1-12
翌日も雨は続いていた。朝方はかなり降るということだった。
直陽がバス停に近付く。
遠目にもあまねがいるのが分かった。傘を差して道路の方を向くあまねの横顔が見える。
直陽の姿に気付き、あまねが直陽の方を向く。直陽が小さく手を挙げると、あまねもそれに応じて手を挙げる。
雨はかなり強くなっていた。直陽の傘は比較的大きなものだったが、靴や肩が既にびしょ濡れだった。
近付くにつれ、あまねも雨を傘で防ぎきれていないことが分かった。靴や肩はもちろん服もところどころ濡れているのが分かる。
「あまねさん、ありがとう。雨だいぶ強いね。別の日にしてくれても良かったのに」
「ううん。気にしないで。でも確かに雨強いね。へへ」と言ってあまねはハンカチを取り出して自分の頬や肩の雨を拭く。
ほどなくバスがやってくる。
傘の水を払い、定期券を機械にタッチしてバスに乗り込む。やや混んではいたが、座ることができた。
先に口を開いたのは直陽だった。
「昨日は本当にありがとう。ちょっと思う所があって⋯。あまねさんのDM、正直、嬉しかった」
「そっか、良かった」
直陽は話を続けようと思ったが、バスの屋根に打ち付ける水の音とエンジンの音が、二人の会話を遮る。
直陽は「駅に着いてからでいいかな」と耳打ちする。あまねは大きく頷いたが、返事は騒音に遮られほんんど聞こえない。
駅に着くまで会話はなかった。ただ窓の外を見つめるばかりだった。
駅に着くと、近くのマックに入った。
まだ朝の七時過ぎ。朝までカラオケでもしていたのか、数人の眠そうな顔をした大学生風のグループと、朝食と読書を楽しむ若いサラリーマンが数人。とても静かだった。
二人とも朝食がまだたったので、それぞれ朝のセットを頼み、向い合せの席に座った。
直陽はスマホを操作し、LINEの画面をあまねに差し出す。
「インスタは画質の設定が面倒だし、通知も埋もれて気付きにくいから。もし、良ければ、だけど」
「あ、うん!私もその方が助かる」そういってあまねもスマホを取り出して、直陽が差し出したQRコードを読み込んだ。
あまねは無言でスマホの画面を見つめている。特に何か操作しているわけではない。
「あまねさん?」
「あ、ごめん」スマホを仕舞って直陽に向き直る。
少しの沈黙が流れた。直陽はなかなか口を開くことができず、目の前のトレイの上に視線を落としている。あまねは辛抱強く待っていた。
「まずはその、約束していた写真送るの、途切れてしまって、ごめん」
「ううん。こっちから無理言って頼んでしまったことだし」
「人物写真に挑戦しようと思ったんだ。それで、部員に声掛けて。みんな協力してはくれたんだけど⋯。その⋯」
しばしの沈黙。
「いくつか写真、見せてもらってもいいかな?」
「それは⋯うん」
スマホを開き、この前撮った写真をいくつか見せる。
「でもこれとこれとかは、俺が撮ったんじゃなくて、部員が撮ったもの」
「ふんふん。直陽くんが撮ったのは⋯⋯これとこれと、それと、これじゃない?」
「!!なんで分かったの?」
「ふふふ。何となく」
「やっぱり、やめた方がいいかな」
「どうして?」
「涼介とセイタ――この写真を撮った部員なんだけど――みたいには撮れなくて。それに、人を撮るって、俺にとっては簡単なことじゃなくて」
「その涼介君とセイタ君は、直陽くんの撮った写真をなんて言ってた?」
「エロい――」
「え?」
「あー、いやー、その涼介っていうのは、こう、チャラくてその、変な意味じゃなくて」慌てて取り繕うとするがうまくフォローできない。
「独特の表現する人なんだね」涼しく微笑みながらあまねは続ける。「セイタ君は?」
「何て言ったかな。確かその人の『素」を切り取る、って」
「分かる!直陽くんの写真はそういうものがちゃんと写っているの。楽しそうな姿とかかっこいい姿ってのも面白いんだけど、その人の真ん中の、根っこの部分っていうのかな、そういうのを自然に引き出せるって、やっぱりすごいよ」
「そう、かな」直陽の表情が少し崩れる。「でも、人に頼むのが、少し怖くて」
「何か、あったんだね」あまねが静かに導線を作る。
「たった一人の人の言葉だってのは分かっている。人にはいろんな意見があって、みんながみんな支持してくれるわけじゃないし、時には聞きたくない言葉を掛けてくる人もいるってことも。それが一人なら、ただ一人そういう人もいるんだなって思うべきなんだろうけど。でも今の俺には、それがたった一人でも、どうしてもぐるぐる考えてしまって。その時の言葉が頭にこびりついてしまって」
「なんて言われたの?」
「『月城君のカメラになんて映りたくない』って」
「そっか⋯それは、つらかったね」
そう言ってあまねは何かを考えていたが、次の瞬間、意を決して直陽の目を見た。
「一人で考えているとついついぐるぐる考えちゃうよね。あの人は何を思ってこんなことを言ったんだろう。自分はその人を傷付けたんだろうか。嫌われてしまったんだろうか、って。でも私は思うの。いくら考えても、何時間、何日考えても、それは推測でしかない。推測をもとにいくら考えても、結論も推測だよね。その人には、私の把握してない事情があるかもしれない。それなら、考えてもしょうがない。ならあとは動くしかないんじゃないか、って。精一杯動いて、その時にできることをして、それでもダメなら、諦める、というか、精一杯やったならそれで良いんじゃないかと思う」
