悲しき駒 (4)
「……おい、いつまで狸寝入りを決め込んでるつもりだ?」
テオドールとアルセイデスか部屋を出てしばらく後、アモンは腰掛けていた椅子をベッドの脇に移動させながら男に言った。
すると男はゆっくりとまぶたを開け、横になったままながら、まるで睨み殺すような視線でアモンを見つめた。
「私が近くへ寄るのを待っていたか、それともあいつらがいなくなるのを待っていたか。どちらにせよ、まだ私を襲う気は十分のようだな」
挑発するようなアモンの言葉にも、男は無言で鋭い視線を送り続けるだけだった。
「自己紹介がまだだったな。お互い、出会った時は忙しくてそんな暇は無かったから仕方無いが……私はアモン・ハイラッド・モルガン。モルガン公爵家の当主だ。お前は?」
「……腐れ貴族なんぞに名乗る名など無い……」
男が始めて声を発する。
「初対面からひどい言い様だな。ま、悪口にはうちの従者のおかげで慣れているがね」
アモンがそう話していたその最中、突如として男はベッドから起き上がり、アモンの首元へ両手を伸ばした。
が、男の動作はひどく緩慢で、ほぼ静止しているのと変わらなかった。
「無理をするな。お前にさっき飲ませた薬はうちの庭師が調合したとっておきだ。狼の姿へなることはおろか、体を動かすのもやっとだろうに」
「……畜生が……」
「生憎と、理由の分からん恨み言に貸す耳は持ち合わせていない。話すならものの順序を考えて話せ。何故、私を襲った? というより何故、私をそんなに憎む?」
「貴様がクソ貴族という以外に理由がいるか……」
ベッドに上半身を起こしながら、男がうなるように言う。
「つまりは貴族嫌いか……さて、ならさらに細かい質問だ。では何故、貴族を憎む?」
「貴様らは俺たちを狩り、弄び、そして殺す……だから俺は殺される前に殺すんだ……」
「……そりゃまた、たいそうな理屈だな」
「貴族は全て俺たち亜人の敵だ……先に仕掛けたのは貴様ら貴族どもだ……」
「そう思う根拠は?」
「……真実だ。奴らが教えてくれた……」
「奴らとは誰だ? 誰にそう吹き込まれた?」
男は再び口を閉ざした。
「だんまりか……それならそれでもいい。無理に聞き出そうとは思わんさ。それにお前の言い分通りのろくでもない貴族も実際にいるのは確かだしな。だが……」
転瞬、急に厳しい口調でアモンが問う。
「十把一絡げに私までクソ貴族呼ばわりされるのは納得いかん。少し考えてみろ、お前が言うところの腐れ貴族というのは、亜人とああも親しくするものなのか?」
「……自分の立場を利用して、いいようにこき使ってるだけだろう……」
「否定はせんさ。確かにあいつらと私は主従の関係。としてもだ、言うと面映いが普通、お前の思うような主人に心配の言葉を、虐げられた従者はかけたりするか?」
「……」
またも男は黙したが、今度の沈黙は明らか言い返す言葉が見つからぬための沈黙だった。
「信用するしないはお前の自由だ。勝手にするがいいさ。ただ、私は相手が人間だろうが亜人だろうが、平民だろうが貴族だろうが、そんなつまらんことを気にしたことは一度も無い。私が気にするのはただ一つ。相手がいい奴か、それとも下衆か、それだけだ」
言い終わると、アモンはゆっくりと椅子から立ち上がり、窓の外に明るく照らし出された月を見つめた。
今宵は十六夜。
満月に負けず、月光は眩い。
「……まあ、お前との話はこの辺でいいだろう。夜が明けたら、朝一番でレムレスに書簡を送る。あそこならお前の居場所もあるだろうよ……」
「!?」
驚きを隠せぬ顔をし、男は目を細めた。
「別に親切心からじゃない。ただな、お前を焚きつけて私を襲わせた奴らは、間違いなくお前を始末しようとするはずだ。お前がどうなろうと知ったこっちゃないが、私としては事がそいつらの思惑通りに運ぶのが気に食わないのさ」
アモンは両手を頭上へ持ち上げ、一つ大きな伸びをすると、釣り合わない小さなあくびをしながら部屋を出ようとした。
すると、
「……相手の名前は分からん……名乗らなかった……ただ、お前がこの辺りで亜人狩りをしていると聞いただけだ……」
男の言葉に振り返ったアモンは、苦笑いしながら答える。
「レムレスに着いたらメイフレイルという森人の娘に会うといい。私が襲った側ではなく助けた側だったことを、彼女なら話してくれるだろうよ」
一瞬、男は大きく目を見開き、しばらく考え込むような様子になった。
と、急につぶやくような声を発する。
「……ガトック……」
「ん?」
「俺の名だ……」
「……そうか……ではガトック、とにかく今晩はゆっくりと休め。レムレスからの使いが来るまでここでのんびりするといい」
「……アモン」
「なんだ?」
「すまなかった……」
「はっ、くだらんことを言う暇があったらさっさと寝ろ! 朝食を食い逃すぞ!」
言い捨て、アモンは部屋を出た。




