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バスを降り、近くのマックに入った。
まだ朝の七時過ぎ。大学生風のグループと、若いサラリーマンが数人。とても静かな店内。
私も直陽くんも、それぞれ朝のセットを頼み、向い合せの二人席に座った。
そこで直陽くんはLINEのQRコードを見せてきた。
「インスタは画質の設定が面倒だし、通知も埋もれて気付きにくいから。もし、良ければ、だけど」
「あ、うん!私もその方が助かる」
嬉しい気持ちをできるだけ悟られないように気をつけながら、友だち追加をする。
やっと直陽くんとLINEで繋がることができた。ちょっと嬉しくなっちゃって、ずっと画面を見つめていたんだよね。
直陽くんの「あまねさん?」の声で我に返り、「あ、ごめん」と言ってスマホを仕舞った。
少しの沈黙が流れた。直陽くんはなかなか口を開くことができなかったけど、私にはずっと心の声が聞こえていた。勇気を出して私を頼ってくれたことが本当に嬉しかった。
「まずはその、約束していた写真送るの、途切れてしまって、ごめん」
「ううん。こっちから無理言って頼んでしまったことだし」
「人物写真に挑戦しようと思ったんだ。それで、部員に声掛けて。みんな協力してはくれたんだけど⋯。その⋯」
直陽くんの人物写真、どんな感じなんだろう。きっとその人の本質を写し出すような、他の人には真似できないものなんじゃないかな、と思った。
「いくつか写真、見せてもらってもいいかな?」
「それは⋯うん」
スマホでいくつか見せてもらう。
「でもこれとこれとかは、俺が撮ったんじゃなくて、部員が撮ったもの」
確かに、友達が撮ったという写真は、それはそれでいいんだけど、直陽くんのとは違うと私にも分かった。
「ふんふん。直陽くんが撮ったのは⋯⋯これとこれと、それと、これじゃない?」
「!!なんで分かったの?」
「ふふふ。何となく」
ああ、私はやっぱり直陽くんの写真が好きなんだ。すぐに分かる。
「やっぱり、やめた方がいいかな」『セイタや涼介が撮ったとの簡単に見分けがつくくらい、レベルが低いのだろう』
そんなことない!私はこんなに直陽くんの写真が好きなのに!と叫び出しそうになる。
「どうして?」
「涼介とセイタ――この写真を撮った部員なんだけど――みたいには撮れなくて。それに、人を撮るって、俺にとっては簡単なことじゃなくて」
でもきっと、このお友達も直陽くんの写真のすごさを見抜いてるはずだよ。
「その涼介君とセイタ君は、直陽くんの撮った写真をなんて言ってた?」
「エロい――」
「え?」
「あー、いやー、その涼介っていうのは、こう、チャラくてその、変な意味じゃなくて」直陽くんは慌てて取り繕う。
「独特の表現する人なんだね――セイタ君は?」
「何て言ったかな。確かその人の『素」を切り取る、って」
「分かる!直陽くんの写真はそういうものがちゃんと写っているの。楽しそうな姿とかかっこいい姿ってのも面白いんだけど、その人の真ん中の、根っこの部分っていうのかな、そういうのを自然に引き出せるって、やっぱりすごいよ」
さすが直陽くんのお友達だ。ちょっと安心した。
「そう、かな」
直陽くんの表情が少しずつ柔らかくなっていくのが分かった。
「でも、人に頼むのが、少し怖くて」『成瀬さんはきっと怒っている』
「何か、あったんだね」
「たった一人の人の言葉だってのは分かっている。人にはいろんな意見があって、みんながみんな支持してくれるわけじゃないし、時には聞きたくない言葉を掛けてくる人もいるってことも。それが一人なら、ただ一人そういう人もいるんだなって思うべきなんだろうけど。でも今の俺には、それがたった一人でも、どうしてもぐるぐる考えてしまって。その時の言葉が頭にこびりついてしまって」
「なんて言われたの?」
「『月城君のカメラになんて映りたくない』って」
「そっか⋯それは、つらかったね」
私だってそんなこと言われたら立ち直れない。
私も桃華ちゃんに言われたことが、いまだに心に突き刺さっている。乗り越えたと思ってたのに、何かの拍子に思い出してしまう。
あの時私が相談できたのはお母さんだけだった。お母さんは必死だったな。私のことを励ましたり、勇気づけたりする言葉をいっぱい考えてくれた。私も乗り越えたわけじゃないけど、少しでも直陽くんの力になりたい。
お母さんの言葉、ちょっと借りるね。
「一人で考えているとついついぐるぐる考えちゃうよね。あの人は何を思ってこんなことを言ったんだろう。自分はその人を傷付けたんだろうか。嫌われてしまったんだろうか、って。でも私は思うの。いくら考えても、何時間、何日考えても、それは推測でしかない。推測をもとにいくら考えても、結論も推測だよね。その人には、私の把握してない事情があるかもしれない。それなら、考えてもしょうがない。ならあとは動くしかないんじゃないか、って。精一杯動いて、その時にできることをして、それでもダメなら、諦める、というか、精一杯やったならそれでいいんじゃないかと思う」
