01話
「統合失調症?」
「そ、統合失調症。前は精神分裂病なんて言われてたかな」
「分裂するんですか」
「うんにゃ、別にこれになったひとが必ずしもそうなるわけではないよ。症状はひとそれぞれ。まあ、ある程度の分類はされてるけどね」
そう言って先生はたばこ代わりに咥えていたボールペンを離し、こちらに向き直った。
それと同時に、僕は視線を先生から逸らす。
ひとと面と向かって話をするのは苦手だ。
お互いそのことには触れずに会話を続ける。
「治っちゃうんですか?」
「治りますか、とは聞かないんだね。治りはするよ、ただ再発しやすいけど」
僕の治りたくないという願望は筒抜けのようだ。わざとだけど。
社会的弱者となりたい、健常者でいたくないと思うのは病気のせいなのか、それとも僕の元からの願いなのか。
「君みたいな考えは普通のひとも考えるよ、ただそれが一番じゃないだけ」
ひとは誰しも選択肢の中に破滅的なものが入っている。
普通なら、精神的に健康なら、それらの選択肢はまず選ばない。
でも、一時的な感情の爆発でその選択肢を選んでしまう人もいる。よくある『カッとしてやった』というやつだ。
「僕の選択肢には常に自傷が含まれてますよ」
「そのわりにはリスカのひとつもしないんだね」
「血が出るのは嫌いですから。でも血を見るのは好きです」
「それで猟奇的なつもり? まあいいけどさ。それじゃ何をしてるの?」
「紐で首を絞めたりしてます。あれは自殺には不向きです。だから普通は吊るんですね」
自分で首を絞めて自殺となると、かなり覚悟が必要だ。
僕にはそんなエネルギーはないので苦しくなったらやめている。
「先生、どうしてひとは自殺するか知っていますか?」
「さあね、それはそれぞれの理由だし、それぞれの問題だ。おいそれとただの他人が口を出していいものではないよ」
よく『自殺する勇気があるなら生きろ!』とか熱弁するひとがいるけど、自殺するのに勇気なんていらないんだよ。
「必要なのは勇気でも絶望でもない、死のうという意思が生きようとする意思を越えることですよ、単純な話です」
プラスにマイナスを足してマイナスになる。
マイナスの絶対値が大きければ自殺する。
ただそれだけ。
「まあ、先生の言うとおり個々人の事情は千差万別でしょう。が、根本的にはたぶん似たようなものです」
「生きることに価値を見出せないのではなく、それらの価値も加味した上で死を望むなら自殺する、か。君の持論は面白いね。その考えでいくと、どんなに幸せな者でも自殺する可能性がある」
人間って面白いね、と先生は言う。
「それじゃ君がまだ自殺しないのはマイナスが上回ってないから?」
「それもありますね。あとは、んー何でしょうね、自殺方法が決まってないからとか?」
「私が担当している間は自殺するなよ。評判が悪くなる」
うそ。
先生は単純にひとが死ぬのが嫌いなだけ。
自分の知り合いの死を知りたくないだけ。
………なんて、想像してみただけ。実際の先生の心情なんて分からない。他人の心なんて分からない。
「でも、僕の生涯の終止符はやっぱり自殺なんじゃないかなと思います」
「そうかい。ま、しばらくは学校休んで気軽にしていることをおすすめするよ。行ったり行かなかったりだと余計にストレスになるからね」
「まあ善処しますよ。ありがとうございました」
と言いながら椅子から立つ。
「はいよ、お大事に」
僕は診察料1400円を払って病院をあとにした。
病院に隣接する調剤薬局で薬をもらい―――これがけっこう高い―――帰宅する。
両親は共働きなため、家には誰もいない。
昼食をまだ食べてないので冷蔵庫を漁る。
ふと、キッチンに包丁があることを意識する。
リスカは未経験だが、やろうかと思ったことは幾度となくある。
冷蔵庫を閉め、包丁を手に取る。
左手に持った包丁の刃を、右手首に軽く押しつける。
そして………。
「なんてね」
包丁は洗ってから元の位置に戻した。
「こんなところでリスカなんてしたら血で汚しちゃうからね」
なんて、もっともらしい理由をでっちあげる。
ほんとは死ぬ気なんてないのかもしれない。
あったとしても、それの絶対値は限りなく零に近いのかもしれない。
「それでも僕は自殺を願う」
どうしてだろう?
異常に見られたいからだろうか。
社会不適合者の烙印を押されたいのだろうか。
弱者として同情されたいのだろうか。
たぶんそうなのだろう。
意識が混濁する。
そうではないと願う自分がいる。
ただの死にたがりだと言う自分がいる。
どうしようもない破滅願望者だと笑う自分がいる。
自分の中の自分が静かに暴れる。
「昼飯は………朝の残りでいいか」
再び冷蔵庫を開け、ラップのかかった皿を取り出し、レンジにかける。
おかずを温めている間にジャーからごはんをよそう。
「ごはんを食べて薬を飲めばちょっとはよくなるかな」
いただきます、と小さく呟き、もそもそと食べ始める。
食事に集中して、他のことは考えない様にする。
食後に薬を飲む。
心を落ち着かせる効果があると、付属の紙に書いてあった。
本当に効くのかは分からないが、とりあえず忘れずに服用しようと思う。