第一話 コルクの向こう側
コルク栓を抜くとき、あんなに力を入れる必要はなかったのだ。
……今ならわかる。けれど、その瞬間の俺はただ晩酌の準備に浮かれていた。
指先でぐりっとねじり、親指で押し上げた——その一拍後だ。
「ぬぼっ……え?」
乾いた破裂音と同時に、瓶の口から淡い光のようなものが噴き出した。
目の前が白くはじけ、足元が消えた。浮遊感、というより落下していく腹の裏返る感覚のほうが近い。
気づけば、冷たい空気が頬を打った。
次の瞬間——
「ぼっしゃあああんッ!!」
水飛沫が全身へ叩きつけられた。肺の奥まで驚くほど冷水が染みこむ。
目を開けると、視界の周囲が淡い青に揺れ、すぐ上には石造りの縁。噴水だ。俺は噴水に落ちていた。
必死に縁へ手をかけ、よろよろと身を引き上げる。
シャツもズボンもぐっしょり。靴の中は水槽みたいだ。
「へぃ、ユー、オーケイ?」
「ワッ、ハプン?」
聞き慣れたようで、どこか違う発音。
広場にいた人たちが数人、こちらに駆け寄ってくる。
——言葉は日本語っぽい。
でもところどころで、英語に似た響きが挟まる。
不思議と意味はわかる。耳が勝手に補完してくれるような感じだ。
「だ、大丈夫です……すみません……!」
噴水の縁に座り込んだまま、救助してくれた男女へ頭を下げた。
そのうちの一人、栗色の髪を短く整えた青年が、俺に外套のような布を掛けてくれる。
「サンキュの前に、コールドになる前にウォーミング、です」
日本語に英単語が継ぎはぎされている。
だが意味はわかる。「風邪引く前に温まれ」ということだ。
「ありがとうございます。本当に……助かりました」
青年は少しだけ首を傾げ、俺の口元の動きをじっと見ていた。
観察されている、と気づき、ふと気づく。
——唇の動き。
この人たちの言語は、日本語に英語を混ぜたもの……だけど音よりも、唇の順序を読み取れば意味が分かるような、不思議な感覚がある。
言語のルーツなんて見当もつかない。
ただ一つ言えるのは、会話はどうにかなるということだ。
少し落ち着くと、胸ポケットが妙に重いのに気づいた。
財布だ。
ずぶ濡れの革を開いて、中身をのぞく。
「……なに、これ」
見覚えのない紙幣が入っていた。
色は日本の千円札に近いが、図柄は違う。
中央に描かれているのは鎧武者の姿。
そして大きく文字が印刷されている。
『豊臣重信』
「……こんな武将、いたか?」
少なくとも、歴史の教科書で見た記憶はない。
偽札というより、どこか異国の紙幣のような。
そのとき、青年が俺の手元をのぞき込み、
「オー、トヨトミ・シゲノブのメタルペーパーですね。フィフティ・メタル。ユア、ラッキー」
と、にこりと笑った。
——メタル?
紙なのに?
……いや、それ以前に。
トヨトミ・シゲノブ? そんな武将、歴史上にいない。
冷たい水よりも、今ようやく背筋に冷たいものが走った。
ここは、どこだ。
いや——
どこの世界なんだ?