お母さんがあの時繰り返し繰り返し私に話してくれたこと。今でも忘れていない。やっぱり私にとって大事な言葉になっていたんだ。
「推測は⋯推測でしかない⋯。ぐるぐる考えても、堂々巡り」直陽くんが呟く。
「そう!分からないことは考えても分からないんだから」
「確かに。そう、だね――分からないことは、いくら考えても推測でしかない。⋯⋯ありがとう。なんか、分かりかけてきた気がする」『言葉の内容にも勇気付けらたけど、それよりも、あまねさんが俺のために一生懸命になってくれることが何より嬉しい。今までそんな人はいなかったから』
直陽くんは微笑みながら、改めて「ありがとう」と言った。
「あ、やっと笑ってくれた」と言って私も微笑む。
でも、成瀬さんという子は、何故そんなに撮られることを拒絶したんだろう。直陽くんは苦手だった人物写真に挑戦しようとした。同じ部員なら普通は応援するものじゃない?もし恥ずかしくて写りたくないなら、そう言えばいいし。
「ところで、もう一度、その子が言った言葉を聞かせてもらっていいかな?同じ女子なら、見えてくるものもあるかなと思って」
「そう、だね。『私は月城君のカメラになんて映りたくない』」
「その後は?」
「⋯うーんと、確か『どうして私が月城君のためにそこまでしないといけないの?』だったかな、そんな感じ」
「ふんふん。なんか引っかかる言い方だね⋯」
「そう、なの?」
「あと何か言ってた?」
「そのあたりでもう自分が恥ずかしくなって、何も考えられなくなって⋯⋯。あー、確か『私なんか撮らない方がいいよ』だったかな。そう言ってた」
「!!なる、ほど」
分かったぞ。きっと羨ましかったんだ。一歩踏み出した直陽くんが。
「それは、たぶんだけど、直陽くんは嫌われたわけじゃないし、人物写真を撮るのを否定されたわけでもないと思う」
「俺のことを慰めようとしてない?」
「違う違う。ほんとに、たぶん大丈夫――その子、えっと名前は」
「成瀬さん。成瀬琴葉さん」
「琴葉さんは、普段どんな写真を撮ってる?」
「えーっと――これとか、これとか、これもだ⋯⋯あ」『人物写真がない』
「うん、たぶん、そう」
「直陽くんのことが羨ましいんだよ。だから、きっと大丈夫だよ。嫌われてない」
「そっか。そうかもしれない。――あまねさん、ありがとう。話してよかった」『一人で考えていたら堂々巡りだったのに。あまねさんはすごいな』
私の心に中に流れてくる直陽くんの声が、だんだんと前向きになっていくのを感じた。
私、直陽くんの力になれたかな。お母さん、ありがとね。
安心したらお腹が空いてきた。
「おなかすいたね。食べよっか」
「うん」
二人ともマフィン食べ、温かいコーヒーを飲む。一気に体が温まっていく。
「でも、本当にごめん。あまねさんもびしょ濡れになっちゃったね。寒くない?」
「大丈夫!私もこれ飲んでるから」
そう言って私は「いひひ」と笑った。
そこで、直陽くんの心の声が聞こえた。
『バス停で待っていたあまねさん。まだ夏まで期間もあり、決して暖かいとは言えない季節。雨に濡れ、嫌な思いもしただろう。肩と靴が濡れ、ハンカチで肩と頬を拭いていた。
⋯肩と頬?
あれ?でも、確か、髪は濡れていなかった。そして確かあの時――あの時は気にもとめなかったけど⋯⋯確か、少し声が震えていたような』
直陽くん、気付いちゃったか。恥ずかしいな。でもどうしてだろう。直陽くんに私の気持ちが伝わってしまうことが、嬉しい。
気を取り直して、私は、
「どうかしたの?」
と訊いた。
「ううん、なんでもない。今日はありがとう。涼介とセイタ――本当は靖太郎っていうんだけど――この二人と撮り合った写真、送っておくね」
「うん、届いた。ありがとう。見ておくね。そろそろ行こうか。授業に遅れちゃう」
「うん」
そう言って私たちは席を立った。
外に出ると、少し雨は弱まっていて、人通りも増えて、街が動き出した感があった。
歩きながら話は続いた。
「あまねさん」
「なに?」
「君は⋯⋯すごいね」
「え?急にどした?」
私はおどけてみせたけど、元気になった直陽くんを見るのが嬉しくてしょうがなかった。そして力になれたことも。
「昨日までの気持ちが嘘のよう。人と話すことで、こんなにも前向きになれるなんて知らなかった。あまねさんがそれに気付かせてくれた」
「えへへ、なんか照れるな⋯⋯」
突然直陽くんは立ち止まって、私の方に向き直った。
「あまねさん」
私も立ち止まって、直陽くんの方を向く。
『俺はこれまで自信がなかった。そんな人生を送ってきた。人と目を合わせるのも苦手だった。でも君となら、あまねさんとなら、変われるかもしれない』
直陽くんは、私の目をまっすぐ見据えて、
「これからも、よろしく」
と言った。
私も直陽くんとなら、乗り越えられるかもしれない。
「うん。こちらこそ、よろしく」
私たちはふふふと笑い、再び歩き出した。
「推測は推測でしかない」「行動するしかない」そんな言葉で私は直陽くんを支えた。でも晴れの季節が来て、私のことを信じてくれた直陽くんを、私は裏切ることになる。




