5話 王都の景色
ついにこの時がやってきた。
「無事にご帰還くださいまして、誠に嬉しく存じます。エリス様」
大きな砦に囲まれた門の前、そこに佇む兵士が恭しく膝をつくと、エリスに敬意を示した。
銀のメッキは鮮やかに光沢を輝かせ、腰に携えた剣は念入りな手入れを施しているであろう美しさを放ち、礼儀の作法や目上の者を敬う教育の行き届いた青年。
魔力の質も素晴らしい。王都に派遣される兵士はどれも一級品揃いというわけだ。つまり選りすぐりの精鋭。魔王である父が王都にだけは安直に近づくなと言っていた理由がよく分かった気がする。
個では小さな魚一匹だとしても、束になれば大きな魚になる。さすがの私も無傷とはいかないだろうな、ふふ。
たったこの一瞬で私は高揚感が増すと同時に緊張からくる変な涎をすすった。
戦闘を好む種族が故か、エリスに婚約を迫られているが故か、それは定かではないが、たしかに武者震いしている。
王国の中枢、王都へと魔王の娘が足を踏み入れることになるのだから。
「うん、出迎えありがとう」
エリスは軽く会釈すると、通行証明書らしきものを兵士に手渡した。
「わざわざこんなもの、エリス様がお持ちにならなくても。我々が誠心誠意対応いたしますのに」
「正式な手続きは王国民として怠るわけにはいかないよ。最強の魔法剣士になったといえど、特別扱いをしてほしいわけじゃないし。横柄な態度で門を潜るのは勇者としてもよろしくないからさ」
わざわざ「最強」と言ってしまうあたり、意外にも承認欲求は高いのだな。
「謙虚ですね。そういった姿勢が市民から絶大な人気と指示を集める理由なのかもしれません」
兵士はどこか遠くを眺めると、通行証明書に判を押した。
「既に噂になっていますよ。エリス様が魔王の娘の討伐に成功したと」
びくっ、と肩が震える。
まさか魔王の娘がすぐ近くにいるとはつゆ知らず、兵士は少し高ぶった様子で続けた。
「これまで何人もの尊い命があの悪魔の手によって奪われました。その悪魔を討ち滅ぼしたとなれば、それはまさに神にも勝る偉業。人類はこれからより平和な生活が送れることでしょう」
「あはは、大袈裟だよ。魔王を殺したわけでもないんだし」
エリスは謙遜するように手をひらひらとさせるが、兵士は戯言に耳を貸さない。
「私も一般兵ではありますが、ありがたいことに王都で騎士として務めておりますので、魔王の娘の恐ろしさはよく知っております。今では口々に魔王をも凌駕する力を得ていると、命かながら逃げ延びた同士から耳にしていたのです」
「そ、そうなの? 魔王と戦ったことないからわからないや」
父もそろそろ年だからと戦線を離脱しているしな。比較しようがないだろう。おそらく全盛期に匹敵する力は私にもあるし、あるいは越えているかもしれないが。
「ですのでエリス様の功績を称えずにはいられないのです。約三百年にも続く積年の恨みを晴らしてくれたのですから!」
「さ、三百……ねん?」
こっちを見るな。年齢がバレるだろ。
人間種基準で言えば、まだピチピチの少女なのだぞ。
「ま、まあ俺も人類の役に立てたのなら光栄だよ」
「今や戦勝気分で街中がエリス様を称えております。国王様や貴族の方々からも多くの褒美が寄せられているようで──」
「でもさ」
エリスは声高らかに歓喜する兵士を途中で遮ると。
「もしかしたら、これからもう一波乱あるかもしれないよ?」
「……え?」
含蓄のある笑みを浮かべて兵士を見据えると、エリスはそう呟いた。
「それはまさか……ずっと気になっていたのですが、あちらの女性のことを言っているのでしょうか?」
兵士がついに馬車に乗る私へと視線を移す。全く魔王の娘だと勘づいている素振りはなく、なんなら一人の男として対応に戸惑っているぐらいだ。見惚れてしまった、と言えば聞こえがいいだろうか。
