森からの異邦人 (7)
アモンは駆け足だった。
そのため、玄関を開けようとしていたテオドールを止めることに成功した。
今まさに、戸を開けようとしたところをアモンに肩を掴まれて制止されたテオドールは、びっくりしながらも主にいつも通りの冷たい目線を向けたが、心なしかその視線は普段と比べ若干、柔らかい印象があった。
「な、何ですか一体!?」
「いいから、お前は私の後ろについてきなさい。何もしゃべらずにな」
当然ながらテオドールは疑問を感じた。通常、客人への応対は従者の役目である。
それを何故、主人自ら?
それに加え、
「しゃべるなって……」
「客の応対は私がする。とにかく口を完全に閉じておけ。お前は黙って私の後ろにいればいい。何があってもしゃべるな。これだけは守れ」
いつもの無気力加減はどこへやら、今日のアモンの口調は一切の取り付く島が無かった。
仕方なく、テオドールは主の指示に無言でうなずき、玄関を開けて城門へと向かった。
指示通り、アモンの背に張り付くようにして。
城門の外には馬が四頭。そして屈強な男が三人と、見るから貴族階級と思しき男が一人。その男だけは馬から降りず、黙っていても伝わる強烈な傲慢さでこちらを見遣っていた。
「この城の主はおられるか!?」
一番手前に出ていた男の一人が、雄叫びのような声を上げた。
どうやら城の中まで聞こえていた声の主らしい。
アモンはさもうるさそうな顔をしながら庭園を横に抜けて城門の前まで来ると、これまた面倒そうに答えた。
「私だ」
声に反応するように、手前に陣取っていた三人の男たちは後方へ下がり、一人、馬上からこちらを見据えていた男が前方へ出てきた。
「これはこれはアモン卿……また、随分と立派な城に移られたようですな」
男の言葉から発散される嘲りをアモンは無視して訊ねる。
「こんな辺鄙な場所で迷子か? それとも何か変わった道楽か? オストゥム伯爵。」
言葉の辛辣さではアモンも負けていない。
オストゥム伯爵と呼ばれた男は、自分の言動を棚に上げてさも不愉快そうな表情を浮かべたが、ふん、と鼻を鳴らすと、ようやく話の本題に入った。
「実を言うと、我々はここしばらくこの地でのんびりと羽を伸ばしていたが、少しばかり退屈しのぎをしていて問題があったのでね。卿に少々聞きたいことがあるのですよ」
「質問を受けるほど特に変わった生活はしていないつもりだが、聞くだけ聞くとしよう。どんな質問だ?」
「実は数日前、狩りの獲物を逃しましてね」
アモンは自分では冷静を装っているつもりであった。
が、真後ろで主を見ていたテオドールには、背中に組まれたアモンの拳が小刻みに震えるのがはっきりと目に映っていた。
「狩りというと……?」
自分でも分かりきった質問に嫌気を感じながら、アモンが問う。
「もちろん、(亜人狩り)さ」
オストゥムは薄ら笑いを浮かべて答えた。
「……亜人解放派のレムレス国境の鼻先で亜人狩りとは、あまり感心せんな……」
「なあに、我がベルディニオはベルディニオのやり方を通すまで。法王とはいえ内政干渉なぞ出来ようはずもあるまい。大陸三大列強が一国たる我が国の名は伊達ではない!」
鼻息も荒くまくし立てる。
「まあ……このベルディニオがいつから貴様の国になったのかという疑問はさておいて、いい加減で質問をはっきりしてもらえんかね。私もこう見えて暇ではないんだ」
皮肉と無関心が織り交ざったアモンの言葉に、オストゥムの顔が再び曇る。
そして、ようやっと質問はなされた。
「なに、数日前の狩りの際に少々しくじってね。獲物を取り逃したんだが、どうやらその獲物はこの辺りで姿を消したのですよ」
「ほお……」
「獲物は白エルフ。しくじったとはいえ十分な手傷は負わせたはずだ。そう遠くへは逃げ切れるとも思えん。で、卿にお尋ねしたい。その獲物に何か心当たりは無いですかな?」
無表情なはずのアモンの表情が、心なしか影を帯び始めた。
「……知らんね。恐らくはどこぞで事切れてるんじゃないのか?」
「確かに、その可能性も十分にあり得る。しかし卿、その考えをどうも腑に落ちさせないものがあるのですよ」
いやらしい顔つきでオストゥムは続けた。
「卿がはべらせているその黒エルフ。もしや博愛主義のアモン卿は、そこらに転がる亜人を見つけては、城にかくまってでもいるのではと勘繰りましてね」
「この者はテオドール。私の従者だ。それと、この者は洞人だ。黒エルフという呼び名は謹んで貰おう」
「黒エルフは黒エルフと呼んで何の不都合がある? 一体、他の何だと言うんだ。大体、従者だのと大層なことを言っていたって、所詮はもうお手つきなんだろう?」
オストゥムの淫猥な物言いに、テオドールが怒りのあまり、アモンの背から飛び出そうとしたその時、アモンは静かにテオドールの進行方向を手でさえぎると、ふいと後ろを振り返り、笑顔とともにそっとうなずいた。
瞬間、城門へ向き直ったアモンの顔は一変し、冷徹な声をオストゥムに向かって発した。
「……馬を下りろ……」
明らかに辺りの空気が一変する。
一瞬で緊迫した場の空気を読まず、アモンの言葉を聞き損ねたオストゥムが、その生涯で最大の失態を犯したのはまさにそのあとであった。
「は?」
とぼけた口調でオストゥムがアモンに問うたその刹那、アモンの声は雷となってその場の全員を貫いた。
「馬から下りろと命じたのだ! 馬上から物言いなど、貴様は何様のつもりだっ!!」
この時のアモンの様子を見聞きしたもので、その場にひれ伏さぬものはいなかったろう。
実際、オストゥムの付き人である三人の男は素晴らしい早さで片膝をつき、地に伏した。
全員、顔からは脂汗が溢れるように流れている。
そして、あくまで彼にとってだが……あまりにも突然だったアモンの豹変と、その恫喝の凄まじさに当のオストゥムもまるでそれが自然な体の反応とでもいうようにすぐさま馬上から下り、かたちを改めた。その顔はこわばり、もはや歯の根も合わなくなっている。
「私は慈悲深い人間だオストゥム。だが、その慈悲にも限度がある! 貴様が今、目の前している者は何者た? 畏くもベルディニオ前国王、カムラン・ベルディニオ・マーロウ陛下より直々に賜りし爵位、四大公爵家の第一に挙げられるモルガン公爵家の当主にして現国王ウェイディ・ベルディニオ・マーロウ陛下の従兄弟である、アモン・ハイラッド・モルガンだ! 身分低く、学も無い身で私を呼ぶな! 卿だと? 公爵たる私を呼ぶのに卿だと? 気安く言葉をかけるな下郎! 貴様が私を呼ぶのなら、殿下と呼べっ!!」
先ほどのオストゥムの付き人が出した声が城まで響く声だとするなら、今アモンが発した言葉は森を越え、遠くレムレスにすら伝わるほどの大音声だった。
「二度とは言わん、私の前から消えろ! 永遠にだ! 次にもし私の目に貴様の卑しい姿が映った時は、それが貴様の最期だと思えっ!!」
言い終わるや、アモンは招かざる客へ帰りを促すように右手を大きく横に払う。
オストゥムと付き人は、もはや泣き面の体で深く抵頭したまま、馬に乗ることも出来ず、引きずるように馬と共に森の中へと消えていった。




