推し絵師の幽霊が出てきた、深夜2時
「あ、私、意識失ってた……?」
一人暮らしの部屋で、私はおでこをこすりながら身体を起こした。
どうやらモニターを前に寝落ちしてたらしい。
時計を見ると、深夜二時。
「よし……気合入れよう!」
立ち上がって、冷蔵庫からよく冷えたエナドリを二本取り出す。
缶のタブを二本同時に開けて、モニタに向かい直り、ペンタブを握る。
私は、大好きなWEB漫画『追想花譚』の2次創作漫画『ゆえさら同棲花日和』を執筆して、週一でサイトに掲載している。
今週の更新日は、明日。今週はあんまり執筆時間がとれなかったから、まだ完成していないのだ。
「私の更新を待っている人がいる……!」
私はつぶやくと、モニターのタブを切り替えて、『追想花譚』の原作ページを出した。黒い着物の切れ長の瞳のおかっぱ頭の女の子『夕映』と、白い着物の金色の髪の女の子『沙羅』が手を握り合ってる原作1巻の表紙を映す。
ああ尊い……。
『追想花譚』は投稿サイトに投稿されたオリジナルWEB漫画。
作者は『椿しぐれ』先生。
死んだ人々の記憶を“花”として咲かせる、不思議な力を持つ記憶喪失の少女『|夕映≪ユエ≫』が自分の記憶を求めて旅をする、オムニバスストーリーだ。
商業ではなく、オリジナル投稿なんだけど、クオリティがヤバくて、更新の度にSNSでは「#追想花譚」「#椿しぐれ世界観」のハッシュタグが流れて、「世界観神」「はやく商業」と絶賛コメントが流れる作品だ。
私が描いているのは、第1話で登場する女の子『沙羅』が主人公の『夕映』と一緒に暮らしてるっている設定の二次創作。
私は椿先生のイラストをじっと見つめた。
繊細な線で描かれた、椿や芍薬などの花をモチーフとした素晴らしいデザインの和服、そして見る人を奪う、命が宿ったようなキャラの瞳……。
「椿先生……。私、がんばります……! いつか、先生が戻ってくる日まで……!」
『追想花譚』はこの一年、更新が止まってしまっているのだ。
それまではこの四年間毎週必ず更新があったのに。
先生はプロじゃない。たぶん、社会人の方だろう。
仕事が忙しいのか、体調を崩されたのかわからないけれど……。
毎週の摂取成分が不足した私は、自ら筆をとり、二次創作を始めた。
もともと絵を描くのは好きだったけど、でも、まだまだ椿先生の域には遠く及ばない。
先生……、早く戻ってきて、続きを描いて……!
それまでは自給自足で、私、頑張ります!
「二本一気飲みすれば、行ける気がする……!」
私は二本のエナジードリンクに手を伸ばした。
……その時。
「小麦ちゃん~! 二本一気はヤバいよぉ~!」
モニターの画面から、ぬるっと何かが出てきた。
長い黒髪、猫耳のついたパーカーを着た、女の人。
「うわあ!」
私はびっくりして、椅子からひっくり返った。
「えっ、あっ、私のこと見えるの?」
モニターから上半身を出した女性は、そのままずるっと這い出して、――宙に浮いた。
「ううう浮いてる……」
カタカタと震える私に、その人は笑いかけた。
「小麦ちゃん~! 私だよ~! 椿しぐれ!」
「へ?」
「ほら、私のアイコン、これだったでしょ?」
椿先生は頬を掻くと、猫耳のついた黒いパーカーのフードを目深く被った。
見覚えがある。確かに、椿先生のアイコンは、これをイラストにしたやつだった。
「へ、なんで、モニターから……?」
「私、幽霊なのよ」
えへへと椿先生は笑って言った。
「1年前に死んじゃって」
私は椿先生を上から下まで眺めた。
半透明で、宙に浮いている。そして『一年前に死んでいる』
――『追想花譚』の更新が止まったのは、一年前――。
私は真っ青な顔でつぶやいた。
「――え? 椿先生、死んじゃったんですか……?」
「そうなの。たぶん、病名としては――過労死? 徹夜とカフェインのコンボ、連続してたら、心臓止まっちゃったんだ」
あはは、と椿先生は少し悲しそうに笑った。
私は言葉を失って、その場に崩れ落ちた。
「先生……、何で、そんな無理したんですかあああ」
「やっぱり日中仕事しながら、オールカラー、毎週更新はやばかったと、自分でも思ってる」
先生は「だからね」と付け加えた。
「小麦ちゃん、深夜二時にエナドリ二本一気はやばいよ。せめて、一本にしとこう」
「……麦茶にします……」
