6-16
夏合宿。
幸か不幸か、合宿所は台風に包まれ、私は雨の日の力に守られることになった。初日は久我先輩に絡まれたこともあって、私は雨の日の能力に身を委ね、直陽くんとの会話をただただ楽しんでいた。
前に進まなきゃいけないのに。本当にどうしようもない。
二日目――写真部では三日目――の午後、トイレに行こうと思って廊下に出たところを、莉奈ちゃんに呼び止められた。
「ちょっといいかな?」
研修所の空いている会議室に入った。
「誤解がないように、最初に言っておくと、私は月城君に対して、恋愛感情とかはないからね。あまねさんの恋路を邪魔したりとか、そんな気は全くない」
莉奈ちゃんはまずそう言った。
私が「うん」とだけ返事をすると、ふふっと笑い、「そこは否定しないんだね」と言った。私はより強く「うん」と返事した。
「それでね、いくつか確認したいんだけど、あまねさんは、何かに怯えてたりする?」
直陽くんも、莉奈ちゃんも、私に何かあることが分かってた。私が怯えた表情をしていたことをしっかり見ていた。
「今は、大丈夫」
「『今は大丈夫』というのは、このあまねさんだから、という意味?それともどんな時でももう大丈夫、という意味?」
「どんな時でも」
「そっか。昨日ね、月城君と少し話してた。あまねさんは何か助けを求めているんじゃないか、って。その心配はない、ってことでいいのかな?」
「うん」
「『いくら考えても推測からは推測しか生まれない。その人には、自分が把握してない事情があるかもしれない』。この言葉に聞き覚えはある?」
「私が直陽くんに言った言葉だね。母からの受け売りだけど」
「そっか」そう言って莉奈ちゃんは少し考えて、意を決したように話し始めた。
「月城君はあまねちゃんのことを大切に思ってる。あまねちゃんが言った言葉も。あまねちゃんに何か事情があるのは分かる。でも、あいつはいい奴だからさ、本気であまねちゃんの苦しみを受け止めようとしてる。だから⋯その⋯これ以上あいつを苦しめないでほしいんだ」
同時に莉奈ちゃんの心の声も聞こえた。この言葉に嘘偽りはない。莉奈ちゃんは本当に仲間思いなんだなと思った。
「ありがとう、莉奈ちゃん。今の言葉で決心がついた」
「そう。それは良かった。今日はホールで和楽器部の演奏会を聞いてる。良かったら顔出てみて。あと、飲み会の時間とか。月城君に直接連絡取ってもいいと思うし」
「うん、分かった」
私のその表情を見て、莉奈ちゃんは安心したみたいだった。
「悪かったね、ちょっときついこと言っちゃって」
「ううん。そんなことない。写真部の結束は強いんだね。少し羨ましくなっちゃった」
「あまねちゃんも仲間に入る?あ、写真部の勧誘じゃなくて、個人としてって意味ね」
「ほんとに?ぜひ仲間に入れてほしいな」
そんなこんなでグループLINEに入れてもらった。こうして、写真部ではないけど、みんなと行動をともにするようになった。
そして、この時、決心した。ちゃんと直陽くんに事情を話そうって。
文芸部の活動は続いていたけど、どうせ私は何も書けなかった。いろんなワークショップを行うけど、どうしても筆が進まなかった。進まないというより、体が拒否して書けなかった。
私は文芸部を抜け出して、ホールに向かった。ちょうど大人数の演奏が始まったところだった。
「ほう、これが和楽器ね」
私が静かに近付いて話しかけると、直陽くんは驚いて振り返った。
「大丈夫なの?」『久我先輩に怒られるんじゃないか』
「部長に見つかったら面倒なのは確かだね」
「ってことは」
私はニカっと笑って見せて、
「黙って出てきた」
と言った。「どうしても見たくてさ」
私がそう言うと、直陽くんは責めるどころか、
「うん、いいと思う。怒られたら怒られたで、その時さ」
と言った。ちょうど文芸部で部長に詰められていたところだったから、この言葉には救われた。
私は、「そそ!」と調子よく答え、一緒に演奏を見ることにした。
二人で前を向く。
「この曲は戦後に作られた曲らしくて、西洋音楽風なんだとか」『今聞いたばかりの知識だけどね』
日本独自の音楽というものがあるのか、と私は興味をそそられた。日本古典の中には確かに琴や三味線は出てくるが、そういえば音楽を実際に聞いたことはなかった。
「西洋風じゃない音楽もあるの?」
「ほとんどはそうみたい」
どんな風に始まるんだろう。とりあえず、前を向く。直陽くんも、いつ始まるか分かっていないようだった。
前を向きながら私が言う。
「いいな。私も聴きたかったな」
「俺も」『君と一緒に聴きたかった』
「え?」驚きと嬉しさで、反射的に直陽くんを見てしまう。
直陽くんは慌てて
「あ、いや、何でもない」
と言った。
私は嬉しくなっちゃって、思わず笑みがこぼれた。心の声が聞こえていることはまだ言えなかったけれど、我慢しきれずに、
「私もだよ」
と言ってしまった。
「え?何が?」
今度は直陽くんが私の顔を見た。
そりゃ意味不明だよなと思って、ちょっと反省する。
「何でもない」
と言いながら、私はステージの方を見て誤魔化した。
「変なの。まあいいか」『あまねさんといる時のこういう空気が好きなんだよな。少し謎めいた会話とか、自分を知らない世界へいざなってくれる不思議な言葉とかが好きなんだ』
うっとりするようなメロディーの曲を聴きながら、私は少し後ろめたさを感じていた。私には直陽くんの心の声も聞こえている。嬉しい気持ちになるけれど、これを聞いていることを、直陽くんは知らない。いつまでもこんなことをしているわけにはいかないんだ。
「今度、聞きに行こうか」『結局日本風の曲の方はあまねさんは聴けなかったし、君と一緒にまた聴きたい』
心の声は聞こえていないように振る舞わないと。私は、ゆっくりと顔を向けて、
「私と?」
と訊いた。
「うん」直陽くんのゴクリと唾を飲む音が聞こえる。「できれば、二人で」
どう反応するのが自然か、一瞬考えてしまい、緊張した顔つきになっていたかもしれない。でもその時大切なことに気付いた。直陽くんは、はっきりと言葉にしてくれたって。
だんだんと嬉しさが込み上げてきて、ゆっくりと笑顔になる。
「うん。行く」
と言って、いひひ、と小さく笑ってしまった。
結局この場では伝えることができなかった。
そこから飲み会くらいの時間まで、ひたすら考えていた。
さっきの雰囲気から想像するに、たとえこの雨の日の力を借りても面と向かって言える自信がなかった。
自分が言えそうなシチュエーションは何か。
今まで一度だけ、私が直陽くんに雨の日の能力の話をしようとしたことがあった。夏になったばかりのバスでのことだ。ずっと後悔していた。あの過去を変えてやるんだ。
そこでピンと来たのは部長が言ってた「演劇」。ただのシチュエーション作りってだけでもなかったんだと思う。
人の心は雨の日に耳をすませば聞こえる。でも私の心の声はどうやったって聞こえない。自分の心に問わないと聞こえない。
あの時の私の心の声は何だったか。
たぶん、直陽くんと同じ時間を過ごしたかったんだと思う。これまでの二人だけの道を辿りながら。二人だけの、秘密の時間を。
その後はハプニングがあって、結局雨の日の能力のことを伝えることはできなかった。警備員さんとの逃走劇になり、直陽くんとの時間を楽しんでしまった。