「推測は⋯推測でしかない⋯。ぐるぐる考えても、堂々巡り」
「そう!分からないことは考えても分からないんだから」
「確かに。そう、だね」直陽は今あまねが言った言葉を頭の中で反芻する。「分からないことは、いくら考えても推測でしかない。⋯⋯ありがとう。なんか、分かりかけてきた気がする」
言葉の内容もそうだが、自分のために言葉をかけてくれたことそのものが、直陽には救いだった。
直陽は微笑みながら、また「ありがとう」と言った。
「あ、やっと笑ってくれた」と言ってあまねも微笑む。
「ところで、もう一度、その子が言った言葉を聞かせてもらっていいかな?同じ女子なら見えてくるものもあるかと思って」
「そう、だね。『私は月城君のカメラになんて映りたくない』」
「その後は?」
「⋯うーんと、確か『どうして私が月城君のためにそこまでしないといけないの?』だったかな、そんな感じ」
「ふんふん。なんか引っかかる言い方だね⋯」
「そう、なの?」
「あと何か言ってた?」
「そのあたりでもう自分が恥ずかしくなって、何も考えられなくなって⋯⋯。あー、確か『私なんか撮らないほうがいいよ』だったかな。そう言ってた」
「!!なる、ほど」視線をそらし、あまねは何事か考え込んでいる。
「それは、たぶんだけど、直陽くんは嫌われたわけじゃないし、人物写真を撮るのを否定されたわけでもないと思う」
「俺のことを慰めようとしてない?」
「違う違う。ほんとに、たぶん大丈夫」そう言って、あまねは言葉を探す。「その子、えっと名前は」
「成瀬さん。成瀬琴葉さん」
「琴葉さんは、普段どんな写真を撮ってる?」
「えーっと」と言いながら成瀬はスマホで琴葉の写真を探す。「これとか、これとか、これもだ⋯⋯あ」
「うん、たぶん、そう」
山の上からの風景、人のいない駅、牧場の牛、渋滞している車の列。どれにも人が写っていない。
「直陽くんのことが羨ましいんだよ。だから、きっと大丈夫だよ。嫌われてない」
「そっか。そうかもしれない。あまねさん、ありがとう。話してよかった」
直陽は気持ちが晴れやかになっていくのを感じていた。直陽に向けられたあまねの顔もどこか誇らしげで、その微笑みは直陽の背中を押すような温かさがあった。
あまねが「おなかすいたね。食べよっか」と優しく勧める。
「うん」
手にマフィンを持って一口食べ、温かいコーヒーを飲む。雨に冷えた身体に、その暖かさが染み込んでいく。
「でも、本当にごめん。あまねさんもびしょ濡れになっちゃったね。寒くない?」
「大丈夫!私もこれ飲んでるから」そう言ってコーヒーのコップを両手で持って一口飲みながら「いひひ」と言って笑った。
今日の朝、バス停で待っていたあまねが思い返された。まだ夏まで期間もあり、決して暖かいとは言えない季節。雨に濡れ、嫌な気がしないわけはないのだ。
肩と靴が濡れ、ハンカチで肩と頬を拭いていた。
⋯肩と頬?
あれ?でも、確か、髪は濡れていなかった。そして確かあの時――あの時は気にもとめなかったけど⋯⋯声が少し震えていたような気がする。
あまねを見る。
「どうかしたの?」
「ううん、なんでもない。今日はありがとう。涼介とセイタ――本当は靖太郎っていうんだけど――この二人と撮り合った写真、送っておくね」と言って、その場でまとめて送信する。
「うん、届いた。ありがとう。見ておくね。そろそろ行こうか。授業に遅れちゃう」
「うん」
そう言って二人は静かに席を立った。
外に出ると、雨はいくぶんか弱まり、人通りも多くなってきた。
二人は、歩きながら話を続けた。
「あまねさん」
「なに?」
「君は⋯⋯すごいね」
「え?急にどした?」
そう言いながらもあまねはどこか嬉しそうな笑顔を向けている。
「昨日までの気持ちが嘘のよう。人と話すことで、こんなにも前向きになれるなんて知らなかった。あまねさんがそれに気付かせてくれた」
「えへへ、なんか照れるな⋯⋯」
突然直陽は立ち止まる。そして、あまねの方に向き直り、
「あまねさん」
と声を掛ける。あまねも立ち止まって、直陽の方に向き直る。
俺はこれまで自信がなかった。そんな人生を送ってきた。人と目を合わせるのも苦手だった。でも⋯。
直陽は、立ち止まって、柔らかい笑顔を向けるあまねの目をまっすぐ見据えた。
「これからも、よろしく」
「うん。こちらこそ、よろしく」
二人はふふふと笑い、再び歩き出した。
横断歩道の前、信号で待つ人の群れは黒や青やピンクの傘の塊になっている。信号が青になると同時にその塊は小さく分かれながら前に向かって進む。
街全体が少しずつ動き出していた。
**次回予告(2-1)**
第二章 「夏」編
梅雨も終わり、カラっと晴れた日、部室に行くと、莉奈がベランダに手招きをする。そこには琴葉が立っていて⋯。
**作者より**
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