冷酷公爵への恋心、フリマアプリで売却済
「クロエ。君との婚約は破棄させてもらう」
王宮の夜会から帰る馬車の中。冷酷公爵と名高い私の婚約者、レオンハルト様は、氷のように冷たい声でそう告げた。私は彼と向かい合って座り、自分の膝の上でギュッと手を握りしめた。
「……理由を、お聞かせ願えますか?」
「真実の愛を見つけたからだ。君のような、ただ親同士の取り決めで押し付けられた面白みのない女には、もうこれ以上付き合いきれない」
彼の脳裏には、今日の夜会で彼がずっとエスコートしていた、可愛らしい男爵令嬢の姿があるのだろう。私と婚約している身でありながら、公衆の面前で他の女性を口説き、私を放置した彼。
それでも私は、レオンハルト様のことが好きだった。幼い頃から公爵夫人になるための厳しい教育に耐えられたのも、いつか彼が私に振り向いて、あの冷たい瞳を優しく細めてくれる日が来ると信じていたからだ。
「わかりました。婚約破棄、お受けいたします」
私が震える声でそう絞り出すと、彼は「物分かりが良くて助かる」とだけ言い捨て、馬車が屋敷に着くや否や、私を振り返りもせずに夜の街へと消えていった。
自室に戻った私は、ベッドに倒れ込み、声を殺して泣いた。悲しい。苦しい。胸が張り裂けそうだ。こんなにひどい扱いを受けても、まだ彼を愛している自分が一番惨めで、許せなかった。
いっそ、この狂おしいほどの「恋心」なんて、跡形もなく消え去ってしまえばいいのに。そう願った時だった。
枕元に放り投げていた魔導具が、ピコン、と軽快な通知音を鳴らした。
画面を見ると、私がたまに不用品を売っている魔法フリマアプリ『メル・マーケット』からのキャンペーン通知だった。
『新機能リリース!あなたの不要な「感情」を魔石化して出品できるようになりました!失恋の痛み、トラウマ、不要な恋心……なんでも売って、スッキリ新しい人生を始めましょう!』
私は涙で霞む目で、その通知をじっと見つめた。感情を魔石化して売る?そんな魔法技術が、いつの間にアプリに実装されたのだろう。でも、もし本当にこれができるなら。
「……売ろう」
私はベッドから身を起こし、スマートフォンの画面をタップした。
『抽出する感情を選択してください』という画面が出る。私は迷わず『レオンハルト様への長年の恋心と執着』と入力し、画面の指示に従って魔導具を胸に当てた。
カァァァッ……と、淡い光が寝室を包み込む。胸の奥で重く渦巻いていた泥のような痛みが、信じられないほどスルスルと抜け出していく感覚があった。
光が収まると、スマートフォンの横には、ビー玉ほどの大きさの、キラキラと輝く美しいピンク色の魔石がコロンと転がっていた。
「これが、私の恋心……」
魔石を手に取ってみる。不思議なことに、先ほどまであれほど流れていた涙がピタリと止まり、胸の痛みが嘘のように消え去っていた。レオンハルト様の冷たい顔を思い浮かべても、「ああ、そういう人もいたわね」という、道端の石ころを見るような驚くほどドライな感情しか湧いてこない。
すごい。本当に恋心が完全に抽出されている。
私はスマートフォンを操作し、そのピンクの魔石をフリマアプリに出品することにした。
商品名:『冷酷公爵への恋心(初恋・執着強め)』
商品説明:長年片思いしていた冷酷公爵への恋心です。婚約破棄されたので不要になりました。純度は高いと思いますが、執着成分が強めなので、取扱注意でお願いします。
