Ms.unknownの噂
月曜の朝。
教室は、どこか浮ついていた。
「ミスコンの子、誰だったんだろうね?」
「SNSじゃ“Ms.unknown”って呼ばれてる」
「マジでかわいかった。推せる」
笑い声。
スマホの画面。
指先で拡散されていく“誰か”。
俺は席に座り、黙ってそれを聞いていた。
動画は、もう何万回も再生されている。
コメントが流れる。
「透明感すごい」
「性別不詳なのが逆にいい」
「完成されてる」
――それは、俺だ。
でも。
名前はない。
衣装を直してくれた子も。
メイクをしてくれた子も。
そして、みずきも。
誰も、何も言わない。
あのステージは、非日常だった。
だから――
戻さない方がいいと、みんな分かっているのかもしれない。
「Ms.unknown?あれ絶対仕込みだって」
情報通気取りの男子が言う。
「プロのやり方なんだよ。拡散のタイミングも完璧だったし」
……違う。
心の中でだけ、否定する。
「来月転校してくる芸能科の子じゃない?」
女子の声。
「バズらせてから顔出しするパターンでしょ。あの可愛さ、普通じゃないし」
普通じゃない。
その言葉が、少しだけ引っかかる。
「もしかしてさ、実在しないんじゃない?」
文学系の男子がぽつりと言う。
「誰も正体を知らないのに、みんな“見た”って言うんだろ」
……喉が乾く。
「集団で、見たいものを見ただけかもしれない」
その言葉が、妙に残った。
昼休み。
「ねえ、あの子じゃない?はるたくん」
小さな声。
一瞬だけ、時間が止まる。
「えー、でも男の子でしょ?」
「でもさ、骨格とか、目元とか……」
視線が、集まる。
箸を持つ手に、力が入る。
笑えばいいのか。
否定すればいいのか。
何も、できない。
「……ま、違うか」
その一言で、空気がほどける。
俺は、息を吐いた。
――助かったのか。
――否定されたのか。
分からない。
Ms.unknownは、静かに広がっていく。
誰のものでもないのに、
誰の中にもいるみたいに。
それは、俺が選んだ姿だった。
なのに。
俺の名前は、どこにもなかった。
──昼休み、廊下の自販機前。
「ねえ、はるたくんでしょ?ちょっといい?」
振り返ると、あの男子が立っていた。
噂を集めては流す、“情報のハブ”みたいなやつ。
「さすがに俺も気づいちゃったよ。あのMs.unknownって、君でしょ?」
何も答えず、ペットボトルのキャップをひねる。
「動画見たときマジでびびったわ。骨格とか目元とか、もう確定じゃん。てかさ――」
一歩、距離を詰めてくる。
「MCのタカが、君に興味持ってるんだよ」
手が止まる。
「ステージの動き、印象に残ったってさ。俺が話通しておいたから――」
にやりと笑う。
「仲間に入れてやるよ」
その言葉が、喉の奥に引っかかる。
俺は、誰かの“仲間”になるために、あそこに立ったわけじゃない。
誰かの“話題”になるために、ウィッグを被ったわけでもない。
「……別に、入れてもらうつもりないけど」
少しだけ、声が冷える。
男子は一瞬だけ目を見開き、すぐに笑った。
「遠慮すんなって。タカもさ、面白いやつ好きだし。てか君――」
一瞬、言葉を選ぶ。
「男なのにかわいいっていうか……新しいよね」
“新しい”
褒め言葉の形をしているのに、どこか距離がある。
俺は何も言わず、その横をすり抜けた。
背中に何か言われた気がした。
でも、もう聞こえなかった。
廊下の光が、やけに白かった。
──放課後、昇降口。
「はるた」
振り返る。
タカが立っていた。
学祭のMC。
中心にいる側の人間。
「ちょっと話せる?」
外に出る。
空気が、少しだけ冷たい。
「動画、すごいことになってるな。Ms.unknownって呼ばれてるの、知ってる?」
俺は黙る。
「俺さ、衣装室で見たときから思ってたんだよ」
タカは、軽く笑う。
「やべえな、って」
間。
「あのステージの君は、もっとやばかった」
視線が、真っ直ぐ向く。
「あれはもう“カード”だよ。強いやつ」
カード。
その言葉で、全部分かる。
俺は、“手札”として見られている。
価値があるから、欲しいだけ。
沈黙の中で、ひとつの顔が浮かぶ。
みずき。
ステージを見ていた目。
笑っていた顔。
背を向けて、去っていった姿。
あのとき。
あの距離。
「どうする?」
タカの声が、現実に引き戻す。
「次、なんかやるならさ。君がいたら面白くなると思う」
提案。
でも、逃げ道はない。
モテる側。
中心にいる側。
そこにいれば、近づけると思っていた。
みずきに。
でも。
今、あの場所にいるのは――
俺じゃない。
靴のつま先を見る。
答えが出ないまま、時間だけが過ぎていく。




