4話 滴る鮮血もファッションに
「さあ、いつでもかかってきてよいぞ」
「その傲慢な態度、そそるねぇ」
「涙ぐみ裸体を曝け出す未来が楽しみだ!」
まずは剣を武器に突撃してくる二人の男。
なんの迷いもなく目指すは喉笛と脇腹の二種の選択。その背後から石ころのような鈍器に変化した水魔法が逃げ場をなくしてくる。
旦那と呼ばれた男の言い分から殺すつもりがないことは分かっているため威嚇が主たる狙いだろう。斬りかかるようにみせかけ次に定めた打撃で失神させるのが本命。仮に防がれたとしても魔法が不備を補ってくれる。
フェイントにカモフラージュと小賢しい細工をするとは無駄に頭がいいのだから。
受け止めるか?いや私の爪は先日手入れをしたばかりなのだ。人間種も、それも傲った態度で謀るゴミクズには相応しくない。
「冥土の土産に、満腔の怒りを味あわせてやろう」
両の掌に出現したのは火球。突然無詠唱で魔法が発現した刹那は驚愕を通り越して呆気に取られてしまったはずだ。
「な、無詠唱!?」
戸惑い動揺したのが最後だっただろう。
「へ……?」という空虚に乾いた声を発した頃には、眼前に辺り一帯の空気を燃焼させながら迫る火球に踏みとどまろうとしても遅すぎた。
触れれば一瞬にして服を溶かし、肉を燃やすと、骨を灰へと変える。
無神経に突撃した二人の男は井の中の蛙と言っても差し支えない。あっという間に業火に焼かれ、消滅した。
「瞬殺、だと!?」
「ちんけな魔法だ」
残った水の弾丸は所詮致命傷にはならない子供だまし。まあ本気で放たれていたとしても私には傷一つ負わせることはできないし、稚拙極まりない。
右腕に力を込めて薙ぎ払う。個体だった水は無惨にも液体へ、気体へ、コンマ一秒の間に霧散する。
「お、俺の魔法をあっさりと……」
「ふふ、悪あがきをしてもよいのだぞ」
「ず、図に乗るなよ。奇跡は二度も起きやしない!」
滑稽だ。随分と非力で、か弱くて、劣等。
その後は身の危険を感じ殺すつもりで魔法を放ってくるが、私には埃が舞っているのと同然。
簡単にかき消されてしまうので男にとっては屈辱的だったはずだ。防御魔法を唱えるわけでもなく、避けるわけでもなく、堂々と毅然たる態度を見せられると、自信はへし折られる。
そして一歩、また一歩と歩み寄ってくる一生を賭けても敵うことのない圧倒的強者を前に、段々と顔は引きつっていく。
「来るな! 来るなぁ!?」
終いには濡れ雑巾のように涙に溺れる。反射的な叫び声と嗚咽に私は心の臓がゾクゾクと震え上がる高揚感に見舞われた。
「あ……ああ……」
ついに私は男と対面する。あえて鼻と鼻とがこすれ合う距離で。
それは先程までの晴れた日の淀んだ水面のように照り輝いていた余裕が失われ、顔中に恐れとも悲しみとも見える影が広がったのをしっかりと確認したかったからだ。
「懺悔を良しとせぬ下賜をくれてやろう」
「待っ!?」
男の制止の声には耳も傾けず、後頭部を掴むと顔面を地面に殴打。
今の攻撃で額や鼻、歯といった表面は粉々に砕け、雑草で緑がかった土に紅が滲み出す。
「お願いだ……ころ、殺さないでくれ……」
「喧嘩を売ったのはお前たちからだろう?」
私は地面に突っ伏す醜い顔面を覗き込むと、狂気に満ちた笑顔を向けた。その瞬間訪れるのは美しい絶望だ。今から自分は死ぬのだと確信したとき、涙に変わる強張った静止画はしっかりと私のことを凝視していた。否、離したくても離せなかった。
いとも簡単に灰になった仲間を見て戦意を失わず逃亡しなかったのは褒めてやる。
相手が悪かった。擬態している分、認識などできるはずもない。
私が実は魔王の娘だということを。
「お、おかしいだろ……なぜ俺が、こんな小娘に負けて……」
「潜在魔力も解析できんカスが、強者ぶるなよ?」
魔力の解析とは文字通り相手の魔力の量や質を読み取る行為だ。大方の実力を図るために魔法を扱う者ならば無意識に行っている。
