レムレスよりの使者 (4)
レムレスからの一行、フューレイとアルバインが城を辞することが決まったのはそれから少し後だった。
城の玄関にアモン、テオドール、アルバインが集まっている。
フューレイはメイフレイルの記憶について最終確認をするというのでしばらく三人は立ちんぼで玄関先に待たされている。
(仕事は丁寧にですよ)と部屋を出る際、フューレイの言った言葉が頭に残っていた。
「それにしても、一国の公爵を待たせるとはあいつもずいぶんな奴だな」
軽い嫌味を口にした瞬間、アモンの脳天をテオドールの拳が見事に打ち抜いた。
「お客人の前で失礼なことを言うものじゃありませんよバカ公爵!」
では主人の脳天を殴りつけるのは失礼に当たらないのか?
鈍く痛む頭をさすりながらそんなことを考えつつ、いつもの恨みがましい目でテオドールを睨みつけていると、突然すいと自分の横にアルバインが寄ってきた。
「重ね重ねのご無礼は真に申し訳なく思っております。ですが私の主にもそれなりの事情がございますれば、なにとぞ平にご容赦を」
「事情ねぇ……人の頭の中を好き勝手にいじくり回す奴に、どんな酌むべき事情があるというのかね?」
「実は、それについて少々お話が……」
急にアルバインはささやくような声で話し始めた。
「主はわざと語らずにいましたが、あの力には大きな問題があるんです」
「問題?」
「考えてみてください。主は人から記憶を取り出し、そして見る……いえ、というよりそれはもはや実際の体験として感じるようなものらしいのですが、それを主はすでに何百もの者たちに行っています」
「……ふむ」
「つまり、主は他人の感じた痛みや苦しみの記憶を数え切れないほどその身に蓄えていらっしゃるんです」
そこまで聞いて、アモンはにわかに目を見開いた。
「それは……つまりあいつは……他人の苦しみをそっくりそのまま自分で肩代わりしてるってことか!?」
「まさしく」
言いながら、アルバインは自身の右手を差し出した。
「私のこの右手は数年前の亜人狩りにかかったとき、暴漢たちに切り落とされたらしいのですが、それについての一切の記憶は私にはありません。思うに主がそれを肩代わりしてくれていなければ、私はきっと正気を保っていられないのでしょう。当然ながら加えて、私と同様の者たちの幾多の記憶……主はとても常人には耐え切れないほどの苦痛に満ちた記憶を、それこそ数え切れないほどに抱えて生きておられるのです」
絶句した。
そして、彼の目に宿る狂気の理由も容易に知れた。
当たり前だ。人は自分自身の苦しみだけでさえ耐え切れずに潰されることもあるというのに、あの男……フューレイはそれを何倍、いや何十、何百と背負い、なおもその手を止めない。
正気を保っているだけでも奇跡とさえ思える。
アルバインの話を聞き、説明しがたい感情にアモンが戸惑っていると、ふと静かにメイフレイルの部屋の戸が開くのが見えた。
「いやあ、お待たせして申し訳ない」
声こそ快活な明るさを響かせてはいたが、その表情は相変わらず狂気を含んだ笑顔で満ちていた。
「少々手間取りましたが、もう何も心配要りません。あとは彼女の傷が回復するのを待ってから改めて別の使者をこちらへ差し向けますので、今しばらくのご面倒をどうぞお許しください」
フューレイはアモンとテオドールに丁寧に一礼すると、まるで何事もなかったかのようにすでに開け放たれたままになっていた玄関からゆっくりと外へ向かった。後にアルバインが影のようにしたがう。
「おい、フューレイ!」
堪らず、アモンは声をかけた。
「その……さっきは色々とすまなかったな……」
振り返ったフューレイは、全てを察したように……いや、恐らくは察しているのだろう。ひと際大きな笑顔を見せる。
「……やっぱり貴方は良い人だ。お会いできて本当にうれしかったですよ」
「下らん世辞はいい。それより、お前は自分のことも少しは心配しろよ」
アモンが人に気遣いするところを始めて見たテオドールが、彼の横で驚いていると、フューレイはクスクスと笑う。
気のせいか、その笑いは狂気を孕んでいないように思えた。
と、フューレイは急に耳の辺りにかかった髪を指ですき上げると、軽く隠れていた耳の先端をあらわにした。
その形はまさしく人間のそれと同じ、丸く小さな耳だったが、その輪郭に沿って傷の縫い後が明瞭に見て取れた。
明らかに元あった耳を形成して切り落とした後である。
「混血児の(業)というやつですよ。それでは、お元気で……」
アルバインを伴って城門へと向かい、背を向けたフューレイは、それから姿が見えなくなるまで二度と振り返ることは無かった。
そして、アモンとフューレイも、その後二度と会うことは無く生涯を終える。
互いの願いが叶うことを祈るのはたやすい。
だが、残酷な世界に優しい神はいない。
知らず、空を灰白色の雲が大きく包んでいた。




