大きな血溜まりが出来、それは徐々に足元の絨毯へと染み渡ると、絨毯すら越えて床の大理石にまで流れ出す。
「……ははっ……即効性とは分かってたが、まさか……ここまで効きが早いとは……」
血色を失った顔を引きつらせ、アモンはなおもしゃべり続ける。
まるで胸の中を焼けた火箸で掻き回されるような激痛の中、意識を保とうとあがく腕が、上着のボタンを引きちぎり、次いで、タイを首でもかきむしるように解く。
タイを緩めると同時に、次の吐血が口をこじ開けた。
「アモン!!」
玉座から立ち上がっていたウェイディが早足に階段を駆け下り、アモンの元へと向かう。
「陛下、なりません!」
そんなウェイディをレイモンと近衛官が諌めたが、
「下がれっ!!」
明らかに冷静さを欠いたウェイディの怒鳴り声に、はっとするように彼らは身を引いた。
長い……今、この時ゆえに呪わしいほど長く感じるアモンとの距離を縮めながら、ウェイディが彼の元にようやく辿り着いた時、ついにアモンは膝をついて倒れた。
「何故だ、何故こんな……」
自分の前へ立ち尽くすウェイディの足を目にし、アモンは残る力を振り絞るように上体を起こすと、苦痛に歪み、血に染まった口で無理に微笑む。
目の焦点はすでに合わない。
これほど間近にいるウェイディをまともに見れないことに苛立ちつつも、それでも目の前までやってきたウェイディの声を頼りにアモンは話す。
「……言ったろう……お前には、私が楽に死ぬ姿だけは……見せられないんだよ……」
「だから、何故だ!!」
「私が……楽に死んだら……お前は私を、すぐに……忘れるだろ……?」
「アモン……お前一体、何を……」
「……お前が……私のことを忘れなければ、それだけ……お前は自分の……してきたことを思い出す……忘れるな……お前のしたことは……良くも悪しくも、もう……変わらないってことを……」
そこまで言って、アモンは再び吐血した。
全身の力が抜けてゆく。
膝を折った姿勢のまま、体の関節の柔軟性と関係無しに重力が状態を仰向けに押し倒す。
と、倒れかけたアモンの背に手が伸びた。
見れば、ウェイディは血に染まった床へ膝をつき、アモンを抱え込むように支えている。
アモンは焦点の合わない目を必死に凝らし、ウェイディを見つめた。
もはやその表情を読み取ることはできないが、自分を支えている彼の行動だけで、アモンは苦痛を押し殺さずとも笑顔を浮かべられた。
「……ウェイディ……」
「よい、もうしゃべるな!!」
「寂しかったよな……お前も……」
荒い呼吸はもはや終わり、短く、浅い呼吸……虫の息をしながらアモンは続ける。
「……今なら分かるんだウェイディ……私でさえ、こんなに寂しかったんだから……お前はもっと……もっと寂しかったろうに……」
この時、ウェイディはようやくアモンの真意を理解した。
しかし、他のほとんどの事柄がそうであるように、気づいた時には全てが遅きに失する。
後悔という言葉が存在するのは、そうした人間の業ゆえかも知れない。
「……すまないな……私がもっとしっかりしていれば……お前にばかりこんな重い荷物を背負わせずに済んだかも知れないんだが……でもな、ウェイディ……こんなバカげた政治ごっこは……もう、いい加減で……止めておけ……」
まぶたの力すら失い、アモンはゆっくりと瞑目してゆく。
そして、
「……もう、十分に殺したろ……私で……終いにしておけ……それが……私からの最初で最後の……頼みだ……」
その一言を最後に、アモンは話すのを止めた。
そして同時に、
全身から力を失い、完全に脱力したアモンの体は、
重力に引かれてウェイディの腕から滑り落ちる。
不自然な姿勢で床に倒れ、もはや動かなくなったアモンを見ながらウェイディはしばらく何も考えられなくなった。
アモンが死んだ。
いや、違う。
アモンを殺した。
自分が、
この手でアモンを殺した。
彼が死んだ今なら分かる。
彼が自分に敵対する力が無かったこと。
彼が自分に敵対する意思が無かったこと。
だがもう終わってしまった。
自分が終わらせた。
自分が望み、そして自分で終わらせた。
「これが……余の望んだ結果か……?」
呆然と床に膝をつきながら、ウェイディはつぶやく。
「……アモン、お前の申した通りだ……余はただ……ただ己で己を孤独に導いていただけだった……アモン、何故……もっと早くそれを教えてくれなかった……」
言い続けながら、床に倒れこんだアモンの体を再び抱き起こす。
もはや彼を冷たい床に寝かせ続けることに、ウェイディは耐えられなかった。
アモンの流した血に服が染まるのも構わず、いまだ血を滴らせる彼の口を袖口で拭う。
息が詰まる。
胸を締め付けられるように、息を思うように出来ない。
気づけば、自分の肩が震えていた。
うつむき、横を向いたアモンの顔を覗き込む目から自然と涙がこぼれる。
「……何故……失ってから気づかせるような、惨い真似をしたんだ……アモン……」
ウェイディは膝をつきながら、少しずつ冷たくなってゆくアモンの体を抱き締め続けた。
蒼ざめたアモンの顔へ継ぎ目無く涙がこぼれ落ち、頬を伝って床を濡らす。
次第に、嗚咽は慟哭へと変わり、ウェイディの絶望を孕んだ叫びが謁見の間を包んだ。