その中でも潜在魔力というものは未だ表に発現していない、言わば隠された魔力のことを指す。これは誰もが得ているものだが、意図的に操作できるのは魔法を極めたかなりの熟練者だ。
例えば擬態魔法。本来溢れるぐらいに強大な魔力を奥深くに眠らし、制御することでその種の一般的な能力に見せかける。私が人間種だと見破れないのは単に外見だけでなく、そういったからくりがあるからだ。
つまり私を殺したいのであれば、潜在魔力を解析するという高度な技術をもって初めてスタートラインに立てる。男のような半端者が対峙していいような相手ではなかったのだ。
「ひ、ひぃ……」
「そう怯えるな。すぐに楽にしてやる」
髪を引きちぎる勢いで握ると、ギロッと突き刺さる視線が男を捉える。
伝わるのは雪辱と遺恨。人間のこういった一面は好きな方だ。
「お、お前……人間じゃないな……?」
ほう、立ち振る舞いや言動で察したか。
人間種を見下し殺戮に躊躇のない様は正に魔族のそれそのものだった。
「人間でなければ、どうするのだ」
「……魔族なら、滅べばいい。悪魔、め」
「すまんが言われ慣れておる」
男はそれを最後に何も言わなくなった。
命乞いをしても無意味だと勘づいたのだろう。私からひしひしと漏れ出す殺意を感じ取ったに違いない。
死を受け入れてしまったのなら用済みだ。諦めず生を掴み取ろうとする一面が面白みがあっていいというのに。楽しい時間も終了か。
唇は震え慄き虚ろに揺れる瞳には、もう精気は感じられなかった。
「運が悪かったと思え人間」
髪を離した直後、男の顔面を地面にめり込むように踏み叩いた。
頭蓋が砕けた音と血飛沫が散漫する光景は、音楽が奏でる旋律のような心地よさがあった。
服に、頬に、汚く噴水になった鮮血がべちゃりと付く。
あえて魔法ではなくこのような殺し方を選んだのはやはり苛立っていたからかもしれない。
「私を商品呼ばわりしたのだ。当然の報いだな」
エリスと出会って初めての敗北を経験した私だったが、並の人間など赤子同然。到底太刀打ちできるはずもない修羅の畏怖。それを纏うのが魔王の娘として世界に名を轟かせる私だ。
「ふん、結婚がどうのこうのと浮足立っていたのが馬鹿らしい。やはり、人間種を嬲り殺すのは快感だ」
人間種と魔族は昔から戦争をし合う敵対種族であり、領土もその都度拡大と縮小を常にしてきた。
魔族は人間種以上に残忍で一種の戦闘狂とも言えよう。特に仲間に対して情もなければ恨みも抱かない。ただ単に本能として人を殺すことを快楽に思ってしまう生き物なのだ。
戦うことに生を実感し、強者の出現に歓喜する。負ければ己の無力さに憤慨し、勝てば絶叫で喉を潰す。魔族の生き方は戦いを楽しむことが本望で、人間を殺して得られる快楽は先に与えられたドーパミンのようなものなのだ。
これは性交渉に例えられる。気持ちが良くなければ進んでしたくはないのだから。弱者相手でもここまで楽しくなれるのは魔族特有の性質であった。
私も同じだ。魔族としての生き方が性に合っていた。正解だった。
しかしふと、青い空に浮かぶ太陽を見上げると、ある種の焦燥に駆られる思いだった。
私は魔王の娘だ。エリスが最強の人間種なら魔族の中で最強の存在。多くの人間を殺し恐怖を与えてきた近づきたくない者。
だから、嬉しかったのか。
こんな私を好きと言ってくれる物珍しい人間に出会ってしまったから。
あの時、私を殺さずよもや結婚してほしいと人生を否定されたが故かもしれないが。
「なぜか少し、憂鬱だ」
粉々に灰になった跡形もない死体。足が泳ぐ血の海に、原型を留めない死体。それを見ると、疑問に思ってしまった。
エリスになんて言えば。いや、好都合か。
私が人類にとってどれほどの脅威か、エリスはいまいち自覚していない。自分が負けるわけないと過信しているからこそ、楽観的に結婚を申し込んでしまう。