価格設定の画面で少し迷った。感情の相場なんて分からない。でも、私の人生の十年間を捧げた重い感情だ。捨てるのも悔しいし、ヤケクソで最高額を設定してやれ。
私は価格欄に『99,999,999G(およそ国家予算レベル)』と打ち込み、出品ボタンを押した。どうせこんなふざけた値段で買う物好きなんていないだろう。売れ残ったら、海にでも捨ててしまえばいい。
私はすっかり軽くなった心と体で、その夜は久しぶりに朝まで泥のように眠った。
***
翌朝。スッキリと目覚めた私が、寝癖を直しながら何気なくスマートフォンの画面を見た瞬間。
『ピロリン! 商品が購入されました!』
「……はい?」
私は自分の目を疑った。フリマアプリの画面には、デカデカと『SOLD OUT』の文字が輝いている。昨晩出品した『99,999,999G』の恋心魔石が、即決で買われているのだ。
「う、嘘でしょ!? 誰がこんな値段で……!?」
購入者の情報を確認しようと慌ててタップするが、相手は匿名配送を希望しており、アカウント名は『S』としか表示されていない。メッセージも届いていた。
『S:ずっと探していました。この魔石は、私が責任を持って一生大切にします。本日中に発送をお願いします』
なんだか文面からただならぬ重さと執念を感じるが、売れてしまったものは仕方がない。というか、これで私は一生遊んで暮らせるだけの大金を手に入れてしまったのだ。レオンハルト様との婚約破棄なんて、もはやどうでもいい些末な出来事になってしまった。
「よーし! さっさと梱包して発送しちゃおう!」
私は魔石をプチプチ(魔法緩衝材)で厳重に包み、指定された匿名配送用の転送魔法陣へポイッと放り込んだ。これで、私の過去の恋は完全に精算された。新しい人生の始まりだ!
その日の午後。
実家の伯爵邸で、今後の自由な生活の計画(主に莫大な売上金でどこに別荘を建てるか)をウキウキと練っていた私の元に、突然の来客が告げられた。
「クロエお嬢様。……その、帝国からのお客様がお見えです」
メイドが震える声で告げた名前に、私は耳を疑った。
「帝国って……まさか、あの隣国の?」
応接室に向かうと、そこには息を呑むほど美しい、長身の男性が立っていた。銀色の髪に、吸い込まれそうなアメジストの瞳。仕立ての良い軍服を身に纏い、圧倒的な覇気を放つ彼を見て、私は一瞬で相手の素性を理解した。
「初めまして、クロエ嬢。突然の訪問を許してほしい」
彼――隣国であるガルディア帝国の若き皇帝、シオン・ヴィンセント陛下は、私を見るなり、花が綻ぶような極上の微笑みを浮かべた。
そして、彼の手には。つい数時間前に私が発送したはずの、『ピンク色の魔石』が大事そうに握られていた。
***
「シオン陛下!? なぜ、帝国を統べるあなたが我が家に……それに、その手にあるのは!」
私が驚愕のあまり声を裏返らせると、シオン陛下は悪戯っぽく微笑んだ。
「フリマアプリの匿名配送システムは優秀だが、帝国の情報網と魔法技術にかかれば、出品者の特定など造作もないことだ。クロエ嬢、いや……『出品者クロエ』」
「あなたが、アカウント名『S』……?」
信じられない。他国の皇帝が、こんなふざけた高額商品(誰かの捨てた恋心)をポチッと即決購入したというの!?