擬態魔法は完璧だ。返り血も途中で洗って落としたし、生まれながらの美貌と気品のある佇まいから高貴な印象を与えることができているはずだ。
元々魔王の娘ということでこういった作法も一通り心得ている。兵士には魅力的で気高い女性であると映っているに違いない。
「バイロンさんに連絡しておいてほしいんだ。彼女のことで少し、話したいことがあるって」
「ば、バイロン様にですか!?」
「うん。俺はしばらくこの子を王都の観光に連れて行くから。そうだな、夕方頃に屋敷へ向かうと伝えておいてほしい」
「か、かしこまりました」
動揺の中、勇ましく敬礼をした兵士はすぐさま道を開けると、馬車の歩みを促した。
いよいよか。王都へ足を踏み入れることになるのは。果たしてどのような光景が広がっているのだろうか。
魔王領は退廃的で支配的だからな。同族間であっても日々の略奪は絶えないし、優劣こそが全てを決める。それもまた魔族の性質上仕方のないことなのかもしれないが。
だから人間種の発展した王国の都とやらが楽しみだ。魔族と敵対する種族の全貌を垣間見ることに私は興奮と程よい不安を抱く。色々な憶測も脳裏を掠めるが、しばらくはエリスに身を委ねるのも悪くない。
門が開くと訪れた景色は正に、王都の名に恥じないものだった。
「騒がしいな」
私は腕を組み鼻を鳴らすと、聞こえてくる喧騒に若干の嫌気を感じる。
人間種の和気藹々と日常を楽しむ姿が間近にあると思うと変な気分だ。それを根こそぎ奪い欲望を満たす生活を送っていた身だからか、手を出せないのは不満だ。
人の数も、立ち並ぶ家々の数も、林立してそこらかしこに広がっている。
農業を主体とする辺境の村々とはやはりどこもかしこも違う。商売をする者が多い。新たな建物を作っている者もいる。第二次産業が大きく発展しているようだ。
「王都は特にね。王国の都というだけあって、食べ物も娯楽も希少な布や宝石だって、何もかもが揃ってる」
「……観光するとは聞いていなかったが」
あまり外面を晒すのは良くない。ましてや私を討伐したと噂が流れている手前、エリスと一緒にいる不可思議な女に興味がそそられないわけがない。
まあその女が魔王の娘と知れば、青ざめた表情で腰を抜かす間抜けな人間種を想像すると気分も良くなるのだが。
「やはりお前は楽観視しすぎだ」
「大丈夫だって。俺も馬鹿じゃないから。そう易々と市民の混乱を招くようなことは言わないよ」
「てっきりお前のことだから門前の兵士に『魔王の娘と結婚することにしたよ』と口走ってしまうのではないかと、内心ハラハラしたぞ」
「言いたくてしょうがなかったけどね」
「私は了承しておらんのだぞ。勝手に浮かれるな」
「手厳しいな、アイリニは」
何故かちょっと嬉しそうにエリスは頬を掻く。
「俺はさ、アイリニの思っている以上にちゃんと考えているつもりだよ?」
「ふん、どうだか。魔王の娘と結婚など夢物語もいいところだろうに」
「案外そうでもないかもって思わせてみせるよ。なんやかんや言って、ここまでついてきてくれたアイリニも満更でもないんじゃない?」
「笑わせるな。結果はお前次第だ。少しは期待してやらんでもない」
「素直じゃないんだから。そこも可愛いんだけど」
「……まあいい。とりあえず観光とやらをするのだろ。どこに案内するつもりなのだ」
私は火照った頬を隠すように窓の外を眺める。
どれだけ時間が経っても「可愛い」という言葉には慣れない。心臓に悪いし、いとも簡単に言ってしまうくせに無自覚なのだからタチが悪い。
「馬車を置いたら商店街に行こう。人間種のおいしい料理、食べてみたいでしょ?」
「そうだな、興味はある」
「じゃあ決まりだ」