阿呆だ、ただの馬鹿だ。つまり私が好きだからこそ、私を殺せないということなのだから。
いつか私がその心を利用して人間領で好き勝手人を殺す危険性があると知っても、エリスは殺す勇気がない。覚悟がない。
なら、今のうちに私が決断すればいい。
この光景を見ればさすがのエリスも考えを改めるだろう。
願ったり叶ったりだ。エリスに心を弄ばれているようで腹が立つし、言われ慣れない造語はむず痒いし、何より私は結婚など望んでいない。
血に濡れた魔王の娘の恐怖の意味を知れば、勇者という立場のエリスは私を殺すしかなくなる。勇気が、覚悟がないのなら、私から仕向ければいいだけのこと。
それでいい。それでいいのだ。
実際は負けたその瞬間に死は受け入れていたのだから。
少しの間、はしゃぎすぎた。
「アイリニ……なにやって」
程なくして馬車が止まる音がした。
空を眺める姿から不意に視線を落とすと、幻滅したように失意に苛まれたエリスが佇んでいた。
それもそうか。人類の価値観との相違。口には出していたが目の当たりにしたのは初めてだったはずだ。
俯く彼の表情は私には見えない。
怒っているのだろうか。それとも魔王の娘との結婚は危険だと、ようやく正常な判断を下したのだろうか。
私は簡単に人を殺す。情なんてものはない。エリスのことも殺せるならさっさと殺している。でも拾ってくれた命を活用して鍛錬を積み、彼へリベンジしようとは思えない。
たった数時間で、私はエリスに性格を歪まされたのかもしれない。
「先に行っちゃったから急いで後を追ってみたら……アイリニ、ちゃんと説明してくれないかな」
何故か愁傷とエリスは話しかけてくる。棘が刺さったように胸がズキンと痛む。
「まさかアイリニから攻撃したわけじゃないよね」
「ふん、私を商品呼ばわりしたのでな。苛立って殺してしまっただけだ」
「普通は苛立ったからって、殺さないんだけどね……」
がりり、困ったように頭を掻くエリス。
「アイリニを商品呼ばわりしたのは俺も激怒案件だけどさ……殺す必要はなかったんじゃない? 話を聞く限り、悪質なクズ商人と遭遇したんだろうけどさ、いくらなんでも命を奪うのはやりすぎ──」
「お前は勘違いしておる」
私は御託に嫌気が差し、口を挟む。
べたりと付着した生暖かい鮮血が頬からぽたぽた滴ると、エリスに突き刺さった瞳は人間種ならば一目散に逃げ出すほどの戦慄を振りまいていた。
「お前から見れば私は婚約者なのだろうが、第一に私は人間種を日常的に殺すことを性とする狂った種族なのだ」
エリスは勘違いしている。
私をいつでも殺せる力がある最強の魔法剣士は、肩書など忘れて一人の女性として見てしまっているのだ。
人を殺すことを、魔族は人間種と同じように罪とは思わない。理解しているのならば、エリスから先程の発言は出てくるはずがなかった。
「いずれお前の気持ちを利用して人間種を殺す機会もあるだろう。そうなる前に、お前は勇者としての責務を果たすべきだ」
あの時、殺せるはずの私を殺さなかったこと。
一時の恋で盲目になったエリスが後悔するのだけは違う。
私は私よりも強い者に対しては最大限の理解と尊重をしたいのだ。これもまた、敗者になった私なりの手向けだ。
「結婚など考えるな」
私は無防備に体を晒し、いつでも殺せと目を瞑った。
覚悟を決めたエリスになら、殺されても構わなかった。
だが。
「アイリニ」
甘かった。
「な、何を……」
不意にふわりと優しく包まれる感触と軽くなった体にびくりと身を強張らせる。
その柔らかい声は紛れもなく眼の前の男のもので間違いないのだが……なぜこのようなことをするのか全く理解が及ばなかった。
お姫様抱っこというものを体験したのは生まれて初めてだった。