「いかにも。……この魔石がフリマに出品されたのを見た瞬間、私は国庫を開放してでも手に入れねばならないと決意したのだ」
シオン陛下は、アメジストの瞳を熱っぽく細め、私のピンク色の魔石に愛おしそうに頬擦りをした。ちょっと待って、皇帝陛下のその顔、めちゃくちゃ怖いんだけど。
「あの……陛下。それはただのゴミというか、私がいらなくなって捨てた感情の塊に過ぎません。そんなものに九千万Gも払うなんて、絶対に騙されています! 今すぐ返品・返金処理を――」
「返品など絶対にしない! これは私の宝だ!!」
私がスマホを取り出そうとすると、シオン陛下は血相を変えて魔石を胸に抱き込んだ。
「クロエ嬢。君は分かっていない。……私が欲しかったのは、この魔石そのものではないのだ」
「え?」
シオン陛下は一歩距離を詰め、長身を屈めて私の目を見つめた。
「君は昨日、レオンハルト公爵から婚約破棄されたな」
「……はい。なぜそれを?」
「私はずっと前から、君のことを見ていたのだ。健気に彼を愛し、どんなに冷たくされても笑顔を絶やさない君を。……私は、レオンハルトのやつに激しい嫉妬を抱いていた。なぜあんな男に、君のこんなに美しい感情が向けられているのかと」
シオン陛下は、私の手を取り、その手の甲に恭しく唇を落とした。ぞくりと、背筋に甘い電流のようなものが走る。
「だが昨日、君がこれを売りに出したことで、すべてが変わった。君はレオンハルトへの執着を、完全に捨て去ったのだ。……つまり、今の君の心は『空っぽ(フリー)』ということだろう?」
「そ、それは……理屈で言えばそうですが……」
「ならば、次は私の番だ」
シオン陛下は、有無を言わさぬ強引さで私の腰を抱き寄せた。
「クロエ。君の心からあの男の痕跡が消え去った今、君の残りの人生は、すべて私が買い取ろう。……もちろん、君が設定したあの額面の何百倍もの愛でな」
***
こうして、私はなぜか隣国の皇帝陛下に熱烈に求愛(という名の強制的な囲い込み)をされることになった。
シオン陛下は行動が早かった。私の両親(多額の結納金に目が眩んで即座に承諾した)に挨拶を済ませると、その日のうちに私を帝国の豪奢な馬車に乗せ、自国へと連れ帰ってしまったのだ。
「陛下……これ、誘拐になりませんか?」
帝国の皇宮へ向かう馬車の中。最高級のクッションに沈み込みながら私が尋ねると、向かいに座るシオン陛下は涼しい顔で紅茶を飲んでいた。
「正当な取引だ。私は君から『未練』を買い取り、君の『未来』を契約した。何も問題はない」
「めちゃくちゃな論理ですね……」
私は呆れて窓の外を見た。胸の中にあったレオンハルト様への恋心を売り払ってしまったせいで、今の私は驚くほど冷静だ。こんな状況でもパニックにならず、「皇帝の愛人ポジションも悪くないかな、ご飯美味しそうだし」などと呑気なことを考えている。
「クロエ。君は今、何を考えている?」
「今日のご飯は何かなって」
「……君は本当に、あの重い執着を抱えていたのと同じ女性か? あまりにもサッパリしすぎていて、拍子抜けするくらいだが」
シオン陛下が苦笑する。
「売り飛ばしましたからね。今の私には、恋愛感情というものがピンと来ないんです。だから陛下がどれだけ甘い言葉を囁いても、多分、全然ときめきませんよ?」
「ほう」
シオン陛下のアメジストの瞳が、スッと細められた。次の瞬間、彼は私の隣に移動してくると、私の顎を長い指でくいっと持ち上げた。至近距離に、国宝級の美しい顔が迫る。
「私を挑発しているのか? ……いいだろう。君のその空っぽになった心に、私がどうやって新しい感情(執着)を刻み込んでいくか、とくと味わうがいい」
耳元で囁かれた低く甘い声に、心臓がトクンと小さく跳ねた気がした。
……気のせいだ。私の恋心は、メル・マーケットで売却済みなのだから。
***
帝国での生活は、控えめに言って「最高」だった。
「クロエ様、本日のドレスはどれになさいますか?」
「クロエ様、シェフが新作のスイーツを考案いたしました。ぜひご試食を」
皇宮での私は『陛下の最愛の賓客』として扱われ、至れり尽くせりの毎日を送っていた。シオン陛下は公務の合間を縫っては私の元を訪れ、文字通り「溺愛」を降り注いでくる。
