1-1
「ねえ、直陽くん、今、外を見て、『三日連続で今日も雨か。まあ梅雨だしな』みたいなこと思ってた?」
隣の席に座る女の子はそう言った。直陽が
「こんな天気が続けば誰でもそう思うでしょ」
と返すと、彼女ははにかんで、ふふふと小さく笑った。
二週間前、その子は話しかけてきた。
直陽は週に二日、同じバス停から、同じ時間のバスに乗る。半年前からその子がいるのは知っていた。一度だけ隣になったことはある。直陽はいつも、バス後方二人席の区画の、左側の列のどこかに座る。その子は右側の列が多かった。混んでいる日は場所もバラバラ。視界に入ることもあれば入らないこともあった。
雨の日はバスは混む。混み出すとイレギュラーな席に座る確率が上がる。その日は座ったのは、タイヤの膨らみの後ろあたり。普段は座らない席だ。
他にもいくつか二人席の片方は空いていたが、彼女は特別迷うでもなく、直陽の隣に座った。直陽は、ああ、あの子が座ったなくらいにしか思わなかった。
知り合いでもないし、バス停に並ぶ人をジロジロ見るわけにもいかない。だから、顔はほとんど見たことがない。街なかで見かけたとしてもたぶん気が付かないだろう。あえて言うなら、カーディガンを羽織っているのが多いこと、髪が肩ぐらいの長さで白いシュシュをつけていること。あとは、スカートが多いかな。後ろから見えるのはそのくらいだから、彼女を判別する手がかりはこの程度しかない。
その日も視界の端に緑のカーディガンと紺のスカートが見えたくらいだった。
なんとなく外を見ていると、
「あの、先日はありがとうございました」
と話しかけてきた。
何のことか分からず唖然としていると、
「定期、拾っていただいて」
と言うのを聞いてやっと記憶の中の女性と目の前の女の子が結びついた。
先週、バスから降りて地下鉄の駅へ下る時のことだ。前を歩いていたパンツスーツにショートヘアの女性が何かを落とすのが見えた。定期券だったと思う。すぐに気付いて拾うかと思ったがそのまま歩いて行こうとするので、慌てて「落ちましたよ!」と声をかけ、拾って渡した。
「す、すいません」
と恐縮する彼女を横目に、すぐに立ち去った。あれがこの子だったのか。
「でも⋯ショートヘアじゃなかったですか?雰囲気が違うので気付きませんでした」
その子は「?」という顔をするが、ああという表情になり、綺麗にハーフアップにまとめられた髪を器用にクルクルと巻き、
「こんな風に『お団子』にしてたから、ショートヘアに見えたのかな」
と言った。手を離してほどかれた黒髪からシャンプーの匂いがわずかに香る。
それから特に会話はなかった。外に降る雨をじっと見つめていると、いつの間にか眠りに落ちた。
そこから二週間、また何も変わらぬ日々が繰り返された。変わったことと言えば、バス停で並んだ時にお互い軽く会釈するようになったくらいか。
三日前、雨の降るその日、またバスは混んでいた。今度は左側後ろから二番目。座るとすぐにその子も近づいてきたのが分かった。
「ここいいですか?」と言う。
「どうぞ」
と言って、気持ち左側に詰める。
「私は朝霧あまね」
唐突に自己紹介が始まった。
「はあ⋯」
どうしたものかと思っていると、
「よく見かけるし話もしたのに、名前を知らないのは変かなとー思って」
と取り繕うように言う。
「俺は⋯月城直陽」
「なおはる君ね。覚えた。⋯私は?」
「⋯あまね、さん」
「よし」
何なのだろう、この子は。
そして、今日。雨は続き、あまねはまた隣に座った。
「ねえねえ、直陽くんはさ、大学生?」
「そう。白楓大の二年。」
「お、なんだ、大学同じだったんだ。私も二年生。じゃあ敬語は要らないね」
「あまねさん、一度も敬語使ったことはないけど」
「あれ?そうだった?」
あまねは、いたずらっぽい笑顔を見せた。
「⋯でもなんか、名前とても似合ってるね。あまねさんらしくて」
「え?そう?」
「なんかこう⋯天真爛漫、って感じで」
あまねはぽかんとしていたが、
「そっか、褒めてくれてんだね、ありがと」
と言って前を向き、小さな声で「ふんふんふーん」と何か鼻歌を歌っていた。
そこからはほとんど会話もなく、終点の地下鉄の駅に着く。通路側のあまねが先に立ち、言った。
「じゃあ、急ぐから先行くね。あ、それと、三日連続じゃなくて、四日連続だった」
そう言うと、あまねは急いでバスを降りていった。
**次回予告(1-2)**
大教室の集まるB校舎。人気の授業を受けていると、前の扉が急に開かれ⋯。