「めちゃくちゃ血が飛んじゃってるね。普通なら汚いと思うのに、アイリニだと美しく見えちゃうよ。これもまたある種のファッションて言えちゃうのかな? あはは」
ぎこちない笑みに更にエリスの心情が読み取れなくなる。
「降ろせ!」と抵抗してみるも、子供を宥めるようにエリスはかわいいなぁと微笑んでいた。
「笑ってる場合じゃないだろ! これで私を王都に連れていけばどうなるか、よくわからなかったか!?」
「アイリニ、ちょっと暴れないで。落ち着いて話を聞いてくれないかな」
「嫌だ降ろせ! 殺すぞ!」
「逆に殺される側でしょ? あはは」
「くっ、笑えん冗談を……」
「俺さ、こう見えても怒ってるんだよ」
強情らしい、私に迫るような顔つきでエリスは語る。
怒りなど感じさせない優しささえ伺えるその容姿は取り繕ったように憤りを潜めていた。
「アイリニが人を殺した姿を目の当たりにして、正直言って世間でいう魔族のことを再認識した。俺は勇者として人類を守らなくちゃならない立場なんだってね」
「だからなんだと言うのだ」
「俺って最強なんだ」
「……何を今更」
そんなの知っているに決まっているだろうと、嫌味にも聞こえた私は半眼になる。
噂でしか知らなかったが、私と対峙して傷一つなく勝利したのだ。嘘でないことぐらいわかる。
「だからさ、なんでもうまくいくと思ってた」
「……?」
「女心って難しいよね。アイリにが何を考えて何を思っているのか、全然わからないんだもん」
「当然だ。私がお前に全てを曝け出すことはない」
「うん、だから怒ってる。自分にね」
「……どういう意味だ」
「俺は好きな人とどうしてもズレた考えがあるって知っちゃったからね。魔族特有の性質、それに俺は理解を示したいけど示してはならない。最強になっても、覆しようのないことだってあるんだ」
「それは種族柄仕方のないことだ。魔族は人を殺すことを娯楽と考えている。勇者として、黙認してはならぬ事案だ」
「だよね。でも同時に俺、気づいちゃった」
エリスは私を馬車へと座らせた。そして目と鼻の両端にある頬に手を当てて、付着した血を撫でるように拭き取ると。
「アイリにが俺のことを好きになってくれれば、俺が嫌がることをしたいとは思わなくなるんじゃないかって」
「なっ!?」
「絶対に惚れさせてみせる。これは確定事項だから」
「き、聞いてなかったのか!? 私は人間を殺すことになんの抵抗もないのだぞ」
「うん、でもさ」
エリスは私の手を握ると。
「きっとアイリには俺のことを気に入ってくれると思うんだ」
「ど、どこからその自信が湧いてくるのだ……」
「俺のことをちゃんと見ていてほしい。全力でアイリニを好きにさせてみせる。その努力は怠らないつもりだよ」
「お前ってやつは……譲らないつもりか」
「当然。アイリニほど、手放したくないと思った女性は初めてだからさ」
親指を立てて堂々と宣言するエリスはどこかスッキリしたような清々しさだった。
あまりにも直球で言葉を失ってしまうが、先程までの緊迫した雰囲気が打ち解けたことへの安堵に、それでもいいかと私は納得してしまう。
全力で好きにさせてみせる。嘘偽りない本心に、託してもいいだろうと。
「言質はとったからな」
「大丈夫。ちょっと手応えはあるからね」
「おまっ、そういうのは言わないものでは」
「可愛いよ、アイリニ」
「黙れ!」
無意識に赤くなる頬を勘付かれまいと一蹴したことを最後に、再び馬車は動き始めた。
余談。
「それで、これはどうしたらよいのだ」
「ん? なにをさ」
私が指差す先には業火により焦げた地面と、無惨に転がる死体が。
ここは既に王都を一望できる丘陵。頻繁にというわけではないだろうが、人が行き来する道であることはたしかだ。
「見るからに魔族の仕業だとバレる。騒ぎになって困るのはお前だぞ」
「まあ別にこのままでもいいんじゃない? 俺のお嫁さんが残した壮絶なアートだとして」
「ダメだろ」
「やっぱり?」