「クロエ。君のために、南の島から珍しい花を取り寄せた。君の瞳の色と同じだ」
「ありがとうございます、陛下。綺麗ですね。でも、これ一本で家が建つ値段って本当ですか? フリマに出したら高く売れそうですね」
「……君はたまに、恐ろしいほど情緒がないことを言うな」
シオン陛下が呆れたようにため息をつくが、その顔はどこか嬉しそうだ。彼が私を甘やかし、私がそれをサッパリと受け流す。そんな奇妙で心地よい関係が、数週間ほど続いた。
そんなある日のこと。
「陛下。王国から、急使が参りました」
私とシオン陛下が中庭でティータイムを楽しんでいると、側近の騎士が血相を変えて走ってきた。
「王国から? 誰の使いだ」
「それが……レオンハルト・フォン・アークライト公爵です。彼は国境を越え、たった数名の護衛を連れただけで、我が帝国の皇宮へ強行突破を試みようとしており……」
「レオンハルト様が!?」
私は思わず立ち上がった。彼がなぜ、わざわざ帝国まで? 彼は新しい恋人(あの男爵令嬢)と、幸せに過ごしているはずではなかったのか。
「……なるほど。ついに気づいたか、愚か者め」
シオン陛下は冷たく笑い、ティーカップをカチンとソーサーに置いた。
「通せ。……我が愛しのクロエに、元婚約者の無様な姿を見せてやろう」
数分後。近衛騎士たちに両腕を拘束され、中庭に引きずり出されてきたのは、信じられないほどやつれた顔をしたレオンハルト様だった。
「クロエ……! クロエ、どこだ! 会って話がしたい!」
整っていた銀髪は乱れ、仕立ての良かった貴族の服は泥と埃で汚れている。かつて氷のように冷たかった瞳は、今はひどく血走って、まるで何かを取り憑かれたように私を探していた。
「離せ! 私は彼女の婚約者だぞ!」
「『元』婚約者だろう、アークライト公爵」
シオン陛下が、私の前に庇うように立ち塞がり、冷ややかな声で彼を見下ろした。
「何の用だ。ここはガルディア帝国の皇宮だぞ。王国の一介の貴族が無断で踏み入って許される場所ではない」
「……皇帝陛下。無礼を承知で参りました。私には、クロエとどうしても話さねばならないことがあるのです」
レオンハルト様は床に膝をつき、必死の形相で私を見上げた。
「クロエ……すまなかった。私が間違っていた。君を失ってから、君がどれほど私を支えてくれていたか、やっと気づいたんだ」
「は?」
私は思わず素の声を漏らしてしまった。
「君が屋敷を出て行ってから、すべてが上手くいかなくなった。あの男爵令嬢も、私の地位や金が目当てだっただけで、私が仕事で疲れて帰っても愚痴をこぼすばかりで……。その時、君がいつも温かい紅茶を淹れて、静かに微笑んでくれていたことを思い出したんだ」
レオンハルト様の言葉を聞きながら、私はスッと冷めた感情のまま首を傾げた。
なんだこの男。今更何を言っているんだ。
「クロエ、もう一度やり直してくれ! 君の愛が、君のその温かい心が、私には必要なんだ! 愛している、本当に愛しているんだ!」
涙を流しながら叫ぶ元婚約者。
かつての私なら、その言葉を聞いて泣いて喜んだかもしれない。私が十年も欲しがっていた言葉だったのだから。
だが、今の私の胸には、さざ波一つ立たない。本当に、一ミリの未練も湧いてこないのだ。
私はシオン陛下の背中からゆっくりと前に出ると、すがりつこうとするレオンハルト様を冷めた目で見下ろした。
「レオンハルト様。申し訳ありませんが、復縁は不可能です」
「な、なぜだ!? 私はこんなに君を求めているのに! 君も私をずっと愛してくれていただろう!?」
「ええ。確かに愛していました。狂おしいほどに」
私は肩をすくめ、はっきりと告げた。
「でも、その恋心はもう手元にありません。フリマアプリで売却済みですので」
「……は?」
レオンハルト様は、文字通りポカンと口を開けた。
「いや、本当なんです。未練も執着も、初恋の思い出も、全部まとめて魔石にして出品しました。で、こちらのシオン陛下が即決価格で買い取ってくださったんです」
「う、売った……? 君の愛を、金で……?」