そんな話を聞いて、エナドリ飲む空気じゃないです、先生。
椿先生はほっとしたように微笑んで、私の肩をたたこうとして――先生の手は、私の身体をすり抜けた。自分の半透明な手のひらを見つめながら、先生は悲しそうに微笑んだ。
「創作活動の基本は、健康だよ。小麦ちゃん」
そのとき、私ははっとした。
さっきから、椿先生は私を『小麦ちゃん』と呼んでいる。
――『小麦子』それが、私のPNだ。
「椿先生……、私のこと、知ってるんですか!」
「知ってるよ。毎回、感想くれてたでしょ?」
私は胸が熱くなるのを感じた。
「私の感想読んでてくれてたんですね!?」
「うん。小麦ちゃんの感想には、いつも励まされてたよ」
椿先生は、あははと笑ってから、微笑んだ。
「夕映と沙羅の素敵なお話も描いてくれて、ありがとう。頑張って描いてくれてるの、ずっとモニターから見てたよ」
声が裏返る。
「モニターから、ずっと……見てた?」
「うん。私、PC付けっぱなしで、モニターに頭くっつけて死んだからか、PCの中に魂が入っちゃった? みたいで。今まで、画面の外に出れなかったの。代わりに、ネットのいろんなページは好きに見れたんだ。……それで、小麦ちゃんの『ゆえさら同棲花日和』を見つけて、小麦ちゃんのモニターにたどりついて、ずっと見てたよ」
私はぞわっとして、黙った。
推しの先生を前に、さすがに言いづらいけど。
「……あの、ちょっと怖いです」
「そりゃそうか~」
椿先生は「あっはっは」とすごいウケてる。
ちょっと、思ってたより、不思議な人だなあ。
それから、椿先生は真顔になった。
「でも、仕事もしてるのに、無理してるなって思って心配してたんだ。私――、死ぬ前ね、“描くことが好き”より、“止まるのが怖い”って気持ちで描いてたの」
「……止まるのが怖い?」
「更新を止めるとフォロワー減るし、忘れられるし。あと、自分がサボってる気がして、罪悪感で死にそうになっちゃって――そのまま死んだけど」
私は押し黙った。
私も、最近はそういうところがあったかもしれない。
誰かに「いいね」されたくて、誰かの感想をもらいたくて、無理して描いてたかも。
「私ね、私が死んで更新が止まった後、小麦ちゃんが二次創作してくれて。それを知ったら、私の作品をこんなに楽しんでくれてた子がいるって、嬉しくて、成仏できそうになったの。なんか、天国っぽいお花畑が見えて、身体がふわっとしたのね」
「でも」と言葉を続ける。
「でも、小麦ちゃんがしんどそうにエナドリを開けるのを見て、――向こうに行けなかったの」
「……え?」
それって、私のせいで、成仏できなかったってことでは……?
「椿先生、どうしたら成仏できるんですか……?」
「わからないけど……。『追想花譚』を完結できたら、成仏できるかも……?」
それは、確かに。先生の心残りはきっと、それだろう。
「私が死んだこと、誰も知らないのね。私、リアルでは誰にも漫画描いてること、話してなかったし」
椿先生は私と目線を合わせて、言った。
「小麦ちゃん、続きを描いてくれない……?」
「えええええええ! 無理ですよお。私なんて椿先生の足元にも及ばない……」
「そんなことないよ! 小麦ちゃんの絵は、すごく素敵だよ! 魂が入ってるっていうか!」
「そんな……!」
椿先生に褒められて、私は飛び跳ねた。
「だから……続き、描いて?」
「それは……ちょっと」
私は言い淀んだ。できる気がしない。
それから、時計を見る。いつの間にか――三時。
「あ、もうこんな時間! 更新どうしよう」
「更新は明日の夕方だよね? 今日はもう寝て、明日午前休を取ったらどうかな? 小麦ちゃん、毎日出勤してて、有休を全然使ってないでしょ。明日、外せない仕事はあるの?」
「明日は――ないですけど」
「じゃあ、有休を取ってもいいんじゃない?」
椿先生は私に囁いた。
まあ、言われてみれば、確かに……?
私は、椿先生に向かってうなずいた。
「とりあえず、今日はもう寝ます……」
「おやすみ~!」
「おやすみなさい……」
ふらふらとベッドに入って、そのまま私は秒で寝た。
――翌朝、日の光で目を覚ます。
「昨日は――変な夢を見たな――」
そう言って、顔を上げると。
「小麦ちゃん、おはよう!」
半透明の椿先生が、にこにこと私に手を振った。
……夢じゃ、なかった。