「はい。九千万Gで売れました。おかげさまで一生遊んで暮らせます。本当に、あなたとの不毛な恋には感謝しかありません」
「ふ、ふざけるな! 人の心を売り飛ばすなど、そんな冒涜的な魔法が許されるはずがない!」
レオンハルト様は顔を真っ赤にして激昂し、私の腕を掴もうと手を伸ばした。
だが、その手が私に触れるより早く。
バチィィィッ!と、青白い紫電が彼の手を弾き飛ばした。
「ぐああっ!?」
「私の妻に気安く触れるな、下郎」
シオン陛下が、文字通り氷点下の殺気を放ちながら私を背後に庇った。その手には、抜身の軍刀が握られている。
「つ、妻……? クロエが、帝国の皇后になるというのか!?」
「いかにも。クロエはすでに我が帝国における最重要人物(最愛の女性)だ。彼女へのいかなる無礼も、ガルディア帝国への宣戦布告と見なす」
シオン陛下は懐から、あの美しいピンク色の魔石――私の彼に対する『元・恋心』を取り出して見せつけた。
「見よ。これが、お前が踏みにじり、見捨てた感情の結晶だ。これほどまでに純粋で美しく、重い愛を向けられておきながら、その価値に気づけなかったお前は、この世で最も愚かな男だ」
「あ……あぁ……っ」
その魔石から放たれる淡い光を見た瞬間、レオンハルト様の目からポロポロと涙がこぼれ落ちた。
魔法技術によって抽出された感情は、見る者にその『重さ』をダイレクトに伝達する。彼はおそらく今、私が十年間どれほどの想いで彼を見つめ、どれほどの痛みを抱えて泣いていたかを、魂のレベルで理解してしまったのだろう。
「クロエ……すまない……私が、私が馬鹿だった……! 君はこんなにも私を……っ!」
「ええ、愛していましたよ。でもそれは過去の話です。もう私の心には、あなたへの感情はホコリ一つ残っていませんから」
私が冷たく言い放つと、レオンハルト様は絶望の叫びを上げて床に突っ伏した。
「さあ、帰れ。お前の居場所はここにはない。その惨めな後悔を抱えたまま、残りの人生を這いつくばって生きるがいい」
シオン陛下の冷酷な宣告とともに、レオンハルト様は近衛騎士たちに両脇を抱えられ、皇宮から引きずり出されていった。
「クロエェェェッ! 許してくれ、クロエェェェッ!!」
彼の悲痛な叫び声が遠ざかっていくのを、私はただ静かに見送った。
本当に、胸が痛まない。スッキリとした、晴れやかな気分だった。
***
嵐のような元婚約者の襲来が終わり、中庭には再び穏やかな静寂が戻ってきた。
「……終わったな」
シオン陛下が軍刀を鞘に収め、ふうと息を吐く。
「はい。陛下、お騒がせして申し訳ありませんでした」
「気にするな。あの男の絶望に歪む顔を見られただけで、九千万Gの元は十分に取れた」
意地悪く笑うシオン陛下を見て、私は少しだけ可笑しくなって吹き出した。
「陛下って、本当に性格が悪いですよね」
「君への愛ゆえだと言ってくれ。……さて、クロエ」
シオン陛下は私の前に立ち、あのピンク色の魔石をそっと自分の胸ポケットにしまった。そして、私の両手を優しく包み込む。
「君の過去は、私がすべて買い取った。あの男への執着も、涙も、悲しみも、これからは私がこの魔石とともに封印し、一生大切に守り抜こう」
アメジストの瞳が、熱を帯びて私を見つめる。
「だから、君のその空っぽになった心には……これから、私の愛だけを詰め込んでくれないか」
そう言って、彼は私の指先にそっと口付けを落とした。
相変わらず、ずるい人だ。こんなにも美しくて、強引で、私のすべてを肯定してくれる。
「……恋心を売り払ってしまった私でも、また誰かを好きになれるでしょうか」
「なれるさ。私が必ず、君を振り向かせてみせる。君が『やっぱり、九千万Gでは安すぎた』と後悔するくらいにな」
「ふふっ。では、期待しておきますね」
私はシオン陛下の大きな手に、自分の手をしっかりと重ね合わせた。
胸の奥はまだ空っぽだけれど、そこにほんの少しだけ、甘くて温かい新しい火が灯ったような気がした。
過去の惨めな恋は、フリマアプリで高値で売却完了。
これからは、私を世界で一番愛してくれる最強の皇帝陛下とともに、最高に幸せで贅沢な、新しい恋を始めていくのだ。




